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「次の日本」をつくる戦略家が必要

『「瑞穂の国」の資本主義』より 二〇二〇までに克服すべき日本の課題

日本の戦後を振り返ると、松下幸之助氏や本田宗一郎氏、おそらく唯一ご存命な方ではスズキの鈴木修社長兼会長といった日本の製造業の創業者世代が、戦後の焼け野原から日本を復興させてきた。

ところがいま、多くの日本企業では、その次の世代に、新たな一時代を築き上げるようなカリスマ性を持つリーダーが欠落しているように見える。いわゆる強いリーダーの周囲にはイエスマンが集まるので、強いリーダーを失った企業はだいたい迷走してしまうのだ。

こうしたなかでリーマン・ショック以降、創業者世代から数えて三代目にあたる団塊世代の大量引退が進み、今後の日本が歩んでいくべき方向性を示す新たな価値観が生まれようとしているのが、日本の現状である。

そこで日本に足りないものは何かをあらためて考えてみると、日本にはいま、評論家や批評家は数多くいても、ストラテジスト、戦略家がいないという現実が見えてくる。

ストラテジストといえば聞こえはいいが、日本の「失われた二十年」を振り返ると、伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏や日本財団元会長の笹川良一氏、旧経済団体連合会の第四代会長を務めた土光敏夫氏のような、汚れ役や裏方もこなしつつ、良くも悪くも戦略を打ち立てていく人が、日本から消えてしまったような気がする。

国際社会は競争のなかで成り立っている以上、日本が今後、自存自衛を図るうえで最も大事なものは戦略論である。くわえて、物事には正負があるとの認識の下に、それぞれの立場やポジションでパワーゲームをどう読み解いていくかが肝心だ。

中国や韓国が、日本をあることでこう批判しているという報道が紙面に並ぶことがよくある。だが中国や韓国が口本を批判するのは、彼らにとって何らかのメリットがあるからだ。ということは、それが日本にとって必ずしもデメリットであるとは限らない。多くは、日本にとってメリットがあるということだろうから、毅然とした姿勢で反論すればよい。

ところが、日本の政治家の多くは戦略どころか、いい人に見られたいという思いが強いのか、人に嫌われることをしたがらないし、決断ができない。いい人が経営者になると会社がうまくいかなくなるように、あえて人に嫌われることをしなければ、競争の世界では勝てないのである。

こうした前提に立てば、これから日本が国際社会を生き抜く戦略を立てる人材を育てるエリート教育がぜひとも必要だと思われる。そして、それはけっして英語ができる人材を育てることではない。

「グローバル化=英語能力」などとバカなことを言う経営者もいるが、実際はどのような言葉であってもかまわないので、まず自ら第一言語で思考する、物事を考える能力を育てることが重要なのである。

戦後の形式張った日本語教育は、反論しない子供たち、ひいてはものを考えない大人たちを大量に生み出してしまった。しかし、あくまでも言葉は道具でしかない。「言葉ができる」ではなく、「考えることができる」ことが大事なのだ。自分の頭で、自らの立場でものを考えることができる人材を育てていくことこそが、いま必要なのである。

既製品が必要な世の中は、もう終わろうとしているのではないだろうか。戦前に生まれ育った人たちには、型破りな人材が多数いた。そのような人たちが日本を引っ張り、世界の中の日本に育て上げていったのだ。
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