教育が良くなるということは、一人ひとりの子どもたちの表情や姿勢や生き方が良くなるということだと思います。
しかし、それは結果なのであって、そのプロセスとして、当然に、子どもに影響を与え続けている一人ひとりの大人が良くなるということがなければなりません。
そして、大人に学校という場がない以上、一人ひとりの大人の厳しい自己陶冶に、それは委ねられているということになります。
教育問題とは、実は自分自身の問題でしかなかったのだという、厳しい現実を大人が直視して初めて、教育は良くなり始めるのだろうと思います。