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16テーマの説明 1/7

未唯へ

 何となく、ブロンコビリーにしました。11時からなのに、駐車場が混んでいました。

192の書き起こし

 やっと、書き起こしが終わりました。

 会食の話は全て、入っていました。これは重要です。

 それと録音チェックはしないといけないですね。

自分の範囲

 今は、自分の範囲を狭めています。それが欠点です。自己完結性のようなものです。範囲をどこまで持つかで決まります。その範囲を内なる世界としている。内なる世界の範囲を考えを及ぶだけ、拡げます。そこでの因果関係をハッキリさせれば、他との議論ができます。

 しかし、金がないですね。2万円おろすと、5万円しかない。退職後の生活は依存型になってしまう。やはり、7千万円を当てるしかない。

2015年の危機

 2015年の2月に世界経済は新しい局面を向かえます。

テーマ L1「存在と無」

 L1「存在と無」は最初であり、答である。最後は物理層に絡んで、個人=超国家をつながっていきます。

 最初の「存在と無」は14歳の時の気付きです。自分が存在することと無であることは同じものであるという、この不条理。そして、自分が居なくなることで、全てが亡くなること。そこから、社会があって、その中にいるという感覚から変わりました。

 昨日の乃木坂にしても、「自分がなぜ、生きているのか」「死んでいくのに、こんなことをしているのか」をメンバーに質問している人に対して、MCは「質問禁止」にしていた。そんなことは考えるものじゃない。

 考えるものではないということは、あなたには関係ないことを言っているけど、本当に自分の問題そのものです。にもかかわらず、思考停止を求められる。それを一生懸命誤魔化そうとしている。それを乗り越えて、考えた末にたどり着いたのが「存在と無」です。「存在と無」で考えたのは、そういう、分からない世界からすると、真理探究すること、真理は不変であることを確認しました。

 「存在と無」と同様に、ペアの関係からすると、孤立と孤独は一緒のモノです。外から見るか、内から見るかの差です。この孤立と孤独から色々なモノを作り出しました。独りぼっちでいることの良さ。自分しかない世界でやれるのは考えることです。そのための時間・考える対象。

 「存在と無」の最終は自己肯定から「存在の無」です。存在そのものが無駄ということです。だから無為です。ジャンルからすると、物理的な個人=超国家でにつながる世界です。

 社会的には、孤立と孤独から考えることを始めて、思いを伝えて、社会に対して、考えることと貯めること、議論すること、知識と意識の場を設定することをテーマにしました。

テーマ L2「存在の力」

 L2「存在の力」は歴史哲学から生まれてきました。従来の意思の哲学が作り出してきた歴史が変わろうとしている。自由というものを見た時に、存在の哲学から始めないとダメです。そこが大きなターニングポイントです。経緯として、変節点までの未来方程式を作り出した。

 「存在の力」を思い立ったのは、私の中の夢として、多くの人が生きられる世界があったからです。多くの人が生きられるためには、多くの人が考えられるようにし、多くの人が主導権を持つことです。今のように、依存している姿ではありえない。それぞれが、分化して、色々なことに関心をもって動き、グループになって動くということです。一人が一つの機能ではダメです。それは組織の役割分担という考え方です。

 それに対して、あくまでも、一人の人間が自立した存在として、動くことが分化です。個人が分化することで、組織の中の個人を自由にさせることで、組織の分化が始まります。クルマ会社は車を作るだけではない。社会に対して、提案をしていきます。マーケティングそのものが変わります。そこでは、市民とどうつながるかがテーマになります。

 存在の力で、自分の中で分化するにはどうするか? 自分が自分であるものとそうでないモノ。自分らしくない部分をどうするのか。そこで、もう一人の私が生まれました。μです。μは行動を作ります。だから、私は考えればいい。ポイントは考えることはデザインすること、そして本質を考えることです。

 歴史哲学も新しいものにしていかないといけない。ウィットゲンシュタインの歴史哲学を超えるものです。自由の概念が大きく異なります。支配されるものではない。本当の自由を得るためには自分たちが権力を持ちます。地域が多様なカタチで権力を持ちます。国そのものは分解させます。行政そのものが分解するわけですから。

 メーカーでモノを作る時は意思の力が必要です。他人に訴えるときも意思の力が必要です。著者の思いなどはここに入ります。但し、支配は入らない。分化だけでは、バラバラになります。統合の機能が同時に必要です。数学的に言うと、分化と統合はペアです。近傍系と連続性を持った標準関数との関係で、数学的なアプローチとつながります。それによって、集中であったものを分散にしても、効力を発するモノになります。ベースはあくまでも、それぞれが生まれてきたという「存在の力」です。
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危機にある資本主義

『アル・ゴア 未来を語る』より

危機にある資本主義

 アース・インクの出現と、それが生産の三要素(労働、資本、天然資源)すべてを破壊していることが原因となって、多くの人が「資本主義の危機」と呼ぶものが引き起こされてきた。世界のビジネス・リーダーを対象とした二〇一三年ブルームバーグ世界調査では、七〇パーセントの人が資本主義は「苦境に陥っている」と考えていることがわかった。全体の三分の一近くの人が、(米国の回答者は世界各国の回答者に比べ、どちらかの結論を支持したがらなかったが)「規則と規制の抜本的なネットワーク作り」が必要だと答えた。

 資本主義が本来、経済活動を構造化する他のどのシステムよりもすぐれている点は、よく理解されている。資源の分配や需要と供給の一致に関しては、抜群に効率がよい。富の創造という点でも抜群に有効で、より高いレベルの自由とも抜群に調和する。最も根本的なところで言えば、資本王義には、努力やイノベーションに報いるインセンティブが至るところに内在していて、人間の潜在性のより多くの部分を引き出す。二〇世紀の共産主義やファシズムに伴う悲惨な経験など、世界が他のシステムの実験を行ったことから、二一世紀の初めには、民主的資本主義が世界全体で好まれるイデオロギーであるということはほぼ意見が一致するところとなった。

 それにもかかわらず、世界中の人々は、過去二〇年間にわたって市場の大混乱に振り回され、そのピークのように二〇〇八年の大不況が起こり、その後遺症が長引いている。加えて、世界の経済大国の大半では格差が拡大し、最高所得者層にますます富が集中するようになっていることから、現在機能している形の「資本主義市場経済」というシステムヘの信頼が危機に瀕している。公的債務と民間債務が異例の高水準になっていることに加え、先進国で失業率と不完全雇用率が高い状態が続いていることからも、「現在の経済政策のツールキットで、十分な活力を取り戻すだけの強い回復を生み出せる」という自信も失われている。

 ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツは二〇一二年に次のように述べている。幅広い階層の米国人が純利益の増加を報告した時期(このとき、累進課税の結果もあって、格差が縮小された)が、米国経済が最も成長した時期だったのは偶然ではない。同様に、大恐慌のときのように、現在の不況に先だって格差が急拡大したのも、偶然ではない。社会の最上層にあまりにも多くの富が集中すると、必然的に平均的な米国人の支出は減少する。少なくとも人為的な支えがないとそうなるだろう。高所得者の所得に占める消費の割合は低所得者よりも小さいので、底辺から最上層へお金が移動すると、全体の消費は落ち込む。

 発展途上国と新興経済国では、生産性が向上し、雇用、所得、生産高が上昇している一方で、国内の格差も拡大している。そして当然ながら、こういった国々の多くでは、依然として多くの人々が極度の貧困や欠乏の中にある。今も世界中で一〇億人以上が一日ニドル未満で生活しており、そのうちの九億人近くが「極度の貧困」(一日当たり所得が一二五ドル未満)の中で暮らしている。

 今日のグローバル市場システムの運営方法のさまざまな欠陥の中でも最も重要なのは、大きな外部性をまったくと言っていいほど認めようとしていない点だ。最初に挙げるべきものは、二四時間ごとに九〇〇〇万トンの地球温暖化汚染物質を大気圏に排出するコストと結果を考慮に入れていないことである。市場理論における外部性の問題はよく知られているが、今日ほど深刻だったことはない。正の外部性も日常的に無視されており、教育や保健医療などの公共財への投資不足につながっている。

 米国をはじめとする多くの国々で、上位一パーセントの人々に富の集中が進んでいることから、政治システムも歪んでしまっており、少数の人々を(少なくとも短期的に)犠牲にして多くの人々に利益をもたらすであろう政策変更を、今では政府は検討できなくなっている。政府は事実上無力化し、必要な行動をとることができない。このことも、現在の資本主義市場経済の運営方法に対する人々の信頼失墜につながっている。

 グローバル経済における資本の流れが緊密に連動し、ますます大きくなっている今、すべての政府が「世界の資本市場内で“どう認識されるか”の人質になってしまっているようだ」と感じている。数多くの国々が、国民が民主的に示した意思によってではなく、グローバル市場の“どう認識するか”によって強制されているように思える政策の選択に直面している。ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペインがその例だ。多くの人は「私たちの経済の未来の形に対する人間の影響力を回復する上で効果があるのは、新たな世界経済の現実に世界規模で対処する政策だけだろう」という結論に達している。

持続可能な資本主義

 私のパートナーであり、ゼネラル・インベストメント・マネジメントの共同設立者でもあるデヴィッド・ブラッドと共に、私は、「持続可能な資牛王義」を推進すると信じる一連の構造的な救済策を提唱してきた。最もよく知られている問題は「短期的視点が支配的であり、短期的な利益が頭から離れない」ことだ。このとき、長期的な価値の蓄積が犠牲になっていることが多い。四〇年前、米国の株式の平均保有期間は七年弱だった。これは理にかなっていた。なぜなら、平均的な企業における実質価値のおよそ四分の三は、景気循環の一・五倍の期間にわたって積み上げられるもので、これがほぼ七年だからである。だが現在、株式の平均保有期間は七ヵ月にも満たない。

 このように投資家が短期的思考への依存を強めているのには、多くの理由がある。変容を遂げ、今や相互につながっているグローバル経済におけるより大きな傾向が、こういった圧力を倍加させている。二〇一二年にあるアナリストが述べたように、「わが国の銀行、ヘッジ・ファンド、ベンチャー・キャピクルは、金融商品やソフトウェア企業への投資を対象としている。このような投資では、たとえ小さな投資でも、ごく短い期間にとてつもなく大きな収益を上げられる。それに対して、従来型の工場への融資は、高額な費用がかかって大変なうえ、迅速に利益を上げられる可能性ははるかに低い」。

 この投資家側の短期的視点が、CEOたちにも同様に短期的視点に立つよう圧力をかける。たとえば、米国のビジネス調査会社のトップであるBNAが、数年前、CEOと最高財務責任者(CFO)を対象にした調査を行った際、ある仮定の質問をした。「あなたの会社の収益性と持続可能性を高めることになる投資機会がありますが、この投資を行うと、次の四半期の収益報告書ではわずかに目標未達となります。この状況で、あなたはこの投資を行いますか?」という問いに、八〇パーセントの人が「ノー」と答えた。

 現在の資本主義の運営方法におけるよく知られた問題点の二つめは、インセンティブのずれが広がっていることである。大半の投資マネジャー(投資に関する日々の決定の大半を行う人たち)の報酬は、四半期ベースか、せいぜい年ベースで計算される。同様に、多くの企業経営者は、短期的な結果に対する対価として報酬を受け取る。そうではなく、企業の最大価値を高められる期間に合った時間軸で報酬を計算すべきであるし、長期的な価値を根本的に推進する要因と合わせるべきだ。

 加えて、四半期利益を誘導する悪習慣をやめるよう、企業の後押しをすべきである。こういった短期的な測定基準はひじょうに大きな注目を集めるので、持続可能な価値を構築しようとする企業に大きな不利益をもたらすことになり、より長期間にわたって十分に報いの得られる投資の有用性を考慮に入れられなくなる。
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民主的資本主義とその不満

『アル・ゴア 未来を語る』より

未来は人間の手ではなく、市場の見えざる手にあると信じて久しい人々は、「民主主義において、私たちが発動した地球という機械の舵を取ることを目的に、真に意味のある集団的意思決定をするという考えは、認識が甘く、ばかげてさえいる」という。未来に関する決定を行う力の多くが、政治制度から市場へと移っていくにつれ、そしてさらに強力になっていく技術が見えざる手にますます強い力を与えるにつれて、自己統治の筋力は衰えてしまった。

そのことは、この地球という機械の止め処のない運転から莫大な富を蓄積する方法を見つけた人たちにとっては、実は歓迎すべき結果である。実際、そういった人たちの多くは、その富を利用して、「自己統治は無益であり、仮に機能したとしても、市場と技術決定論の双方を妨げる危険な干渉につながる」という考えを助長してきた。自由、平和、繁栄の潜在性が拡大しているときには実りの多かった、資本主義と代表民主制との同盟に形成されたイデオロギーの共同統治は、集中した富が市場の領域から民主主義の領域に侵入したことによって、崩壊した。

