大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月08日 | 万葉の花

<1038> 万葉の花 (130) くれなゐ (紅、呉藍、久礼奈為) = ベニバナ (紅花)

        紅花は 花の盛りに 摘まれけり

  紅にころも染(し)めまくほしけども著(き)てにほはばか人の知るべき                    巻 七 (1297) 柿本人麻呂歌集

  よそのみに見つつか恋ひなむ紅の末摘花(すゑつむはな)の色に出でずとも            巻 十 (1993)   詠人未詳

  竹敷の宇敝可多山は紅のやしほの色になりにけるかも                                      巻十五 (3703)   小 判 官

  紅は移ろふものぞ橡(つるばみ)のなれにし衣(きぬ)になほ若(し)かめやも                巻十八 (4109)  大伴家持

  春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(をとめ)                                  巻十九 (4139)  大伴家持

 くれなゐはベニバナ(紅花)の古語であるが、集中にくれなゐと見える歌は長短歌合わせて三十四首にのぼる。原文では紅が二十五首、久礼奈為が八首、呉藍が一首となっている。紅は赤系統の色を表し、呉藍は藍染めの藍に対してつけられたとされる中国の呉の時代に渡来した藍という意であるとされる。当時、赤系統の色に対し、その名が見られなったことからこのような命名の仕儀になったと一説には伝えられている。久礼奈為は万葉仮名によるもので、当て字である。

                                                                                   

 ベニバナはキク科の多年草で、中近東もしくはエジプト付近が原産地とされ、古代エジプトでは紀元前二五〇〇年ころの紅花染の布がミイラとともに見つかっている。日本では、六世紀後半の古墳とされる奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の被葬者の調査でベニバナの花粉が検出されているので、この時代にはすでに渡来していたと考えられる。言わば、くれなゐのベニバナは、長い年月を経て、エジプト付近から中国を経て日本にやって来たと考えられる。

  夏に咲くアザミに似た頭花は黄赤色で、染料や口紅に用い、乾燥したものを煎じて婦人薬とし効能があるという。また、種子から採れるベニバナ油は高級な食用油として知られる。奈良時代には藍染めとともにこのくれなゐのベニバナは染料花として大いに用いられていたことが、この万葉歌からはうかがい知ることが出来る。しかし、薬用や食用にされた歌は見られない。なお、紅花染めが一つの産業として最も盛んに行なわれたのは町民文化が花開いた江戸時代で、京都を中心に行なわれ、京染めと呼ばれた。当時は大変持て囃され、京染めの媒染剤が梅の実から作る烏梅であったため、梅農家も繁盛したと言われる。奈良の月ヶ瀬梅渓の梅林はその名残と言ってよいが、近代になって化学染料が導入されるに及び、紅花染めは衰退して行った。

 『万葉集』の三十四首を概観すると、当時のくれなゐ(ベニバナ)がいかなる姿をもってあったかということが見て取れる。その姿を示す歌として三十四首の中から短歌五首を選んでみた。冒頭にあげた歌がそれである。まず、1297番の柿本人麻呂歌集の歌。この歌は「紅に衣を染めたいと思うけれど、それを着ると美しく映えないだろうか。そうしたら人に知られるだろうか気になる」というもので、逢い引きの歌と解されるが、思うに、これは女の歌か、人麻呂が女になって詠んでいる歌と受け取れる。それはさておき、ここではくれなゐが紅色の染料花としてあるのがわかる。このように、衣を染める染料花として見える歌はほかにも多く、「赤裳裾」などの表現を加えると十九首に及ぶ。

 次に1993番の歌。この歌は「花に寄す」の題によって詠まれた七首中の一首で、「ただ見るだけで、思いは内に秘めて恋しよう、紅色の末摘花のように表情に出さなくても」という意に解せる。この歌は男の歌で、「くれなゐ」の花自体を比喩に用いているのがわかる。花自体を詠んでいる歌にはほかに一首、巻十一の2827番の歌が見える。因みに、「末摘花」はベニバナの花が先端から順に花を咲かせ、咲いた先から摘み取るのでこの名がある。『源氏物語』では源氏に関わる女性の名で登場し、巻名にもなっている。

 3703番の小判事の歌は、「宇敝可多山は紅のやしお染めのように紅葉したことではある」という叙景歌である。「やしほ」は八塩、八汐、八入の表記で知られ、一度ならず、何回もという意で、ほかの歌、2828番では「深染」とも表現されている。これは重ねて染めることをいうもので、濃い紅色に染まる。これに対し、「薄染」を詠んだ歌、2966番も見られる。つまり、紅花染めと言っても濃淡様々な彩りが見られたわけである。

 4109番の家持の歌は、遊女にうつつを抜かし、妻を悩ませる部下を諭して詠んだ長歌の反歌中の一首で、「紅はきれいだが、褪せやすい。それに比べると、いつも着ている橡(つるばみ)染めの衣は変わることなく、こちらに勝るものはない」と言っている。つまり、紅を遊女、橡を妻に擬えて諭した歌である。この歌は、当時の紅花染めが褪せやすかったことを物語るものである。

 最後にあげた4139番の家持の歌は、桃の花を詠んだ歌で、桃の花を紅(くれなゐ)と表現している。これは「薄染」に染めると、桃の花のような色になることを示していると言ってよいのではなかろうか。とにかく、『万葉集』のくれなゐはすべてがベニバナの花の色に関わって詠まれているのがわかる。そして、その比喩には女性の姿が見受けられる。これが万葉当時におけるくれなゐのベニバナの存在である。写真はともにベニバナ。