Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

今日思ったこと

2019年10月13日 | Weblog
日頃、テレビを見ない私ですが、
日本とスコットランドのラグビーの試合を
食い入るように見て、感動していました。

日本の選手たちの気迫、チームワーク、
痛みに耐えて戦い続ける精神力、体力、
あらゆることに感動しました。

終了後の「ノーサイド」の姿にも感動しました。
敗れたスコットランドの選手たちもまた
素晴らしい紳士たちでした。

台風での死者や行方不明者が出ていることを、
心にとどめていたことも選手の
インタビューコメントから伝わってきて、
素晴らしいと思いました。

また、釜石での試合が中止となった、
カナダとナミビアの選手たちが、
台風ボランティアをして下さっている姿にも
心動かされました。

ラグビーは紳士のスポーツであり、
その精神を「One for all,All for one」
という言葉で表現することもあります。

私の母校(高校)はラグビーが強く、
校章もラグビーボールの形でした。

体育の授業はやたらラグビーの時間が多く、
ラグビー部でない私も随分ラグビーに
親しませていただきました。

ラグビーに偏った体育の授業で良かった。
今は本当にしみじみとそう思います。

後にならなければわからないことも
沢山あるのだと思います。

だから、大人は遠慮せず、
子どもたちに本物に触れさせることが
大切なのだと思いました。

憂鬱になる国際情勢が多い中、
なんだか、とても清々しい気持ちにさせていただきました。
そして、こうした高貴な精神性が大切なのだと
改めて思いました。


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ささやかな教育実践

2019年10月12日 | Weblog
自分のやっていることは、
本当にささやかなことですが、

色々な思惑に絡め取られないためには、
孤独を貫く必要があると思います。

そのことが50歳を過ぎて以降は
よく見えてきました。

大きな力に頼れば、
最初はスムーズに展開しているような気がします。

しかし、それは次第にうまくいかなくなってしまいます。

そうすると、純粋な力と、
純粋でない力が作用していることが、
次第に見えてきます。

純粋さを貫くには、
団体の力に頼らぬことです。

一人の力はささやかですが、
決して小さくも無いと信じるところに、
道は開けるのだろうと思います。
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企業研修

2019年10月11日 | Weblog
今日は、とある企業様の10年目の社員研修でした。
9:00~17:00までの研修でした。

東京、岡山、福岡と連続で話す日々が続いていました。
その一つ一つが大切で、それぞれにテーマが違いますから、
全力で向き合ってはいるのですが、
どこまでご満足いただけたかは定かではありません。、

それは聴いて下さった方が決めることだからです。

万人に響くメッセージとなるよう発信していますが、
自分で納得がいくことはそう多くはありません。

もっと、より良い形に出来たのではないかと、
いつも思い返し、反省しています。

しかし、全力は尽くしました。

聴いて下さった方々の心に何が残っていくかは、
神の手に委ねられています。

連戦終了で、ビールと焼き鳥が欲しい気分です(笑)。

しかし、そうもいきません。
闘いはまだまだ続きます。










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親心の学び舎

2019年10月09日 | Weblog
今日は岡山で「親心の学び舎」第1講座でした。
昨日の夜、東京から戻ってきて、
6:20の新幹線で向かいました。

笠岡は清々しい秋晴れでした。

一人一人のお母様方の在り方が、
日本の未来を作っていきます。

心からそう思います。

一人の存在は大きいと信じて、
子育てにとって大切だと信じることを語り続けます。

機会を与えていただけることに感謝です。



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教員のいじめに思う③

2019年10月07日 | Weblog
教員のいじめの続報映像を見ていて、
胸くそが悪くなると同時に、

「やっぱりね」という思いにしかならない
自分にも虚しさを感じていました。

教員の社会とのズレや幼稚さを、
何十年も前から指摘し、

多少なりとも改革のための実践をしてきましたが、
焼け石に水でしかないというのが実際の所でした。

私は正確に事件の全容を
把握しているわけではありませんから、
言葉を慎みたいところではありますが、

いじめた教員にも、
いじめられた教員にも、
それをなかったことにしていた周りの教員にも、
それを隠蔽しようとする教育委員会にも、
いじめた四人に病気の診断書を出す医者にも、
加害者側に付くであろう弁護士にも、
まごころや正義への信念というものを全く感じません。

