大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年04月06日 | 植物

<1925> 余聞・余話 「去年(こぞ)の枝折りの道かへて」

         花を訪ふ去年の枝折りの道をかへ

 今年は桜の開花が遅い。殊に西日本で遅いようで、大和の桜も例年より一週間ほど遅れているように思われる。ということは、早咲きのケイオウザクラ(啓翁桜)が花盛りではないかと、西吉野に出かけて見た。案の定花盛りで、ほかにも鮮黄色のサンシュユ(山茱萸)やヒュウガミズキ(日向水木)などが花の見ごろで、奥深い山里を彩っていた。

 これらの花木は切り花や果実を採るために植えられているもので、ケイオウザクラは切り花用として花芽のついた枝を正月ごろ切り揃えて保管し、開花の時期を調節して雛祭りのときなどに出荷する。三年に一度ほどの間隔で新枝の切り取りをするので、花の乏しい木が目につくが、枝を切る前の木には沢山の花がつくといった具合で、花盛りにはみごとな花模様が見られる。

         

 大和(やまと)の語源は山戸らしい。つまり、山の内という意で、海辺を瀬戸というのと同根である。和は倭で、日本国のことを古くは倭と言った。三世紀ころ、中国の『三国志』に卑弥呼に関する倭の国の記述がある。所謂、「魏志倭人伝」で、この『三国志』に倭の字が見える。この倭イコール和に大を冠したのは偉大な国を主張したかったからではないか。その国を統一したのが大和朝廷で、都が設けられたのが大和(現在の山国奈良県)であった。即ち、大和は日本を指す言葉であるとともに、日本国発祥当時国政の中心にあった地域、即ち、現在の奈良県域に当てて言われるようになったと考えられる。言わば、大和は山国の言いに発している。

 この山国大和はこれからが春爛漫、ケイオウザクラをはじめ、各種の草木が夏に向かって次々に花を咲かせ、多彩な彩を見せる。西行は「吉野山去年の枝折りの道かへてまだ見ぬ方の花を尋ねむ」と、吉野の桜に憧れを抱いて詠んだが、この歌に倣って私も今年はいつもと異なる道を選んで花を探りたく、寒気がすっかり退いた陽気のなか、西吉野の山里を訪ねた。 写真は花盛りのケイオウザクラやサンシュユなど。


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