20代半ばまで時代劇に親しんでいた。俺にとっての最高傑作は武士道の本質に迫った「子連れ狼」だが、肩の凝らないドラマも大好きで、「遠山の金さん捕物帖」(1970~73年)は再放送を含め殆ど見ている。中村梅之助さんの訃報に、若かった頃の心情が甦った。のちに錚々たる面々が演じたが、俺にとって唯一無比の金さんは梅之助である。温かみと威厳を自然体に表現した名優の死を悼みたい。
勧善懲悪の時代劇は消えてしまったが、社会、とりわけ永田町には困った面々が揃っている。甘利経済再生担当相が旬の悪役だが、追及する枝野民主党幹事長だって負けていない。福島原発事故後、官房長官として「直ちに(放射能の)影響はない」と繰り返して失笑を買った御仁が、今も表舞台にいる。巨悪は懲らしめられるどころか力を増し、善人(≠弱者)を嘲笑うという図式は古来、変わっちゃいない。
軽井沢のバス転落事故で、13人の若者が亡くなった。彼ら、そして遺族を思うとやり切れない。老若男女、すべての人間に価値の差はない。だが、ゴール寸前でよろけている俺ではなく、ゲート入りを控えたルーキーたちが召されるなんて、神様も残酷だ。食品横流しを含め、個々の企業を責めるのではなく、モラル低下を生み出した政治の在り方を背景に見据えるべきだ。
心身の衰えを実感している初老の男が先日(20日)、古くからの友人であるT君とライブに足を運んだ。道玄坂のラブホ街にあるDuo MUSIC EXCHANGEで、テレヴィジョンとルースターズの共演である。テレヴィジョンは平均年齢が60代半ば、ルースターズは50代後半で、バンドのキャリアに合わせ、年季の入ったファンが集っていた。
オープニングアクトは、波瀾万丈、生々流転のルースターズだ。大江慎也在籍時の前期を絶対視するファンも多いが、俺は花田裕之を結節点に、流れとして聴いていた。当夜は解散時(88年)のメンバーで、花田以外に下山淳、穴井仁吉、三原重太、サポートの木原龍太郎という構成だった。20代前半からどっぷり漬かったルースターズは、不安定で暗い青春期の記憶と連なっている。
30年以上も前だから、記憶違いかもしれない。ジュリアン・コープと共演した時、花田がMCで「大江慎也です」とカマして演奏したのが3曲目の「ストレンジャー・イン・タウン」だった。文学的な詞は柴山俊之によるものである。入り待ちの時、T君に「ルースターズに提供した詞から、柴山のことをナイーブな文学青年だと思っていたけど、実物(サンハウス)をフジロックで見てぶったまげた」と話していたら、近くに頷いて笑みを浮かべている女性がいた。連れ(男性)がいなかったら声を掛けたのに……。
当夜のルースターズはテレヴィジョンに合わせて幾分、ローファイ気味と感じたが、「ハート・バイ・ラブ」からジュリアン・コープの提供曲「ランド・オブ・フィアー」の流れも決まっていた。「バーニング・ブルー」や「レディ・クール」を久しぶりに聴けたし、最後は畢竟の名曲「再現できないジグソーパズル」で締めた。
15分ほどのセッティング変更を終え、テレヴィジョンが登場する。3枚のアルバムをたっぷり聴いて予習するはずだったが、不測の事態、即ちデヴィッド・ボウイの死で計画変更を余儀なくされる。通してボウイを聴いたので〝たっぷり〟が〝少し〟になったのだ。脳内オーディオに流れた曲の輪郭からメロディーやリズムが零れるぐらいじゃないと、ライブは楽しめない。テレヴィジョンのように、モノクロームなバンドなら尚更だ。
1曲目は再結成後の3rd「テレヴィジョン」収録曲で、新曲やデビュー以前のレパートリーを含め計10曲で、「マーキー・ムーン」が中心だったが、2nd「アドヴェンチャー」からは選曲されていなかったように思う。1曲平均が10分ほどで、トム・ヴァーレインを中心にした4人の匠が、互いの呼吸を計りながら、即興に近い形で音を紡いでいく。
緊張が途切れず、聴く者の心を研ぐようなパフォーマンスに、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ソニック・ユース、ペイヴメントなど、ローファイ系のバンドが重なった。横と共鳴する音ではなく、聴衆は錨が下ろしたよいにフロアに立ち尽くしていた。だが、熱心にテレヴィジョンに接してきたファンにとって、至福の時だったに相違ない。ライブが終わったのは11時前で、俺は痛む膝を引きずりながら渋谷駅へと向かった。
この間の経緯で、納得いかない点がある。テレヴィジョンは13、14年にも来日し、ライブハウスを回っていた。俺はこまめに「ロッキング・オン」のウェブサイトをチェックしているが、テレヴィジョン来日について、今回を含め一切掲載されていない。プロモーターと確執を抱えているのだろうか。
