酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「聖なる犯罪者」~善と悪を顛倒させる寓話

2021-02-01 21:35:38 | 映画、ドラマ
 EUが日本からの渡航禁止を発表した。「来るな」ということは「行くな」で、東京五輪開催へのハードルはさらに高くなった。国民が望まない状況下での五輪開催に疑問を投げかけてきた新谷弘美(陸上一万㍍代表)の発言が耳目を集めている。いわく「選手は支援抜きに生きていけない〝職業〟。国民と気持ちが一緒になってこそ、五輪は成立する」……。
 
 翻って、スポーツ関係者や政界トップの発言に疑問を抱くことが多い、菅首相は<コロナとの闘いにおける勝利の証しとして五輪を開催する>と前任者の見解を踏襲しているが、〝本質〟を見逃している。資本主義が途上国を簒奪して自然を破壊し、気候危機を招いたことが新型コロナウイルス発生の原因だ。欧米では真摯に敗北を認め、システムチェンジを志向する動きが加速している。

 新宿武蔵野館で先日、善と悪の境界を見据えた「聖なる犯罪者(2019年、ヤン・コマサ監督)を観賞した。コスマ監督と二人三脚でストーリーを創り上げた脚本家のマナウシュ・バツェヴィッチ、ブルー&グリーンのトーンで統一した撮影陣と、ポーランド映画界は今、充実期を迎えているようだ。

 殺人罪で少年院に収容されている主人公ダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)はトマシュ神父の下、信仰に目覚める。ミサの補助を務めるが、〝前科者は司祭になれない〟が不文律だ。仮釈放され、製材所の仕事を斡旋されたダニエルだが気が進まない。近くの教会で出会った少女マルタ(エリーザ・リチェムブル)に「自分は神父」と嘘をつく。

 国民の90%近くがカトリック教徒のポーランドでは自明の理だろうが、ダニエルは旧約聖書に登場する優秀な神の僕だった。偽聖職者による事件が頻繁に起きているらしく、ダニエルの成りすましに気を留める者はいない。マルタは母を通し、ヴォイチェフ神父を紹介する。アルコール依存症の治療で教会を離れることになった同神父に代わり、ダニエルは司祭代理を任された。

 ブログに繰り返し記してきたが、ポーランド人の監督は悪魔を登場させる。「尼僧ヨアンナ」、「地下水道」、「ポゼッション」が典型で、背景にあるのは同国の苦難の歴史に紡がれた心象風景だ。<これほど祈りを捧げているのに、あなた(神)は私たちを見捨てるのか>という怨嗟に近い感情が悪魔を育む。「聖なる犯罪者」の悪魔的魅力を秘めたダニエルに、「水の中のナイフ」の青年が重なった。

 スマホを見ながらミサを執行し、告解に接するダニエルは、型破りな言動で村人を引き寄せる。想像力と独創性を発揮し、表情と言葉、絶望、恐怖、孤独、叫びを湛えた目力に圧倒された。ポーランドではラップに乗せて説教する神父がいるというが、フィジカルを前面に言葉を絞り出すダニエルは、抜き身の冷たい刀のようだ。

 村の事情に少しずつ通じていくダニエルは、教会を取り巻く悪の構図に気付いた。権力者、警察、司祭まで手を携え、1年前に起きた交通事故の真相を隠蔽する。悪を知り尽くしたダニエルだからこそ悪を超え〝沈黙の壁〟と闘う。冷たい目に晒されながら、神の僕として当然の選択をし、村人たちの偽善を暴いた。

 最も記憶に残るのは、ダニエルが磔刑のキリスト像を後景に、「私は殺人者」と告白する場面だ。タトゥーが彫られた上半身を晒したことで、キリストとダニエルの苦悩が重なる。聖と悪の奇跡的な交錯により、善と悪は顛倒する。悪人に相応しい場所に戻されたダニエルだが、意図したわけではないのに、外の世界に出る。宿命的、寓話的な結末の先に、ダニエルは何を見るのだろう。
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