Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

金子みすゞ

2007年09月01日 | Weblog

先日、萩維新塾に参加する前、長門市の仙崎に行きました。
理由は、以前から気になっていた金子みすゞ記念館に立ち寄るためです。

なぜ、金子みすゞという夭折した詩人の作品が、
小学校教育の中でも数多く取り上げられ、
かつ、これほどまでに人の心を捉えてやまないのか。
それを知りたかったのです。

行ってみて、本当に色々な発見がありました。感動しました。
特に私が感動したのは、矢崎節夫という方の存在でした。

矢崎さんは、大学一年生の時に『日本童謡集』(岩波文庫)を読んでいて、その中に、金子みすゞの詩『大漁』を見つけます。
多くの詩に混じって、たった一篇だけ、金子みすゞの詩が載っていたのです。
そのたった一篇の詩に、矢崎さんは強烈に心をひかれます。

そして、それ以来、矢崎さんは、金子みすゞという詩人を捜し求め続けたのです。
当時はほとんど無名に近い、金子みすゞという詩人の作品を探すのは、
本当に困難な作業でした。

ようやく、二年後に、『露』という詩一篇と出会います。
四年度に、やっと30篇の詩と出会います。
本当に遅々としたペースでした。

そして、みすゞ探しの旅を始めてから16年目。
ようやく矢崎さんは、みすゞの実弟、山上雅輔さんに出会うのです。

金子みすゞの良き理解者であった雅輔さんは、
金子みすゞの自筆の童謡集三冊を大切に保管していました。
そこには五百二十篇もの詩が書かれていました。

そこからです。金子みすゞという詩人の作品が世に出るのは。

もし、矢崎さんがいなければ、
私たちは金子みすゞという詩人の詩に出会うことも無かったでしょう。

そう、たった一篇の詩が、人の心を惹きつけて行動を起こさせたのです。
そして、そのたった一人の大学生の行動が、
埋もれていた詩人の作品を掘り起こし、再び魂を吹き込み、
その作品が多くの人々の心に灯をともすことになったのです。

私は今までそんな大切なことを何一つ知りませんでした。
そんなわけで、私が金子みすゞさんの作品と本当に出会ったのは、
この夏ということになります。

『大漁』

朝焼け小焼けだ
大漁だ。
大羽鰮の
大漁だ。

浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。

金子みすゞさんの詩は、見えないものを見ようとする、
繊細で優しい視点に貫かれています。
知れば知るほど私は金子みすゞの詩の世界にひきこまれていきます。

いつかまた、みなさんとゆっくり旅をしながら、
金子みすゞの世界に触れることができたらと思っています。


コメント (2)
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