常に旬を追いかけてきた俺だが、昨年後半からベテランたちのライブに接する機会が多かった。PANTA、遠藤ミチロウ、友川カズキ、そして先日の2組である。何でも老いのせいにしがちな俺だが、彼らから気合を学び、真摯に生きていきたい、














勧善懲悪の時代劇は消えてしまったが、社会、とりわけ永田町には困った面々が揃っている。甘利経済再生担当相が旬の悪役だが、追及する枝野民主党幹事長だって負けていない。福島原発事故後、官房長官として「直ちに(放射能の)影響はない」と繰り返して失笑を買った御仁が、今も表舞台にいる。巨悪は懲らしめられるどころか力を増し、善人(≠弱者)を嘲笑うという図式は古来、変わっちゃいない。
軽井沢のバス転落事故で、13人の若者が亡くなった。彼ら、そして遺族を思うとやり切れない。老若男女、すべての人間に価値の差はない。だが、ゴール寸前でよろけている俺ではなく、ゲート入りを控えたルーキーたちが召されるなんて、神様も残酷だ。食品横流しを含め、個々の企業を責めるのではなく、モラル低下を生み出した政治の在り方を背景に見据えるべきだ。
心身の衰えを実感している初老の男が先日(20日)、古くからの友人であるT君とライブに足を運んだ。道玄坂のラブホ街にあるDuo MUSIC EXCHANGEで、テレヴィジョンとルースターズの共演である。テレヴィジョンは平均年齢が60代半ば、ルースターズは50代後半で、バンドのキャリアに合わせ、年季の入ったファンが集っていた。
オープニングアクトは、波瀾万丈、生々流転のルースターズだ。大江慎也在籍時の前期を絶対視するファンも多いが、俺は花田裕之を結節点に、流れとして聴いていた。当夜は解散時(88年)のメンバーで、花田以外に下山淳、穴井仁吉、三原重太、サポートの木原龍太郎という構成だった。20代前半からどっぷり漬かったルースターズは、不安定で暗い青春期の記憶と連なっている。
30年以上も前だから、記憶違いかもしれない。ジュリアン・コープと共演した時、花田がMCで「大江慎也です」とカマして演奏したのが3曲目の「ストレンジャー・イン・タウン」だった。文学的な詞は柴山俊之によるものである。入り待ちの時、T君に「ルースターズに提供した詞から、柴山のことをナイーブな文学青年だと思っていたけど、実物(サンハウス)をフジロックで見てぶったまげた」と話していたら、近くに頷いて笑みを浮かべている女性がいた。連れ(男性)がいなかったら声を掛けたのに……。
当夜のルースターズはテレヴィジョンに合わせて幾分、ローファイ気味と感じたが、「ハート・バイ・ラブ」からジュリアン・コープの提供曲「ランド・オブ・フィアー」の流れも決まっていた。「バーニング・ブルー」や「レディ・クール」を久しぶりに聴けたし、最後は畢竟の名曲「再現できないジグソーパズル」で締めた。
15分ほどのセッティング変更を終え、テレヴィジョンが登場する。3枚のアルバムをたっぷり聴いて予習するはずだったが、不測の事態、即ちデヴィッド・ボウイの死で計画変更を余儀なくされる。通してボウイを聴いたので〝たっぷり〟が〝少し〟になったのだ。脳内オーディオに流れた曲の輪郭からメロディーやリズムが零れるぐらいじゃないと、ライブは楽しめない。テレヴィジョンのように、モノクロームなバンドなら尚更だ。
1曲目は再結成後の3rd「テレヴィジョン」収録曲で、新曲やデビュー以前のレパートリーを含め計10曲で、「マーキー・ムーン」が中心だったが、2nd「アドヴェンチャー」からは選曲されていなかったように思う。1曲平均が10分ほどで、トム・ヴァーレインを中心にした4人の匠が、互いの呼吸を計りながら、即興に近い形で音を紡いでいく。
緊張が途切れず、聴く者の心を研ぐようなパフォーマンスに、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ソニック・ユース、ペイヴメントなど、ローファイ系のバンドが重なった。横と共鳴する音ではなく、聴衆は錨が下ろしたよいにフロアに立ち尽くしていた。だが、熱心にテレヴィジョンに接してきたファンにとって、至福の時だったに相違ない。ライブが終わったのは11時前で、俺は痛む膝を引きずりながら渋谷駅へと向かった。
この間の経緯で、納得いかない点がある。テレヴィジョンは13、14年にも来日し、ライブハウスを回っていた。俺はこまめに「ロッキング・オン」のウェブサイトをチェックしているが、テレヴィジョン来日について、今回を含め一切掲載されていない。プロモーターと確執を抱えているのだろうか。
常に旬を追いかけてきた俺だが、昨年後半からベテランたちのライブに接する機会が多かった。PANTA、遠藤ミチロウ、友川カズキ、そして先日の2組である。何でも老いのせいにしがちな俺だが、彼らから気合を学び、真摯に生きていきたい、














