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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

モリッシーとジャック・ホワイトに和み、癒やされる

2014-08-27 23:43:25 | 音楽
 フェイスブックに登録しているが、友達はわずか4人……。そんな俺だが喧嘩友達はいる。紀伊國屋で先日、そのひとりのAと出くわした。「ピカデリーでこれ(指を立て)と映画を見る」という。〝おまえにそんな女はいないだろう〟と言いたげだった。二元論好きで上から目線の自信家であるAに近況を聞かれ、「ブログの読者が激減した」と言うと、「理由を教えてやるよ」とニヤリ笑い、踵を返した。翌日に届いたメールを抜粋する。

 <おまえの緑の党入会は俺にとってツッコミどころだけど、少ない読者の大半は反発を覚えたはずだ。「緑の党」を創価学会、共産党、維新の会、社民党や生活の党に置き換えてもいい。日本人は中庸を好むから、極端、異質、未知を嫌う。何かの側に立つことは嘲笑の的になる。おまえのブログが、いや、おまえ自身が忌避感を抱かれたのは当然だ。党の仲間を読者にして減った分を補填するしかない>

 なるほどね……。でも、<格差と貧困こそ日本の最大の課題>と考える俺は、党内ではアウトサイダーだ。ギャンブルと無縁の真面目な会員は、競馬予想に眉を顰めるに違いない。偽悪的なトーンに辟易するだろう。そもそも俺にとってブログは、忘備録、遺書代わり、不善を為さぬためのストッパーだ。読者が減っても、思いの丈を気楽に記したい。

 さて、本題……。読書のBGMとして聴いているモリッシーの新作「世界平和など貴様の知ったことじゃない」(2枚組)が皮膚を食い破り、俺の内側に浸潤してきた。18曲はクオリティーが高く、モリッシー独特のアイロニカルな世界観に彩られている。

 30年前を思い出す。ニートの走りだった俺は大学卒業後、フリーターをしていた。その頃(84年2月)、スミスの1st(輸入盤)を購入する。繰り返し聴いてレコードは擦り切れ、数カ月後に国内盤を買う。俺はその頃、勤め人になっていた。

 国内盤の帯は「20年ぶりの衝撃」で、ビートルズ以来の新人登場という大仰なキャッチフレーズは、スミスの未来を言い当てていた。アルバム4枚で解散したが、英NME誌の読者投票で「20世紀を代表するバンド」に選出される。米最大のコーチェラフェス主催者は一夜限りの再結成を毎年オファーし、モリッシーとジョニー・マーが断りのコメントを出すのがお約束になっている。
 

 25歳だったモリッシーは55歳になり、27歳だった俺は57歳だ。モリッシーの声が秘める得体の知れぬ魔力は健在だが、今の俺には心地良い。癒やしを覚え、眠くなるほどだ。この30年、俺は中身が変わらないままクチクラ化したのだろう。

 同じくBGMとして重宝しているのは、ジャック・ホワイトの2nd「ラザレット」だ。〝永遠のギターキッズ〟も不惑まであと1年。ホワイト・ストライプス時代の斬新さはそのままで、エモーショナルでサイケデリックなブルースを奏でている。〝既聴感〟を覚え、時計を逆戻ししても針は止まらない。ノスタルジーを喚起する音だ。

 最先端を聴くのがロックファンの存在理由と確信していたけど、今夏のフジロックではアーケイド・ファイアではなくマニック・ストリート・プリーチャーズを見た。再結成したトラヴィス、ルーツミュージックをベースにするルミナーズに心が和むのを覚えた。還暦が迫り、感性も変わってきたのだろう。

 4年前のフジロックではローカル・ネイティヴスを発見し、ミュートマスの独創的なパフォーマンスに度肝を抜かれた。2度目になるダーティー・プロジェクターズも刺激的だった。その後、彼らはどうなったか。ローカル・ネイティヴスはブレークに至らず、ミュートマスは近況を聞かなくなった。ダーティー・プロジェクターズは普通のロックバンドになり、プリミティブかつ祝祭的な雰囲気が消えている。

 最先端は瞬く間に消費され、1周遅れになる。アンテナが鈍くなった俺は今後、馴染みとの再会を楽しむことになるだろう。9月に発売されるインターポールとブロンド・レッドヘッドの新作が楽しみだ。
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ノスタルジーと侠気で、しっとり濡れたフジロック

2014-07-28 23:57:17 | 音楽
 星稜が0―8のビハインドから9回裏、9点を奪って甲子園出場を決めた。Youtubeで映像を見たが、小松大谷は小さな揺れが増幅し、エアポケットに降下したとしか言いようがない。

 野球で奇跡が起きたのだから、政治でもと期待してしまう。読売(日テレ)、産経(フジ)、日経、NHK、文春、新潮ら御用達メディアに支えられている安倍首相だが、地方紙の論調は大きく異なる。9割は集団的自衛権に「NO」を突き付けるなど、政権に批判的なのだ。地方からの叛乱が数年後、地殻変動を起こすかもしれない。

 一昨日(26日)、4年ぶりにフジロックに参戦した。未明まで仕事をし、たっぷり眠って午後1時すぎの新幹線に乗り、帰りはツアーバスで朝4時半に新宿着という、ゆったりした旅程である。日帰りに限定すれば、サマソニより楽というのが俺の感想だ。

 雨に備えて折り畳み傘とレインコート、Tシャツ3枚にタオル2枚、暇つぶしの文庫本、シリアル2種、膝痛が悪化した時の消炎剤を詰めて準備万端のはずが、会場入りして愕然とする。携帯用の椅子を忘れていたのだ。

