大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1270> 名 前

      わたくしも あなたも 名を持て 意味を持て 成り立ってゐる この世の中に

 寺山修司は『誰か故郷を想はざる』の中で「神というのも名付親の選びだした一つの名にすぎないのだろう――」ということを指摘して言っている。つまり、神を岩でも空でも最初に名づけたものはどうにでも名づけられたはずであるが、神(かみ)という名をもって神を表し共有した。これは一例に過ぎず、この世のあらゆるものに名付親たちは名をつけ、その名を共有して認識することにより生の営みを成り立たせて来た。

 その名は膨大な量に及び覚え切れないということがあるほか、実物と一致しないということも生じる。この実態は過誤に繋がることであり、共有する認識の妨げになることもあって、コミュニケーションに不都合を生じたり、社会に混乱を招く仕儀に陥るということにも繋がることが言える。

             

 私は山野に草木の花を求めてよく歩くのであるが、実地に出会う花とその花の名が撮影する自分の中で、不明なことがときどきある。このようなときにはなるべく観察を密にし、細部にわたって写真を撮るよう心がけ、後で写真と図鑑を照らし合わせ、その名を判定するようにしている。

 例えば、スミレについて言えば、スミレにもいろんな種類があり、これを見分けることが必要になる。このため、撮影者には撮影するスミレとその固有の名の一致が求められるわけで、こういう事態になったときは、花の色や形に始まり、毛の有無、雌蕊の形、花の後ろに突き出ている雄蕊の距の色や形、花茎が地上茎かどうか、また、葉の色や形ということも調べる必要が生じて来る。

 そして、写真が出来上がるのを待って図鑑と照らし合わせるとい作業になる。それでもあやふやな場合は、このスミレに対しては、固有の名をもって言うことが出来ないということになる。所謂、名というものは正しく用いられて初めてその共有は有効に働くことになるのである。 写真は植物図鑑のスミレの頁と私が撮影したサクラスミレの花。サクラスミレはスミレの女王と呼ばれ、花の色は赤紫色で、サクラの花のように花びらの先端が少し凹む特徴があり、花が他のスミレよりも少し大きいのが特徴としてある。