大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより~ 写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月05日 | 写詩・写歌・写俳

<1249> 団地の風景に思う

     人の住む団地開発されしなり 高度経済成長期あり

 私が住んでいる団地は、昭和四十年代、所謂、今から半世紀ほど前、日本が高度経済成長の右方上がりのころ開発された二百二十戸ほどの一戸建ての住宅地である。奈良県の西部、大阪よりにある団地で、住民は大阪方面を勤務地とする勤め人が多く、ベッドタウンの趣が見られ、ほとんどが他所から移り住んでいる人たちである。言わば、高度経済成長期の象徴的産物と言ってよい住宅地で、この間、建て替えやリフォームが進められ、世代交代や住人の入れ替わりも見られる団地で、町並はほぼ昔と変わっていないが、建物が新しくなっているのが目につく。

 しかし、これは団地の外観を言うものであって、住んでいる人たちの内実を示すものではない。では、内実はどうなっているのかと言えば、全体でみると、学童をはじめとする子供が少なく、高齢者が多く、所謂、少子高齢化の状況が見られるということである。団地の近くには、ベッドタウンとしての立地によって開発されたよく似た住宅地がそこここに見られるが、みな似たり寄ったりの現象に見舞われていることが想像される。

                                    

 調査の数字は完璧ではないけれども、地図をもって団地の内実を見分してみると、この住宅地の様相というものがよくわかる。また、住人の間に同じ問題意識が共有されていることが感じられて来て、認識を新たにする。そして、これは現在の日本が抱えている少子高齢化の状況に沿うもので、この小さな団地がその縮図のように思えて来ることが言える。

 では、数字の結果を見てみよう。数字によれば、次ぎのようである。現在のところ、戸数は二百十七戸。うち二人暮らしが五十戸、独り暮らしが三十戸、人が住んでいない空家になっている家が十九戸といった具合である。この状況は今少し詳しく見ないとその実態はわからないが、二人暮らしにしても、独り暮らしにしても住人の高齢化が進んでいることに変わりはないと見て取れる。

 これに加えて子供の数が少ないことがあげられる。私の娘が小学生のころに比べると、近隣に学童の姿がほとんどなく、子供たちの声が聞かれないということがある。これは少子高齢化の典型で、今、日本の社会が抱える問題に重なる。二人暮らしの私たちはまさにこの現実に直面しているわけで、みな同じ境遇の道にあると諦観しつつも、これからの余生をどのように過し、終末を迎えるか、模索しているというのが現状としてある。

 私たちの年代というのは、高度経済成長によって都市部に人々が吸い寄せられ、働きに働いて一つの時代を築き、このような団地の住宅地に家を持つに至ったわけであるが、経済成長の効率を上げる政策のために核家族化が進められ、国民にも受け入れられた結果、少子高齢化と過疎化が進み、今日の状況を生み出した。つまり、そういう時代に沿って私たちの年代は人生を歩み、今にあるということである。果たして、この団地の状況は日本を取り巻く社会情勢の縮図であって、問題提起をしていると見て取れる。写真は住宅地の風景。イメージで、記事とは無関係。

   夢を抱き来たりしなるが覚束ず いま七合目あたりの景色