 グリーンステージに着くと同時に、トラヴィスが現れた。2nd「ザ・マン・フー」(99年)、3rd「インヴィジヴ・バンド」(01年)は愛聴盤で、キャッチーで泣きの入ったヒットチューンが、和気藹々と演奏されていく。実年齢(41歳)よりかなり老けて見えるフロントマン(フラン・ヒーリー)に親近感を覚えた。

 湿った風が心に吹くまま、ホワイトステージに足を運ぶ。ザ・ケミスツが超弩級のビードを刻んでいたが、「こりゃ、ついていけん」と独りごち、フィールド・オブ・ヘヴンに向かう。その途中、森の中のステージ(木道亭)から女性の澄んだ声が聴こえ、しばし足を止める。児玉奈央という知らない歌手だった。思いがけない出合いもフジロックの魅力である。

 ヘヴンでサンハウスを見た4年前、軒を連ねる雑貨店でサパティスタのTシャツを購入した。映画「アモーレス・ペロス」に描かれた反グローバリズムのラディカルな団体である。今回は少し様子が違い、グレートフル・デッド、フィッシュといったヒッピー、ボヘミアンの薫りがする品々が展示されていた。俺はネイティヴアメリカンへのオマ-ジュが窺えるTシャツを購入する。イートだけでなくショッピングも満喫出来るのがフジロックで、反原発や環境保護を訴えるNGOもブースを出していた。

 ヘヴンから流れてきたのはルミナーズだった。フォーク、ブルース、カントリーといったルーツミュージックを取り入れ、掛け声や手拍子を交えて楽しそうに演奏している。俺には縁のない音だが、暮れなずむ光景にぴったりハマって、立ち食いしながら聴いていた。レッドマーキーで〝時代の先端〟セイント・ヴィンセントを見るつもりだったが、遠いこともあり、その気はすっかり失せていた。

 今回のテーマはノスタルジーと侠気(おとこぎ)になり、最後までルミナーズを聴いてホワイトに向かう。マン・ウィズ・ア・ミッションで聴衆は異様なほど盛り上がっていたが、彼らが袖に下がると聴衆は潮が引くように消えて去っていく。

 続くビッフィ・クライロは、閑古鳥が鳴く中で演奏することになるかもしれない……。悪い予感が脳裏をよぎったが、何とか格好がつく入りで、ビッフィがステージに登場する。グラストンベリー'13のピラミッドステージでヘッドライナーを務めたビッフィだが、彼我の人気の差は大きい。男臭いバンドに湿った情感を揺さぶられ、ロックと出合った頃の衝動が甦った。

 別稿に記した通り、グリーンのアーケイド・ファイアで締めくくり、同時間帯(ホワイト)のマニック・ストリート・プリーチャーズを諦めるというのが、当初の予定だった。CDの売れ行き、メディアの評価、フェスでの位置付けと、アーケイドが現在、〝世界最高のバンド〟であることは疑うべくもない。

 <ロックの境界を広げる雑食性のバンド>は苗場でも、開放的で祝祭的なステージで聴衆を魅了するだろう。俺はコーチェラに加えグラストンベリーのパフォーマンスを繰り返し見てたっぷり予習したが、それが逆効果になる。すっかりアーケイドを〝消化〟した気分になったのだ。「ロッキンオン」のHPでは数人がアーケイドを絶賛していたが、すべて想定内の言葉で綴られていた。

 ホワイトに居残り、マニックスを見ることにした。そもそも俺は、マニックス一家に草鞋を脱いでいる。義理を欠いては、この世は生きていけない。「ロッキンオン」は無視していたが、研ぎ澄まされたマニックスに心が熱くなる。向かって左は失踪したリッチーのために空けてあったが、今回はサポートメンバー2人が立ち、音に厚みを加えていた。

 3・11直後は「輝ける世代のために」、翌年の妹の死に際して「エヴリシング・マスト・ゴー」が脳裏に鳴り響いていた。ガザ空爆が繰り返される今、最も聴かれるべき「享楽都市の孤独」からスタートしたマニックスは、ロックを武器に世界と対峙するという高邁な志を維持している。

 当日になってスケジュールを成り行きで変更したが、疲労もさほどなく、充実した一日だった。ぜひフジに呼んでほしいのはパール・ジャムである。彼らがブッキングされたら、万難を排して足を運びたい。
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フジまで1週間~久しぶりにロックな気分

2014-07-18 13:37:45 | 音楽
 <いまガザでおきていることは「復讐の連鎖」「暴力の応酬」などではない。200発以上の核兵器を保有し、実質世界第4位の軍事力をもつイスラエルが、世界一の人口密集地、貧困都市・ガザ市に、F16戦闘機などにより爆撃をくわえるとはどういうことなのか。これは、病弱な赤ちゃんに完全武装した大人がおそいかかるのとなにもかわらない、文字どおりのジェノサイドである>(辺見庸ブログ「私事片々」7月17日付から)

 長めの引用だが、賛同された方は全文を読んでほしい。共同通信記者時代に世界を瞠目させた情報収集力と分析力、詩人としての感性に加え、毒々しいユーモアがちりばめられている。

 来週末は隅田川花火に誘われていたが、丁重な断りを入れてフジロックに足を運ぶ。出演アーティストが決定した時点で、アーケイド・ファイアとビッフィ・クライロが土曜日にラインアップされることを願っていた。希望は叶ったが、マニック・ストリート・プリーチャーズはアーケイド・ファイアと同時間帯なのでパスせざるをえない。

 予習としてアーケイドとビッフィのブートレッグDVD、マニックスの新作CDを購入した。

 モントリオール出身のアーケイドは、俺がここ数年ハマっている〝ボーダレスの音〟だ。NY派のダーティー・プロジェクターズやヴァンパイア・ウィークエンドと志向するものは近いが、より混沌として泥臭い。購入したのはコーチェラ'14の2週目の映像だが、ヒッピー、ボヘミアンの楽団といった趣だ。

