中原中也や金子みすゞ、繊細なる感性をもった詩人たちは、
夭折することを条件に天賦の才を与えられたかのようである。
詩人たちの傷つきやすい鋭敏な感性は、
人の見えないものを捉え、感じないものを感じとる。
そして、私には決して出来ない紡ぎ方で言葉を紡ぎ、
私に見えない世界を見せてくれたり、
私が感じ取ることの出来なかった世界を感じさせてくれたりもする。
しかし、それは同時に詩人の人生の時間を
急激に消耗させる。
そして、自分の命が尽きてから、
彼らが命を吹き込んだ言葉の世界は、
彼らのかわりにその命を生き続ける。
人の一生にはどのような意味があるのだろうか。
人生における成功とは何であろうか。
詩人たちは成功哲学やプラス思考など知る術もなく、
悲しみに満ちた人生を生き、
苦悩の中で若くして死んでいった。
しかし、その人生を、
現世の苦しみに敗れ去った弱者と非難することなど、
私にはできない。
人生には、それぞれの光と陰がある。
勝者にも敗者にも、成功者にも失敗者にも、
いずれは死が訪れ、
あとはゆったりと悠久の時が流れていくだけである。