資源を分配し、需給バランスをとるために、大量の情報の流れを収集・処理・利用することに関して市場にかなうものはないが、市場における情報はとりわけ細分化されており、多種多様である。そこには、意見や性格、感情、愛、信頼はない。単なる数字の世界なのだ。他方、民主主義は、健全に機能すれば、さまざまな視点や性質、人生経験をもった人々の相互作用から、まったく異なる次元の創発的な知恵や創造性を生み出す。民主主義は、未来への夢と希望を背負っている。富を利用して民主主義の過程を歪め、堕落させ、腐敗させることはよく行われることだが、それをそのままにしておくことで、私たちは、これまでに文明が直面したことがないほど破壊的で混沌とした変化を人類がくぐり抜けていくための持続可能な道を見つける「最後にして最大の望み」を自分たち自身から奪っているのだ。

米国では、多くの人々が自己統治の衰退に喝采を送り、「民主的な意志決定を通じて私たち自身の運命をコントロールするなど、試みさえすべきではない」という考え方を称賛してきた。なかには、半ばふざけて、政府を「バスタブに沈めて溺れさせ」られるくらいの大きさまで縮小すべきだと提言した人もいた。こういった人たちは、政府の能力を麻庫させ、地球という機械の利益以外のいかなる利益にも資することがないようにしようとしている政治家の支持を得て、ジャーナリズムの世界に破壊的な活動をする集団を送り込み、公共の利益に資する未来に関する集団的意志決定を妨害するためのロビイストを多数雇ってきた。多くの人が繰り返し書いてきたように、こういった人たちは「公共の利益」などというものはないと本気で信じているようだ。

連邦議会の新たな自己組織化パターンは、特別利益団体の利益にかなうものだ。こういった特別利益団体が、候補者(現職でも新人でも)にテレビ・コマーシャルを打つための選挙運動資金の大半を提供しているのである。連邦議会はもはや、米国民の心を最も大きく揺り動かす懸念以外のものには対処しない。議会のメンバーは「代表」であることには変わりはないが、今やその大部分は、資金を寄付する人や企業の代表であり、選挙区で実際に投票する人々の代表ではない。

米国が知性にあふれ、価値観に基づいた明確なリーダーシップを示すことを、世界はかつてないほどに必要としている。そして今、適切な選択肢が欠如していることも、かつてないほどに明らかである。残念なことだが、米国の民主主義が衰退したことで、明確な集団的思考の能力が退化し、ひじょうに重要な問題に対して著しくお粗末な一連の政策決定がなされるようになった。国際社会が、本書で取り上げている六つの創発的な変化の兆候に対して聡明に素早く対応する必要があるというときに、リーダー不在の状況が続いている。未来を形づくろうとこれらの変化を理解・対応していくには、米国の民主主義が復活するか、世界のほかの場所にリーダーシップが出現するか、そのどちらかが不可欠である。

民主的な討議と集団的な意思決定の健全な機能を取り戻し、人類が論理的に話し合って未来への安全な針路を決める能力を手遅れにならないうちに取り戻せるかどうかIその最大の希望の源は、本書で述べる変化の六つの要因のひとつ、「世界のあらゆる国に住む大半の人々の考えや感情をつなぐデジタル・ネットワークの出現」だ。

資本主義は、持続可能なものに改革されるとしたら、ほかのどの経済システムよりも世界の役に立つ形で、人間の活動と地球の生態系や生物系との関係に、困難ながらも必要な変化をもたらすことができる。持続可能な資本主義と健全な民主的意思決定を組み合わせることで、私たちは未来を救う力を手に入れることができる。だから私たちは、「どうすればこの二つの不可欠なツールを修復・改善できるか」をきっちりと考えなければならない。

これらの意思決定システムの構造がどうなっているか、そして、私たちが重要であると決めた目標に対する進歩(または進歩の欠如)をどう測るかは、私たちが実際に創り出す未来に大きな影響を与える。「成長」に有利な経済的選択をすることで、成長の定義がきわめて重要になってくる。私たちが「進歩」と呼ぶものを測るとき、汚染の影響を体系的に除外するとしたら、私たちはそれを無視するようになる。そうなれば、私たちの進歩の多くが多大な汚染を伴って達成されるのも当然のなりゆきと言えよう。
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芽生え始めた「市民社会」

『日本-喪失と再起の物語』より

日本の国民は「リーダーなしでもやっていく」方法、つまり自らを組織化する方法を複数のやり方を通じて学びつつあった。日本人にはこれまで受動的で社会的序列をあまりにも尊重しすぎるという評判が付きまとっていたし、それは必ずしも不当な評価とは言えなかった。ところが、その日本国民の間で、ゆっくりと、だが着実なペースで、「市民社会」が形成されつつあるようなのである。それはまた、社会的現実の変化を国民が理解し、対応しようとしていることの表れでもあった。日本株式会社はもはや、すべての「社員」の面倒を見切れなくなっている。終身雇用を当てにできない非正規労働者の数は増える一方だし、先進国の中でも他に類を見ないほどの平等主義を自負していたこの国で、ますます多くの人々が社会の片隅に追いやられている。同志社大学の浜によれば、最近は言葉遣いにさえ変化が見られるという。彼女は、鳩山が二〇〇九年に行なった所信表明演説で有権者を「市民」と呼んだことを指摘した。普通なら「国民」と言うところを、彼はフランス革命で社会の主体とされた「市民」という言葉を使ったのである。浜は。「国民」とは「国に属する人々」を意味すると説明した。「社員」が「会社に属する人々」を意昧するのと同じように。だが、市民は自分以外の誰にも属さない。つまり、「国や企業の支配を受ける人々の中から、徐々に市民が姿を現しつつある」と彼女は主張しているのだ。

