酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳」~澄んだ眼差しの先にあるもの

2012-08-11 14:44:22 | 映画、ドラマ
 まずは弱小ブロガーのささやかな悩みから。それは<敬称>だ。前稿で取り上げた広河隆一には「氏」を付けたが、辺見庸はケースバイケース。今回は迷った揚げ句、テーマの福島菊次郎をはじめ、敬称をすべて省くことにした。

 新宿で先日、「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳」(12年)を見た。くしくも冒頭に広河が登場する。デイズジャパンに招かれた福島は、未来のフォトジャーナリストに「問題自体が法を逸脱しているなら、その状況を明かすために、カメラマンは法を犯してもいい」(論旨)と語る。

 メディアは<疑似中立性>で自家中毒しているが、福島はファインダー越しに対象と寄り添う。だからこそ、作品は凄まじい衝撃を与えるのだ。福島が自らに課したのは、<立ち位置を明確に、真実に近づくこと>である。

 被爆者の中村杉松さんとの出会いが、キャリアのスタートだった。福島は本作で、被爆者をモルモットにしたアメリカ原爆調査委員会(ABCC)の行為を、「アウシュビッツ以上に残虐」と告発している。人間としての感情と倫理に基づくという点で福島と重なるのがゲバラだ。来日時(59年)、政府の妨害をはねのけて原爆資料館に足を運んだゲバラは、「君たちはこんな目に遭ってもアメリカに従属するのか」と同行者(地方紙記者、広島県職員)に怒りをぶちまけている。

 福島は中村さんと交流する過程で、行政の冷酷な対応に憤りを覚え、「平和都市ヒロシマ」の虚妄に気付く。精神的に変調を来すほど(3カ月入院)撮影にのめり込んだ福島を、思わぬ事態が待ち受けていた。中村さんが亡くなった後、弔問に訪れた福島は長男に「帰れ」と罵られる。プライバシーを作品の形で公開することで「原爆写真家」と認知された福島を、家族は許せなかったのだ。

 上京した福島は学生運動、三里塚闘争に同志として加わり、公害問題、フェミニズム運動にコミットする。主観と客観のバランスが崩れた福島の写真には、自身の怒りや怨念をも焼き付けられているから、見る者の心に響く。魂が滲み出るという意味で、大島渚の映像に近い。

 兵器産業の取材で防衛庁を騙す経緯も福島らしい。福島は冒頭の言葉通り、<法を逸脱している状況を明かすため>、堂々と工場に入り込み、働く者の本音を引き出した。本作に感じるのは、〝人間福島〟の巧まざるユーモアだ。飄々とした言葉、どこかぎこちない動作、月10万円弱の愛犬ロクとの慎ましい生活、シャッターを押す時の童心に返ったようなしぐさ……。地面に座り込んで反原発デモを撮影し、福島では警官に話し掛けながら立ち入り禁止地区にカメラを向けていた。

 福島は61歳の時、無人島に移住する。自らの写真が時代の流れを止められなかったことへの無念がカメラをおいた理由だが、ある女性の存在が本作で明かされる。福島の矜持が、共同生活を壊すきっかけになった。「年金を受け取ったら」という女性の提案を、「この国と闘ってきた俺に、そんなことできるか」と拒否する。ほかに言いようはなかったか……。福島は今もあの時の言葉を悔いている。

 無人島から戻った福島はがんに侵され、闘病中に昭和天皇の下血を知る。昭和天皇は戦争責任を問われた際、「文学的なことはわからない」と発言した(75年)。国体護持を求め早期の降伏を拒否した昭和天皇は同日の会見で、原爆投下を「仕方なかった」と容認している。大元帥閣下(昭和天皇)の命令で人間魚雷として自爆するはずだった福島は、「トンズラさせてたまるか」との思いで〝現役復帰〟し、妨害に遭いながら「戦争責任展」を全国で開く。

 本作で紹介されていたように、福島は祝島の原発反対運動にも関わっていた。3・11後、被災地に赴いた福島は、首が落ちたお地蔵さんの写真を撮り、飯舘村で放射能について語り合う。その胸中が明らかになるのは、福島が中村さんの墓前で号泣し、「ごめんね」と語りかける場面だ。中村さん一家を顧みなかったことへの自責の念だけではない。自らを含め反原発側が無力であったため、多くの人が中村さんと同じ痛苦を味わうことへの苦い思いだ。

 家族を犠牲にしたと勝手に想像していたが、長女の言葉に安堵した。彼女は父と展示用のパネルを作った思い出を楽しそうに語り、「面と向かって言いたくないけど、父は格好いい」と続けた。確かに福島は格好いい。そして、田原総一朗の言を借りれば、「福島菊次郎について知れば知るほど、私自身がなさけなくなる」。加藤登紀子はパンフレットに、「今も嘘にまみれた国の醜さに喰らいつくまっすぐな視線の向こうに、なぜか青空を感じた」と感想を寄せていた。福島の眼差しも、青空のように澄んでいる。

 広河隆一、福島菊次郎とくれば、この時季に相応しいのはPANTAしかいない。今夜のアコースティックライブについては、次稿で記す予定だ。
コメント (2)
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