長良川畔の十八楼で、中学同窓会がありました。皆70歳近くになりました。ある人の生い立ちを聞くと、人生の縮図を垣間見る思いで、自伝を書いてみたらとすすめたくなりました。幼い頃、両親が離婚、そして再婚。その後父親が戦死。両親の顔は写真でしか分からないとか・・・Oくんはこのままではいけない、子供の頃から何かをなさなければならないと思い続け、アーティストになりました。5月に名古屋で個展を開催予定。ある人は、辛酸をなめて会社を設立。社長になった人。メンバーに社長さんが3人いました。
十八楼は、鵜飼遊覧船乗場の隣にあり、玄関には鵜飼の絵葉書や金華山の古図が飾ってあります。昭和初期の絵葉書は今と殆ど同じです。鵜飼は1300年続いている訳ですから・・・十八楼は創業150年。前は別の名でしたが、芭蕉が提案した名前に変えました。芭蕉は岐阜で俳句を少し遺しています。芭蕉が十八楼に泊まった当時は「山本屋」。ここで作った俳句の句碑が十八楼の庭にあります。
上の写真は、この日出された岐阜名物の鮎菓子。大抵中身は求肥が入っているのですが、これはその抹茶味でした。
玄関にある金華山古図 女湯脱衣室近くで
昭和初期の長良川鵜飼の絵はがき
この日の最初の料理で左端は飛騨牛 うなぎにとろろがかかり蒸してあります
十八楼は、鵜飼遊覧船乗場の隣にあり、玄関には鵜飼の絵葉書や金華山の古図が飾ってあります。昭和初期の絵葉書は今と殆ど同じです。鵜飼は1300年続いている訳ですから・・・十八楼は創業150年。前は別の名でしたが、芭蕉が提案した名前に変えました。芭蕉は岐阜で俳句を少し遺しています。芭蕉が十八楼に泊まった当時は「山本屋」。ここで作った俳句の句碑が十八楼の庭にあります。
上の写真は、この日出された岐阜名物の鮎菓子。大抵中身は求肥が入っているのですが、これはその抹茶味でした。
玄関にある金華山古図 女湯脱衣室近くで
昭和初期の長良川鵜飼の絵はがき
この日の最初の料理で左端は飛騨牛 うなぎにとろろがかかり蒸してあります
中々出来ない事ですが幹事さんがしっかりしているのでしょうね
何十年も戻った人になったことでしょう
良いものですね
いろいろな人生網様が繰り広げられて感動しますね。
ここの鵜飼は以前見ました。
そして桂林でも見られたのです。
昭和初期と同じとは。このような絵葉書までちゃんとカメラに収められるmatsubaraさん、さすがです。
お菓子もお料理も美味しそうです。
皆さんとても楽しみにしておられます。
あくまでも正式の会員ではないですので、自発的な集まりだけに出ています。
先生の出られる正式なものには出ていません。
小学校の同窓会がないですのでその代わりみたいに思っています。
中国の鵜飼は日本と違うみたいですね。父から聞いていました。
見たことはありませんので興味があります。
鵜飼の葉書はフラッシュのためハーレーションが発生してしまいました。
それだけにとても羨ましいです。きっと、その頃のご自身に戻られた気分だったのでは?
お料理、美味しそうですね。飛騨牛、食べたい…(^_^;;!
恥ずかしながら、鵜飼まだ一度も見たことがありません。近いから『いつでも行ける』という思いが、未だに足を運んでいないのでしょうね。
高齢になると定年で暇になり、また病気になって来れなくなったりする心配もあるので回数も増えて来ました。
病死した人は、最後に本当に皆に会いたいと言っておられたみたいです。
飛騨牛のしゃぶしゃぶも美味しかったです。
鵜飼は橋の上からも見えますのでどうぞ・・・
北側の河岸も整備されそこでも見られるようになっています。