Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

安保問題に思う

2015年09月16日 | Weblog
安保法制化を巡って思うことは、
考えることをせずものを言う人たちの多さであり、
思い込みによってものを言う人たちの多さである。
ご都合主義でものを言う人たちの多さである。

私には戦争をしたくて仕方が無い政治家など、
今の日本にはいないと思う。

戦争はなぜ起こるかと言えば、
領土的野心で有り、他民族への支配欲である。

今、その野心を持ち、準備をしている国は日本ではない。
その準備を本気でしている政治家もいない。

また、戦後のどさくさに紛れて
他国の領土を掠め取ったのも日本ではない。

歴史とは、弱い国が蹂躙された歴史でもあり、
弱肉強食の物語でもある。

だから、道義を広めていかなければならいし、
国の力を高めなければならない。

軍備はその一つに過ぎず、
使わないための力でもある。

これは、
個人レベルでも、
体が大きく、
武道を習っている者が、
なかなかいじめられないのと同じような理屈だ。

様々なことが、
シンプルに考えられず、
なにかすごく屈折して
ものを見ているように思えてならない。

たとえば、
オスプレイ配備への反対運動にしても、

シンプルに考えれば、
あれはアメリカ軍という友軍=仲間が、
武力を増強したという話である。

仲間が武力を増強してくれたら、
心強く思うというのが普通の感情ではないのか。

友軍が強くなることを喜ばないのは、
どう考えても敵国の人間しかいない。


今朝、ニュースを見て驚いたのは、
「国会の中だけで、
 国会議員の数の横暴によって決めることは許されない」
そんなな趣旨のことを野党の国会議員が
大まじめに言っていたことだ。

議員は国民の投票で信任を得て、
国民の代表として国会に出てきている。

国会が国民の声を反映しないと言い募るのは、
民主主義の否定でしかない。

与党だった時には、
「国民の信任を得られた」と
喜色満面に語っていたのは、
いったい何だったのだろうか。

自分が勝ったときには、
国民の信託を得られたと言い、

自分が負けたときには、
国会議員の数の横暴と言うのは、

実に一貫性も整合性もなく、
あまりにご都合主義としか言いようが無い。

若者たちも、
戦後、暗記ばかりの教育が横行したため、
ものを考える力がきわめて弱くなっているのではないか。

だから、ムードや情報操作にきわめて弱い。

自分で情報を集め、
自分で分析し、
自分でその意味を考え、
自分の考えを持つように教育を変えていかなければならない。

論理的思考を忘れ、
熟慮し判断する訓練がなされておらず、

経験のある者や、
その道に精通した者に対する敬意を失い、

熱に浮かされたようにムードで走って行く。

その先にこそ、
戦争や社会の混乱は待っている。

私にはそのことの方が心配だ。


















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