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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ボウイ、キュアー、マニックス~ロックイコンたちの現在

2013-10-12 10:31:37 | 音楽
 これから京都に帰省する。次回の更新は早くても17日か。

 前回の枕で、自身の〝壊れっぷり〟を記したが、ブログの内容も同様だ。以前の稿を読み返し、「俺って、意外に凄かったな」と感心することしきりだ。更新を重ねれば進歩するはずだが、質は明らかに劣化している。これも年のせいにしておこう。

 今回は俺にとってのロックイコンたちの現在を綴りたい。まずはデヴィッド・ボウイから。英国の伝統ある博物館で開催された「ボウイ展」には空前の来場者が訪れたという。軌を一にしてBBCが制作した「ボウイ、5つの時代」と合わせ、WOWOWは5本のライブ映像を放映した。

 上記のドキュメンタリーでは作曲家、詩人、サウンドクリエイターとしてのボウイに焦点を当てていた。「スペイス・オディティ」のレコーディングに参加したリック・ウェイクマンは、「斬新なコード進行に衝撃を受け、ピアニスト冥利に尽きると感じた」と語っていた。ブライアン・イーノやロバート・フィリップらの証言も興味深い。

 <虚>を演じ続けたボウイの<実>を垣間見たのは「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)だった。セリウズ少佐を演じたボウイの贖罪を込めたモノローグは、自身の半生と重なる部分が多かった。ボウイは芥川龍之介のように、いずれ訪れる狂気を恐れていたのではないか。

 ライブ映像のうち、「リアリティ・ツアー」(03年、ダブリン)が出色だった。過剰な演出もなく、56歳当時の素のボウイが自然体でステージに立っている。あらゆる点で壊れている俺と比べ、何と美しい56歳だろうとため息が出る。セットリストの中心は60~70年代の代表曲だった。俺はボウイの笑顔に〝超越者の傲慢さ〟を感じていたが、「リアリティ・ツアー」で浮かべていたのは、ファンへの感謝、音楽への愛、仲間への信頼に基づいた人間ボウイの素直な笑みといえる。若くして神に祭り上げられたボウイは、80年代に聖衣を脱ぎ捨て、90年代以降は崇高な意志を持つ人間になった。

 ロバート・スミス(キュアー)はボウイと親交が深い。そのキュアーの'13フジロックにおけるパフォーマンスがフジ系のスカパーでオンエアされた。内容に納得がいかなかったのは当然で、そもそも3時間のライブを70分に短縮することに無理がある。ダークでヘビーな「ポルノグラフィ」収録曲や初期のヒット曲はカットされていた。

 キュアーとは壮大な迷路、屹立する蜃気楼で、ロバートが愛読するカフカや安部公房の世界に近い。UKニューウェーヴの代表格でありながら、ナイン・インチ・ネイルズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、グリーン・デイらUSオルタナ/ポストパンク勢から絶大な支持を得ている。フェス仕様で演奏時間が短くなっているバンドには、3時間は当たり前というキュアーの〝ファン愛〟を見習ってほしい。

 マニック・ストリート・プリーチャーズの新作「リワインド・ザ・フィルム」はアコースティックかつ静謐で、憂いと郷愁を秘め、繊細で恬淡とした水墨画のような作品だ。♯6「東京スカイライン」、♯8「大地のように神聖なもの」と日本をイメージした曲が収録されている。「東京スカイライン」の歌詞をライナーノーツ(江口研一対訳)から抜粋する。

 ♪灼熱の太陽の下 たった一人で迷子に 東京の街をさまよい歩き 異邦人感はかなり楽しい なぜかここは第2の故郷のよう 東京のスカイラインを夢見て 空虚さと静寂が懐かしい ノン=コミュニケーションを求める全てが楽しく ロスト・イン・トランスレーション……

 「大地のように神聖なもの」では♪日本の春のように美しく 君の安心で力強い手のようにやさしく……と歌っている。マニックスが春に来日した記憶はないが、読書家の彼らのこと、小説を読んで桜が咲き誇る光景を脳裏に浮かべていたのかもしれない。マニックスは俺にとって、内面を浄める濾紙のような存在だ。近いうちに来日し、新作収録曲をアンプラグドで聴かせてほしい。

 今回紹介したイコンたちは、人間の内面や社会と対峙し、優れた作品を世に問うてきた。彼らを筆頭に、還暦間近の俺にも鑑賞に堪えるアーティストは多い。欧米では、いや恐らく日本でも、音楽と詩の才能に恵まれた若者がバンドを結成し、ロックスターを目指す。アート、表現としてロックの質が向上しているのは当然なのだ。
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サヴェージズ、フォールズ、そしてエディターズ~残暑の夜にはUK発サプリ

2013-08-30 12:40:57 | 音楽
妻「こんな大事な時に、日本を離れてていいの?」
夫「大丈夫。増税は決まってる。僕が前に出たら角が立つだろ。甘利さんと菅さんが、国民の声を聴いて決めたかのような芝居を打ってる」
妻「わたしが心配なのは汚染水の方。訴えられるんじゃない」
夫(威勢よく)「選挙は二つ続けて、原発推進の自民党が圧勝したろ。文句を言うのは、君の好きな緑の党とか、ほんの少数さ」
妻(ムッとして)「TPPって裁判に影響あるんでしょ。海水汚染を外国で訴えられたら、現地の判決が優先されるんじゃなかった?」
 顔を歪めた夫、SPに支えられてトイレへ。

 国民を素裸にして管理しようとする安倍首相は、夫人を伴い外遊中だ。ならばと先手を打って、夫妻の会話を妄想アンテナで盗聴してみた。

 「DAYS JAPAN」9月号に「放射能汚染マップ」(最新データ)が掲載されている。福島原発周辺では、チェルノブイリ汚染地図で最悪の<完全閉鎖地区>に匹敵する線量が計時された。廃墟から目を逸らし、原発再稼働と輸出に邁進する安倍政権には、良心や倫理の欠片さえない。

