我が子ができれば、子どもの将来を真剣に考えない人は少ないと思います。
子どもの将来とは、子どもたちの将来であり、日本の将来でもあります。
望んで子どもを作らなかった人も、望んだのに子どもができなかった人も、
やはり、子どもがいる人といない人とでは、危機感は異なると思います。
「血を分けた」という言葉があるように、
子どもは自分自身でもあります。
だから、未来を憂うことは、生物としての生存本能なのかも知れません。
色々な理屈をつけようとも、人が少なくなれば、働き手は減り、
社会インフラも、経済力も、防衛力も失われていくのは当たり前のことです。
そして、国が滅びれば、個人も安らかな暮らしができるはずがありません。
歴史を紐解けば、国を失った民が、
どれほどの辛酸を嘗めなければならないかわかるはずです。
子どもを持つ親は、もっと怒るべきなのかもしれません。
しかし、正しい情報が見えなくなる仕組みによって、
怒りさえも、危機意識さえも、正義感さえも、
そして、肉親の情さえも失われてきているのが、
令和の日本なのかもしれません。
少なくとも自分はそうはならないと
引き締めてかからなければならないと思います。