大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1060> 水槽の金魚

            水槽の金魚も 壁の絵の中の少女も 黙しゐるなり真昼

 じりじりと照りつける真夏の太陽。それも無風。一歩たりとも外には出たくないほどの暑さ。梅雨明け以来、続く真夏日、この間は三十五℃を越す猛暑日が何日かあった。このところ少しましになったが、昼は相変わらずの暑さで、また、蒸し暑さが戻って来るとの予報もある。

  室内でも、居間よりは土間のようなところの方が涼しくて過ごしやすい。昔の家は蒸し暑い日本の風土に合わせて建てることを旨として来たが、最近の家は、そんなことに構わず、冷暖房を機器に任せるという発想の家が多く、こういうのが万事で、エネルギーの消費量が嵩み、それだけ自然への影響も大きくなり、結果、温暖化なども進み、住み難い状況を作っている。そして、もっと強力な機器に頼るという状況を生むことになる。

  で、私たちの生活の進化が、自然のバランスを崩し、自然の猛威を生ずるという次第で、これに収まりがつかない。昨今の気象の状況をみていると、このようなことが脳裡を過る。人間の行き過ぎによってバランスを崩した自然はその行き過ぎに相対して来るだろう。否、既にその兆しは見えていると言ってよいのではなかろうか。

                                                 

 こうした真夏の暑さのさ中に、昔、インドネシアを訪れたことがあった。このとき、ホテルに入ってベッドに就こうとした午前一時ごろになって、外が何となくざわついているように思われ、窓の外を見て驚いた。多くの人たちが、子供も混じってサッカーボールを蹴ったりして遊んでいた。「これは何だ」と、そのときは不思議に思えたが、直ぐにわかった。昼間が暑過ぎて、みんな夜に出て来て活動する。

  いわゆる、夏時間がインドネシアにはあり、これがこの国の流儀なのである。昼間に田舎の喫茶店に入ったら、閑散とした店内に店員が二人、一人はカウンターの中に、今一人は接待係としてカウンターの外にいた。二人とも、手持ち無沙汰だというふうに立っていた。店内には異国を感じさせるイスラムの宗教音楽が繰り返し流され、もの憂い気持にさせられた。これもインドネシアでの印象である。

 ところで、温帯に属する日本も、このところの夏の暑さは尋常でなく、熱帯とまではいかないまでも、亜熱帯の状況にある気分がする。あのインドネシアのもの憂いような真昼の喫茶店の状況が、日本の中にも生じ、私たちの感性にも触れて来ることが思われる。こう暑くては、日本も夏時間の導入が必要になって来そうである。水槽の金魚は涼しげであるが、連日の暑さには考えさせられるところがある。写真はイメージで、水槽の金魚。