これから京都に帰省する。次回の更新は早くても17日か。
前回の枕で、自身の〝壊れっぷり〟を記したが、ブログの内容も同様だ。以前の稿を読み返し、「俺って、意外に凄かったな」と感心することしきりだ。更新を重ねれば進歩するはずだが、質は明らかに劣化している。これも年のせいにしておこう。
今回は俺にとってのロックイコンたちの現在を綴りたい。まずはデヴィッド・ボウイから。英国の伝統ある博物館で開催された「ボウイ展」には空前の来場者が訪れたという。軌を一にしてBBCが制作した「ボウイ、5つの時代」と合わせ、WOWOWは5本のライブ映像を放映した。
上記のドキュメンタリーでは作曲家、詩人、サウンドクリエイターとしてのボウイに焦点を当てていた。「スペイス・オディティ」のレコーディングに参加したリック・ウェイクマンは、「斬新なコード進行に衝撃を受け、ピアニスト冥利に尽きると感じた」と語っていた。ブライアン・イーノやロバート・フィリップらの証言も興味深い。
<虚>を演じ続けたボウイの<実>を垣間見たのは「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)だった。セリウズ少佐を演じたボウイの贖罪を込めたモノローグは、自身の半生と重なる部分が多かった。ボウイは芥川龍之介のように、いずれ訪れる狂気を恐れていたのではないか。
ライブ映像のうち、「リアリティ・ツアー」(03年、ダブリン)が出色だった。過剰な演出もなく、56歳当時の素のボウイが自然体でステージに立っている。あらゆる点で壊れている俺と比べ、何と美しい56歳だろうとため息が出る。セットリストの中心は60~70年代の代表曲だった。俺はボウイの笑顔に〝超越者の傲慢さ〟を感じていたが、「リアリティ・ツアー」で浮かべていたのは、ファンへの感謝、音楽への愛、仲間への信頼に基づいた人間ボウイの素直な笑みといえる。若くして神に祭り上げられたボウイは、80年代に聖衣を脱ぎ捨て、90年代以降は崇高な意志を持つ人間になった。
ロバート・スミス(キュアー)はボウイと親交が深い。そのキュアーの'13フジロックにおけるパフォーマンスがフジ系のスカパーでオンエアされた。内容に納得がいかなかったのは当然で、そもそも3時間のライブを70分に短縮することに無理がある。ダークでヘビーな「ポルノグラフィ」収録曲や初期のヒット曲はカットされていた。
キュアーとは壮大な迷路、屹立する蜃気楼で、ロバートが愛読するカフカや安部公房の世界に近い。UKニューウェーヴの代表格でありながら、ナイン・インチ・ネイルズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、グリーン・デイらUSオルタナ/ポストパンク勢から絶大な支持を得ている。フェス仕様で演奏時間が短くなっているバンドには、3時間は当たり前というキュアーの〝ファン愛〟を見習ってほしい。
マニック・ストリート・プリーチャーズの新作「リワインド・ザ・フィルム」はアコースティックかつ静謐で、憂いと郷愁を秘め、繊細で恬淡とした水墨画のような作品だ。♯6「東京スカイライン」、♯8「大地のように神聖なもの」と日本をイメージした曲が収録されている。「東京スカイライン」の歌詞をライナーノーツ(江口研一対訳)から抜粋する。
♪灼熱の太陽の下 たった一人で迷子に 東京の街をさまよい歩き 異邦人感はかなり楽しい なぜかここは第2の故郷のよう 東京のスカイラインを夢見て 空虚さと静寂が懐かしい ノン=コミュニケーションを求める全てが楽しく ロスト・イン・トランスレーション……
「大地のように神聖なもの」では♪日本の春のように美しく 君の安心で力強い手のようにやさしく……と歌っている。マニックスが春に来日した記憶はないが、読書家の彼らのこと、小説を読んで桜が咲き誇る光景を脳裏に浮かべていたのかもしれない。マニックスは俺にとって、内面を浄める濾紙のような存在だ。近いうちに来日し、新作収録曲をアンプラグドで聴かせてほしい。
今回紹介したイコンたちは、人間の内面や社会と対峙し、優れた作品を世に問うてきた。彼らを筆頭に、還暦間近の俺にも鑑賞に堪えるアーティストは多い。欧米では、いや恐らく日本でも、音楽と詩の才能に恵まれた若者がバンドを結成し、ロックスターを目指す。アート、表現としてロックの質が向上しているのは当然なのだ。