 ダフトパンクとベックが客演し、寸劇風のアレンジもある。雑食性のアーケイドは今後も領域を広げ、ロックの限界を超えていくだろう。数万の聴衆が埋め尽くす会場に降り、華やかに引き揚げるエンディングも印象的だった。祝祭の予習はたっぷり出来たが、十数人のサポートメンバーがバンドと共に来日するのか不安もある。

 グラストンベリー'13でトレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ)の発言が物議を醸した。いわく「知らない連中が後から出てきた」……。その日のヘッドライナーはビッフィで、欧州での絶大な人気と比べ、日本では認知度が低い。今回のフジでもホワイトステージの準メーンである。

 上半身裸で演奏するビッフィは男臭さ満開のトリオだ。購入したのはドイツでのライブ映像だが、その佇まいは初期ブランキー・ジェット・シティに近い。外見から想像出来るように音はハードだが、ボーカルハーモニーはバッチリで、抒情的な曲も多い。叫びと泣きというツボを押さえつつ初期衝動を体現するビッフィは、フジでも見る者の心を鷲掴みするはずだ。

 土曜は未明まで仕事だから、起動は遅くなる。トラヴィス(グリーン)⇒マン・ウィズ・ア・ミッション(ホワイト)⇒ビッフィ(同)⇒アーケイド(グリーン)が想定スケジュールだ。4年前は豪雨の中、会場の端から端まで歩き回ったが、両膝痛を抱える今、グリーンからホワイトへの20分さえ遠く感じるはずだ。

 マニックスは諦めざるを得ないが、文学を筆頭に日本文化に造詣が深い彼らのこと、年内にも来日してくれるだろう。新作「フューチャロロジー」は、ニッキー・ワイヤーが「1st『ジェネレーション・テロリスト』(92年)に収録されていても違和感がない曲が揃っている」と語っていた通り、瑞々しさに溢れた傑作だ。詩的、知的、ラディカルさは相変わらずで、ヨーロッパを穿つおじさんロッカーの闘争宣言だ。

 マニックスのフェスの最新映像がYoutubeにアップされている。オープニングは1st収録の「享楽都市の孤独」だ。♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し頬に微笑を誘う 民族戦争を企てて他人種に致命傷を与え ゲットーを奴隷化する……。この歌詞に重なるのが、ガザの現状と冒頭の辺見の言葉だ。

 エディ・ヴェダー(パール・ジャム)は英国公演でイスラエルを痛烈に批判した。イスラエルから届いた罵倒の数々に対してエディは声明を発表し、「いつの日か、あなたも僕らの仲間になってくれたらと願う」と「イマジン」からの引用で言葉を結んだ。

 マニックス、パール・ジャム、そしてイスラエル公演をキャンセルしたニール・ヤングと、骨のあるアーティストは少なくない。〝体制の飼い犬〟に堕したバンドたちには、メッセージこそロックの肝であることを思い出してほしい。
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ジェイク・バグ&フォスター・ザ・ピープル~ロック雑感あれこれ

2014-04-14 23:44:15 | 音楽
 '13は俺にとって〝ロック豊饒の年〟だったが、今年は一度もライブに足を運んでない。購入したばかりのCDを含め、ロック雑感をまとめて記したい。

 WOWOWで先日、サーティー・セカンズ・トゥー・マースのライブがオンエアされたが、フロントマンの容姿に見覚えがあった。「ダラス・バイヤーズクラブ」で女装の青年レイヨンを演じ、アカデミー賞助演男優賞を獲得したジャレッド・レトその人だったからである。俺が〝現役ロックファン〟なら、彼らのアルバムを既に聴き、映画観賞中にレトに気付いていたに相違ない。

 ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、ジェフ・ベック、ボブ・ディラン……。1970年前後、既に神格化されていたレジェンドが相次いで来日したが、俺は全く興味がなかった。<ロックは瞬間最大風速かつ微分係数>が持論で、「絶大な敬意を払うからこそ、今の彼らは見ない」が正直な気持ちだ。

 ストーンズを見て「サティスファクション」とのたまった安倍首相は最近、パフォーマンスに走っている。ポールの再来日公演(5月)には足を運ぶのではないか。安倍首相とストーンズやポールの組み合わせに違和感はないが、英キャメロン首相(保守党)は「スミス好き」を公言して失笑された。反体制、反王室の姿勢を隠さないモリッシーとキャメロン首相が真逆に位置することは、誰の目にも明らだからである。

 米コーチェラフェスは毎年、「スミス再結成」をオファーするのがお約束になっているが、今年も実現しなかった。英米のメガフェスが争奪戦を繰り広げる中、フジロックとサマソニが割を食っている印象は否めない。サマソニはアークティック・モンキーズで格好をつけたが、フジの起死回生策と囁かれるのがアーケイド・ファイアだ。

 俺とロックを繋いでいるのは「ロッキンオン」だ。業界の規模は英米の10分の1程度だろうが、メディアとしてのクオリティーは同誌が世界一だと思う。<ロックは社会に対峙すべき>という思い――今や幻想に近い――が行間から伝わってくる。全社挙げて反原発フェスを主催しているし、リベラルを標榜する「SIGHT」の表紙右肩に刻まれた<ロックに世界を読む>に、渋谷陽一氏の思いが込められている。

 その「ロッキンオン」一押しといえばジェイク・バグとフォスター・ザ・ピープルだ。HPに訪れるうち洗脳されたのか、それぞれの1st、2ndアルバムを合わせて購入した。無駄を削ぎ落としたジェイク・バグ、音楽の境界線を行き来するフォスター・ザ・ピープルと志向は異なるが、読書の友として聴く日が続いている。

