酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

人生と愛の迷路を辿る「僕とカミンスキーの旅」

2017-05-13 16:05:00 | 映画、ドラマ
 今回は二人の画家について記したい。一人は波瀾万丈の至高の表現者、もう一人は架空のポップアートの巨人である。

 先日、「ミュシャ展」(国立新美術館)に足を運んだ。売りはアルフォンス・ミュシャが16年かけて創作した20作からなる「スラブ叙事詩」だ。いずれも見上げるほどの壮大なスケールで、3~20世紀のチェコ史をモチーフにしている。

 農民、労働者、戦争で斃れた者が描き込まれ、怒り、哀しみ、諦念、恐怖をこちらに訴えているような目力を感じる。靄がかかったような柔らかな色調で、透明な衝立を通してコミュニケーションを取っている気になる。鑑賞する側と異界を結びたいというミュシャの作意が窺え、<過去-現在-未来>を繋ぐリアリティーを感じた。

 ミュシャはアールヌーボーの旗手としてパリで成功する。グラフィックデザイナーとして一世を風靡し、50歳で故郷に帰った。パリ時代のポスターも展示されていたが、金銭的な成功に背を向け、「スラブ叙事詩」に没頭する。パリ以前と以降は同じ画家の作品とは思えない。途轍もない転回が人生に起きたのだろう。

 「スラブ叙事詩」を制作する際、ミュシャは村人たちの写真を撮り、忠実に反映させたという。<歴史の主役は名もなき民>という信念の表れだったのではないか。ミュシャの愛国心は侵攻したナチスドイツに警戒され、獄に繋がれた。解放され、間もなく死亡する。社会主義政権でも黙殺され、プラハの春で再評価された。

 恵比寿ガーデンシネマで「僕とカミンスキーの旅」(15年)を見た。監督=ヴォルフガング・ベッカー、主演=ダニエル・ブリュールの「グッバイ、レーニン!」(13年)以来のコンビが謳い文句である。鮮烈なデビューを飾ったブリュールは「ベルリン、僕らの革命」、「サルバドールの朝」、「コッホ先生と僕らの革命」などに主演し、「ラッシュ/プライドと友情」ではニキ・ラウダを演じるなどハリウッドでも地歩を固めている。

 本作でブリュールが演じたのは、芽の出ないドイツ人の美術評論家だ。名声とお金を求める野心家のセバスティアンは盲目の画家、マヌエル・カミンスキー(イェスパー・クリステンセン)の伝記を書くため、隠遁しているスイスの山奥を訪ねる。カミンスキーは本当に盲目なのか? 視力をなくしてから描いた作品はあるのか? セバスティアンカミンスキーの娘ミリアム(アミラ・カサール)に接近しながら取材を進めていく。

 フェイクニュース、メタフィクションっぽい、虚実ない混ぜのムードでスタートする。ピカソ、マチス、アリ、ビートルズ、ウディ・アレンら時代の寵児とカミンスキーがコラージュされた写真と記事、映像が流れる。カミンスキーは芸術家やムーヴメントを辛辣に斬って捨てる。セバスティアンの心の声と妄想が頻繁にインサートされるなど、ユーモアと遊び心に溢れた作品である。セバスティアンの元恋人宅には、日本文化や黒澤明へのオマージュを窺わせるポスターが飾られていた。

 奔放なカミンスキー、そして煩悩の塊のセバスティアン……。年齢も個性も異なる二人だが、魂は次第に相寄っていく。ブレーク直前、カミンスキーの心の支えだったテレーゼ(ジェラルディン・チャップリン)が生きていることを知ったカミンスキーは、セバスティアンを伴い再会の旅に出る。

 レオン・カラックス監督作で注目を浴びたカール・ルードヴィヒがコソ泥役で登場するなど、道中はエピソード、ハプニングの連続だった。辿り着いた目的地で、カミンスキーとセバスティアンは絶望と孤独を共有する。形と手触りのあるものは得られなかったが、それ以上の価値にセバスティアンは気付いた。エンドロールの絵は、カミンスキーの心象風景そのものだ。本作は人生と愛の迷路を彷徨う温かなロードムービーである。

 最後に、ヴィクトリアマイルの予想を。雨で波乱を期待したいが、重でも実績のあるミッキークイーンが馬券から外れることはなさそうだ。先行できそうな②スマートレイアーと③ジュールボヌール、いまだに成長している⑭レッツゴードンキをミッキーに絡めて買うことにする。

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