 「クロスビート」が来月発売号をもって休刊することを知った。毎年恒例のリーダーズポールの結果からも、同誌がコアで鋭いロックファンに支えられていたことが窺えた。Youtubeの普及でバンドの実力を映像で確認できるようになり、「クロスビート」の評価(5点満点)も意味を失った。売り上げ減も当然の帰結なのだろう。

 スカパーでフジロックでのパフォーマンスを見て、UKのガールズバンド、サヴェージズに度肝を抜かれた。彼女たちにファンレターを送ったコートニー・ラヴの気持ちも理解できる。初期衝動に溢れたデビュー作「サイレンス・ユアセルフ」はクオリティーも高く、パティ・スミスやスージー&ザ・バンシーズを彷彿させる曲もある。俺はグラストンベリーでのライブなどネットで映像を楽しんでいる。ユニセックスな雰囲気で、ボーカルの目力とパワフルなドラマーに、おじさんは胸キュン状態だ。

 今年のフジとサマソニにも多くのUKバンドがやってきたが、デビュー作が売れなかった点では、ミューズ(UK29位)とサヴェージズ(同19位)は双璧か。その点で大化けも期待できるが、エッジが利きすぎた彼女たちのライブに息切れの不安も感じる。

 フジのライブ映像で、フォールズの実力を再認識した。完璧といえる最初の2枚に、俺は不安を抱いていた。マンサンやザ・クーパー・テンプル・クローズと同様、袋小路から抜け出せず崩壊の道を辿るのではないか……。俺の危惧は杞憂だった。彼らのパフォーマンスは開放感と躍動感に溢れていた。

 3rd「ホーリー・ファイア」(13年)は、内向的で濃密な音に、カラフルさと逞しさが程よくペーストされていた。この手のアート系バンドには珍しいが、ボーカルのヤニスはスノーデン支持を明確に打ち出し、「モスクワ公演のゲストリストに彼を載せた」と語っている。

 以前よりポップかつエモーショナルになったエディターズの新作「ザ・ウェイト・オブ・ユア・ラヴ」は、熱帯夜の愛聴盤になった。ジョイ・ディヴィジョン、エコー&ザ・バニーメンの正統な後継者と評価されるバンドで、静謐でメランコリックな音にノスタルジーと和みを覚える。彼らに重なるのはザ・ナショナルの最新作で、いずれも淡々と染み入る純水といった印象だ。上記のサヴェージズやフォールズのライブに足を運ぶ勇気はないが、エディターズなら片隅でひっそり聴きたい気がする。

 俺にとってロックは〝老化防止のサプリメント〟だから、ストーンズやポール・マッカートニーの動向には全く関心がない。偉大さは認めても、彼らは〝老化確認のリトマス紙〟といえる。この秋には大量のサプリが店頭に並ぶ。9月にはマニック・ストリート・プリーチャーズ、パール・ジャム、キングス・オブ・レオン、10月にはアーケイド・ファイアの新作がスタンバイしている。

 スミス時代の曲がセットリストに多く加わったモリッシーのライブDVD(ハリウッド公演を収録)も楽しみだが、これはサプリというよりリトマス紙に近いかもしれぬ。そういえば、スミス大好きを公言し、あまりのミスマッチに国中をあきれさせた英キャメロン首相は、シリア攻撃を断念した。夢の中でモリッシーの言葉の毒を浴びて思いとどまったとしたら、まさに〝スミス効果〟だが……。
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懐かしさと新鮮さ~映像で楽しむフジロック

2013-07-31 23:56:57 | 音楽
 麻生副総理はシンポジウムで、「日本はワイマール憲法を骨抜きにしたナチスを見習うべきだ」(要旨)と発言した。自民党の腰巾着である国内の大手紙やテレビはともかく、欧米のメディアは放っておくまい。自浄能力はないが、外圧に屈してクビになるという全柔連上村春樹会長と同じ経過で、麻生氏は辞任に追い込まれるのではないか。

 「国中が喪に服している」、あるいは「祝賀ムード一色」なんて報道は眉唾だが、ジョージ王子が誕生した英国はどうだろう。10年12月、チャールズ皇太子が乗るロールスロイスが学費値上げ反対を訴えるデモ隊に襲撃されたニュースは記憶に新しい。チャールズ皇太子は学生たちに「おまえの母ちゃん(エリザベス女王)が法案にサインしたから、こんな事態を招いた」と窓越し罵られた。

 勲章や称号が欲しい者を除き、大抵のロッカーは無関心だと思うが、俺は反王室の姿勢を隠さないモリッシーのコメントを心待ちにしている。スミス時代、「クイーン・イズ・デッド」というアルバムタイトルで物議を醸したモリッシーは今、LAで休暇中だ。飲み歩いているのがノエル・ギャラガーとラッセル・ブラントというから、お互いが吐く言葉の毒を肴にしているに違いない。

 フジロック'13のハイライトをスカパー!で見た。ライブで体感するのとは100倍も衝撃度が違うことを前提に、印象を記したい。商業主義のサマソニと対照的に、今年のフジも温故知新とリスペクトに溢れていた。

 丸々太った大江慎也に、いきなり目が点になる。ルースターズ時代の盟友、池畑潤二が中心になったルート17ロックンロールオーケストラをバックに、「ロージー」を歌っていた。「φ」(84年)録音中、花田裕之らが神経を病んだ大江を抱え、病院とスタジオを往復したという。悲運と孤高のロッカーは、後世に与えた絶大な影響でロック史に輝くレジェンドになった。54歳のカリスマは今、ステージを心から楽しんでいる。

 当ブログで繰り返し絶賛しているローカル・ネイティヴスに、インディーズの悲哀を感じた。ローカル・ネイティヴスは1st「ゴリラ・マナー」(10年)の国内盤発売前、ホワイトステージに抜擢され、俺も現地で音楽性と演奏力に圧倒された。2nd「ハミングバード」(13年)も秀作で、ビルボード11位とまずまずのチャートアクションだったが、実力と比べるとブレークとは言い難い。