前回の枕で、自身の〝壊れっぷり〟を記したが、ブログの内容も同様だ。以前の稿を読み返し、「俺って、意外に凄かったな」と感心することしきりだ。更新を重ねれば進歩するはずだが、質は明らかに劣化している。これも年のせいにしておこう。
今回は俺にとってのロックイコンたちの現在を綴りたい。まずはデヴィッド・ボウイから。英国の伝統ある博物館で開催された「ボウイ展」には空前の来場者が訪れたという。軌を一にしてBBCが制作した「ボウイ、5つの時代」と合わせ、WOWOWは5本のライブ映像を放映した。
上記のドキュメンタリーでは作曲家、詩人、サウンドクリエイターとしてのボウイに焦点を当てていた。「スペイス・オディティ」のレコーディングに参加したリック・ウェイクマンは、「斬新なコード進行に衝撃を受け、ピアニスト冥利に尽きると感じた」と語っていた。ブライアン・イーノやロバート・フィリップらの証言も興味深い。
<虚>を演じ続けたボウイの<実>を垣間見たのは「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)だった。セリウズ少佐を演じたボウイの贖罪を込めたモノローグは、自身の半生と重なる部分が多かった。ボウイは芥川龍之介のように、いずれ訪れる狂気を恐れていたのではないか。
ライブ映像のうち、「リアリティ・ツアー」(03年、ダブリン)が出色だった。過剰な演出もなく、56歳当時の素のボウイが自然体でステージに立っている。あらゆる点で壊れている俺と比べ、何と美しい56歳だろうとため息が出る。セットリストの中心は60~70年代の代表曲だった。俺はボウイの笑顔に〝超越者の傲慢さ〟を感じていたが、「リアリティ・ツアー」で浮かべていたのは、ファンへの感謝、音楽への愛、仲間への信頼に基づいた人間ボウイの素直な笑みといえる。若くして神に祭り上げられたボウイは、80年代に聖衣を脱ぎ捨て、90年代以降は崇高な意志を持つ人間になった。
ロバート・スミス(キュアー)はボウイと親交が深い。そのキュアーの'13フジロックにおけるパフォーマンスがフジ系のスカパーでオンエアされた。内容に納得がいかなかったのは当然で、そもそも3時間のライブを70分に短縮することに無理がある。ダークでヘビーな「ポルノグラフィ」収録曲や初期のヒット曲はカットされていた。
キュアーとは壮大な迷路、屹立する蜃気楼で、ロバートが愛読するカフカや安部公房の世界に近い。UKニューウェーヴの代表格でありながら、ナイン・インチ・ネイルズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、グリーン・デイらUSオルタナ/ポストパンク勢から絶大な支持を得ている。フェス仕様で演奏時間が短くなっているバンドには、3時間は当たり前というキュアーの〝ファン愛〟を見習ってほしい。
マニック・ストリート・プリーチャーズの新作「リワインド・ザ・フィルム」はアコースティックかつ静謐で、憂いと郷愁を秘め、繊細で恬淡とした水墨画のような作品だ。♯6「東京スカイライン」、♯8「大地のように神聖なもの」と日本をイメージした曲が収録されている。「東京スカイライン」の歌詞をライナーノーツ(江口研一対訳)から抜粋する。
♪灼熱の太陽の下 たった一人で迷子に 東京の街をさまよい歩き 異邦人感はかなり楽しい なぜかここは第2の故郷のよう 東京のスカイラインを夢見て 空虚さと静寂が懐かしい ノン=コミュニケーションを求める全てが楽しく ロスト・イン・トランスレーション……
「大地のように神聖なもの」では♪日本の春のように美しく 君の安心で力強い手のようにやさしく……と歌っている。マニックスが春に来日した記憶はないが、読書家の彼らのこと、小説を読んで桜が咲き誇る光景を脳裏に浮かべていたのかもしれない。マニックスは俺にとって、内面を浄める濾紙のような存在だ。近いうちに来日し、新作収録曲をアンプラグドで聴かせてほしい。
今回紹介したイコンたちは、人間の内面や社会と対峙し、優れた作品を世に問うてきた。彼らを筆頭に、還暦間近の俺にも鑑賞に堪えるアーティストは多い。欧米では、いや恐らく日本でも、音楽と詩の才能に恵まれた若者がバンドを結成し、ロックスターを目指す。アート、表現としてロックの質が向上しているのは当然なのだ。













