大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年06月29日 | 創作

<3090>  作歌ノート  悲願と祈願  (六)

              到り得ず掬ひ得ざるがゆゑ夢は夢としてありなほもあるべく

   <些細な夢でも夢をもってあれば一日はなる>

   至り得ないゆえに憧れは憧れとしてある。憧れが成就すればそこにおいて憧れは憧れではなくなる。恋の条などもこの理のうちにある。忍恋を恋の中の恋と論じたのは『葉隠』の山本常朝であるが、これは確かであると思える。告白せず、忍びに忍んで恋する恋こそ恋の中の恋。忍恋では恋は成就しないだろうが、ずっと心に秘めていつまでも恋し続けることが出来る。それはより強く。一生続けられる恋もある。焦がれ死ぬとはよく聞く言葉ではあるが、恋は忍恋。で、次のような句の例も見られる。

  花楝生涯のひと土佐に老ゆ                                    戸枝虚栗

   このことは、恋だけでなく、私たちの一生において当てはまることが幾らもある。例えば、欲しいものがあっても買えないというようなこと。また、行きたいところがあっても行けないというようなこともある。こうした事態において私たちはそれを遂げたいという思いに駆られ、憧れをつのらせることになる。で、冒頭の一首に続き、次のような歌にも意識が向かうことになる。

         

  まだ到り得ざるがゆゑに登り行く一歩登れば一歩の眺め

 それで、一歩登れば一歩の、十歩登れば十歩の変化があり、必ずそれだけの眺めが得られ、それだけの景色に会える。それは、気に入った景色ばかりとはいかず、ときには失望することもあるけれど、一歩登れば一歩分の、十歩登れば十歩分の景色に出会えるがゆえに私たちはその先を目指す。

 人生などはこの登りに等しく、しんどくても先々の景色に憧れ、期待が持てるゆえに行くことになる。で、まだ、至り得ないというところに妙味というものがあり、はたして、私たちは先を思い巡らせる。そして、ときには躓きながら行き、そんなとき、歌なども生まれることになる。

   塔一つ見え隠れする道にして躓けばまた登りとなりぬ

 憧れつつ行くことは楽しい。しかし、それにはそれでまた難儀も生じて来る。そして、その難儀を行かねばならないこともある。人生半ばも過ぎれば、それはわかる。で、喘ぎつつ行き、躓いて、またの一首ということになる。

   塔はもちろん目標の一つ、一景であり、それは憧れの何ものでもない。見え隠れするところを憧れつつ登る。躓いてまた登りは急になる。登りとは苦しさのまたの言葉にほかならない。しかし、その苦しさにもめげず、なおも登る。登り詰めたときの気分を思いながら。で、なお思うに、この登りは人生の何ものでもなく、歌はその表象ということになる。では、いま一首。

   到り得ず掬ひ得ざるがゆゑ夢は夢いまいづこ秋の夕暮

 成就を抱いて、恋焦がれつつ、逸れることなく行く。純情に。秋の夕暮に明日への望みの鐘が聞かれる。果たして、人生は展開して行く。 写真はイメージで、センダンの花、花楝。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