 渋谷陽一氏(ロッキンオン社長)はブログに、「見るたびにスケールアップしている」と記していたが、今回のフジではレッドマーキーだった。メジャレーベルや大手プロダクションは、NMEなどメディア対策費として莫大な額を計上している。資質だけで闘うインディー勢には頭打ちになるバンドも多い。3年前、レッドマーキーで演奏したダーティー・プロジェクターズも、スケール感がなくなった気がして心配だ。

 俺の錆びたアンテナでもビビッときたのが、フォールズとサヴェージズだ。フォールズの最初の2枚は内向的で濃密な作品だったが、開放感のあるパフォーマンスが意外だった。ガールズバンドのサヴェージズは、えもいわれぬ狂おしさと切迫感で尖がっている。前者の3rd、後者のデビューアルバムを合わせて購入することにした。

 欧米のビッグフェスではリアルタイム中継が常識になった。今回のフジではわずかなタイムラグで、初日のヘッドライナーであるナイン・インチ・ネイルズのパフォーマンスが配信された。現地でご覧になった方は、映像と音のコラボに麻痺と覚醒を覚えたに違いない。契約の問題もあったのか、2日目のビョーク、3日目のキュアーはオンエアされなかった。

 キュアーの全36曲には驚きだが、ロッキンオンのHPでは一行も触れていない。取材拒否に遭って意趣返しした可能性もあるが、真相はわからない。キュアーは今週日曜(4日)、ロラパルーザ(シカゴ)でヘッドライナーを務めるが、その模様はリアルタイムで配信される。ちなみにキュアーは、コーチェラ'09で主催者が時間切れを宣告して電源を落とした後も、自前のPAで演奏を継続した(Youtubeでも視聴可能)。

 ツアーやフェスで40曲以上演奏することもザラというキュアーのサービス精神は称賛に値する。翻って同世代の俺は、体力と気力の衰えを理由に苗場行きを断念した。ロバート・スミスの奇跡の声は、枯れることはないのだろうか。
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真夏の読書の友に~ダフト・パンク、ザ・ナショナル、そしてシガー・ロス

2013-07-06 23:39:07 | 音楽
 ブログなどを運営する各社は、特定候補を中傷する書き込みに対し、削除申請を受け付ける専用HPを設けた。例えば、渡辺美樹氏……。ワタミの劣悪な労働環境を正しく批判しても、中傷とみなされかねない。同氏は何せ、報道内容が気に入らないとTBSに取材拒否を通告する自民党の公認候補だからだ。

 本音と建前が乖離している民主党は、反自民の受け皿になり得ない。原発ゼロを掲げる大河原雅子氏は公示2日前(4日)、民主党の公認を剥奪された。代役として反貧困集会(6月30日)に出席した小川敏夫議員は、「志が近い大河原氏とは、今後も連携していく」と語っていた。奇妙な決意表明に違和感を覚えたが、裏側では醜い政争が進行していたのだろう。大河原外しは原発推進(党の本音)を主張する電力総連の圧力とみる識者もいる。

 政治について記すと愚痴っぽくなるので、本題に。澱んだ俺の心身を活性化してくれるのが小説とロックだ。読書が主、ロックはBGMといった感じだが、音と言葉が感応して弾けた瞬間が、俺にとって至福の時だ。心地よいケミストリーをもたらしてくれた3枚の新作を、以下に紹介する。

 '13ロック界の最大の事件は、ダフト・パンクの大ブレークではないか。「ディスカバリー」以来、12年ぶりに購入した新作「ランダム・アクセス・メモリーズ」は、〝不毛の地〟アメリカでも1位⇒1位⇒2位⇒2位⇒6位⇒6位⇒5位とチャートアクションは凄まじい。評価と売れ行きが比例したレアケースといえる。

 ダフト・パンクは前衛精神に満ちたフランスの2人組で、バンドというよりユニットだ。多くのアーティストが参加した本作の捉え方は様々だと思うが、俺のツボは<ノスタルジックな哀愁>だった。全曲がメロディアスで、初期デペッシュ・モードに通じる湿感もある。〝大衆迎合〟に異を唱える声もあるが、気まぐれなポップの女神が、煌めく音の豪雨をダフト・パンクの頭上に降らせた。

 〝米インディーズの雄〟ザ・ナショナルの「トラブル・ウィル・ファインド・ミー」は、静謐でダウナーな作品だ。直喩を好む俺にとって、ザ・ナショナルは<スミスのような>バンドである。スミスの1stアルバム(84年)に針を落とすや、ズレと歪みに満ちた「リール・アラウンド・フォンテン」のイントロが流れ出し、俺を包む空間が鬱々とした気分と等質になった。

 鬱々というより淡々に近い今の俺の気分にフィットしたのが「トラブル――」だ。渋谷陽一氏(「ロッキンオン」編集長)は<ザ・ナショナルの新作は何度も繰り返して聴きたくなる。不思議な依存性がある>とブログに記していた。簡潔で的確な評だと思う。

 モリッシー(スミス)とアーロン・デスナー(ザ・ナショナル)は、前者がソプラノ、後者はテノールと声域は異なるが、佇まいがどこか似ている。ライブのクライマックスでモリッシーはキッズたちをステージに上げ、一方のデスナーはフロアに降りて観客とタッチを交わす。表現は異なるが、<ファンと同じ目線を保つ>という哲学は共通している。

 最後はシガー・ロスの新作だ。前作から1年未満のインターバルで、キャータン(キーボード)の脱退を経て発表された「クウェイカー」を一聴し、彼らの最高傑作と確信した。疎外と苦悩からの解放を音楽に託すシガー・ロスは、あらゆるジャンルを内包し、自然体でボーダレスを表現している。世界で今、シガー・ロスより崇高な音楽を創作しているアーティストは存在するだろうか。

