弁理士の日々

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川口マーン惠美「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」

2013-11-20 20:34:10 | 歴史・社会
川口マーン惠美さんの著書「国際結婚ナイショ話」を読んで、先日川口マーン惠美著「国際結婚ナイショ話」を書いたところです。この本は、本の表題と相違して、格調高い日本語で書かれた日独の比較文化論というべきものでした。私の記事の最後で、“川口さんがこの本を出版したのが1997年、ドイツに渡って15年後、川口さん41歳のときです。それからさらに16年が経過しています。現在57歳の川口さんの考え方がどう変わったか変わっていないのか、その点にも興味がわきました。”と書きました。

そこで読んでみたのが以下の本です。
サービスできないドイツ人、主張できない日本人
川口マーン惠美
草思社
単行本でもあり、今回は図書館で借りて読みました。
2011年2月発行ですから、川口さんがドイツに渡って30年弱で出版されたものです。

この本でも、あまりセンスの良くない本の表題とは異なり、格調高い日独比較文化論が展開されています。
それはさておき、私が最も印象深く読んだのは、比較文化論ではなく、ドイツとポーランドとの微妙な関係についての記述でした。

第二次大戦において、ドイツはポーランドに攻め込んでポーランドとポーランド人に塗炭の苦しみを与えました。
2009年9月、グダニスク(ポーランド)でポーランド政府主催の第二次大戦開戦70周年記念式典が行われ、ドイツのメルケル首相が招かれてスピーチを行いました。
『メルケル首相のスピーチは、心のこもった追悼の辞だった。第二次世界大戦を、「ドイツが引き起こした戦争」と定義し、「ドイツの首相として、ドイツ占領軍の犯罪の下で言い尽くせない苦しみを味わったすべてのポーランド国民のことを忘れません。」と述べる。』
『ポーランド人の心の中では、常にドイツ人が加害者で、自分たちは被害者なのだ。
つまり、この両国の関係は、表面上は友好的で、外交上は抜かりはないが、だからといって、その友好が心からとは言い切れない冷ややかさもある。そのあたりは、たとえば、ドイツ側がちょっとでもポーランドを非難するようなことを口にすると、ポーランドがいきなり攻撃的になることでわかる。』
第二次大戦終結後、ドイツ東部の広大な土地がポーランドに割譲されました。不幸だったのは昔からここに住んでいた350万人のドイツ人で、かれらは資産を剥奪され、着の身着のままで故郷を追われ、ドイツへたどり着く前に多くの人が命を落としました(チェコ、ハンガリー、ソ連からの引き揚げ者を含むと、犠牲者は211万人にのぼると言われています)。しかし、ドイツがこの件について「追放」という言葉を使うことさえもポーランドには許せないらしいです。
『彼らの攻撃の仕方を見ていると、「ドイツ人にだけは言われたくない」という感情が、ありありと見える。』

ここまで書いたら皆さんもお気づきでしょう。「ドイツ」を「日本」に、「ポーランド」を「韓国」「中国」に置き換えたら、現在の東アジアで起きていることと全く同じ現象であることに気づきます。

規模(犠牲者の数など)では日本のしたことはドイツのしたことに比較して遠く及ばないでしょう。また、ドイツの場合は「悪いのはナチスで、すでに裁かれたし、今でも許されていない」と責任を着せる対象がいますが、日本の場合には日本国民が直接責任を負わなければならないので、ドイツに比較して謝罪しにくいところがあります。
しかしそれにしても、メルケル首相のスピーチは参考にすべきでしょう。日本人は、「いつまで謝罪すれば気が済むのか」などといわず、「日本のせいで言い尽くせない苦しみを味わったあなたたちのことを忘れません」と言い続けるべきではないかと思いました。
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