つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

WBC優勝

2006-03-22 | Weblog
 日本が野球で初代チャンピオンになったニュースで沸いています。1976年モントリオールオリンピツクで女子バレーボールが優勝して以来団体競技では、これまで世界一になったことはありません。美酒に酔うのも許されるでしょう。
 米国の大国エゴが審判に出て見苦しいところも汚点として残り、米国にとってキューバは現在の敵、日本は60年前の敵、どちらが勝ってもいまいましかったでしょう。
 野球と短歌は、こじつけですが少し関係があります。歌人(俳人でもある)の正岡子規は、baseballを「野球」と和訳しました。彼は野球が好きでユニホーム姿の写真も残っています。数年前野球殿堂入りのニュースも報道されました。(写真は梅林公園の梅)
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はねずの梅

2006-03-21 | 国内旅行
 もう1つ京都報告を忘れていました。隋心院門前の小野梅園の「はねず(唐様)の梅」です。そこの遅咲きの紅梅は特別にそう呼ばれています。梅園の奥に小野小町の化粧の井戸が残っています。
 深草少将ゆかりの榧の木、小野の梅園、さらに石楠花の老木もあります。
 なお、謡曲「通小町」のゆかりの地という案内板も立っています。
 
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勧修寺

2006-03-19 | 国内旅行
 折角山科で途中下車したので、近くの勧修寺にも寄ることにしました。
 京都にしては古く西暦900年、醍醐天皇によって創建されました。庭園は勧修寺氷池園と呼ばれ、氷室の池が中心です。平安時代池の氷を宮中に献上し、その厚さによって五穀豊穣を占っていたそうです。
 方丈の横の臥龍梅が満開でしたが、観音堂を望んで紅梅を撮影しました。雨あがりで観光客は少なく、三脚を立てたカメラマンが目立ちました。
 なお、「かんしゅうじ」でなく、「かじゅうじ」と読みます。内部の襖絵は拝観出来ず、庭園のみ公開され、花菖蒲、睡蓮の咲く季節にも来たいところです。
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隋心院門跡

2006-03-18 | 国内旅行
 兵庫県に住む息子一家のところに行く時、京都に寄ったのですが、帰りもまた京都で途中下車しました。
 梅が満開という情報を得て、隋心院に寄りました。ここは、真言宗善通寺派の総本山で、小野小町ゆかりの寺でもあり、遺跡も残っていました。
 小野小町は小野篁の孫にあたり、従兄にあたるのが小野道風と言われていますが、その生涯は判然としません。
 たぐいまれな容貌と、和歌にもすぐれ、仁明天皇に仕えましたが、崩御されたあとはこの門跡寺院で余生を送ったと言われています。
 深草少将がその小町の家に99夜通い、榧の実を置いて帰りました。小町はその実を糸に綴って数え、播き、その木がかつては99本あったと伝えられています。少将は99日目の夜、降る雪と発病のために亡くなりました。これは百夜通いの伝説として知られています。
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ケニア料理

2006-03-17 | 料理
 今日の「英語でクッキング」はケニア料理でした。留学生のグラディスさんは殆んど日本語が話せません。スワヒリ語と英語です。スワヒリ語について尋ねてみましたら、ジャンボという言葉の語源はスワヒリ語だそうです。
 料理はこってりとしたビーフシチューと、炒めてから炊き込んだピラフとレモン味のドレッシングのサラダ。デザートはアボガドジュース。これはアボガドとミルクと砂糖をミキサーにかけ器に入れてから、アイスクリームをのせます。これはなかなか美味しかったです。
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公民館短歌会 7

2006-03-16 | 短歌
謝罪して謝罪にならず懲罰の審査受くる議員春まだ遠し   Fさん

 言うまでもなく、民主党のある議員のことを詠まれたものです。彼女は社会詠が得意です。女性はなかなか少ないのですが・・・
 メール問題は世界に流れる日本のニュースとしてはとても恥ずかしい内容でした。ああなると恥ずかしいとかみっともないとか言っておられないのでしょう。なりふり構わず・・・(写真は我家の遅咲きの梅)

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三時知恩寺

2006-03-15 | 国内旅行
 命名の由来は、後柏原天皇が深く浄土宗に帰依され、宮中で一日六回の勤行のうち昼の三回をこの寺でなされたことによるものです。14世紀半ば創建。代々皇女が入られたため、入江御所とも呼ばれる門跡尼寺。
 丸山応挙の襖絵は当時の琵琶湖の漁法を現しています。太平記の絵巻物や蒔絵の文箱も特別展示されていました。
 写真は寺庭の胡蝶侘助という薄紅色・小輪の椿です。
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妙心寺 隣華院

2006-03-14 | 国内旅行
 妙心寺のもう1つの塔頭、隣華院も拝観しました。秀吉が柴田勝家を破った賤ケ岳の戦いで活躍した7本槍のひとり、脇坂安治が創建しました。
 方丈の中には、長谷川等伯の雄大な襖絵「水墨山水図」があり、狩野派の華やかな色彩の襖絵もあり、桃山・江戸の美術を堪能出来ます。
 入口に飾ってあった鬼瓦を撮影しましたが、脇坂家の家紋の輪違いがはっきりと分かります。あらゆる調度品や軒丸瓦に至るまでこの家紋が施され、播州龍野城城主、脇坂氏の家紋を思い出しました。ここと同じ家紋が食器にまでも金泥で施されていたように記憶しています。
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妙心寺 春光院

2006-03-13 | 国内旅行
 妙心寺は花園法皇の離宮が禅寺として造営され、46もの塔頭があります。妙心寺花園町という1つの町が出来る広さで、その1つが春光院です。
 狩野派の絵師による襖絵は普段公開されないため、当時の色彩が保たれているとか・・・顔彩も純度が高く長持ちするのでしょう。
 庭の一部は、伊勢神宮を模して、「さざれ石」の庭と呼ばれ、外宮も内宮もあります。写真は西庭で、「常盤の庭」と呼ばれ、灯篭を配して、鶴亀の亀のイメージで作庭されたものです。
 信長によって建てられた南蛮寺(教会)が秀吉によって潰されたのですが、鐘だけが転々として、最後に春光院の方丈に収められ、今も8/15などに鳴らされているようです。1577年の年号が打ち込んであり、初期キリスト教伝来の遺産です。庭以外は撮影禁止でした。
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宝鏡寺

2006-03-12 | 国内旅行
 12月から3月までですから、あと少しですが、今年も京の冬の旅に参加しました。非公開文化財が特別公開される冬のイベントももう20年以上続いています。約20年ぶりの宝鏡寺拝観でした。
 歴代皇女が出家された門跡尼寺。百々御所とも呼ばれ、数多くの由緒ある人形で知られています。この人形だけ撮影許可がおりていました。有職雛です。
 この寺には、11歳の皇女和宮もしばらく生活されましたので、遺品も展示されています。文箱はとてもかわいいものでした。
 足利義政妻・日野富子木像もあります。
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