大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1051> 海を見に行く

       海を見に行きたく 海の日に海へ

 海を見に行きたく思い、ハマユウの花の撮影を兼ねて紀伊半島の南端、熊野の地を訪ねた。大和国中から国道一六八号を一路、新宮市まで。万葉の故地で知られる三輪崎まで片道一七〇キロほどの距離、車を走らせた。五條市から紀伊山地の山谷を抜けて辿り着いて目に入って来た熊野灘。広々としたその彼方は太平洋の水平線で、霞んで見えたが、その風景には、何か別天地に辿り着いたという心持ちが湧いて来た。

                              

 熊野は地の果てを意味する隈野から来ている地方名であるという。『古事記』等によれば、神武天皇がこの地に上陸し、吉野や宇陀を経て大和に入り橿原の地に国を開いたとされる。また、熊野を浄土とする熊野三山(本宮、速玉、那智)への信仰は古く、平安時代後期のころから主に上皇による熊野御幸が頻繁に行なわれ、「蟻の熊野詣で」と言われるほどにぎわった時代が続いたと言われる。

  そのころから太平洋に続く広々とした熊野灘は補陀洛浄土の海として見られ、訪れる人々のあこがれとしてあった。車で約四時間の後に見る大海原の風景はまさに感動であった。昔の人は何日もかけ、山谷を越えてやって来た。それを思うと、どれほどの感動であったろうかと思われる。その昔の人たちの感動を想像しながら眺める太平洋に続く熊野灘は甲斐のある海だと思えた。

  地の果て、海の果て、その果ての先にはあこがれのみがある。昔から熊野にはこのあこがれを抱いてみなやって来たと知れる。これは仏教でいうところの彼岸である。神仏習合の色濃い信仰の地である熊野に見るこの太平洋に続く熊野灘の広々とした風景には確かにそれが感じられる。

 今日は海の日で、梅雨明けが発表され、気温が上昇して暑い一日だったが、海からの風は気持ちのよいものだった。『万葉集』の歌にも詠まれている三輪崎の久嶋(孔島・くしま)で目的のハマユウの花を撮り、ハマゴウも咲き始めていたので、これも撮影することが出来た。帰着は午後七時過ぎ。ちょうど半日間のドライブの旅だった。写真は新宮市三輪崎から見た熊野灘(左)と三輪崎海水浴場。   七月や 海は広いな 大きいな