あらゆる階層や職業の人々の間で、自分の運命は自分で切り開こうとする兆候が現れ始めていた。一例がボランティア活動の分野で、「ボランティア元年」と言われた一九九五年の阪神・淡路大震災以来、目覚ましい発展を遂げている。一九九五年一月には、一〇〇万人を超える人々が被災地となった神戸に自発的に押し寄せた。援助活動への志願者の急増に国民は目を見張った。世間は市民としての義務感に駆られたボランティアたちの心意気を称賛し、彼らの大半は神戸で温かい歓迎を受けた。その一方で、明らかに準備不足の人たちも少なくなかった。中には食料を携帯せず、宿泊先の当てもないまま、地震で壊滅した地域に押し掛けた人々もおり、彼らは「迷惑ボランティア」として煙たがられるようになったのである。阪神・淡路大震災は、助け合いを社会生活の基本とする社会連帯主義や、団結して問題の解決に当たろうとする新たな精神の胎動を促したが、活動の大半は「プロ」に期待されるレベルからは程遠かった。だが日本で次の大震災が発生した二〇一一年までには、様相は大きく変化する。巨大津波が東北沿岸に押し寄せる頃には、全国の特定非営利活動法人(NPO法人)の数は少なくとも四万に達していた。ボランティア活動はより専門化し、資金力も以前より豊富で、組織立った行動が取れるようになった。企業の社会的責任に対する意識の高まりを受けて、一部のボランティア団体は大企業から経済的支援を受けるようになっていた。震災発生時におけるNPOの動きは素早かった。食料、医療、カウンセリングなどを提供するために、被災した海岸地域に直ちに人員を派遣したのだ。民間企業も数千人規模の社員を送り込んだ。単純に人道支援のために現地入りする者もいれば、被災した工場を視察して再稼働に導く任務を帯びた者もいた。その後数週間から数カ月にわたって、寸断されたメーカーのサプライチェーンも復活し、時にはほとんど奇跡的なスピードで再起したケースもあった。

政府は各種団体の活動を調整するために、震災発生から数日後に辻元清美を災害ボランティア活動担当の内閣総理大臣補佐官に任命した。彼女は議員になる前には、NGO「ピースボート」を共同設立した著名な活動家であった。辻元の起用は高く評価されたものの、実際に彼女に期待された役割は必ずしも明確ではなかった。最も被害の大きかった被災地では政府や官庁に対する厳しい批判が相次いだのとは対照的に、ボランティアの貢献には称賛の声が浴びせられていた。宮城県気仙沼でカキの養殖を営む畠山信〔カキ養殖家で文筆家の畠山重篤の三男〕のコメントは、その典型例と言える。大津波が襲った当日、彼はもう少しで水死するところだったという。「地震が起きて以来、政府からは何一つもらっちゃいませんよ」と彼は鼻であしらうように言った。

「食べ物をくれたのは、ボランティアの人たちでした」。そして、壊滅状態となったカキ養殖事業をいかに立て直すか、具体的なアドバイスを提供してくれたのもボランティアの人たちだったと彼は語っている。畠山は観光客のための施設を建てて、そこに新鮮な宮城のカキを食べてもらえるような小さなレストランを開業することを計画していた。東北に大量に押し寄せたボランティアたちは、被災地で多くの友人を得た。建物を修復したり、がれきを撤去したり、浸水した家財道具を回収したりするためにやってきた彼らのことを他の地元民も好意的に語っている。日本のボランティア活動を調査してきたある研究者は、阪神’淡路大震災以降の数年間で、それが「新たなレべルのプロ意識、組織力、社会的正当性、そして制度化に到達した」と結論づけている。
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晩婚化と離婚を武器に

『日本-喪失と再起の物語』より

日本の女性たちは男性社会に反旗を翻し、強力な手段を用いて抵抗を始めている。中でも彼女たちが行なっている最大の破壊活動が「晩婚化」である。それは出生率低下の直接的要因となり、日本の将来を危うくしているという声さえ上がっている。晩婚化によって女性の労働参加率はじりじりと上昇していたが、その他の点では、女性たちは事実上のスト状態にあった。彼女たちは、妻と母親という、女性に与えられてきた伝統的な役割分担を拒否するようになっている。かなり最近まで、二五歳でまだ独身の女性は叩き売り直前の「クリスマスケーキ」(一一月二五日以降は価値が急落するため)と呼ばれてさげすまれる風潮があった。だが今や形勢は逆転し、女性は安定した仕事に就き、感情面で支えてくれるだけでなく、家事も分担してくれるようなパートナーが現れるまで婚期を遅らせるようになっている。経済と女性の関係の研究者で、著述家でもある大沢真知子によれば、女性と比較した場合、日本の男性の社会的地位は相対的に低下しているという。「昔の日本は、男性にとって天国のような場所でしたが、今では新たな現実に幻滅を感じています」と彼女は私に言った。私たちは東京駅の壮麗な赤レンガ造りの建物から道路を隔てたビルで、ランチを共にしていた。かつて日本の女性は、どんなにさえない男性でもまともな仕事に就いているというだけで愛想を振りまいたものだが、今では相手に向ける視線はもっと厳しくなっていると大沢は語った。しかも、男性で増える一方のパートタイム労働者が結婚相手に恵まれる可能性はゼロに近いのが現実だ。「女性の気を引くために何かしたいと考えても無駄なので、すっかりあきらめてしまった男性もいます」

水玉模様のモチーフを使った絵画や彫刻などで知られる草間禰生も、伝統的な結婚に対する軽蔑の念を隠さない。戦後の日本で幼少時を過ごした彼女は、芸者と浮気をし続ける父親のことを自伝でこう書いている。「男は無条件にフリーセックスの実践者であり、女はその陰でじっと耐えている。そういう姿を目のあたりにして、子供心にも、『こんな不平等なことがあっていいものだろうか』と、強い憤りと反発を感じたものだ」〔『無限の網--草間禰生自伝』新潮文庫、二○一二年、一二〇頁〕。一九六〇年代の日本社会に息が詰まりそうになった草間は、ニューヨークヘ脱出を図った。キャリアの一時期には、自分で縫った数百個の布のペニスで、家具をおおうことに夢中になった。そうすることで男性器に対する嫌悪感を「消し去ろう」と考えたのだ、と彼女は語っている。ある写真には、無数のペニスにおおわれたボートの後ろで、カメラに背を向けて素っ裸で立つ草間の姿が映っている。彼女はその作品を『集積の一千のボートーショー』と名付けた。

一方、旧弊な考え方も、決して消滅したわけではなかった。二〇〇三年、早稲田大学のサークル「スーパーフリー」のメンバーたちは、女子大生をパーティーに招いて泥酔させ、集団暴行するという事件を起こした。すると、ある国会議員は「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」と述べたのである。この発言に対しては、世間から激しい非難の声が集中し、強盗罪の罰則が懲役五年以上なのに対し、強姦罪の罰則を二年以上〔二〇〇四年に三年以上に改定〕と定めた法定刑の低さを疑問視する意見が相次いだ。結局、「スーパーフリー」を主催した事件の首謀者、和田真一郎は、法定刑上限の一五年に近い懲役一四年の実刑判決を受けた。その後も政治家たちは、前時代的な考え方を露呈し続けた。二〇〇七年には、七十代の柳滓伯夫厚生労働相が少子化問題について「一五歳から五〇歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっている」のでもっと頑張って欲しいと発言。すぐに「機械と言ってごめんなさい」と謝罪したが、女性は「産む役目の人」だと言い換えた。