 5月の武道館公演は、「彼らを見逃してはいけない」という義務感で足を運んだ。壮大で美しいシガー・ロスは、蜃気楼のように俺の外側で像を結んでいたが、「クウェイカー」を聴き込むうち、ヨンシーの声が通勤電車、新宿界隈、仕事先etcと、時と場所を構わず内側から響いてくるようになった。<読書が主、ロックはBGM>と上記したが、シガー・ロスの音楽は言葉を研ぎ澄まし、物語を神話に高める魔力を秘めている。

 ロックといえば、パティ・スミスが失踪した……といっても日本公演時に購入したTシャツのことである。最後に着たのは妹の一周忌で京都に帰省した5月後半で、その後は行方不明だ。家出するはずはないから、乱雑極まりない部屋のどこかに隠れているのだろう。あしたから本腰を入れて捜索する。
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頭脳警察&騒音寺~世代を超えたコラボに心沸き立つ

2013-06-24 23:50:21 | 音楽
 自公は擁立候補が全員当選と、都議選は想定通りの結果に終わる。俺が一票を投じた候補(緑の党)は、在特会シンパの維新候補に勝ってほしいという願いもむなしく、ドンジリだった。出口調査(NHK)に協力したが、<投票する参院選立候補者>のリストに山本太郎氏の名がなかったので、クレームをつけておいた。

 先の衆院選(東京7区)で7万票を獲得した山本氏は落選後、広瀬隆氏とドイツを訪れ脱原発への道筋を学ぶなど、芯が入ってきた。都知事選で100万票弱を獲得した宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表)も支持に回るはずで、当選の可能性は十分にある。脱原発と護憲を歌う沢田研二は、今回も応援に駆け付けるだろうが、坂本龍一や斎藤和義は果たして……。

 欧米のロックスターは、日本より遥かに胡散臭い。アフリカ救済を掲げるライブ8(05年)終了後、デモが開催された。反グローバリズムを訴える参加者のラディカルな姿勢に焦ったのが、ライブ8の中心メンバーである。ブレア首相らの機嫌を損ねては大変と抑えにかかり、失笑を買った。反グローバリズム派が主張するように世界の構造が覆されたら、誰より困るのは自分たちであることを、ロックスターたちは重々承知している。

 ライブ8のオープニングで共演したU2とポール・マッカートニーはその後、険悪になる。ボノ(U2)とポールの家族がそれぞれ経営する化粧品会社が、商標をめぐって訴訟合戦を演じたからだ。<あんたたちにとって、アフリカは原材料の供給場所?>との厳しい声が上がったのは当然といえる。

 喜ばしいことに、日本には気骨と知性に満ちたPANTAがいる。先日(21日)、頭脳警察と騒音寺のジョイントライブを初台ドアーズで見た。PANTAのライブに触れるのは、30年以上前のPANTA&HAL、昨年のアコースティックツアー、昨暮れのPANTA復活祭に続き4度目になる。頭脳警察としては初めてで、TOSHI(パーカショニスト)の野性とユーモアを併せ持つ存在感に圧倒された。PANTAにとってここ数年の盟友である菊池琢己が、要所を押さえていた。

 「頭脳警察7」(90年)、「俺たちに明日はない」(09年)から計4曲、重信房子さんが詩を担当した響名義の「オリーブの樹の下で」(07年)からライブの定番になっている「七月のムスターファ」と、新しい曲も演奏されたが、後半は70年代の名曲のオンパレードだった。「あばよ東京」からアンコールの「銃をとれ」、「ふざけるんじゃねえよ」、「悪たれ小僧」、「歴史から飛び出せ」、そして再アンコールの「さようなら世界夫人よ」に、クチクラ化した魂を鷲掴みされる。

 オープニングアクトは初めて見る騒音寺で、演奏が始まると女の子たちが前で踊り始める。頭脳警察がお目当ての中高年は椅子に腰かけ、首を振る程度のつれない反応だ。なべ(ボーカル)のいでたちは、PANTAと交流が深いグラムロック勢に通じるものがあるが、バンド全体はソリッドだ。なべはMCで、頭脳警察への敬意を繰り返し語っていた。京都を拠点に20年近く活動し、メンバーチェンジも何度かあったという。ロックの様々な要素が坩堝で煮えているような音で、単体でいえば、頭脳警察より動員力は上だろう。

 騒音寺が引き揚げた後、20分ほどして頭脳警察が登場する。上記のPANTA、TOSHI、菊池の3人で2曲演奏した後、なべ以外の騒音寺が加わり、重厚でダイナミックなパフォーマンスが展開する。騒音寺の若いファンのボルテージが一気に上がり、客席の熱気がステージに跳ね返った。骨組みががっしりした楽曲は、2世代のコラボで鮮度を高め、<ロックの奇跡>が現出した。

 後半にはなべが白ヘルにタオル、サングラスという過激派ファッションで登場し、さらにヒートアップする。ヘルメットの文字と色が合っていないのもご愛嬌で、ステージ狭しと動き回ってアジテーションする姿に、PANTAもタジタジだった。

 ロック魂炸裂も最高だが、俺は抒情性を好む。この夜のハイライトは「あばよ東京」と「さようなら世界夫人」だった。「あばよ東京」は、♪君が砂漠になるなら 俺は希望になろう 君が海になるなら 俺は嵐になろう(中略)君が自由になるなら 俺は鎖になろう……と言葉の対比で紡がれた「悪たれ小僧」(74年)の掉尾を飾る曲だ。

 邦楽ロックの極致というべき「さようなら世界夫人」は、政治性で発禁処分になった1stアルバム(72年)収録曲で、ヘルマン・ヘッセの原詩にPANTAなりの解釈が加えられている。♪世界はがらくたの中に横たわり かつてはとても愛していたのに 今 僕らにとって死神はもはや それほど恐ろしくはないさ……。この冒頭からイメージが連なり、ラストの♪さようなら世界夫人よ さあまた 若くつやつやと身を飾れ 僕らは君の泣き声と君の笑い声にはもう飽きた……に繋がる。

