大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年10月20日 | 創作

<3203> 作歌ノート  ジャーナル思考 (一)

        日々にしてニュ-スに沿へる耳目あり感ありゆゑのジャ-ナル思考

 ここに掲げる短歌は私が新聞社に在籍し、主として大阪本社を拠点に働いていた昭和四十三年(一九四三年)から平成十一年(一九九九年)の間に作ったもので、歌は新聞人たる仕事の一端にあって日ごろ感じ、思ったところを五七五七七に表現したものである。

 私が在籍したこの三十二年間を振り返れば、学生運動が地方大学に及び学内が荒んでいた時期に始まり、万博景気を経て公害問題が顕現し、石油ショックが続いて起き、バブル景気に沸いた後、バブルが弾けて、証券会社をはじめとする金融機関の破綻などがあり、右肩上がりの経済成長の時代が終わりを告げた。事件事故においては、主にグリコ森永事件、豊田商事会長刺殺事件、日航機墜落事故、神戸連続児童殺傷事件などがあり、私の仕事の締めくくりの時期に未曾有の阪神大震災と和歌山毒物カレー事件があった。

   また、時代が昭和から平成に変わり、技術革新によって器機のデジタル化が進み、パソコンや携帯電話(後のスマホ)などの普及とともにインターネットによる情報通信の進展が著しく、スピード化とグローバル化が私たちの身にも及び、仕事にも影響を及ぼすに至った。私はこの間ほとんどの年月を写真記者として編集部門の一端で仕事をして来た。

                   

   新聞写真で言えば、モノクロからカラーへの移行期に当たり、暗室での手現像から明室での自動現像による暗室不要の時代に進み、間もなくデジタルカメラによるフィルムレスが進み、銀板写真の時代が去って、写真技術の様相が一変した。こうした新聞写真の技術革新、その過渡期の夜明け前の時代を経験した。

   この技術革新で言えば、私はフィルムカメラ時代の報道カメラマンとしてその任に当ったということになる。ここに掲げた短歌は、このような世相と職場環境を背景に生まれたものが多く、構成を巡らせて作ったというより、日々の思いによる呟きのような歌がほとんどで、一首一首に時事的要素が絡むといった具合で、「ジャーナル思考」の題名を付すことになった。

   歌はほとんどが年次に従って並べたつもりであるが、作りっぱなしで、個々の歌についてはいつ作ったかはっきり覚えのあるものが少ないのと作品の中には相当ときを置いて推敲し、改作にまでは及ばないまでも、手を加えたものもあるので、歌がそのまま純粋に自分の辿って来た年次の年齢を映したものとは言えない点が少なからずあることをまず断っておかなくてはならない。

   阪神大震災のときの歌などはもっとあってよいはずであるが、少ないのは多忙を極め、心身ともに疲れ、歌を作り上げるだけのパワーに欠けていたことと、当時、短歌への意欲より花の写真撮影に重きを置いて休日などを過ごすという生活スタイルを採っていたことにもより歌が作れなかったのではなかったか。言わば、大震災はインパクトが強すぎて、我が心身の力量では掬いあげることが出来なかったということになる。当時の歌の寡少は、いま振り返ってみると、そこに因があるように思われる。

   「ジャーナル思考」については、当初、「ジャーナル余聞」くらいがいいかと思っていたが、「余聞」というのは心のよりどころとしては何か遊びめく気分が感じられ、自分の仕事上から見て十分ではないという心持ちがし、「思考」に改めた。「思考」は「余聞」より言葉が硬く、文芸的柔和な雰囲気に欠けるが、真摯に社会と向き合い、見つめて日々を過ごして来た自分の仕事について思うに、ここはやはり「余聞」より「思考」の方がよいと結論づけられた。で、解題の歌も冒頭に掲げたごとく詠むに至った次第である。 写真は一九七三年と七四年の紙面切り抜きのスクラップブック。