 ジェイク・バグは何と20歳! 18歳で発表したデビュー作「ジェイク・バグ」は全英チャート1位に輝いた。フォーク、カントリーの要素を取り入れたソリッドなロックというべきだろう。既視感ならぬ既〝聴〟感を覚える作品で、ロックの原点と初期衝動を思い起こさせてくれる。

 人口の10%を学生が占めるノッティンガムが、ジェイクの才気を育んだのだろう。そういえば、アラン・シリトーも当地出身だ。シリトーの反骨精神とシニシズムは、ザ・フーやブラーにも影響を与えている。ジェイクもまた〝シリトーズ・チルドレン〟といえるだろう。

 撥水性のモノクロームの世界は、2nd「シャングリラ」でも変わらない。3rd以降、カラフルに転じるのか興味はある。今月末の東京公演(ZEPP TOKYO)のチケットは入手可能だが、今回は見送った。ジェイクは俺の3分の1ほどの年齢で、観衆の平均年齢も似たようなものだろう。自分が若く思える反原発集会に馴染んでしまった初老男にとって、若者に混じるのは結構ホネなのだ。

 フォスター・ザ・ピープルはバンド名を冠した1stアルバムでいきなりブレークしたウエストコーストのバンドだ。2nd「スーパーモデル」ではより一層、カラフルになっている。ここ数年のお気に入りであるグリズリー・ベア、ダーティー・プロジェクターズ、ローカル・ネイティヴスらと同様、遊びの精神と前衛性に溢れている。

 <ダフト・パンク+アーケイド・ファイア>と絶賛する声もあるし、初期デペッシュ・モードを彷彿させる繊細シンセポップもある。雑食性のバンドにとって肝というべきは、表情豊かでポップな音を奏でることだ。UKでいえばフォールズに近いが、彼らほど芯はない分、軽やかに飛翔している。

 ジェイクとフォスター――を聴いて、新鮮さだけでなく、和みとノスタルジックな気分を味わった。過去の良質な音を取り込んで彩りを添えるのが、デジタル世代の長所なのだろう。

 立ち読みした「ロッキンオン」最新号はプログレを特集し、30枚のアルバムを紹介していた、1位に挙げていたキング・クリムゾンのデビュー作「クリムゾン・キングの宮殿」(1969年)は、俺にとってプログレだけでなく、ロック史上NO・1の傑作だ。あれほどの衝撃を受けた作品はほかにない。

 30枚のうちイタリアンプログレがPFM一枚きりという点に違和感を覚えた。「UKの有名バンドと匹敵する演奏力」と書かれていたが、俺は明らかに超えていたと思う。イタリアンプログレは当時ジャズ界を席巻していたクロスオーバーを凌駕し、ワールドミュージックの扉を開いたと理解しているが、世間の評価は異なる。ジャンルを問わず、俺が肩入れすればロクなことはない。
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「ザ・ストーリー・オブ・トミー」~トミーとはすべての聴き手

2014-03-03 22:36:02 | 音楽
 治安維持法制定直後、生活実感に根差した争議が燎原の火のように広がった。農村や工場での身を賭した闘いを支えていたのは、貧困や格差への怒りだけでなく、傾奇者意識やパンク精神である。

 3・11後の今、80年前に似た空気が醸成されつつある。都知事選では様々な分野のアーティストが工夫を凝らし、宇都宮支持を訴えていた。「週刊金曜日」の特集「今こそ抵抗の歌を」で中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)は、<宇都宮さんの賛同人リストは素晴らしかった>と語っている。政治的高揚と革新的な文化が重なった時、<空疎ではないリアルな革命>が立ち昇ってくる。

 昨年は俺にとり〝ロック豊饒の一年〟だったが、今年は一度もライブに足を運んでいない。CDも数枚購入したが、ブログで紹介するほどの感銘は受けなかった。残念なニュースといえば、グリズリー・ベアの活動停止だ。インディーズとはいえ全米アルバムチャートで10位前後を記録し、ツアーやフェスでも人気を集めている。「ロッキンオン」で彼らの年収が1000万円に遠く及ばないという記事を読み、ロック界のシビアな現実に愕然とした。

 ポール・マッカートニーやローリング・ストーンズは対照的に、日本でも莫大なギャラを稼いでいる。ビートルズによってポップミュージックに目覚め、10代半ばの頃はストーンズが夢に頻繁に登場していたが、今の彼らに興味はない。敬意を抱くからこそ見ないというのが本当のところだ。

 ようやく、本題。WOWOWでオンエアされた「ザ・ストーリー・オブ・トミー」を録画して見た。1969年に発表されたロックオペラ「トミー」の制作過程を、生き残ったピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーら関係者が振り返るドキュメンタリーである。

 「トミー」以前のフーは〝暴力的なポップバンド〟で、デビュー当初からライブパフォーマンスに定評があった。時流に乗って人気を拡大したが、ドアーズらアメリカのバンドと比べると、知的というイメージはなかった。自分たちの実力を証明するために挑んだのが「トミー」である。ピート自身のDV、児童虐待の体験が作品の下敷きになっている。

 ヒッピームーヴメントや導師ミハー・ババの影響を受けたピートは、三重苦の少年トミーを主人公に据える。三重苦といっても肉体的な障害ではなく、他者との間の壁に弾かれ、自分の内側に閉じこもっていた。現在では当たり前になったトラウマや引きこもりの克服というテーマを、45年前に先取りしていたのである。制作するうちに研ぎ澄まされ、個のレベルから飛躍し、<疎外からの解放>がアルバムのテーマになる。