 抽象的な表現だが、<世界>をどう捉えるかで印象は変わってくる。<世界=体制、世界夫人=体制に寄り添う者>が俺の堅苦しい解釈だが、ご本人に再度会う機会があれば作意を尋ねてみたい。

 昨年7月、PANTAグループとして反原発集会に参加し、その人柄に感銘を受けたことは別稿に記した通りだ。「PANTAさんは俺にとって、パティ・スミスと並ぶロックイコンです」と話すと、当人は照れていたが、先鋭性、前衛性を今も失わない姿勢は、パティ以上といってもいい。今回のライブもパティの来日公演(今年1月)に匹敵する質を誇っていた。

 前稿で記した「ヘヴン」(川上未映子)には言葉で、そして今回は音と詩で心を濾し取られた。これからもスケジュールをチェックして、PANTAもしくは頭脳警察のライブに足を運びたい。
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ビッフィとリップス~原点とボーダレスを志向する二つのベクトル

2013-05-31 14:32:54 | 音楽
 慰安婦発言の余波は収まる気配がないが、公明党が反対に回ったため、橋下大阪市長に対する問責決議案は否決された。日本の政治家はあまりに国際感覚が欠落している。自民党の思惑通り<国民が権力者に従属する憲法>に改悪されたら、日本は世界からの敬意と信頼を失い、アメリカの51番目の州に転落するだろう。

 韓国からの抗議で「パニック・ステーション」のPVから旭日旗のカットを削除したミューズは、ソウルで開催されるサマーフェスでヘッドライナーを務める。アルバムはここ数作、総合チャートで1位になるなど、韓国におけるミューズの認知度は極めて高い。「アジアで最初にミューズを発見したのは自分たち」と自負するファンは、1月の来日時、韓国を素通りしたことにショックを受けたという。

 ミューズは光復節(8月15日)の2日後に出演する。PVについてメディアに質問されても、彼らは率直に「無知の罪」を認めるだろう。そのミューズは現在、欧州スタジアムツアー(全21公演)の真っただ中だ。一部の会場でサポートアクトに名を連ねているのがビッフィ・クライロである。

 今年1月、Youtubeでビッフィを発見する。初期ブランキー・ジェット・シティを彷彿させるいでたちとパワフルなライブに衝撃を受けた。6th「オポジッツ」(2枚組、13年)とライブアルバム「レヴォリューション」(10年、CD+DVD)を購入し、ビッフィに浸る日々が続いた。「オポジッツ」は良質のアルバムだが、聴くより見るロックの時代、「レヴォリューション」のDVD盤が今もヘビーローテーションになっている。

 上半身裸といえば、モリッシーとイギー・ポップが思い浮かぶ。キッズたちがステージに殺到し、大混乱のうちにジ・エンドが両者の共通点だ。ビッフィはといえば、鍛えている風もなく、アクションも控えめでだ。ナルシスティックとは程遠く、<哲学=ファンと同じ地平に立つ>で裸を晒しているのだろう。

 サイモン・ニールは足踏みするようにギターを弾き、切なげに歌う。ベーシストのジェイムズとドラマーのベンは双子らしいが、外見では気付かない。ルックスと音のミスマッチを覚えるのは俺だけではないだろう。装いはハードコアだが、奏でる音は陰影に富み、メランコリックだ。キングス・オブ・レオンをメロディアスにした感じで、歌詞は内省的だ。

 ロックの原点というべき蒼さとエキセントリズムで勝負するのがビッフィ・クライロなら、実験性と才気を前面に押し出すのがフレーミング・リップスだ。最新作「ザ・テラー」を一聴しリップスのベストと確信する。と同時に、そう感じる自分の危うさに覚えた。

 ウェイン・コインは本作を「遠い未来に作られた宗教音楽」と評していた。言い得て妙である。宗教団体に勧誘され、研修施設で瞑想するとしよう。BGMにピッタリなのが「ザ・テラー」で、開放感と閉塞感、浮揚感と下降感覚のアンビバレンツを内包している。キーになるリズムとメロディーが繰り返され、ウェインの囁きが自分の内側から聴こえているように錯覚する。本作を一言で表現すると、<幽体離脱に至る疑似トリップ>となる。

 タイトルの“TERROR”は絶対的な恐怖という意味だ。恐ろしく謎めいた本作は、バンドの想定通り全く売れなかった。時代はいずれリップスに追いつくだろう。ZEPP東京でのマジカルで祝祭的なライブに度肝を抜かれてから3年、未来の音楽の神髄をこの10月、赤坂BLITZで体感できる。

 最後に、安田記念の予想を。多士済々で目移りするが、スプリントや中距離からの参戦組ではなく、マイル仕様の馬から買うことにした。天気や馬体重など不確定要素は多いが、①カレンブラックヒル、⑦グランプリボス、⑯ダノンシャークのマイラーズC組、⑥グロリアスデイズ、⑪ヘレンスピリットの香港勢の中から軸馬を決めるつもりだ。
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まどろみと覚醒~シガー・ロスLive at 武道館

2013-05-15 23:39:02 | 音楽
 前稿で記した映画「舟を編む」の余韻が去らない。仕舞い込んだ重いしこり、吐き散らかした毒と針……。自身と言葉の来し方が、悔恨と羞恥になって甦ってきた。俺も閻魔様に舌を抜かれるクチだが、確信犯による言葉の数々が波紋を広げている。

 国際社会で日本のステータスは上がっているのに、俯瞰の目線、良識、モラル、人権意識に欠ける政治家が多い。橋下大阪市長の従軍慰安婦関連の発言に愕然とした方は多いのではないか。高市政調会長が村山談話に疑問を呈したことに、アメリカはビビッドに反応する。「安倍内閣は国益を損なう」との声が議会で上がったのだ。アメリカの中韓シフトが目立つ折、安倍首相は収拾に躍起になっている。

 フジロックとサマソニの大枠が固まった。ローカル・ネイティヴスがフジにラインアップされているが、休みを取って日帰りするほどの気合はない。スマッシュがフェス前後に単独公演をセッティングしてくれることを願うばかりだ。

