Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

それでも心を奮い立たせて

2021年02月08日 | Weblog

自分のやり方が正しいと信じる人たちは、それを超える方法や異なる発想や道理があるとは夢にも思いません。だから、すぐに批判の言葉が口を突いて出てきます。更に、そのことの恩恵を、まさか自分が受けているなどとは夢にも思わない。そして否定のための理屈を色々と並べ立てていきます。それも間違ってはいません。だって、そう見える人には、そう見えているとしか言い様がないのだから・・・。

今の社会を覆っている病根は、ここにあるようにも思います。自分が正しいと思い込みすぎて、互いが理解できなくなっているのです。あるいは、相手を否定することが自分の正しさを証明する方法だと思い込んでいるのです。

自由で平等で権利を主張することが正しいと信じていることも問題だと感じます。えっ?何でそれが問題?ときっと思われると思いますが、自由と自由、平等と平等、権利と権利は、互いが無条件に主張し続ければ、必ずぶつかり合うのが道理だからです。ぶつかり合い、いがみ合い、争い合うことで、自由も平等も権利もその価値を損壊されてしまうほかはありません。

教えられたことを鵜呑みにして何も考えていなければ、そうした矛盾にも気づかないものです。幸か不幸か、気づかなくて済んでいるのは、気づいている人間が、黙って道を譲ってくれているからです。

しかし、そのことが見えない人たちにとっては、そんな心の在り方には何の価値もありません。

かくして、わかる人とわからない人とは、平行線の人生を生きるしかなくなるのです。

しかし、それを教育の力で何とかしたいとも思います。

でも、批判し合い、馬鹿にしあうことが人生だと思う人たちにとっては、何とかしようとすることもまた無意味なことなのだろうと思います。

人生は虚無との戦いだと思います。だから、私はミヒャエル・エンデのネバーエンディングストーリーが好きなのだろうと思います。

 

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評論家といっては、本物の評論家に失礼だけど。

2021年02月08日 | Weblog

新型コロナウイルスに感染した、スカイマークの佐山会長が次のようなコメントを語っています。

「コロナ感染で生命の危機を感じた身としては、高熱のある人の在宅とホテル療養は、極めて危険と感じます。しかし医療崩壊は叫ばれるが、自粛のお願いばかりで『ではどうすべきか』の議論や報道がほとんどない」

これは、コロナに限った話ではないと思います。

「では、どうすべきか」を考え、行動する人がいないのです。

目の前に追われて思考することを諦めた人たちと、他人事のように非難してみせる評論家だけが、どの分野でも量産されています。

何故そうなったかや、出来ない理由は、いくらでも語ってくれるのですが、「では、どうすべきか」が出てこない。

そして、チャレンジしてみた人が失敗すれば、袋だたきに非難するから、後が続けなくなる。この繰り返しです。

日本人は卑怯でダサい人間たちなのです。そのことを直視するところからしか何も始まらない気がします。

私もその一人かもしれません。でも、精一杯、抗ってみようと思います。

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学ぶことの意味

2021年02月08日 | Weblog

「いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし」

薩摩藩に伝わる、日新公いろは歌の教えです。

先人の生き方について学ぶことはとても楽しいことだと思います。しかし、それで満足していても、自己満足に過ぎず、世の中の役には立ちません。世の中の役に立って、初めて学んだ価値が生まれます。

学んだことの大切さを証明していくということは、自分自身の行動と生き方を価値あるものにしていくしかありません。

実に難しいことですが、やり抜いていこうと思います。

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