 「ピンボールの魔術師」に実在のモデルがいたことも興味深かったし、実際に起きた事件やエピソードをストーリーに取り入れている。「ザ・フーは3人の天才(ピート、ジョン・エントウィッスル、キース・ムーン)と1人の凡人からなるバンド」とピートに酷評されていたロジャーがトミーになり切り、バンドの声として認められた。

 ケン・ラッセルの映画(75年)は、絢爛でカリカチュア化された嫌いもあった。アルバムや映画の後半でトミーがカルト教団のリーダーになったかのような印象を受けるが、ありふれた思春期の少年の精神遍歴として受け止めてほしいとピートは語っている。

 ラストに繰り返し現れる“You”について、トミーを導く絶対的存在と解釈していたが、ロジャーはウッドストックやワイト島の大観衆を前に歌ううち、構図の顛倒を覚えた。即ち“You”とは高みに聳えるのではなく、共感し熱狂するひとりひとりの観衆であると……。「トミー」はバンドから離れ、聴き手のものになった。

 「トミー」発表後、レナード・バーンスタインはピートに抱きつき、「やったな」と祝福したという。産声を上げたばかりのロックは数年後、文化の域に達し、最も才能に溢れた若者を吸収していく。「トミー」もまた、この流れに大きく貢献した一枚といえる。

 昨日2日、「渋谷に福来たる」に足を運び、「古典モダニズム」と題された立川志らくと桃月庵白酒の二人会を堪能した。キャパ700人の会場で最前列の真ん中という特等席である。オープニングの軽妙なトークで場を和ませ、白酒「喧嘩長屋」→志らく「やかん」→白酒「明烏」→志らく「親子酒」の順で高座が進む。白酒の自虐とパワー、志らくの毒と才気に圧倒された2時間だった。

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「ライヴ・アット・ローマ・オリンピック・スタジアム」~ミューズを育てた見えざる手

2013-12-11 23:51:03 | 音楽
 忌野清志郎が健在だったらと思うことがある。ファンではなかったが、脱原発や反秘密保護法の立場で、的を射たメッセージを彼なりの方法で伝えてくれたのではないか。

 アメリカに果たして、清志郎的な存在はいるだろうか。オバマ再選に涙したボブ・ディランを筆頭に、大半のミュージシャンは民主党の飼い犬になっている。反組合法への抗議から「ウォール街を占拠せよ」に至る大きなうねりがアメリカを覆った2年前、一貫して<99%>の側に身を置いて行動したのはトム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)だった。

 ケニア土地自由軍の一員だったモレロの父は、後に同国の国連代表になる。テロリストから政権掌握といえば、重なるのがネルソン・マンデラだ。ちなみに当人はハーバード大首席卒業で、サパティスタの闘士であるザックとレイジを結成し、ラディカルなメッセージで世界を震撼させた。

 さて本題。映画館でも見たミューズの「ライヴ・アット・ローマ・オリンピック・スタジアム」(DVD)について記したい。史上最高のライブバンドと評する声も強いが、今回は<なぜ彼らは世界を舞う怪鳥になったのか>という点にポイントを絞りたい。

 才能の絶対値がものをいう世界でも、素材を磨く力は大きい。3rdアルバム発表直後のU2とエコー&ザ・バニーメンの来日公演(83年)を中野サンプラザで見ているが、比較が無意味なほどの差があった。エコバニはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再来、80年代のドアーズと謳われ、聴く者を狂気に誘うパフォーマンスに神々しさを覚えていた。才能があり過ぎたエコバニだが、育まれることなく、イカロスのように失墜する。

 最初から凄まじかったエコバニのライブと対照的に、余り券をもらって見たミューズは蒼い雛だった。ミューズの1stはUKチャートの最高位が29位と、将来は明るくなかったが、彼らは強力な〝見えざる手〟に守られていた。日本風にいえば、事務所の力といったところか。

 04年のグラストンベリーでヘッドライナーに抜擢され、ベストアクトの評価を受けた。07年のロラバルーザでは、主宰者ペリー・ファレル(オルタナ界の大立者)の引きもあってヘッドライナーを務め、不毛の地だったアメリカでアリーナバンドの地位を確立する。同年、ウェンブリー・スタジアムのこけら落としに指名され、2日で16万人を動員する。ロンドン五輪では「サバイバル」が公式テーマに選ばれた。

 試練を僥倖に変えるのも実力で、ミューズのパフォーマンスは進化、深化を繰り返している。デビュー間もない頃から、分不相応と揶揄される高額の最新機器を導入していた。フェスの映像もミューズだけ自前のチームで撮影している。ツアースタッフは質量とも他のバンドを凌駕していることは明らかだ。

 ミューズは上記したレイジに絶大なるオマージュを抱いている。彼らにとって最大の栄誉は2年前、レイジの活動20周年イベントの出演を直々オファーされ、数万の聴衆の前で共演したことではないか。曲以外で政治的なメッセージを表現することを極力避けているのも、〝見えざる手〟の意志かもしれない。

 俺は「ライヴ・アット――」の曲順に注目した。「レジスタンス」(抵抗)の前にマシュー・ベラミーは「みんなの声を聞かせてくれ」とMCをかましていた。<1%>の資本家を穿つ「アニマルズ」ではスクリ-ンから抜け出た男が紙幣をばらまき、プロテストソング「ナイツ・オブ・サイドニア」へと続く。逃げ惑う若者たちの映像に繋がるのは「アップライジング」(叛乱)で、マシューは右手を突き上げてアジテーションする。そこには、〝見えざる手〟、いやバンドの思いが示されているのだろう。