 昨日は日本武道館でシガー・ロスを見た。これまで数回ライブを体感した知人は、「今回がベスト。言葉で表現できない至高の空間だった」と感想を述べていた。CDやDVDで予習したとはいえ、初体験の俺に語れるのは輪郭でしかない。だが、曖昧、ファジーこそシガー・ロスの正しい聴き方かもしれない。メンバー自身、「聴く人が思い思いに歌詞をつけ、タイトルを決めてくれても構わない」(論旨)と語っていた。

 前作「ヴァルタリ」から1年のインターバルでこの6月に発売される「クウェイカー」から4曲がセットリストに入っていた。新作以外は馴染みのある曲が続いたが、幸いなことに最も聴き込んだ「アゲイティス・ビリュン」(99年)からも3曲が選ばれていた。その中の「スヴェン・キー・エングラー」の歌詞に、「自由」と響く一節がある。アイスランド語でどのような意味なのだろう。

 シガー・ロスは音楽のあらゆる要素を取り込んでいる。ボーダレスへの希求を支えているのは、ファルセットボイスとボウイング奏法でバンドの核になっているヨンシーだ。性同一性障害であることを公言するヨンシーは少年時代、自分が周りと決定的に違うという感覚に苛まれたはずだが、苦悩をエネルギーに換えた。容姿に強いコンプレックスを抱いてきたといわれるが、その面影はダニエル・ブリュール(「グッバイ・レーニン!」など)に似ている。

 ジェンダーだけでなく、あらゆるマイノリティーとの連帯を志向するシガー・ロスは、疎外からの解放を音楽で表現している。儚げで美しく幻想的で、牧歌的なムードを醸し出している。正式メンバーは現在3人だが、バイオリンや管楽器などを奏でる10人前後のサポートメンバ-が演奏に加わり、彩りと厚みを添えている。

 故郷アイスランドで撮影されたドキュメンタリー「ヘイマ」に、バンドの成り立ちが窺える。母国の文化と美しい自然へのオマージュに溢れ、バンドは老若男女から愛されている、反グローバリズムの立場を明確に、搾取する側への怒りも表明していた。奥行きと幅のある音楽と思想が混然一体となり、聴く者を包み込むのだ。

 イランのロックバンドが国外に脱出する経緯をドキュメンタリータッチで描いた「ペルシャ猫を誰も知らない」(09年、ハフマン・ゴバディ)で印象的な台詞があった。主人公の青年が「アイスランドに行って、シガー・ロスを見る。それが僕の夢なんだ」と語っていた。ミュージシャンやロックファンにとり、シガー・ロスは当代一のイコンと言っていいだろう。

 終演後、同行した知人から「眠ってた?」と聞かれた。スタンド席ゆえ、ダークなサイケデリアの間、俺は始原の闇、誰かに手を引かれ、覚束ない足取りで歩いていた。「フェスティバル」のイントロで、まどろみから覚める。映画「127時間」で主人公アーロンが避け難い選択をして生き延びた時に流れた曲で、俺にとって昨日のハイライトだった。

 武道館はソールドアウトの大盛況だった。上から眺めていた印象に過ぎないが、アリーナを支配していたのは浮力ではなく重力だったのではないか。個として対峙せざるを得ないというのが、シガー・ロスの持つ絶対的な力といえる。俺が細部に気付くのは、次回(あればだが)以降になるだろう。

 かねて想定していた〝死ぬまでに見たいバンド〟は、シガー・ロスをクリアしたことで、パール・ジャム、モグワイ、アーケイド・ファイアの三つになった……はずが、ビッフィ・クライロが最近リストに加わった。初期ブランキー・ジェット・シティを彷彿させる男臭い佇まいだが、サウンドは意外にもキャッチーである。


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グリズリー・ベアatリキッドルーム~灰色熊が運ぶ春の風

2013-03-06 23:13:31 | 音楽
 ベネズエラのチャベス大統領が亡くなった。思い出すのは10年ほど前、NHKで放映された「チャベス政権 クーデターの裏側」である。CIA、メディア、資本家によるクーデターで政権を追われるが、民衆の支持を受けて軍部が寝返り、チェベスが大統領府に凱旋する。その一部始終をアイルランドのクルーが撮影したドキュメンタリーで、憲法の精神を高らかに謳うチェベスの演説に感銘を受けた。

 <石油やガスがもたらす利益を国民(とりわけ貧困層)に還元する>……。このチャベスの方針で、富の吸い上げが困難になったアメリカは揺さぶりを掛けてくる。チャベスは権力保持に固執するようになり、反米を前面に押し出す。欧米メディアは〝独裁者チャベス〟の負の側面を強調して報じるだろう。反グローバリズムに立脚すると、チャベスは巨悪(アメリカや多国籍企業)に抵抗するための必要悪と映る。盟友マラドーナは涙に暮れているに違いない。

 さて、本題。リキッドルーム(恵比寿)で昨日、グリズリー・ベアを見た。09年暮れにロックの旅を再び始めてから、CDで湿度と温度の近さを覚えたバンドのライブに足を運んだが、グリズリー・ベアで最後のピースが埋まった気がする。キャパ800人はぎっしり埋まり、高齢ベスト5に入る俺は、年相応にゆったり後方でライブを楽しんだ。

 年を取ると体感するというより、理屈っぽく考えてしまう。スタート時点ではグリズリー・ベア同様、米インディーシーンを代表するバンドと比べていた。ダーティー・プロジェクターズの牧歌的かつ祝祭的なムード、ローカル・ネイティヴスの開放感とダイナミズム、ザ・ナショナルが壮大なスケールのロックアンセム、ブロンド・レッドヘッドの濃密な狂おしさ……。グリズリー・ベアのライブを一言で表現すると自然体となるが、翌日になっても余韻が去らない。

