マチュア【mature】という言葉がある。
人間が成熟することを言う時に、
あるいはまた、
ワインが熟成することを言う時に使われる言葉である。
ルビー色の葡萄の果汁が樽の中でじっくりと熟成され
多くの「時」を経て、素晴らしいワインができあがる。
葡萄の出来不出来も大切だし、
天候や湿度も大切だし、
樽の木の香も大切である。
もちろん、作り手の日々たゆまぬ努力も大切である。
しかし、何と言っても「時」が大切。
「mature」するための時間が、
ワインにも人にも必要なのである。
成熟の時を待てない教育は底が浅い。
私はその「時」を待つことのできる教師になりたい。
ワインが天与の条件と人の努力とで熟成されるように、
人間もまた、人の努力と天与の条件とで成熟していく。
人間にとっての天与の条件とは「出会い」であろう。
素晴らしい人と出会うことも、
歓喜の一瞬を得られる事象と出会うことも、
自分を成熟させてくれる。
また、幾多の試練とて
自らを鍛えてくれる素晴らしい出会いの一つである。
そうした出会いの中で、
人間もまたじっくりと成熟していく。
豊饒なワインは人生を豊かにしてくれる。
ワインについた樽木の香が、
そのワインの個性の一面となるように、
人間も生まれ育った家や、
少年少女の時代を過ごした学び舎の香りが、
その人の個性を作っていくのだろう。
私は、「mature」という言葉を忘れない教師でありたい。
そして、「mature」のための
「時」の重みを忘れない教師でありたい。