 ミューズは今や、資本主義とラディカリズムのアンビバレントを内包するバンドといえる。先日、ペイトリオッツとブロンコスの全米注目の試合を録画して見た。キックオフ前、会場に流れていたのは「スプレマシー」である。そのあたりにまで〝見えざる手〟の力は及んでいるのだろうか。
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涙目のモリッシー~「25ライブ」で愛を告白

2013-12-01 19:02:16 | 音楽
 石破茂自民党幹事長が、狼の本性を現す。特定秘密保護法に反対するデモ(議員会館周辺)について、<大音量の抗議はテロと変わらない>(要旨)と自身のブログに記した。権力の暴力は許されるが、国民の抵抗はテロと見做す……。これが悪法を主導する側の本音なのだ。

 「ロッキンオン」HPで渋谷陽一氏のブログ「社長はつらいよ」を読むのが楽しみだ。秘密保護法に疑義を呈する同氏は、<ロックは積極的に社会に問いかけるべき>という信念を持っており、反原発フェスを主催している。

 同誌HPで頻繁に登場するのがモリッシーだ。最近ではベストセラー1位を獲得した自伝、ルー・リードとのツーショットなど、常に話題を提供している。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどラディカルを除いて民主党ベッタリの米ロッカーと対照的に、反骨精神に溢れるモリッシーは英国の政治や王室を抵抗者の視点でぶった斬る。

 先月末に発売されたDVD「モリッシー25ライブ」を購入した。ステイプルズセンターで大観衆を前に演奏した翌日、ハリウッドハイスクールで行われたプレミアムギグを収録した作品で、日本語訳付きの国内盤でモリッシーの世界を堪能する。

 1984年春、バンド名を冠したスミスの1stアルバムに針を落とした。スローテンポの♯1「リール・アラウンド・ザ・ファウンテイン」が流れた瞬間、部屋の空気が変わる。同作は俺にとっての麻薬になり、レコードが擦り切れるまで〝スミスワールド〟に浸った。<20年ぶりの衝撃=ビートルズ以来>の国内盤の帯は大げさではなく、スミスはNME誌で<20世紀で最も影響力のあるバンド>に選ばれた。

 80年代は現在と異なり、スミスのライブ映像に触れることはなかった。モリッシーのパフォーマンスを初めて見たのはWOWOWがオンエアしたロンドンでのライブである。少年少女がステージに上がり、恭しくモリッシーに触れて感極まった表情を浮かべていた。驚いたのは「ライブ・イン・ダラス」(93年)で、お行儀のいい英国ファンと異なり、乱暴なアメリカンキッズは大勢でステージに突進し、公演が打ち切られてジ・エンドだ。

 モリッシーは神性を帯びた存在で、接近することがファンにとって救いと赦しになる。経緯を知らず本作を見た人は、カルトの集会をイメージするかもしれない。一つのバンドにこだわらないスキゾの俺は違和感を覚える点もあるが、「スミス&モリッシー絶対」のパラノは多い。だからこそ、スミス解散時(87年)、ファンの後追い自殺が社会現象になったのだ。

 本作にも収録されているが、俺にとってソロ以降のツインピークスは「モンスターが生まれる11月」と「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」だ。「モンスター――」は自身を<誰にも愛されない社会的不適応者>と称したモリッシーにとって解放の曲であり、「エブリデイ――」はジュリアン・バーンズが「終わりの感覚」で取り上げている。棘ある知性を言葉に込めるモリッシーは、英国を代表する作家のお気に入りに違いない。

 「ロッキンオン」HPにアップされている粉川しのさんのレビュー(「モリッシーの求愛」)は秀逸だった。崇められ、求められているモリッシーだが、本作では「アイ・ラブ・ユー」を繰り返す。その目は終始、潤んでいるように思えた。

 スミス時代の曲も演奏されるが、「ミート・イズ・マーダー」と並ぶハイライトは、アンコールの「心に茨を持つ少年」で9歳の少年を抱えるシーンだ。中盤に伏線があり、計算ずくの可能性もあるが、歴史的名演に彩りを添える。終演後、あるファンは「エルビスやシナトラの最高のショーとともに語り継がれるだろう」と洩らしていた。

 「モンスター――」の最後で、醜い少年(=モリッシー)は街に出る。導いたのはジョニー・マーだが、二人は数年後に訣別する。ロック史に残る〝男たちの悲恋〟だが、神話復活を願う動きがある。コーチェラの主催者は毎年、スミス再結成を持ち掛け、モリッシーがやんわり断るのがお約束になっている。

 溝を埋めるのは困難と思えるモリッシーとマーだが、希望が生じてきた。キャメロン英国首相が「スミスの大ファン」と広言するや、両者は軌を一にして忌憚なき攻撃を開始した。日本でいえば安倍首相が「辺見庸の愛読者」と告白するようなミスマッチで、英国では失笑の対象になった。

 モリッシーだけでなく、マーもまた「ハウ・スーン・イズ・ナウ」などスミス時代の曲をセットリストに載せている。意外にうまいのに驚いた。世界中のロックファンは、モリッシーとマーの再会を心から願っている。
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アーケイド・ファイアとパール・ジャムの新作に和む秋

2013-11-19 23:40:38 | 音楽
 ニューヨークから悲報が届く。ブルックリンを拠点に活動するイラン系のロックバンド、イエロー・ドッグスのメンバー2人が銃撃されて亡くなった。犯人は同国人の元ミュージシャンで、政治的背景はないという。銃社会アメリカの病理を再認識させられた。

