大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月20日 | 写詩・写歌・写俳

<1264> 自然の座標軸 (1)

         種々相のうちに思ひはありけるが 自然の座標軸は斯くある

 日々のさまざまな出来事、その様相の中にあって、いかに私たちが悲しく落ちぶれても、いかに誰かが大仰に馬鹿騒ぎをしても、太陽は遍く照らし、四季は滞ることなく巡る。しかし、落胆した心はその不変の営みさえもときとして憂いの中に置き、冷静さをなくした大騒ぎする心は、その営みの恵み以上に自らの力を錯覚し、幻影を辿る。

                                 

 見失ってはならない。どんなに心が揺れ動き、乱れてもその地歩の一歩一歩に確固たる不変の座標軸がある。この自然の座標軸は私たちにいかなることがあっても決して崩れ去ることはない。このことは、ときに触れていろんな人が言っている。

     国破山河在  城春草木深                                                                               (杜甫『春望』)

      戦争が終っても少しも変らずそこにある緑濃い草木                                                                  (三島由紀夫『太陽と鉄』)

    今夜も霜は地上のすべてのものを覆って静かに降りている                                                           (辻井喬『深夜の読書』)

    さびしい時も、悲しい日も、そして苦しい年にも春はくる                                                                 (前登志夫『吉野山河抄』)

      自然だけはまぎれもなく、冬の後に春がくる                                                                                (田中澄江『雪間の若菜』)

    さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも                                   (佐々木幸綱『夏の鏡』)

      どんなにつらい目にあっても、その目の前に草は生えている                           (安永蕗子「受賞談」)

    山は昔から山であり、川は昔から川である                                              (毎日新聞朝刊コラム「余祿」)

 これらの言葉を見ていると一つの共通点があることに気づく。それは自然というものをよく見、その不変である自然の座標軸の上に私たち、言わば、人間の側の存在を確かめている点である。その座標軸が傾いたと思うような出来事があっても、その傾きは私たちの思いによるもので、なお、その出来事を内包して座標軸は確固としてある。私たちがいかにあっても宇宙的にバランスされた自然の座標軸は傾かず、微動もしない。変化は私たちの側にあるということである。

                               

   楽浪(さざなみ)の志賀の辛崎幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ                        柿本人麻呂

 この歌は、廃都になった近江・大津の地を訪れた人麻呂が眼前の風景に対し、天智天皇の往時を偲び詠んだもので、「志賀の辛崎の景色は昔と変わらずあるのに、ここに遊んだ大宮人の船は今いくら待っても見ることが出来ない」と感懐したものである。つまり、自然の風景は変わらずあるけれども、人の世の光景は変遷して変わり行くということで、その人の世の哀れを詠んだものと承知される。では、今一首。

   去年(こぞ)見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離(さ)かる                         柿本人麻呂

 これも同じような内容の歌で、自然は変わらないが、人は変わって行くことを言っているものである。ともに『万葉集』巻一に見えるが、後にもこの種の歌は登場する。次の歌は『古今和歌集』の歌であるが、やはり、思いは一つ、人麻呂の歌に発想の似るところがある。

   月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして                              在原業平

 今の月は昔の月ではなく、春も昔の春ではないと業平のこの歌は嘆く。だが、それは逆説的な言いであって、変わったのはもとの身であると自分では思っている業平自身の心であることをいうものにほかならず、歌は業平本人の哀れを詠んでいると知れる。つまり、自然の座標軸は少しも変わらず、その座標軸の上にあって、ときとともに人の心は移ろい、切なくも悲しみは悲しみとして人の心に訪れることを示すもので、業平以後もこの種の歌はそこここに現れて来る。新古今時代の歌をあげてみると次のような歌も見ることが出来る。

  恋しとは便りにつけて云ひやりき年は還りぬ人は帰らず                                   藤原良経

  かへり来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘                                        式子内親王

  わすれじよ月もあはれと思ひ出よわが身の後の行末のあき                                藤原定家

 業平の月も定家の月も同じ月である。しかし、その影は見るものの心模様による。言わば、両歌とも今というときにおける思いを詠んだもので、ともにその身の心もとなさ、覚束なさという人生上の意を込めた歌であると知れるが、どちらにしても月は不変の座標軸側の存在であり、変わり行くのはその月を眺めている私たちの側であることが見て取れる。季節は還り来るが、その季節は新たなる心に来たるものであって、昔の懐かしさはその新たなる心の中に宿るものである。そして、そこに哀れが見えるのは、この間の「<1223>無常」の項でも触れたように、比する月に不変を感得する心持ちがあるからにほかならないと言ってよい。

 もちろん、月は一例に過ぎず、私たちの生の根本は、不変である自然の座標軸の上に展開しているということにある。私たちは、日々のさまざまな出来事に惑わされながらも、この座標軸をみひらいた目で見据えていかなくてはならない。その目がしっかりとしてあれば、私たちの自負の思いは必ずや幸甚として輝くに違いない。恋歌も挽歌もすべてにおいて。 写真はイメージで、霜(上段)と緑の草原。 ~ 次回に続く ~