酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「人間の値打ち」~イタリア、アメリカ、そして日本の今を穿つ普遍性

2016-11-03 12:00:16 | 映画、ドラマ
 欅坂46の関係者が米ユダヤ系団体に謝罪した。ハロウィーンイベントで着た衣装のデザインが、ナチスドイツの軍服に似ていたとの抗議を受けたからだ。ユダヤ人の情熱は認めるが、イスラエルの現在を考えると複雑な気持ちになる。

 アウシュビッツ施設内のサロンで音楽を楽しんだドイツ人将校、ガザ無差別空爆(2年前)を川べりで観賞会を開き、着弾するたびに歓声を上げ乾杯したイスラエル人……。ジェノサイドを志向するという点で、両者は何も変わらない。ちなみに、〝花火大会〟の非人間性を報じたリポーターは翌日、CNNをクビになった。

 週末、渋谷はハロウィーンで大騒ぎだった。駅とル・シネマの行き帰り、闊歩する仮装行列の間を縫うように歩く。ハロウィーンの起源は土着信仰で、呪術とも無縁ではない。地域によって異なるが、日本では村落共同体の<ハレとケ>に繋がっている。

 来年以降、日本でもさらに規模は拡大するだろう。閉塞社会で、若者は貧困に喘ぎ、言葉を呑み込んでいる。息詰まる<ケ=日常>と仮装によって自分を解き放つ<ハレ=非日常>の乖離が広がり、暴力的、刹那的な色調を帯びていくのではないか。アメリカのピエロ騒動は前兆かもしれない。

 ル・シネマでイタリア映画「人間の値打ち」(13年、パオロ・ヴィルズィ監督)を観賞した。内外で多くの映画賞に輝いた本作は、ベルナスキ、オッソラの両家族がトグロを巻きながら物語は進行する。公開直後なので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 ジョヴァンニ・ベルナスキは金融界の大物だ。妻カルラは演劇への夢を捨てて結婚したが、心の中でマグマが煮えている。夫の財力を背景に、劇場再開に向け尽力している。長男マッシミリアーノはドラ息子の典型で、オッソラ家の長女セレーナと付き合っていた。

 冒頭で自転車に乗った労働者が轢き逃げされる。「運転していたのは誰?」という謎解きで、観客を引き込んでいく。第1章=ディーノ、第2章=カルラ、第3章=セレーナ、第4章=人間の値打ちの4章立てで、3人の主観がカットバックしながら真相に迫っていく。

 原作はスティーヴン・アミドンが米コネティカット州を舞台に著した小説だ。ヴィルズィ監督は時間を巧みに刻んで再構築した。新自由主義の下で拡大する格差を背景に、家族の絆、人間の価値、愛する意味を問い掛ける普遍的な作品で、アメリカ、イタリア、そして日本の現状にも重なっている。

 狂言回しを務めるセレーナの父、ディーノ・オッソラは、娘を利用してオッソラ家に接近を図る拝金主義のしもべだ。心療内科医の後妻ロベルタは、存在感を次第に増していく。マッシミリアーノと真逆なルカは傷つきやすい少年で、ロベルタの患者だった。セレーナのルカへの思いが謎解きの伏線になっている。

 純粋と繊細、欲に根差した醜悪……。コントラストが際立つ作品で、ラストに癒やしと希望が用意されている。主演として数々の栄誉に輝いたのは、イタリア映画界の〝挌〟を反映しているのか、カルラを演じたヴァレリア・ブルーニ・テデスキである。妖艶なフェロモンが全身から零れ、アンニュイを表現していた。エンドロールでタイトルの意味がわかる。一人の人間の値段に悲しさとやりきれなさを感じた。

 今日3日は、目に見える形で「人間の価値」が示される日だ。受勲者は自身の<価値>に誇らしさを覚えているだろう。辺見庸は講演会で、敬意を抱いていた左派やリベラルの文化人が受勲を誇る様子に、「表現してきたことが無価値になった」と怒りを込めて語っていた。現在の天皇は護憲派のシンボルだが、天皇制とは人を不自由にする仕組み……。このアンビバレンツを解消する術は見つからない。

 褒賞と無縁の俺は、「目に見えない価値」を追求し、老い先短い人生を過ごしていきたい。
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