 俺はイエロー・ドッグスを見たことがある。10年8月に当ブログで紹介した「ペルシャ猫を誰も知らない」(09年、バフマン・ゴバディ監督)はテイク・イット・イージー・ホスピタルのイラン脱出を描いた作品だったが、イエロー・ドッグスも出演しており、サントラには「ニュー・センチュリー」が収録されている。俺はテイク・イット――について、以下のように記していた。

 <NY派が志向するデジタルとプリミティヴの融合を、テイク・イット・イージー・ホスピタルは自ずと体得している。彼らがダーティー・プロジェクターズやグリズリー・ベアと並び称せられる日が待ち遠しい>……。

 グラストンベリー出演、アイスランドでシガー・ロスを見ること……。この二つが夢と語っていたテイク・イット――の拠点は欧州だろうか。無事に活動していることを祈るばかりだ。

 さて、本題……。今回は先月末に発売されたアーケイド・ファイアとパール・ジャムの新作について記したい。'13ロック界は旬のバンドが新作を次々発表し、アラカン(57歳)の俺でさえ頻繁にタワレコに足を運んだ。世界のロックファンが最も待ち望んだのはアーケイド・ファイアの新作ではないか。

 インディーズからリリースした前作「ザ・サバーブス」(10年)は本国カナダや欧米各国で1位を獲得し、グラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞する。売れて有名になれば、悪く変化するケースも多いが、2枚組の新作「リフレクター」は雑食性をキープしている。

 メロディアスでポップだが、加工の匂いはなくナチュラルだから、聴く者は癒やしを覚える。NY派のダーティー・プロジェクターズやヴァンパイア・ウィークエンドらとボーダレスへの志向を共有しているが、角が取れた印象を拭えない彼らと比べ、アーケイド・ファイアは泥臭さを失わない。ディスク2でははビートルズの通称「ホワイト・アルバム」のような前衛性を打ち出している。

 躍動感と自由を呼び覚ます万華鏡のようなアルバムで、聴くたびに発見があり、既視感に惑うこともある。〝正体不明さ〟こそ彼らの魅力で、祝祭的なステージに触れる日を心待ちにしている。

 ライブが待ち遠しいといえばパール・ジャムで、新作「ライトニング・ボルト」を聴いてその思いを一層強くした。スケールアップしつつカラフルになったアーケイド・ファイアと真逆に、パール・ジャムは通算10枚目のアルバムで原点に復帰している。枯れた印象があった前作「バックスペイサー」と比べ、本作は直球勝負の熱さと蒼さを前面に出している。後半の曲には成熟と哀愁が織り交ぜられていた。

 パール・ジャムは本国アメリカで絶大な支持を得ており、多くの雑誌や新聞で「最も偉大なバンド」に選定されている。エディ・ヴェダーのしゃがれ声はロックそのもので、説得力は齢を重ねるごとに増している。ベテランバンドには〝裸の王様〟が多いが、パール・ジャムに虚飾は不要だ。挫折や葛藤といった普遍的な感情だけでなく、エディ・ヴェダーの歌詞は、二極化に苦しむアメリカ人の思いを等身大に反映している。

 アメリカならパール・ジャム、UKならステレオフォニックスが、俺の中で当代一の「正統派ロックバンド」だ。両バンドのフロントマン、エディ・ヴェダーとケリー・ジョ-ンズはともにピート・タウンゼント(ザ・フー)と交友がある。

 新作情報をメディアでチェックしているが、NMEのレビューに腹が立つことが多い。アークティック・モンキーズの新作は「10点」で、パール・ジャム、ステレオフォニックス、そしてエディターズの新作は「4点」だった。どこに目を、いや耳を付けているのか不思議でならない。採点した当人は神になったつもりだろうが、ロックは権威主義と無縁であるはずだ。

 パンクを酷評していた「ローリング・ストーン」などさらに悪質で、過去を隠蔽、捏造している。俺が〝神になった気分〟でベストロックマガジンを選べば、日本が誇る「ロッキンオン」だ。
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ルー・リードが切り開いたロックの新地平

2013-10-29 23:38:21 | 音楽
 アサンジ(ウィキリークス創設者)とスノーデンは正しかった。「米情報機関、メルケル首相の携帯を盗聴」という見出しが27日付の独各紙に躍り、怒りが世界を駆け巡る。盗聴は02年から始まり、オバマ大統領公認の下、他のEC諸国首脳にも及んでいたという。秘密保護法成立に邁進する安倍首相の携帯もとっくに盗聴され、公私の秘密はワシントンにだだ漏れになっているはずだ。

 アムネスティ・インターナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチが米軍の無人機による攻撃を国際法違反と告発し、戦争犯罪に当たる可能性を指摘した。国連の潘基文事務総長も苦言を呈するなど、国際社会におけるアメリカの威信失墜は甚だしい。それでも〝アメリカの正義〟にしがみ付く、ナショナリズムを失くした国の行く末を案じている。

 「相変わらず反米的だな」とあきれるムキもいるだろうが、俺が異を唱えるのは、アメリカを、そして世界を牛耳る<1%>である。<99%>は善良な人々で、その中には社会に、そして自身に鋭い刃を向ける者もいる。その代表格といえるルー・リードが亡くなった。享年71歳である。

 <ある世代の前衛は、次の世代のメーンストリームになる>というロック界の格言を証明したのがルー・リードだ。R・I・P、即ちレスト・イン・ピース(安らかに眠れ)……。アンダーテイカーの決め台詞と思っていたが、一般的に用いられているようで、多くのロッカーがこのフレーズで哀悼の意を表している。

 絆が深かったNY派のジョン・ケイルやデヴィッド・バーンを筆頭に、列挙していけばページが埋まってしまうが、中には気の利いた弔辞もある。「ワイルドサイドを歩け」にちなみ、同世代のザ・フーはHPで「これからは穏やかなサイドを歩け」と記していた。意外なようで当然とも思えるのがモリッシーとの交遊だ。モリッシーはファンサイトに、リードと肩を組んだツーショットと合わせ、追悼文を投稿している。

