つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

君が代発祥

2024-02-06 | Weblog
岡崎 匡史氏のメルマガより

日本の国歌「君が代」に深く関わったのは、
イギリス人のジョン・ウィリアム・フェントン
(John William Fenton・1831〜1890)という人物です。

軍楽隊員のフェントンは、薩摩藩で
軍楽隊「薩摩バンド」を指導したことでも知られる。

このフェントンが大山巌(おおやま いわお・1842〜1916)に、
明治日本に「国歌」がないのは残念なことだ。

イギリス国歌「God Save the King」(国王陛下万歳)
があるように、日本も「国歌」を創るべきだと提案。

外交儀礼からみても、国歌は欠かせない。
ゼロの状態から国歌を創りだすことは難航を極める。

そこで、「古今和歌集」の和歌から引用することになり、
フェントンが作曲を担当した。

これが「君が代」の始まりです。

しかし、フェントンの作曲した西洋風の「君が代」は、
日本人の耳にどうも馴染まなかった。評判が芳しくない。

宮内省は新しい作曲を、ドイツ人の
フランツ・エッケルト(Franz Eckert・1852〜1916)に依頼する。

エッケルトは、フェントンの「君が代」を編曲し、
林廣守(はやし ひろもり・1831〜1896)
の協力も得て雅楽調を取り入れた「新・君が代」を編み出した。

賛美歌「栄光のアポロ」

実際のところ、「君が代」の作詞や作曲は、
さまざまな種類があります。

フェントン版、エッケルト版、
そしてもう一つ有名なのがウェッブ版。

イギリス人の作曲家サミュエル・ウェッブ
(Samuel Webbe・1740〜1816)による
賛美歌「Glorious Apollo」(栄光のアポロ)のメロディに、
「君が代」の歌詞を合体させた楽曲です。

文部省が発行した明治期の教科書には、
ウェッブ版の「君が代」が掲載されています。

「Glorious Apollo」とウエッブ版「君が代」の
楽譜を見比べると、音符(♪)の位置が
ほとんど同じで、びっくりします。

まさに「和洋折衷」という言葉そのもの。

明治の日本が、必死に西洋を模倣していたことは、
ウェッブ版の「君が代」からも推察できます。

音楽の歴史を振り返るだけでも、
日本の近代化の歩みと苦節の日々がよみがえってくる。

ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。

・Raja Adal. Beauty in the Age of Empire:
Japan, Egypt, and the Global History of Aesthetic Education.
New York: Columbia University Press, 2019.

写真は頂き物のデコポンのゼリー


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