弁理士の日々

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安倍首相が憲法改正の方向提示

2017-05-05 12:22:17 | 歴史・社会
私が憲法記念日によせてとして記事をアップした当日、安倍首相が日本会議の会合にビデオメッセージを寄せていたのですね。
安倍晋三首相が改憲に強い意欲 9条に自衛隊明記 教育無償化にも前向き
2017.5.3産経ニュース
『安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、憲法改正について「2020(平成32)年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた。』
憲法9条関連では以下のように述べています。
『憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました。私が総理・総裁であった10年前、施行60年の年に国民投票法が成立し、改正に向けての一歩を踏み出すことができました。しかし、憲法はたった一字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。
 ・・・
わが党、自由民主党は、未来に、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における具体的な議論をリードし、その歴史的使命を果たしてまいりたいと思います。
例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命がけで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く。その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、いまなお存在しています。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。
私は、少なくとも私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置付け、「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきであると考えます。
もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けてしっかりと、堅持していかなければなりません。そこで、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います。』

日本が、国連の平和維持活動に自衛隊を派遣することによって国際平和に貢献しようとしたら、現在の憲法9条のもとでは対応できない、ということは、例えば伊勢崎賢治氏が述べています。
日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の「資格」を失っていた! 誰も言わない本当の論点
ルワンダでの苦い経験以降、国連は、方針を変更しました。
『平和維持活動国で内戦が深刻化して住民の生命が危険にさらされたとき、「住民の保護」を目的として、国連部隊自らが「交戦主体」となる。国際人道法に違反した場合、国連部隊の軍事要員は、それぞれの国内裁判所で起訴の対象となる。』
ところが、日本の憲法9条2項で、「国の交戦権は、これを認めない。」としています。素直に読めば、PKOに派遣された日本国自衛隊は、交戦主体となり得ません。
また、日本は軍法を持っていないので、国際人道法違反容疑の自衛隊員を、国内法で裁けません。日本国刑法は、国外での過失犯を裁けないのです。
従って、日本が、国連の平和維持活動に自衛隊を派遣することによって国際平和に貢献しようとしたら、自衛隊に交戦権を付与する必要があり、憲法9条2項「国の交戦権は、これを認めない。」を削除する必要があります。また、軍事法典と軍事法廷を設ける必要があります。

安倍総理はビデオメッセージで「9条1項、2項を残しつつ」としていますが、2項の「交戦権否定」をどのように捉えているのでしょうか。
軍事法廷については、自民党憲法草案が参考になります。
9条の2第5項「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。」

さて、「あなたは憲法9条の改正に賛成なのか」と聞かれれば、「9条の改正に賛成です。ただし、前提条件があります。」と答えるでしょう。その前提条件とは、・・・
2年前、「安全保障関連法案」の記事で明らかにしたことですが
《先の戦争の総括》
日中戦争にしろ太平洋戦争にしろ、日本国がそれら戦争を始めたこともさることながら、「どのような戦争をしたか」という点で日本は大きな責任を持っていると感じています。
このブログ記事から拾うと、
吉井義明「草の根のファシズム」
保坂正康「昭和陸軍の研究」
私が読んだその他の著書としては、
秦郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)
小松真一著「虜人日記 (ちくま学芸文庫)
石川達三「生きている兵隊 (中公文庫)
五味川純平「人間の条件〈上〉 (岩波現代文庫)
が挙げられます。

私の印象では、戦後、日本は自分たちがしてきた戦争の内実をきちんと総括してきていません。責任を曖昧にしてきました。なぜ日本はそのような曖昧な態度で終始することが許されたか。私はこれを、「日本は憲法9条に逃げ込んだ」と表現しました。「日本は戦争を放棄したのだから、これから戦争を起こすことはない。だから、済んだことは良いじゃないか」といった態度です。
ところが、世界情勢が変化して、日本も憲法9条を改正し、自衛隊、交戦権を合法化して抑止力を確保し、それをもって世界平和に貢献すべきときが来ました。そうなるとどうなるか。
「戦争放棄」で臭いものに蓋をしていたのに、その蓋を取り払わなければなりません。
本来であれば、「これこの通り、日本は自分たちが行った戦争についてきちんと総括した。その結果、日本は平和の維持のためにしか軍事力を行使しない国になった。だからこそ、9条を改正して自衛隊と交戦権を合法化し、世界平和に貢献していく。」と正々堂々と主張すべきなのに、それができないのです。
野党は集団的自衛権のときと同様、「戦争をする国にするのか」と反論することになるでしょう。これなど、「日本は凶暴な国だ。武器を持たせると凶暴になるから、今まで武器を封印してきた。ここで武器を持たせたら、気違いに刃物だ」と言っているようなものです。自分が国会の一員であるこの国についてです。

韓国や中国から謝罪を要求されると、「いつまで謝罪をしていたら気が済むのだ」との言い方がされます。しかし、ドイツのメルケル首相はポーランド国民に対し、今でも折に触れて謝罪し続けています(川口マーン惠美「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」)。

以上のとおり、私は、憲法9条の改正に賛成ではあるが、その前提として、先の戦争で日本がしてきたことについてきちんと総括することが必要である、との立場です。しかし、今更、自民党政権は先の戦争の総括を真摯に行うなどの方向には向かわないでしょうね。そうなると、私は「憲法9条改正反対」と表明することになります。
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