 ビートルズの「シー・ラブス・ユー」でポップの魔法にかかった俺には、音楽を測る物差しがある。それは<トランジスタラジオに耐えること>だ。スタジオで加工し尽くすのが最近のはやりだが、グリズリー・ベアは違う。街角のラジオから流れていても、立ち止まって聴き入ってしまうほど芯のある楽曲はビートとハーモニーで膨張し、会場全体に染み渡る。俺はノスタルジックな気分になり、心の中で溶けた何かが浸潤し、乾いた体を揺らしていた。

 バンド名は凶暴な灰色熊だが、奏でる音は春の訪れを告げる暖かな風だ。理性で臨んだはずのライブだが、翌日になっても音の渦は霊気のように俺を包んでいる。これぞまさに体感だ。抒情的、刹那的、メランコリックと形容する言葉はいくらあっても足りないが、ベースにあるのはクオリティーの高さだ。珠玉のメロディーに彩られた曲はライブで輪郭がくっきりし、カラフルな表情を浮かべていた。

 ソングライティングで彼らに匹敵するバンドを挙げれば、ローカル・ネイティヴスだ。春の宵、本の友を探している方にはグリズリー・ベアの「シールズ」、ローカル・ネイティヴスの「ハミング・バード」を薦めたい。柔らかな音が想像力を増幅させ、読書の質が深まることを保証する。

 リキッドルームには悪い思い出が二つあった。一つは方向音痴で道に迷い、ロックンロール・ジプシーズのライブに遅刻したこと。二つ目は肩入れしていたクーパー・テンプル・クロースの解散ライブになったことだ。良質なアルバムを作り続けたクーパーズはまさに悲劇のバンドで、暗すぎるフロントマンを案じる声が当夜のファンから上がっていた。

 幸い、グリズリー・ベアには煮詰まる心配はなさそうだ。次作ではビルボードで5位前後に入り(最新作は7位)、日本でも知名度が上がって渋谷AX(キャパ1500)ぐらいで演奏するだろう。世界のロックを牽引するインディーズの雄だが、現在の年収は600万円台。金銭的な成功には無頓着で、自由と創造性を追求するのがニューヨークの空気なのだろう。

 フジロックは無理だが、サマーソニックに行く可能性はある。グリズリー・ベア以外に上記の米インディーバンド、UKならビッフィ・クライロがラインアップされることが条件だ。アーケイド・ファイアはアルバム製作中で、来日は難しそうだ。
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「ハミングバード」~ローカル・ネイティヴスが運ぶ初夏の匂い

2013-02-16 14:57:21 | 音楽
 火事の夢を見た。近所で火の手が上がり、バケツリレーで延焼を食い止めるという内容だ。早速ネットで調べてみると、火事の夢は吉兆で、協力して消すというシチュエーションも悪くない。起きそうな吉事をぼんやり想像してみたが、競馬で勝つぐらいしか思い浮かばなかった。俺の心はマッチを擦っても、燃えるものなどない廃墟なのか。

 経済音痴の俺は、アベノミクスに懸念を抱いている。ヒット商品を開発したわけでもないのに、円安というだけで株価が上昇している企業が多いが、社員に還元されるわけではなさそうだ。参院選で自民党が多数を占めるや、バブルは砕け、円高と株安に逆戻り……。悲観論者の見解が正しければ秋以降、サブプライムローン並みの反動が待ち受けている。

 国家的詐欺というと失礼だが、〝どんな手を使っても見かけの数字を揃えたい〟というのが安倍首相の本音らしい。見据えているのは憲法改正で、維新や民主党右派も賛成に回りそうだ。由々しき事態と憂う俺は、総選挙の結果からしても少数派なのだろう。だが、絶望しているわけにもいかない。辺見庸の新刊「国家、人間あるいは狂気についてのノート」(毎日新聞社、25日発売)が、停滞気味の俺の心を奮い立たせてくれそうだ。

 寒い日が続くが、俺の部屋に初夏の風が吹き込んできた。ローカル・ネイティヴスの2nd「ハミングバード」に和みと癒やしを覚えている。日本盤ボーナストラックを含め、珠玉のタペストリーといえる作品だ。ちなみに「ハミングバード」とはハチドリで、鳥類の中で最も小さい。1分間に数十回ホバリングする際のブンブンが蜂に似ているので、日本でハチドリと呼ばれるようになった。本作は耳障りとは対極の心地よい羽音のシンフォニーで、ついばむ花蜜の香りが匂い立ってくる。

 1st「ゴリラ・マナー」の煌めきと抒情性にメランコリーが加味され、一層カラフルな音になっていた。俺にとって'12ベストアルバムだったグリズリー・ベアの「シールド」を優に超えるクオリティーの高さで、キャッチーなメロディーは聴くたびに内側に染み込んでくる。アルバムを紹介する場合、気に入った曲を幾つか挙げるようにしているが、本作では不可能だ。すべての曲が完璧なアンサンブルを構成しているからである。

 柔らかで稠密な音は、ライブでスケールアップする。'10フジロックのホワイトステージ、翌年2月の単独公演(渋谷・クラブクアトロ)で体感したライブを、俺は<神が宿ったパフォーマンス>と評した。5人(現在は4人)のメンバーが担当楽器や立ち位置を頻繁に変える。静と動のメリハリが鮮やかで、ビートとメロディーの融合にロックの未来形を感じた、ダーティー・プロジェクターズとともに〝声の復権〟を志向し、紡がれたハーモニーは祝祭的なムードを醸し出していた。

 アルバムの完成度の高さと成熟したライブが、むしろ不安の種だった。アンディー脱退も心配なニュースだったが、アーロン・デズナー(ザ・ナショナル)をプロデューサーに迎えて苦境を乗り切った。「ハミングバード」で大ブレークを期待したものの、インディー系は厳しい。本作はビルボードで11位止まり、最新作を比べてもグリズリー・ベアの7位、ダーティー・プロジェクターズの22位と同程度だ。「ロッキンオン」によればグリズリー・ベアの各メンバーの年収は600万円台で、ローカル・ネイティヴスも大差ないはずだ。ロック界のトップランナーのシビアな状況に義憤を覚えてしまう。

