次の日本のリーダーが決まろうとしているのだが、メディアが喧伝している人たちは、アメリカやロシアや中国のリーダーたちと対峙した時に、とても互角に渡り合える人材がいるようには見えない。
私は政治向きのことに対して発言をするつもりはない。なぜなら、政治向きのことには疎く、よくわかっていないからだ。しかし、人間としての迫力や、信義を重んじる心、国家観・世界観・人間観などは、その人の顔つきや言動や立ち居振る舞いから、なんとなく滲み出てきて伝わってくるものだと感じている。
だから、直感的に思うことは、長年の「教育の不毛」によって、国家のリーダーの不在という現象が引き起こされたということである。私は教育を何とかしたい。
良き人間教育の裾野が広がっていないから、頂点も駄目だということだと感じる。結局は、国家間の事といえども、人間と人間の生身のぶつかり合いである。
受験の点数の取り合いばかりしていれば、心身を鍛えていない、喧嘩の仕方も仲直りの仕方も知らない、教養が無い、愛国心が無い、戦う気概が無い、肝が据わっていない、智惠が無い、歴史や文化という背骨が無い、人としてのあるべき道を知らない、責任感も使命感も愛情も感謝心も無い、とないないづくしになるのはわかりきっている。
小利口な人間たちが、したり顔で運営し、私利私欲のことに奔走している国家に、より良い未来があろうとは思えない。
だから、一灯を掲げて暗夜を行くが如く、教育実践を一つ一つ生み出していく。