経済的、社会的な状況の変化によって、日本ではさらに多くの女性が「陰でじっと耐え忍ぶ」必要がなくなりつつある。結婚相手の条件を厳しくすることで女性の晩婚化と未婚化か進み、三十代まで独身でいる女性の割合は、一九八○年代に比べて倍近くにまで増加した。その結果、多くの女性たちは、二十代、三十代、あるいは四十代に至るまで親と同居を続けて家賃を浮かし、自分で稼いだ給料はぜいたく品、外食、そして海外旅行に注ぎ込むようになっている。山田昌弘は、彼女たちを「パラサイト・シングル」と名付け、決して現れるはずのない「白馬の王子様」を待ち続ける「現実逃避の夢想家」に過ぎないと片付けた。だが、こうした現実は、四五歳以上の女性の未婚率がわずか四%で、アメリカの半分の比率に過ぎないこととはあまりにも対照的である。つまり、若い女性たちの行動は現実逃避というより戦略的なもので、古い世代のように社会的圧力に屈して、気の進まない結婚をすることを拒否した結果という解釈も容易に成り立つのである。

女性が自立を主張するために使い始めたもう一つの手段が離婚である。一九九〇年代以降、ほぼ倍近くにまで増えており、今では四組に一組の夫婦が別離の道を選択している。もっとも、比率としてはヨーロッパに近づいているが、アメリカと比べればいまだに半分程度でしかない。調査によれば、離婚を最初に切り出すのは女性の場合が多く、男性と違って再婚を急がない。二〇〇三年には、養育費が支払われていない場合に妻側が強制執行を請求することが、法律改正で可能になった。また二〇〇七年以降は、離婚の申し立てを行なった女性は、夫の厚生年金の最高半額まで請求できるようになったのである。二〇〇一年には、配偶者からの暴力を防ぐ通称「DV防止法」が施行され、家庭内暴力はもはや家族の問題として放置されることはなくなった。地方裁判所を通じて、配偶者に六ヵ月間の接近禁止命令を出したり、住居から短期間の退去命令を出したりすることが可能になったからだ。

一方、四五歳から六四歳までの年齢層の離婚率は、一九六〇年から二〇〇五年の間に一五倍にまで膨れ上がった。また一九八五年以降、三〇年以上連れ添った夫婦の離婚件数も四倍に増えている。これらの数字は、法的規範や社会通念に妨げられて、不本意な夫婦関係に縛られてきた女性たちが、ようやく逃げ道を見つけ始めたことを示唆している。熟年夫婦の離婚は、夫の定年退職後に起きることが多い。これは、それまで家に寝に帰るだけだった夫と年がら年中同じ屋根の下で暮らすのはもはや耐えられないことに、妻がはたと気付くためであった。これらの女性たちは、時哲言われるような、黙って試練に耐える引っ込み思案な存在からは程遠い。その証拠に、彼女たちは定年後の夫を「粗大ごみ」と呼んで邪険に扱ったりすることがある(愛情を込めてそう呼ばれる場合もなくはないが)。
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地上資源文明の技術体系

『科学・技術と現代社会』より 地下資源文明から地上資源文明へ

現在は地下資源の存在とその有用さが前提となっている社会だから、地上資源を主とするような社会や文明の形式を想像することは困難であるが、現実に進められている事柄から想像できる部分もある。

まず地上資源文明における技術体系は、地下資源文明のそれとは対極的な小型化・多様化・分散化が特徴となることは明らかだろう。そもそも地上資源は地下資源ほど効率的ではないから、大型化は困難であって小型で小回りが効く技術とならざるを得ないのだ。その典型として太陽光発電を考えてみればよい。大きなものでもメガワット(MW、一〇〇万W=一〇〇〇kW)であって、その敷地だけでも広大になり、原発のようなメガキロワット(MkW、一〇〇万kW)はとても困難である。むしろ、家庭用の三~四kWのものが屋根で発電するだけでなく、壁や車の天井やパラソルなど多様なタイプが開発され、あちこちにそれぞれの規模と目的に応じて分散的に発電するようになるだろう。行楽に太陽光パネルをバッグに積み込んで出かけるのが普通になるのである。

言い換えれば、地上資源文明を支える技術は小型化・多様化・分散化にならざるを得ず、それは文明の形態にも影響を与えるようになるのは確実である。その第一は、その技術から生み出されるものは少量生産であるから地産地消が基本になり、生産と消費の距離が小さくなることである。そのため生産過程が見えるからモノを大事にする習慣につながるし、廃棄にも責任を持つようになる。買い換え使い捨てをするような無責任な消費者ではなくなるのだ。それだけでもムダなエントロピーの発生を抑え、エネルギー節約体質が身につくだろう。

もう一つ、地上資源文明となることによって必然的に重要な生き方・考え方につながっていくことを挙げておきたい。エネルギーを自分で管理して自分で始末をつけ、自分の生活領域全般に責任を持つようになるから、中央にお任せではなく自らのことは自ら決定するという分権の考え方に馴染むということである。そしてまた、欲望に振り回されるのではなく、ほどはどの豊かさで満足する自足の精神が基調となるだろう。要するに自立した個人の共同体としての社会に近づくと期待できるのだ。発展論理ではなく、持続可能性を基調にした文明は地上資源の活用によってこそ実現されるのではないだろうか。

さらにつけ加えるとすれば、小型化・多様化・分散化の技術は自然災害の多い日本にはうってつけであることだ。地震や津波、台風や洪水などに襲われると、ライフラインや交通網は遮断され、近代的な技術は機能しなくなるのが通例である。特に大都会では、生活物資や食料品の補給が途絶え、水道や電気やガスが使えなくなり、ゴミ収集がなくなって山積みになってしまう。ほんの数日であっても、これらの不便や不衛生や不健康な状況になってしまうことは阪神・淡路大震災や東日本大震災で経験したことである。そのような場合、地産地消であれば生活物資や食糧の調達は比較的容易であるし、太陽光発電や井戸水の利用、ガスボンベや貯蓄式便所などのような小型で融通が利く製品であれば、どこでも即座に役立つことは明らかだろう。

私たちは、日頃電気やガスは地域企業に、水道やゴミの収集は地方自治体にお任せしているが、それらが機能しなくなると何もできなくなってしまう。通常の生活ではそのような状況は夢にも思わないが、いったんそれら全体が止まってしまえば何もできなくなってしまうのは当たり前だろう。そのような惨状は地下資源文明における集権体質に慣らされているために生じることであり、私たちは天災に対して、実にひ弱な体質になってしまっているのである。地上資源文明での分権意識に基づく自己管理が身についておれば、災害に遭遇しても大きな苦労なく乗り越えることができるのだ。

