大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1265> 自然の座標軸 (2)

        危ふくも 傾斜せんとす いや待てよ いや逸れるなよ 思ひは半ば

    譲れざる思ひを染めて酷暑より幾日か過ぎぬ 葉鶏頭(かまつか)の赤

 葉鶏頭の赤い葉は、私がいかなる思いにあろうとも、確固たる自然の座標軸と同じ意を持ってある存在であって、変わらない赤色である。これを変えようとする思いはあるが、その思いを通そうとすれば、そこに戦ぎが生じるのは自明である。要するに、根本のところは変え得ずあって、変わるのは人の思いの方であるということになる。

   不条理の言葉呑みつつそこ過ぎて 薹の立ちたる葉牡丹の花 

   不条理の声もときには聞き及ぶ されど天なる一本(ひともと)の道

 私たちの心は揺れる。しかし、確固たる自然の座標軸は揺るがない。ときには不条理の声も聞き及ぶが、確固たる自然の営みは、決して曲げられはしない。生きることについて、中島敦は「まったく何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ」と、『山月記』に述べている。自然の座標軸は確固としてあり、決してその意に逆らうことは出来ない。では、いま一首の歌。

                                 

   ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる                                                                         藤原実定

 この歌は『千載和歌集』に初出し、藤原定家の『小倉百人一首』にも選ばれた歌で、この歌の眺めは私たち現代人にも容易に理解出来る。しかし、武家が台頭し、公家が衰退して行った平安時代の末期に後徳大寺左大臣と称せられ、公家の名門に生きた実定の歌であることをして思えば、この歌が単に実景を詠んだものというに止まらず、内容の深さを感じさせると言える。

 この歌に登場を見るほととぎすは、単なる夏を告げる渡り鳥ではなく、有明の月も単なる望月ではない。ほととぎすも月もそれ以上の意味を重ねて詠まれている。詳しく言えば、ほととぎすは公家の面影であり、これに対し、月は確固たる自然の座標軸に等しい存在で、歌はその一景を物語るものと言える。つまり、この歌は衰退を宿命づけられた公家である実定の心が見据えたものであり、月は実景であるにしても、心象の月として鑑賞するのが正しかろう。実定には平清盛の福原遷都の後、旧都を訪れた際、姉の御所を訪ねて詠んだ即興の詩があるが、この歌はその詩とともに実定の心の中をうかがわせるところがある。

       ふるき都を来てみれば、

       浅茅が原とぞ荒れにける。

       月の光は隈なくて、

       秋風のみぞ身にはしむ。

                                  

 これがその即興の詩で、『平家物語』が伝える有名な月見の句であるが、その詩句は感性の人実定にして思われる心象風景と言えるものがある。つまり、移り行くのは人であり、月は変わらず、隈なく照らし、秋風はその季節にあって吹き荒ぶ倣いの風である。これをいかに感じるかは人の心というもの。変わるのは人であって、自然の座標軸は少しも揺らぐことなくあるということが出来る。

  時代は人がつくり、人が動かすものであるが、時代の変遷にかかわらず、自然の座標軸は少しも変わらない。そして、詩歌は時代が人をして生ましめるものと言ってよいが、基にある自然の座標軸は変わらないのである。そして、生きとし生けるもの、その人の哀れがそこには纏わって来ることになる。即ち、私たちの感じるところ、その基には自然の確固たる座標軸があるということが言える。私たちはこのことを忘れてはならない。

  最近、地球温暖化が問題になって、日増しにそれを訴える声が高まっている。これは私たち人類にとって極めて重要な問題であるが、ここで勘違いをしてはならない。つまり、温暖化は生物の環境に影響を及ぼすだけのことであって、地球の確固としてある座標軸が損なわれるというわけではないことである。即ち、それは地球自体の問題ではなく、地球上に生きるものたちがその変化に右往左往するだけのことであるということであり、それが私たち人類にも及びつつあるということにほかならない。そして、それは、私たち人類に及ぶ前にある種の動植物にすでに及んでいるということで、この現象というのは、私たち人類にとっても危くなることを警告しているのである。写真はイメージで、月と浅茅の枯原。 ~ 終わり ~