大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月03日 | 万葉の花

<1033>葉の花(129)にこぐさ(尓古具佐、尓故具左、似兒草、和草)= ハコネソウ(箱根早)、アマドコロ(甘野老)

        甘野老(にこぐさ)の にこやかなるが 大和にも

      葦垣の中のにこ草にこよかに我と笑まして人に知らゆな                             巻十一 (2762)  詠人未詳

    足尾柄の箱根の嶺ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かずねむ                巻十四 (3370)  詠人未詳

    射ゆ鹿(しし)をつなぐ河辺のにこ草の身の若かへにさ寝し児らはも             巻十六  (3874)  詠人未詳

        秋風に靡く河びのににこ草のにこよかにしも思ほゆるかも                  巻二十 (4309)  大伴家持

 集中ににこぐさの登場する歌は以上の四首である。まず、2762番の歌は寄物陳思(物に寄せて思ひを陳ぶ)項の歌群の中に見える歌で、にこぐさに寄せて自らの思いを述べている歌である。その意は「葦の中に隠れて生えるにこ草のように私とだけにこやかに接してほかの人にはそのにこやかな姿を見せないでほしい」というほどになるが、これは果たして男の歌か、女の歌か、類似歌をうかがうに次のような歌が見える。

       青山を横ぎる雲のいちしろく吾と笑まして人に知らゆな              巻 四 ( 6 8 8 )大伴坂上郎女

     路の辺のいちしの花のいちしろく人みな知りぬ我が恋ひ妻は          巻十一(2480)柿本人麻呂歌集

 両歌を見るに、恋しく思う男女の仲にあってはともに相手を占有したいという気持ちになるのが概ねのところ、これは今昔を問わず、男にしても、女にしてもこのような歌を詠む心持ちになる。これが思いというもので、2762番の歌は、通い婚だった当時を想像すると、葦の繁みに隠れるようにして微笑む姿に生えて見えるにこぐさという表現に適合するのは女であるということになり、この歌は男の歌と見るのが妥当な気がする。

                                                                                            

 この歌のにこぐさは、後の「にこよかに」を導く序の役目に用いられ、この用法による歌が今一首4309番の家持の歌に見える。この歌は、「七夕の歌八首」の題詞による中の一首で、家持が「独り天漢(あまのがは)を仰ぎ」見て作ったという左注をともなっている。歌の意は「秋風に靡く河辺のやわらかなにこ草のようなあなたを思うと、にこやかな心持ちになる」と解せる。ほかの歌からもうかがえるところであるが、牽牛と織女がここには連想される。

 次に、3370番の歌であるが、この歌は東歌の相模国の歌十二首中の一首で、相聞の歌である。「なれや」は反語の用法で、「ならば」となり、「花つ妻」は花妻で、いろんな説が出ているが、古典文学大系の注釈では、「結婚以前にある期間、厳粛な隔離生活をする、その目に見て許されない妻」とあり、この説によれば、歌の意は「足柄の箱根の嶺のにこ草の花ではないが、お前が花妻ならば紐も解かずに寝ようが。(そうではないのだから打ちとけて寝たいのだ)」となる。

 最後に、3874番の歌は、由縁ある雑歌の項に見える歌で、由縁とは「作歌事情に縁起、因縁ともいうべき話のあるもの」を指す。で、歌の意は「射られた鹿の後をつける河辺の柔らかいにこ草のように、若いころに寝たあの子はどうしたろうか」となる。

 以上のごとくで、この四首に見られるにこぐさであるが、「葦垣の中」が一首、「箱根の嶺ろ」が一首、それに「河辺」が二首と生える場所が読み込まれているのがわかる。つまり、湿地あるいは水辺と山の嶺の辺りに生える草で、柔らかく、かわいらしい草のイメージがあるものということになり、貝原益軒の『大和本草』(一七〇九年)が言うハコネソウ(箱根草)説が考えられ、次に、湿地に生えるアマドコロ(甘野老)説が見られるという具合である。また、草の名とは見ず、柔らかな草の意と解する説やねつこぐさのオキナグサ(翁草)説なども見られる。だが、決定的な説は見えない万葉植物である。

 ハコネソウはハコネシダが本来の名で、暖地に生えるシダ植物である。ごく小さなイチョウの葉に似た小葉を多数つけ、河の崖地などに生え、コケ類をともなったりする。一方、アマドコロはユリ科の多年草で、全国的に分布し、湿地帯でよく見かけ、高原などでも見られる。草丈は数十センチ、茎に沿って四、五月ごろ、白い筒状の花を連ねる。ナルコユリに似るが、アマドコロの方が小型である。甘野老(あまどころ)とは太い根茎がエビの形をしたヤマノイモ科のオニドコロ(トコロ)に似るからで、根茎が甘いことによると言われる。 写真はハコネソウ(左・春日大社萬葉植物園)とアマドコロ(右・曽爾高原のお亀池付近で)。