以上述べた地下資源文明と地上資源文明の対比を図式的にまとめておこう。

         地下資源文明         地上資源文明

 技術体系    大型化・一様化・集中化    小型化・多様化・分散化

 経済構造    大量生産・大量消費・大量廃棄 少量生産・少量消費・少量廃棄

 生産と消費   集中生産と遠距離輸送     地産地消

 消費形態    買い換え・使い捨て      ものを大事に・長持ち

 人口の動向   大都会への集中        都市・地方への分散

 体質      お任せ体質          自立体質

 エネルギー使用 浪費型            節約型

 政治体制    集権体制           分権体制

 思想      発展・成長          持続可能性

 欲望      もっともっと         ほどほど

 経済体制    資本主義           共同体主義

 利益      短期の利得          長期の収支

 貧富の格差   拡大             縮小
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岡崎図書館の10冊


146.8『自己変容をもたらすホールネスの実践』マインドフルネスの実践

675『CRMの基本』この一冊ですべてわかる

134.9『超訳 ヴィトゲンシュタインの言葉』

361.1『現代社会の在立構造』大澤真幸『現代社会の在立構造』を読む

193.2『フロイトのモーセ』終わりのあるユダヤ教と終わりのないユダヤ教

699.2『テレビは国境を越えたか』 ヨーロッパ統合と放送

335『急成長企業を襲う7つの罠』なぜ、7割の企業が創業10年を迎えられないのか?

335.7『地方自治体に営業に行こう!!』ビジネスチャンスはこんなに身近に! 小さな会社でも 売上増やすなら官公庁をねらえ! できる

124.1『儒禍 中国二千年の呪縛』

910.2『吉本隆明“心”から読み解く思想』
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考えるとは映像を作ること

未唯の相手情報

 未唯の相手を聞いたら、同じ28歳だそうです。全然、教えてくれなかった。

 「え! 未唯に相手がいるって! 聞いてないよ!!」とフェースブックでささやいた。

ノブの相手

 ノブの相手は「ふつう」です。京都の着物つくりがポイントです。しゃべるつもりがなかったけど、録音を聞くとさかんに私がしゃべっていた。

 ノブの相手は「ふつう」です。妹と姪にはそう答えておきました。奥さんは未唯に似ているというけど、未唯の方がはるかにかわいい。

 玲子は私の夢の一部になっているのは確かです。だから、ものすごく気になります。未来の未唯の一部です。

書き起こしが溜まっている

 なかなか、入力する気になれないですね。

人間は「知る存在」ホモ・サピエンス

 私たちは何者なのか? 答えは全て、「知る存在」である。

 今、何をするのか? 広く、利用しやすい公開討論の場で、素直に分かりやすく、互いにコミュニケーションを取り合う能力を開発すること。

 ネット上に活気ある、開かれた公共広場を構築し、新たに姿を現しつつある議題への最善の解決策や機会を捉える最善の戦略について、議論する。

考えるとは映像を作ること

 「ウィットゲンシュタインの言葉」は前に豊田市図書館で借りています。その時に読んだ感覚と、今の感覚は違います。この2カ月で変わりました。

 「考える」とは、映像を作り出すこと。これなどは以前は気にならなかった。今はよく分かります。「考える」とはそういうことなんでしょう。その意味では、かなり答えに近づいているのでしょう。

 ウィットゲンシュタインの言葉のかなりの部分はもう一度、入れ込まないといけない。よく似ている。

試験シーズン

 岡崎図書館の学生の群れはすごかった。岡崎は場所にあふれている。豊田市の駅前のスタバも学生が多いです。皆、フラペチーノです。お金があるんですね。

録音スイッチ

 録音スイッチがちぐはぐになって、インターバルしか入っていない。やはり、録音チェックは必要です。自分に言い聞かせるために。
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テーマとジャンルの項目対比 2/2

