Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

甘い教育

2024年10月14日 | Weblog

甘い教育の広がりには恐るべきものがあると思います。一人一人が、「教育」の本質を考えておかなければ、どうにもならないことになるのだろうと思います。歳を経て大切さ気づいたときには、同時に、手遅れであることに気づくということになると思うからです。私の両親は有り難いことに厳しかった。そして、あたたかかった。真心を込めた丁寧さがあった。そう思います。その有り難さなどは、時が経たないとわからないものなのです。下村湖人という人は、そうした教育の本質を鋭く言葉にして下さっています。(以下、Vision&Education,Ltd.メールマガジンより転載)

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私の尊敬する人物の一人に、下村湖人(しもむら こじん)という人がいます。小説家であり社会教育家です。明治17年10月3日に生まれ、昭和30年4月20日に亡くなりました。東京帝国大学英文科を卒業し、母校佐賀中学校の教師や鹿島中学校の校長等を歴任します。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた『次郎物語』の著者として知られる人物です。その下村湖人が遺した、教育の言葉を今月は紹介致します。今を生きる親世代は、働き盛り世代でもあり、どうしても忙しい日々を過ごしています。しかし、子育ての時間は一度限りで、もう二度とは戻っては来ません。だからこそ、お伝えしておきたい言葉があります。


・「子供に何か話しかけられるのを面倒くさがる親ほど、根気よく子供に絶望の習慣を養っている親はない。」

・「甘い教育によって、いろいろの自由を与えられた子供たちは、将来最も不自由な人間に育つであろう。なぜなら、彼らは、自由の最大の基盤である反省力と意力とが奪われるであろうから。」

・「よき親でありたいと願う人々のために、私の用意している助言がただ一つある。それは、子供をその善悪に拘わらず常にいたわってやるということである。むろんそれは単なる技術であってはならない。それは、人間共通の弱点について十分な知識を持ち、自分自身そうした弱点の持ち主であることを深く自覚するところから、自然に発散される感情の香気でなければならない。愛撫や、賞賛や、叱責や、教訓や、その他親としての一切の努めは、そうした感情の香気に包まれてのみ真に生かされるであろう。この助言は、だから、つぎのようにいいかえることもできる。人間性に無知な親は親ではない。人間として傲慢な親は親ではない。自己をいつわる親は親ではない。親もまた子供と共に人生不断の修行者でなければならないのだと。」

・「子供は大人のまねをする。このことを大人が忘れさえしなければ、子供の教育はさほど困難なことではない。しかるに、世の大人たちは、ご苦労にも、子供たちに自分のまねをさせまいとして、いつも苦労し、それを教育だと思いちがいしているかのようである。」

いずれも下村湖人の書いた、『心窓去来』『心窓去来 補遺』の中に出てくる言葉です。若い人たちの心の中に、こうした言葉を留めておいていただきたいものだと思います。


木村貴志オフィスVision&Education,Ltd.メールマガジンより転載。(配信を希望される方はメールでご一報ください。月一回配信。無料です。)
 
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