大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月20日 | 写詩・写歌・写俳

<1050> 炎 天

          仄聞の死 炎天に夾竹桃 すっくと立ちし痩身の肩

 「炎天」―この言葉にイメージされるのは盛夏の七月で、そのイメージは神話の天照と須佐之男の二神に及ぶ。夜の極限、寒夜を月読の神が司るところとすれば、炎天は天照の神が司る領域の現象である。この領域に荒ぶる神である須佐之男の存在が加わるのが日本という国の風土である。『古事記』の神話は、男女神に置き換え、我が国の成り立ちを擬人的に物語っているが、これは、この世が相対してあることを基にしてあるもので、「真理は反対するものを会得することによってのみ達せられる」という『茶の本』の岡倉天心の言葉に裏付けられていることが思われる。で、この世に相対するものをあげてゆけば切りがないほどである(このブログ<81>参照)が、天照と月読の二神で言えば、陰陽の陽と陰がそこにはある。ところが、天照は陽であるから男神かと思いきや女神である。凸と凹から考えて、この不思議はどうしてなのだろうかと思われるが、これは天皇の系譜をうかがい知ればわかる。

                                    

  天皇は歴代男系を貫いている。この男系が『古事記』の神話中の女神天照との関係においてあることが重要な意味を持つと言ってよい。いわゆる、天照が女神であるため、天皇は異性である男子でなくてはならない。この世は男女からなる相対の世界で、この認識が根底にあるわけで、天照と天皇は相対とし、合わさって一体になることが、日本国存在の真理に繋がると考えるわけである。つまり、ここにおいては天皇を男神と見ているわけであり、天照と天皇を男女一体の神として国を治めてゆくという思想が成り立つわけである。

 現代俳句に「素戔鳴に炎天の焔を奉る」(加藤静代)という句があるが、この炎天につきものなのが、天照を困らせた荒ぶる神の須佐之男(素戔鳴)であった。この神は姉神である天照に狼藉を働いたために天界から追われ出雲の地に降り立って天津系の天照に対し、国津系の神となった。元は四辺を海に囲まれた列島を守る任にあったが、降り立った出雲の地で、八俣大蛇を退治したことなどから、災害の多い日本の守り神として崇められるようになり、稲作が中心であった昔から旱魃や洪水などの災害が真夏に集中し、疫病などもこの時期に多かったため、前述の句のごとく、炎天下に祈願する神として君臨するようになった。で、須佐之男を祀る神社では真夏の時期に祭りが催される。祇園祭はそのよい例である。

 「炎天」には以上のような神話が絡むが、この歌の冒頭の言葉「仄聞の死」には、不吉とも思える須佐之男の影が見え隠れする。だが、婉曲的に用いてはっきりと名指しはしていない。「夾竹桃」はまさに今を盛りに咲く旺盛な存在で、象徴としての意味を持たせたものである。そして、これに相対するのが「すっくと立ちし痩身」であり、そこに意識されるのが、すっくと立つ精神の顕現である「肩」である。果たして、その痩身は肩を怒らせるほどにはなく、また、落としてもいない存在としてあることが思われるのである。写真はイメージで、花盛りのキョウチクトウ。