L1 存在と無
 存在と無 ⇒ 10.6 個人=超国家
 真理探究 ⇒ 1.1 存在と無
  ①真理は不変 ⇒ 2.1 空間を規定
 孤立と孤独 ⇒ 1.1 存在と無
  ①独りぼっち ⇒ 7.1 考える生活
  ②読書 ⇒ 6.2 思いを伝える
  ③エッセイ ⇒ 7.6 社会ライブラリ
  ④時間 ⇒ 7.1 考える生活
 存在の無 ⇒ 10.8 自己肯定
  ①無為 ⇒ 7.8 存在の無
L2 存在の力
 存在の力 ⇒ 1.3 存在の力;2.8 次の次;4.5 未来方程式;10.5 変節点
7.4 存在の力;7.5 未唯空間
  ①個人の分化 ⇒ 5.7 地域に入り込む;8.6 知識と意識;9.6 共有意識;10.1 多くの人が生きられる
  ②組織の分化 ⇒ 10.1 多くの人が生きられる
  ③もう一人の私 ⇒ 1.2 考える
  ④本質を考える ⇒ 1.2 考える
 歴史哲学 ⇒ 4.2 歴史認識
  ①存在の哲学 ⇒ 10.2 歴史哲学
  ②新しい自由 ⇒ 10.2 歴史哲学
 意思の力 ⇒ 10.5 変節点;4.5 未来方程式
  ①著者の思い ⇒  6.2 思いを伝える
  ②大いなる意思 ⇒ 
  ③支配 ⇒ 4.6 歴史哲学
 分化と統合 ⇒ 4.4 幸せな社会;9.7 分化と統合
  ①分化 ⇒ 4.6 歴史哲学;7.4 存在の力
  ②統合 ⇒ 4.6 歴史哲学;7.4 存在の力
  ③集中と分散 ⇒ 3.4 地域の循環
L3 内なる世界
 内なる世界 ⇒ 1.7 位相表現:7.2 内なる世界;10.7 全てを知る
  ①考える ⇒ 1.1 存在と無
  ②偶然を生かす ⇒ 1.2 考える
  ③間歇性 ⇒ 1.5 内なる世界
  ④未唯宇宙 ⇒ 10.7 全てを知る
 宇宙の旅人 ⇒ 1.3 存在の力
  ①偶然 ⇒ 10.8 自己肯定
  ②生きる ⇒ 10.8 自己肯定
  ③μとの対話 ⇒ 7.4 存在の力
 独我論 ⇒ 7.3 社会
  ①私の世界 ⇒ 1.5 内なる世界
  ②役割 ⇒ 10.8 自己肯定
  ③四つの役割 ⇒ 7.2 内なる世界
 外なる世界 ⇒ 1.3 存在の力;1.5 内なる世界;1.7 位相表現;7.2 内なる世界
  ①つぶやく ⇒ 1.4 社会構造
  ②働きかけ ⇒ 1.4 社会構造
  ③楽しみ ⇒ 7.3 社会
  ④ツール ⇒ 7.1 考える生活
L4 情報共有
 コラボ ⇒ 10.2 歴史哲学;4.5 未来方程式;5.3 販売店環境;6.5 図書館コミュニティ;6.7 知の体系;8.5 情報共有
  ①お客様情報 ⇒ 5.4 お客様環境
 ソーシャル ⇒ 3.7 情報共有
  ①ネットワーク ⇒ 5.3 販売店環境;6.5 図書館コミュニティ;8.7 ソーシャル
  ②お客様支援 ⇒ 5.4 お客様環境
 状況把握 ⇒ 10.4 社会の位相化;3.6 コミュニティ;8.1 販売店要望
  ①お客様状況 ⇒ 5.4 お客様環境
  ②クルマ状況 ⇒ 8.2 マーケティング
 ポータル ⇒ 3.7 情報共有;6.5 図書館コミュニティ;8.5 情報共有
L5 共有意識
 共有意識 ⇒ 1.7 位相表現;10.2 歴史哲学;3.6 コミュニティ;9.4 多様化;9.6 共有意識
  ①地域の分化 ⇒ 9.6 共有意識
  ②多くの人がいる ⇒ 10.1 多くの人が生きられる
  ③共有基盤 ⇒ 8.5 情報共有
  ④ボランティア ⇒ 3.2 地域の状況
 公共図書館 ⇒ 6.1 本と図書館;6.3 公共図書館
  ①公共のあり方 ⇒ 8.8 クルマ社会
  ②多読 ⇒ 6.1 本と図書館
  ③知る ⇒ 6.3 公共図書館
  ④関わり ⇒ 6.1 本と図書館
 新しい行政 ⇒ 3.2 地域の状況;3.3 社会モデル;9.7 分化と統合
 地域自律 ⇒ 3.3 社会モデル;3.4 地域の循環;3.8 社会の位相化;4.6 歴史哲学;4.8 歴史の進化;9.3 サファイア機能
  ①地方分権 ⇒ 4.3 脱国民国家;9.6 共有意識
L6 位相表現
 位相化 ⇒ 1.7 位相表現;10.4 社会の位相化
  ①社会の位相化 ⇒ 2.6 位相表現
  ②社会に適用 ⇒ 2.4 位相空間創出
 近傍 ⇒ 2.5 サファイア表現
  ①コンパクト化 ⇒ 3.5 地域インフラ;9.4 多様化
  ②多様体 ⇒ 2.1 空間を規定
 空間 ⇒ 
  ①空間認識 ⇒ 
  ②LAM/WAN ⇒ 9.7 分化と統合
  ③空間解析 ⇒ 1.1 存在と無;2.1 空間を規定;2.6 位相表現
  ④空間をつくる ⇒ 2.7 新しい数学
 カバーリング ⇒ 2.5 サファイア表現
  ①地域から国家 ⇒ 4.8 歴史の進化
  ②全体を捉える ⇒ 2.4 位相空間創出
  ③伝播力 ⇒ 10.6 個人=超国家
L7 進化
 歴史の進化 ⇒ 7.8 存在の無
  ①137億年の進化 ⇒ 10.3 サファイア革命
  ②歴史の見方 ⇒ 4.2 歴史認識
  ③歴史の加速 ⇒ 
 地球規模課題 ⇒ 3.2 地域の状況
  ①クライシス ⇒ 3.5 地域インフラ
  ②環境問題 ⇒ 9.1 地球規模課題
  ③エネルギー問題 ⇒ 3.5 地域インフラ;9.1 地球規模課題
 新しい数学 ⇒ 7.8 存在の無
  ①数学の経緯 ⇒ 2.3 数学の歴史
  ②集合が点 ⇒ 2.7 新しい数学;10.6 個人=超国家
  ③多層表現 ⇒ 
  ④周縁から変革 ⇒ 
 次の次 ⇒ 
  ①変節点 ⇒ 10.5 変節点
  ②市民=超国家 ⇒ 4.8 歴史の進化
  ③L=G ⇒ 2.8 次の次
  ④位相社会 ⇒ 2.8 次の次
L8 未来の姿
 未来の姿 ⇒ 3.8 社会の位相化;4.5 未来方程式
  ①企業変革 ⇒ 8.8 クルマ社会
  ②マーケティング ⇒ 8.2 マーケティング;8.7 ソーシャル
  ③ローコスト ⇒ 5.8 いい社会
  ④数学の未来 ⇒ 2.3 数学の歴史
 未来方程式 ⇒ 
  ①シナリオ ⇒ 6.8 図書館の未来;9.5 グローバル化
  ②情報係数 ⇒ 
  ③歴史の方向 ⇒ 
  ④LL=GG ⇒ 2.8 次の次;4.4 幸せな社会
 知の体系
  ①生涯学習 ⇒ 6.4 知識と意識;6.7 知の体系
  ②知の入口 ⇒ 6.6 情報センター
  ③知ること ⇒ 10.7 全てを知る
 クラウド ⇒ 10.4 社会の位相化;6.7 知の体系;8.5 情報共有
  ①バーチャル ⇒ 8.7 ソーシャル
  ②電子書籍 ⇒ 6.7 知の体系
  ③スマホ ⇒ 
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テーマとジャンルの項目対比 1/2