 昨年11月の「ホステス・クラブ・ウイークエンダー」は別の用事と重なって断念したが、<神が宿ったパフォーマンス>に再度触れることを心待ちにしている。とはいえ、肩透かしを食らう可能性だってある。過剰な期待を抱いて足を運んだダーティー・プロジェクターズのライブに、恐らく日本人で唯一失望を覚えたことは別稿に記した。混沌として自由だったバンドに序列が定まり、<普通のロックバンド>の枠内に収まったと感じたからで、ローカル・ネイティヴスに同じことが起きていても不思議はない。

 3月にはグリズリー・ベアのライブに足を運ぶ。中旬にはデヴィッド・ボウイの10年ぶりの新作「ザ・ネクスト・デイ」も発売される。アラカンだが、まだロックを卒業できそうにない。
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「VANISHING POINT」~ブランキー・ジェット・シティが蒼い焔になった夜

2013-02-07 23:51:51 | 音楽
 コーチェラがスミスに再結成のオファーを出し、モリッシーが断りのコメントを発表するというのが、ここ数年のお約束になっている。今年もフラれた主催者が代わりとばかりストーン・ローゼスをメーンに据えたことが、全米で波紋を広げている。

 英国では再結成ギグに20万人超(3日間)を集めたストーン・ローゼスだが、アメリカではオルタナ系ファンでさえその名を知らず、「ローゼスって何者?」状態らしい。ピュリツアー賞受賞作「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」(ジュノ・ディアス著)には、スミスやキュアーといったUKニューウェーヴの浸透ぶりが描かれていたが、数年後の<マンチェスター・ムーヴメント>は大西洋を越えなかったようだ。

 フジロックは04年、1日限りのルースターズ再結成を演出した。「あのバンドも」とファンが心待ちにしているのがブランキー・ジェット・シティ(BJC)だ。その布石かと勘繰りたくなるのが、ファイナルツアー(00年)を記録したドキュメンタリーの公開である。「VANISHING POINT」(翁長裕監督、13年)は、BJCの3人、浅井健一(ベンジー)、照井利幸、中村達也の素顔を浮き彫りにし、バントとは何かを問い掛ける迫真の作品だった。

 〝日本のロックなんて聴く価値なし〟という洋楽派の偏見をぶち壊してくれたのが、BJCの「LOVE FLASH FEVER」(97年)だった。衝動的、前衛的、実験的、暴力的、刹那的、感傷的……。こんな形容詞が詰まった音の塊に脳天をかち割られる。不惑を過ぎていた新参ファンに、若者に交じってモッシュする勇気はなく、ライブに唯一触れたのは豊洲開催の'98フジロックだった。CDと映像作品でBJCを〝学術的〟に分析した俺の言葉に説得力はないが、「VANISHING POINT」の感想を以下に記したい。

 初期のBJCはヤンキー、不良、与太者、チンピラ、ロックンローラー、暴走族といったアウトローに支えられていたが、メンバーの立ち位置もファンと変わらなかったのではないか。本作で照井は上半身にびっしり彫られたタトゥーをさらしていたし、中村は「出所した友人が家に押しかけてきた」と話していた。〝危ない奴ら〟のイメージは実像に近かったが、優れた音楽性と浅井のナイーブさが、ファン層を少しずつ広げていく。

 BJCの歌詞の世界に近いのが映画「ウォリアーズ」(79年、ウォルター・ヒル)で、象徴的な曲は「絶望という名の地下鉄」だ。BJCはファンにとって、殺伐として夢のない日常に、救いとカタルシスを与えてくれる唯一の存在だった。「ウォリアーズ」はニューヨークが舞台だったが、BJCとファンが形成したサンクチュアリに重なるのはウエストコーストパンクである。

 10年以上も切磋琢磨し、しかもファイナルツアーというのに、バンド内にさざ波が生じてくる。ライブの出来が悪いと、負の感情が剥き出しになるのだ。曲を作るベンジーがイニシアティブを取っていると思い込んでいたが、カメラが捉えたバンドの〝ハート&ソウル〟は照井で、妥協を許さぬ「ロックンロールの求道者」といえる。自然児の中村は引き気味で、ベンジーは「テルちゃんが言いたいことはわかるよ」と調整役に回っていた

 「うまくやる必要なんてない。魂が入ってない」と刃を突き付ける照井に、「ブランキーは別の次元に行ってるんじゃ」と返すベンジーと中村にしても、充実したライブを見せたいという気持ちは変わらない。照井の情熱に触発され、本番前のセッションにも気合が入る。グルーヴを取り戻していく様子は感動的で、バンドが生き物であることを再確認した。帰宅後、部屋でDVD「LAST DANCE」を見たが、吹っ切れた照井の表情が印象的だった。

 浅井は本作で、「達也のドラムはパンクで、テルちゃんのベースは柔らかいから、相手に遠慮すると自分の持ち味を殺すことになる」(要旨)と話していた。音楽誌のインタビューで中村と組まない理由を聞かれ、「達也のドラムは歌うんで、自分と重なってしまう」と抽象的に答えていた。互いの個性と才能を知り尽くしているからこその言葉だと思う。

 かつて中村は、「俺はただ、ベンジーという稀有な才能を世に出したかった」と話していたが、夢が実現した時、志向性が異なる3人を繋ぎ止めるのは不可能だったのだろう。バンド内で闘いつつ調和し、ステージに立てば観衆と真剣勝負を演じてきたBJCは、蒼い焔になって消滅する。

 BJC解散後、ベンジーはシャーベッツ、JUDE、ソロと次々にユニットを変えながら今日に至る。俺も数回、ライブに足を運んだ。照井はROSSOを経てベンジーとPONTIACSを立ち上げたが、1回のツアーで休止した。中村は日本一多忙なミュージシャンで、音楽界、映画界から殺到するオファーをさばき切れない状態という。3人とも現役で、基本的にフリーとくれば、一夜限りにせよ再結成は夢物語ではない。美学に反すると言われたら、それまでだけど……。
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