      神代へも思ひ巡らす男らの情熱見えて聴く文化論

  記者の目の確かさを問ふ確かさの限界人の子といふ我ら     

  「愛こそを」「愛せよ」「愛のほかになし」人に生まれて人を憎むか

  祖国とは寄る辺と思ふああ日本中国残留日本人孤児

  時は疾く往けり霞めるごとくして過ぎしにやさし去年の穂の波                 去年(こぞ)

  マス・コミ論処暑を過ぎなほふつふつと滾つおもしろおもしろの世か

  人間の奢りのほかにあらずなり古木伐られて果てにけるかも

  今しなる過去への旅の草枕滅びしものへ供花の一茎

  目にも見よ耳にも聴けよ霊歌あり汝大地を別かつべからず

  論陣の論のうちそとなる歩み陽を恃みとす塑像の姿                     陽(ひ)

  童女の死より幾日も経ぬ家の炎暑の庭に射干の花

  ラガ-あり勝利もそして敗北もともに夕陽に染められてゐる

  喜びの対極にして悲しみのあり且つ常の報道の眼よ

  批判とは己の弁護自らに挙手するものの言ひが居をなす                   居(ゐ)

  満ち満ちてことさら弾む声の中その声のみにあらざるも見ゆ

  今といふ時の鋩ここにして詩歌もて意思を詳らかにす                       詩歌(うた)

  そこここにある日常を思はしめべた数行の記事の役割

  麓まで紅葉至るその朝の記事に女流作家の訃報

  「権利」てふ若き言葉の時代去り今まさにして世の末の論

  飢餓もあり難民も増え世紀末ホテルのサロンのスープ冷めゐる

      正義とは誰に向かひて言ふ言葉なりや彼我にて問ひ問はれゐる

  斬らば斬れ撃たば撃つべし蒼ざめて倒るるものの側に寄り立つ

  隣国の騒擾を読む傍らに少女二人の初夏の声

  猫の死を聞きし二月の雨の朝死因不明が意識を強ひる

  日々にして記事あり日々にして記事の中に思考の鋩を磨ぐならひ                  鋩(ほ)

  ハイジャック犯も護送の警官も我も人間なりけり「喝」                        喝(かーつ)

  非非非非非 非非非非非非非 非非非非非 非は非即ち 非在の非なり

  祇園会の過ぎし日に見し訃報記事猛暑いよいよ烈しくなれり

  渡されしチラシの中の「平和」二字炎暑に灯す穂あかりの色

      記事中の一行の意味ありありとそこよれ論の開かるる夢

  赤紙の赤と戦火の赤を知る者の裔なる論者の「平和」

  盂蘭盆会終戦記念日炎天下高校野球の球児らの声

  利己主義の象徴にして兵器ありその存在の頂点の核

  奪ひたるものと奪はれたるもののあるなりそして日常の声

     生きてゐる身として思へ思ふべし汝弱きも生きゐる身なり

  一瞬の輝きそれを掬へざる無念もあれば報道の眼よ

  樹を倒し獣を殺めその後も斯く歩むほかあらぬか人類                            人類(われら)

  ニッポニアニッポンその名切なくもテレビの中の国原の夢

  世の中のために少しは働いてゐるか憲法記念日の朝

  カーラジオ今日も交通渋滞のニュース「伝法大橋二キロ」

  寸評の「白眉」の二字の感懐に若葉の萌ゆる新聞の朝

  世の中を「さういふもの」と言ふなかれ政治の大義疑獄を覆ふ

  闇といふ言葉が常につきまとふ政治の裏の裏を撃つべし

  如何に生き如何に死せどもむらぎもの心は毀誉の世の常の中                     中(うち)

  石楠花の花に青空 青年に志見ゆ憲法記念日

  若さあり気負ふ思ひのほとばしり天安門の青年の声

  民衆といふ懐かしき言葉感ジャ-ナリズムの矜持とともに

  犯人の心の中を推し量り薔薇の五月も毒されて過ぐ

  犯人の獅子身中の王者へは何差し向けん歯痒さにゐる

  頼りなき耳目の頼りなさゆゑに理解力とか審美眼とか

  思ひとしあるものならむ「素戔鳴尊に炎天の焔を奉る」とぞ                       焔(ひ)


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