M1 社会構造
 社会構造 ⇒ 
  ①社会を分析 ⇒ 1.3 存在の力
  ②社会現象 ⇒ 1.4 社会構造
  ③社会変化 ⇒ 5.6 販売店要望
  ④社会の在り方 ⇒ 4.4 幸せな社会
 多様化 ⇒ 4.1 国民国家;9.4 多様化
  ①社会の動き ⇒ 3.1 社会を知る
  ②社会の情報 ⇒ 3.1 社会を知る
  ③社会 ⇒ 7.6 社会ライブラリ
  ④社会の進化 ⇒ 7.8 存在の無
 地域主体 ⇒ 3.4 地域の循環;9.2 サファイア循環;9.8 環境社会
  ①地域発想 ⇒ 9.1 地球規模課題
  ②地域課題 ⇒ 9.1 地球規模課題
  ③地域から見る ⇒ 3.1 社会を知る
 幸せな社会 ⇒ 1.8 未来を知る
  ①幸せを実現 ⇒ 
M2 サファイア
 循環 ⇒ 1.4 社会構造;1.6 未唯空間;2.2 空間モデル;9.2 サファイア循環
  ①循環機能 ⇒ 9.3 サファイア機能
  ②思考と行動 ⇒ 5.2 サファイア循環
  ③部分と全体 ⇒ 
  ④地域と国 ⇒ 4.4 幸せな社会
 空間認識 ⇒ 
  ①空間配置 ⇒ 2.2 空間モデル
  ②複雑性 ⇒ 2.2 空間モデル
  ③空間モデル ⇒ 2.2 空間モデル
 持続可能性 ⇒ 5.8 いい社会;9.8 環境社会;10.3 サファイア革命
  ①役割 ⇒ 2.5 サファイア表現
  ②機能 ⇒ 2.5 サファイア表現
 数学理論 ⇒ 2.4 位相空間創出
M3 未唯空間
 未唯空間 ⇒ 7.5 未唯空間
  ①分類 ⇒ 1.6 未唯空間
  ②言語表現 ⇒ 1.6 未唯空間
  ③体系化 ⇒ 1.6 未唯空間
  ④思いを残す ⇒ 7.7 全てを知る
 全てを知る ⇒ 1.8 未来を知る;7.7 全てを知る
  ①全てを表わす ⇒ 1.8 未来を知る;7.7 全てを知る
  ②今を知る ⇒ 6.8 図書館の未来
  ③全体を知る ⇒ 6.8 図書館の未来
  ④未来を知る ⇒ 7.7 全てを知る
 考え抜く ⇒ 1.5 内なる世界;7.5 未唯空間
  ①数学手法 ⇒ 2.1 空間を規定
  ②好奇心 ⇒ 7.1 考える生活
 未来を表わす
  ①未来を知る ⇒ 1.8 未来を知る;6.8 図書館の未来
  ②次に進む ⇒ 10.7 全てを知る
M4 システム設計
 パートナー
  ①生活規範 ⇒ 2.6 位相表現
  ②販売店を活かす ⇒ 8.2 マーケティング
  ③ミッション ⇒ 6.4 知識と意識;7.2 内なる世界
  ④経験 ⇒ 5.1 夢をカタチに
 システム構成 ⇒ 5.5 システム構成;5.5 システム構成
  ①使える仕組み ⇒  5.1 夢をカタチに
  ②店舗支援 ⇒  5.3 販売店環境
  ③現象解析 ⇒ 2.6 位相表現
 要望 ⇒ 8.1 販売店要望
  ①夢をカタチに ⇒ 1.2 考える;5.1 夢をカタチに;5.6 販売店要望
  ②声を聴く ⇒ 5.6 販売店要望;8.3 地域要望
  ③簡単に使える ⇒ 8.1 販売店要望
  ④つながる ⇒ 8.1 販売店要望
 システム設計 ⇒ 5.1 夢をカタチに;5.6 販売店要望
  ①システム ⇒ 8.6 知識と意識
  ②データ活用 ⇒ 8.4 データ活用
M5 コミュニティ
 コミュニティ ⇒ 5.3 販売店環境;8.7 ソーシャル
  ①生きられる ⇒ 10.1 多くの人が生きられる
  ②コミュニティ連携 ⇒ 5.7 地域に入り込む
  ③個人と組織 ⇒ 10.6 個人=超国家
 地域展開 ⇒ 5.8 いい社会;8.3 地域要望
  ①地域支援 ⇒ 3.3 社会モデル;8.3 地域要望
  ②地域の声 ⇒ 
  ③静脈系 ⇒ 3.4 地域の循環
 知識と意識 ⇒ 3.6 コミュニティ;6.2 思いを伝える;6.4 知識と意識;8.6 知識と意識
  ①知識ナレッジ 8.3 地域要望
 ライブラリ ⇒ 7.6 社会ライブラリ
  ①図書館コミュニティ ⇒ 6.6 情報センター
  ②読書環境 ⇒ 6.3 公共図書館
M6 政治形態
 国民国家 ⇒ 4.2 歴史認識
  ①国家連合 ⇒ 4.7 シナリオ;9.5 グローバル化
  ②超国家 ⇒ 9.5 グローバル化
  ③戦争と平和 ⇒ 4.3 脱国民国家
 資本主義
  ①資本主義を超える ⇒ 10.3 サファイア革命
  ②共産主義 ⇒ 4.1 国民国家
 民主主義
  ①民主主義を超える ⇒ 10.3 サファイア革命
  ②新しい民主主義 ⇒ 9.2 サファイア循環
  ③脱民主主義 ⇒ 4.3 脱国民国家
  ④全体主義 ⇒ 4.1 国民国家
 合意形成 ⇒ 3.7 情報共有;サファイア機能
  ①政治のあり方 ⇒ 
  ②意思決定 ⇒ 
M7 教育・仕事・生活
 循環
  ①知の空間 ⇒ 6.5 図書館コミュニティ
  ②国が変わる ⇒ 4.7 シナリオ
  ③シナリオ ⇒ 7.3 社会
 教育
  ①学習支援 ⇒ 6.6 情報センター
  ②教育を変える ⇒ 6.4 知識と意識
 仕事
  ①新しい企業観 ⇒ 9.7 分化と統合
  ②仕事観 ⇒ 8.6 知識と意識
  ③高度サービス ⇒  3.8 社会の位相化;9.8 環境社会
  ④企業が変わる ⇒ 3.2 地域の状況;4.7 シナリオ
 生活 ⇒ 7.5 未唯空間;7.6 社会ライブラリ
  ①生活者 ⇒ 3.7 情報共有;9.8 環境社会
  ②市民が変わる ⇒ 4.7 シナリオ
  ③生活視点 ⇒ 3.1 社会を知る
  ④生活研究 ⇒ 7.3 社会
M8 環境社会
 環境社会 ⇒ 10.5 変節点;3.6 コミュニティ;4.8 歴史の進化
  ①歴史意識
 グローバル化 ⇒ 4.1 国民国家;9.5 グローバル化
 地域インフラ ⇒ 3.5 地域インフラ;3.8 社会の位相化;8.8 クルマ社会;サファイア機能;10.4 社会の位相化
 クルマ社会 ⇒ 5.4 お客様環境;5.7 地域に入り込む;5.8 いい社会;8.8 クルマ社会
  ①クルマを活かす ⇒ 
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