酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「献灯使」~フィールドワークから生まれたリアルなデストピア

2016-11-06 21:30:40 | 読書
 先日、佐藤かおりさん(女性と人権全国ネットワーク共同代表)の参院選報告&懇親会に足を運んだ。立候補(東京選挙区)の意思を固めたのがGW直前と、無謀と言うしかない挑戦だったが、かの高樹沙耶候補を上回る票を獲得したのだから健闘といっていい。

 「推薦人に名を連ねた人は何をしていたのか」という声が都外の支持者から上がったというが、知識人、文化人も決して自由ではない。昨年の熱い夏を主導した小林節氏でさえ<市民>に見捨てられた。弱い立場の<当事者>が連合体を形成することが、日本を根底から変える方法ではないか。

 選挙を通じてLGBT、貧困や差別に喘ぐ人、反戦派と繋がった佐藤さんが現在、意欲的に取り組んでいるのは、自民党が水面下で進めている「親子断絶防止法」にストップをかけることだ。同法案の目的は<男性上位の家庭に女性を縛り付けておくこと>で、子供の意思やDVへの配慮が全くない。時計の針を明治に巻き戻したい日本会議が、裏で糸を引いている。

 3・11後、平野啓一郎は「小説が3・11以前と同じであっていいはずがない」と語っていた。その思いは多くの作家たちが共有しており、当の平野、池澤夏樹、星野智幸、奥泉光、桐野夏生らが原発事故にインスパイアされた作品を発表してきた。石巻出身の辺見庸は小説、評論に加え、詩集「眼の海」で慟哭、鎮魂、寂寥を表現した。

 積読本から手に取った「献灯使」(14年、多和田葉子/講談社)は白眉といえる作品だった。ノーベル賞の時期、村上春樹を巡って大騒ぎになるが、日本人作家の〝裏の本命〟に多和田を挙げる文学通も多い。俺にとって多和田ワールドは「犬婿入り」、「雪の練習生」に次いで3作目の経験になる。

 多和田は1982年以降、ハンブルク、ベルリンに在住し、ドイツ語で著わした小説や詩で様々な栄誉に浴している。タイトル作だけでなく、「韋駄天どこまでも」「不死の島」「彼我」「動物たちのバベル」の四つの短編も、<崩壊した日本、死に瀕した人類>という設定に基づいている。

 「献灯使」の主人公は義郎と6歳の曽孫、無名(むめい)だ。放射能で体を強化した老人は不死状態で、義郎は無名を守るために生きている。放射能汚染がDNAにもたらして影響は甚大で、祖父母の体内被曝の影響で、成長過程で歩けなくなったり、性転換したりした子供たちは10代半ばで召されていく。無名もまた同じ道を辿るのだ。

 本作は<ユートピア>の対極である<デストピア>にカテゴライズされている。<デストピア>とは管理と抑圧が常態化し、生態系の崩壊で人類が志向すべき調和や絆が失われた社会が描かれる。地震と原発事故で首都圏は廃墟になり、事実上の道州制が敷かれている。沖縄や四国が農作物に溢れる地域と想定されているが、労働環境が奴隷制に近い可能性も示唆されている。

 鎖国というより、日本は放射能汚染を恐れる諸外国の意思で遮断されている。ネットも電話もないから、情報は一切入ってこない。外来語は禁止され、人々は息を潜めている。本作に描かれる社会に、日本の現状に対する多和田の鋭い分析が窺える。上記した作家たちは3・11後、内側から日本を相対化したが、多和田は異なる。距離を置いて日本を俯瞰したことで、「献灯使」は忌憚なきリアルな<デストピア>になった。

 「犬婿入り」に感じたことだが、多和田の作品には、日本における共同体と個というアンビバレンツが内包され、椎名麟三や古井由吉に似た皮膚感を覚える。タイトルに含まれる<献灯>とは葬儀の際、死者を追悼して灯される火のことで、灯籠流しとも重なる。現世と彼我を繋ぐ灯をイメージすれば、謎めいたラストを解読できるかもしれない。

 「犬婿入り」文庫版の解説で、与那嶺恵子氏は<多和田葉子の小説では、言語が伝達の手段を超えて、ものの本質として屹立する言語空間が立ち現れる>と記していた。一方で多和田は3・11後、浪江町など被災地を訪れ、人々の言葉にインスパイアされ、本作を書き始めたという。方法論、哲学、グローバルな視点だけでなく、フィールドワークに根差した本作は、〝ノーベル文学賞〟に相応しい作品ではないか。
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