酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「かぞくのくに」~<国の形>を静かに問うホームドラマ

2012-08-28 23:40:39 | 映画、ドラマ
 国を愛するなら、反原発ではなく領土問題で立ち上がれ!……。「週刊文春」など保守メディアの主張に違和感を覚える。俺にはアプリオリに国を愛せないからだ。

 歴史を振り返ってみよう。国体護持(天皇制維持)を執拗に求めたために降伏が遅れ、広島と長崎に原爆が投下された。被爆者はアメリカのモルモットにされ、政府からも酷い仕打ちを受ける。「満州は日本の生命線」と煽った関東軍だが、敗戦を察知するや脱兎の如く遁走し、満蒙開拓団を置き去りにする。棄てておいて「残留孤児」と言い換える体質は戦後も変わらない。そのことは水俣病など公害病患者の苦しみが物語っている。

 3・11はメディアも一体になった<棄民の伝統>を白日の下に晒したが、同時に変化のきっかけにもなった。環境とは、伝統とは、生存権とは、未来を担う子供たちに残せるものは……。それぞれが思いを巡らせる中で、高圧的でも排外的でもない<オルタナティブなナショナリズム>が醸成されつつある。だからこそ、思想信条を超え、広範な層が反原発の旗の下に集まっているのだ。

 新宿で先日、「かぞくのくに」(11年、ヤン・ヨンヒ監督)を見た。<国の形>を静かに問うホームドラマである。井浦新、安藤サクラ、ヤン・イクチュンの3人の個性派が息吹を与え、彩りを添えていた。ご覧になる方も多いと思うので、ストーリーの紹介は最低限にとどめ、背景と感想を中心に語りたい。

 主人公のソンホ(井浦新)は帰国事業の一環で1972年、北朝鮮に単独移住したが、病気(脳腫瘍)治療のため、25年ぶりに東京の家族の元に帰ってきた。移住当時16歳という設定だから、俺と同い年(56年生まれ)になる。大学で韓国語を教える10歳下の妹リエ(安藤サクラ)との交流がストーリーの軸で、「白いブランコ」が25年の空白とソンホの心的風景を象徴するツールになっていた。

 俺が北朝鮮という国を初めて意識したのは69年、中学1年の時だった。同級生数人と海水浴に訪れた舞鶴で、「不審な人物に注意してください」と書かれた看板を発見する。「何や、これ?」と尋ねると、「北からの密入国者や」と答えが返ってきた。ちなみに教科書には「北朝鮮は資源が豊富な工業国で、福祉も充実している」など嘘八百が記されていた。

 「キューポラのある街」(62年)では、吉永小百合演じるジュンの友達が、希望を抱いて〝地上の楽園〟へと旅立った。ソンホに移住を勧めたのは、朝鮮総連幹部の父(津嘉山正種)である。立場に縛られ息子に肉声を伝えられない父、北朝鮮で感情の殺し方を学んだソンホ……。父と息子の和解は、ラストで控えめに描かれていた。母(宮崎美子)の送金は恐らくソンホの元に届いていないだろう。報われないことを知りながら自己犠牲を厭わないのが母の優しさである。

 大上段で告発するわけではなく、家族の普遍的な情と絆が北朝鮮の歪みを炙り出していた。無遠慮に入り込んでくるのが、監視役のヤン(ヤン・イクチュン)である。リエの自由を心から願うソンホだが、ある提案を義務付けられていた。リエがヤンを罵倒するシーンが本作の肝のひとつで、ヤンは次のように話して車中の人になる。

 「あなたが嫌いなあの国(北朝鮮)で、お兄さんも私も生きているんです……。死ぬまで生きるんです」

 ヤン・イクチュンは別稿(10年4月26日)で紹介した「息もできない」(08年)で監督・脚本・主演を務めた。<現代に甦ったシェークスピア>、<ヌーベルバーグ以来の衝撃>と全世界で絶賛を浴びた同作は、俺にとっても今世紀ベストワンだ。別人の如き佇まいのヤンは、フレームの中で自らを際立たせる方法を知っている。だからこそ、台詞がなくても、構図の中心にいなくても、登場シーンが脳裏に焼き付けられるのだ。

 ソンホは諦念とともに囚われの身に戻り、リエは怒りを胸に旅に出る。妹を亡くしたばかりの俺にとり、家族との再会と別離が胸に染む作品だった。97年という設定に意図はあったのか不明だが、拉致問題が報じられるようになった時期と重なっている。

 3・11以前と以降では、本作の感想は異なる。ソンホがリエに語る<あの国>の理不尽、不合理、非条理は、3・11以降、他人事に聞こえない。<この国>と<あの国>の近さが気になるぐらいだ。とはいえ、国に優しさを求める気にもならない。人間としての素直な感情、良心、倫理に沿った国なんて、かつて世界に存在しただろうか。
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