これは根が深すぎる問題です。
日本の社会全体が精神的に劣化していることを
示唆している問題だからです。

これから見聞きするであろう、
全ての関係者の理由と言い訳の一つ一つが、
陳腐で子供じみたものであろうことは、
想像に難くありません。

しかし、内部にいれば、
そのおかしさがわからないのです。
そのことも学校教育現場にいた私にはよくわかります。

当面は、
私は目の前の子どもたちに全力を注ぐしかできません。
しかし、親の影響も大きいので、
同時に働きかけるしかありません。

ごまめの歯ぎしりを続けて行くしかないのです。









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教員のいじめに思う②

2019年10月05日 | Weblog
教員のいじめが以下のように報道されていました。

「関係者によると、加害側の教員は30~40代の男性3人、女性1人。LINEで別の女性教員員らに性的なメッセージを送るよう強要。男性教員の車の上に乗ったり、その車内に飲み物をわざとこぼしたりした。また、コピー用紙の芯で尻をたたいて腫れさせ、「ボケ」「カス」といった暴言を頻繁に浴びせていた。男性教員は「羽交い締めにされ、激辛カレーを無理やり食べさせられたり、目にこすりつけられたりした」とも訴えているという。」

こうした姿は、概ねテレビのお笑い番組でよく見かける風景です。人間の「言葉と行動」は、その人の「考え方」によって生み出されます。そして、その人の「考え方」は、24時間の外界から得た情報によって構築されていきます。

浅薄で低俗な番組があり、それを喜んで見ている中に、それが自分自身の行動となるように、自己教育してしまったというだけの話です。人間性を高めていくための情報には、あまり触れていないのかもしれません。

こうしたありがちな大人の姿は、おそらく、子どもたちの教育にも影響していると思います。そうしたことを面白いこととして、肯定的に自身の言動に取り入れているということです。

人を教える者には、どのように学ぶべきかという厳しさと、自分の学ぶ姿勢が、そのまま子どもたちに伝わるという「感化」の力の恐ろしさを知っておくべきだと思います。

しかし、こんなことを言う私は、「面白くない先生」として、敬遠される世の中だと言うこともわかっています。



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教員のいじめに思う

2019年10月05日 | Weblog
「神戸市須磨区の市立東須磨小学校で、30~40代の教員4人が同僚の20代の男性教員に対し、嫌がらせや暴言などのいじめ行為を繰り返していたとして、市教育委員会が4人の処分を検討していることが市教委への取材でわかった。」

教員のいじめは、今に始まったことではありません。教員が子供をいじめることも珍しくはないと思います。そうした話は今も時々耳にします。

それは学校が子供が大多数を占める閉鎖社会であることから来る病だと私は感じます。私も教員をしていましたが、その中にいれば、社会の常識や厳しさとずれていることがわからなくなるのです。自分が教えることや、自分の在り方が正しいと、過信してしまうのです。

大学生から教員になり、目の前の教科書を熱心に誠実に教えることに埋没してしまうがゆえに、社会に出る子どもたちを教育する教員が、社会に出て必要なことを実体験として理解できていないという、実に残念な状況になるのです。

誤解を恐れずに言うと、そうした子供ばかりの環境に何十年もいれば、社会の厳しさにもまれ、社会性や人格が磨かれていくことが出来にくいのです。

大切なことは、世間の風に当たることです。自らの至らなさを省みて、人としての在り方を磨き続けていくことです。

仕事の厳しさ、人間関係の難しさ、人情の機微、お金の大切さ、世の中の仕組み、きれいなことも汚いこともたくさん見てきた上で、なお、理想を失わず、子どもたちに向き合うことが私は大切だと思います。

その意味で、教えることが教員の仕事と思っているようではだめだと思います。子供の姿からも学び、自分自身が学ぶ姿を常に示していくことの出来る教師が必要だと思います。

私はこのことに関して評論家になってはいけないと思っています。また、多くの教師たちは、誠実に、子どもたちのため、忙しい毎日を過ごしていることも知っています。熱心に頑張っているのです。未熟な親たちへの対応も含め、手のかかる子どもたちに一生懸命向き合っています。

だからこそ、改革の困難を感じているのです。









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TOTO MUSEUM見学

2019年10月04日 | Weblog
一昨日、小倉で少し時間が出来たので、
TOTO MUSEUMに行ってきました。

沢山の学びがありました。

心に残ったのは、
TOTO初代社長 大倉和親氏の言葉です。

「どうしても親切が第一
奉仕観念を以而
仕事をお進め下され度
良品の供給、需要家の満足が
掴むべき実体です。
此の実体を握り得れば
利益・報酬として影が映ります。
利益という影を追う人が
世の中には多いもので
一生実体を捕らえずして
終わります。」

初代社長のこの思いは、脈々と受け継がれ、
それ故に、世界のTOTOになっているのだと思います。

何が実体で、何が影かという言葉は、
とてもわかりやすく、かつ、正鵠を射たものだと思います。

やはり事業成功の根幹には、
創業者の志があり、
正しい考え方があるのだと、
深い感銘を受けました。

私もささやかな事業ではありますが、
この精神を自分のものとして、
力を尽くしていこうと思います。




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