 誰よりも打ちひしがれているのは、異端視されながら共に新地平を切り開いた戦友のデヴィッド・ボウイだろう。ヘロイン中毒などで苦境に陥ったリードを、ボウイは陰に日向に支えていた。リードが「ベルリン」を発表したのは73年だが、ボウイは3年後にベルリンに拠点を移し、「ロウ」と「ヒーローズ」を制作している。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1st「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」は67年3月に発表された。アンディ・ウォーホルのジャケットで有名な本作だが、セールス的には大失敗だった。67年といえばドアーズの「ハートに火をつけて」(1月)、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」(6月)が世界に衝撃を与えた。この3枚により、ロックは無限の可能性を秘めたアートになり、歌詞は詩へと飛翔する。

 リードのキャリアで一枚選ぶなら「ベルリン」だ。リード自身が封印を解き、曲順通り演奏したNYでの初演を収録した「ルー・リード/ベルリン」(07年)は感動的なドキュメンタリーだった(08年11月13日の稿)。

 多くの人が追悼のコメントを記しているが、渋谷陽一氏(ロッキンオン社長)のブログは興味深い内容だった。ぎこちない雰囲気でインタビューを終えた翌日、リードは関係者を通して海苔を渋谷氏に贈る。「このアルバムは日本の海苔のようなもの。あのジャーナリストなら理解してくれる」とのコメント付きだったが、渋谷氏にとってリードの真意は謎のままという。

 ロックは形式ではなく、精神であり魂である……。これこそが、リードが後生に遺したことだった。冥福を祈るだけでなく、現在のロッカーの中に、リードの高邁なDNAを見つけていきたい。
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フレーミング・リップスの濃密なイリュージョンに酔う

2013-10-23 23:14:13 | 音楽
 中国ではPM2・5の数値が計測不能の状態に達している。翻って日本では台風の影響もあり、福島第1原発から高濃度の汚染水が海に流出した。ともに深刻な事態だが、蔓延する〝沈黙という狂気〟に冒された俺は、以前ほど怒りを覚えなくなった。不感症から脱出するためには刺激が必要だ。〝日本を変える最後の希望〟と当ブログで記してきた緑の党に参加するのも、ひとつの手かもしれない。

 前稿にコメント&トラックバックを頂いたBLOG BLUSさんは先月末、緑の党の定期総会に足を運んだ。その時の感想を読むと、彼らはまどろこしいほど民主的ルールを遵守しているようだ。「民主主義国家ではすべての人々は活動家でなければならない」というマイケル・ムーアの言葉は的を射ている。民主主義とは極めて面倒くさいもので、市民が手順を放棄すれば、権力によるコントロールが待ち受けている。

 昨日(22日)、フレーミング・リップスを赤坂ブリッツで見た。キャリアの長いバンドゆえ、30~40代のファンも多かったが、恐らく俺(57歳)が最年長だろう。3年前は訳がわからないうちに終わったが、今回は新作を中心にCDを聴き込み、Youtubeで映像をチェックして臨んだ。

 前座(ミイラズ)が30分弱で下がった後、セッティングが始まる。何とウェイン・コインが姿を見せ、スタッフの作業を見守り、マイクをチェックしていた。ありえない光景だが、そこは気さくなウェインのこと、自然体で歓声に応えていた。

 ウェインは新作「ザ・テラー」について、「遠い未来に作られた宗教音楽」と評していたが、スモークが焚かれ、瞑想にピッタリな妖しい雰囲気が漂うこと10分弱、サイケデリックな色彩が爆発する。デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」のイントロで、祝祭的でマジカルなライブがスタートした。

 新作からの曲ではステージが暗転し、ウェインのシルエットか影法師になって揺れる。以前の曲ではウェインの表情が照明でくっきり浮かぶ。印象的なコントラストにバンドの意図が窺えた。覚醒と麻痺が交錯する疑似トリップ体験で、麻薬が解禁されている欧米なら、煙が朦々とフロアに立ちこめたかもしれない。

 同期生として米インディーシーンを牽引してきたソニック・ユースは2年前、サーストン-とキムの離婚により活動を停止した。ソニックスとリップスに共通するのはボアダムズとの交流で、ソニックスは来日時(07年)、ボアダムズと共演している。リップスは昨日、ボアダムズのヨシミについて歌った“Yoshimi Battles the Pink Robots”(アルバムタイトル曲)をセットリストに加えていた。

 メロディーとノイズ、開放感と閉塞感、浮揚感と下降感覚、前衛とエンターテインメント……。数々のアンビバレンツを内包するのがリップスの魅力で、ウェインの囁きが内側から聴こえているかのように錯覚する。光と闇が交錯する濃密なイリュージョンに陶然とし、時が経つのを忘れた。

 アンコール前、スクリーンに「愛」の文字が点滅しながら踊っていた。俺の口をついて出れば「愛」は嘘っぽく響くが、リップスが表現しているのは、限りなく広くて深い純粋な「愛」である。ウェインの優しく潤んだ表情からも、ファンへの強い思いが窺える。

 パティ・スミスとデヴィッド・ボウイは66歳、ロバート・スミス(キュアー)とモリッシーは54歳、そしてウェインは52歳……。超天才の彼らと比べても仕方がないが、超凡人である俺も彼らを見習い、少しは自分を磨いて老いたいとしみじみ思う。リップスの次の来日が3年後だとしたら、俺は還暦を過ぎている。元気だったら、きっと足を運ぶだろう。
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