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ジャンルとテーマの関係

未唯へ

 岡崎図書館は来週、Libra祭りみたいです。ネットで内容を確認しましょう。10時だから、ちょっと、遅めに来ないといけない。駐車場の関係だと、9時20分でなかで待ちましょう。

 今日のおとめ座は最高の運です。みずがめ座はほとんど最悪です。昨日は最高だった。それで会いに行った。明日のおとめ座との相性は12位です。自重します。

 「私の名前はもう。あなたの名前は」これをスタバで使いましょう。まずは自分の名前から。

スケジュール表での行動

 まあ、スケジュール表で行動しましょう。理由は後からつければいい。

 これはパートナーも同じです。小さなことは気にせずに、思うままにスッキリ出来るようにするだけです。

位相空間のコンパクト性

 コンパクト化の要因の考え方がうまくつかめていなかったけど、地域インフラでコンパクトにするのは、主に位相表現です。コンパクトは元々、位相の言葉です。   エネルギーに関しては共有意識のもとで考えます。いかにして、共有するのか。

 項目の下の細目には、思惑の異なるものがくっつきます。ベースが項目にくっつきます。

ジャンルとテーマの関係

 ジャンルとテーマの関係が見えてきた。ジャンルは時系列とか縦系列ですけど、テーマは横系列です。それも論理層と物理層に分かれます。

 ジャンルのコミュニティという場合も夫々思惑があります。意識と知識を集めるところ、環境社会に向かうためのベース、共有意識を表現するところ、情報共有をする仕組み作り、それでもって、活動していくこと。コミュニティのところと、次の情報共有の3.7の違いは、広がりで、役割が異なります。

 多層化のカタチを示している。怖いけど。ジャンルのベース、一つだけで考えるのではなく、その中のファクターはテーマとつながっている。部分が違う集合とつながるという位相構造になっている。

 その中で、代表元的な形で集合を定義すると、代表元が点として表現される。そしてつながっていく。ただし、中の集合はまた、分解する。今までは、そういう多様な構造を避けるために、シンプルな構造にした。上からの命令で動く。その時でも、部分の目的の方が、集合よりも大きい。

 その大きなものをその中に入れるためにどうするか、縮小させるためにどうするか。考えさせなくするのではなく、その中の一部を使って、表現する。同時に、上からの指示で行うのではなく、その多様なモノの方から、食指をのばす。

生活者意識

 生活者意識はM7に置きます。生活の意識を変えることで教育が変わり、仕事が変わる。三つの関係は何処から変わるかだけです。生活者意識で生活を変える、教育のところを生きる意味から教育を、仕事も一緒です。

 生活の手段は消費ではなく、生活することから変えていく。何のために生まれてきたのかがベースです。

 資本主義で消費者と言うものを生活者と言うだけで、様相は変わります。生活者であるためには、個人が変わるだけではなく、家庭も変えないといけない。生活そのものを変えていく。生活を変えるためには、教育を変えないといけないし、仕事の目的も変えないといけない。家族の構成も変わってくる。受け身である消費者として、奴隷のように生きていくわけにはいかない。

 ジャンルとテーマを関係づけるようなことは人間でないとできない。いかに咀嚼するか、集合を点にすると同時に、点が集合であるという認識をもつのか。人間の中でも数学者でないと、できないかもしれない。その割り切りが必要です。その中から危機感を出した時に、ESDがどう関係するのかが、来週水曜日の目的でしょう。

スケジュールノート

 一日に一つのテーマを確実につけていくのは、ノートの役割です。スケジュールは一日一日ではない。一日です。

参考文献

 参考文献を挙げる以上は、その入手方法。出来たら、自分のサイトに全てを置いておくことが必要。そうでなければ、上げなくてもいい。
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新・新自由主義

相手が見える世界

 技術部のソーク場が再出発でした。それまでは、技術者相手に、根幹をなす情報を表現してきた、変えてきた、システム化してきた。その時は、相手が見えないということがあったので、見えるものを望んだ。その結果、昇格と同時に、研究開発部署への異動。

 はじめて、そこに並んだ、250人の技術員と技能員の前に、台上であいさつした。今までは見えない多くの人を相手にしてきたけど、今日からは見えているあなたたちだけを相手にする、ということを宣言した。

 パートナーには相手が見えているかが心配です。販売店の人たちに、どのようにアピールして、信頼を得るのか。その上でのお仕事になります。それを返した途端に、何のレスも返ってこない。愚痴で終わっている。

書き起こし

 なかなか、入力できないですね。スケジュール表も中途半端です。あまり、タイムリミットを感じられていない。

 危機感は感じています。それだけでもいいかな。書き起こしをしないと、タイムスケジュールにつながらない。

 移動時間中にポメラで入力できるかどうかは確認してみるけど、あまり、期待は持っていないですね。ATOKが入っているから、同じようにできるはずなんですけどね。

 何か、物が二重に見えていますね。650の入力は正面からやった方がいい。

なぜ、ESDにたどり着けなかったか

 久屋大通と久屋公園って、栄からすると、まるっきり、逆方向なんですね。10年以上通っていたのに、全然忘れています。

新・新自由主義

 新自由主義がなぜ、起こったのか。ハイエクはなぜ、そう思ったのか。共産主義の中央集権制では、末端まで目が回らない。上からの改革ではなく、下からの改革するにはづするかを考えた。それを現行のシステムの中でどうやってやるかを考えたからでしょう。

 最期の制約のところをもっと拡げればいい。共有意識をどう持たせるのか、その為に、教育をどうしていくのか、仕事観をどう変えるのか、生活をどうしていくのかという、論理的なところ。

 今回やってみても、制度を変えればいいというものでないことは分かります。地域からおこすにしても、人の資質はものすごく関係する。人ひとりが変わるための危機感。それをカタチにできれば。それを自分一人で片づけるのではなくて、傍観者ではなく。

 この危機感は多分、本能的なモノです。このままではダメだと。それが証拠には、新しい政策が出ても、合うものがない。

 新しい政策と言っても、上の頭のいい連中が作ったものではどうにもならない。自分たちの実感として、かつ、自分たちが何を変えたらいいのか、国がするわけではなくて、自分たちが何をするのか。それをケネディのように国の単位でやるわけにはいかない。公民権運動のように、意識を拡大しないといけない。

 その中には、女性もあります。女性はしたたかです。ムスリムにみられるように、男をうまく立てて、生きていきます。ある意味では寄生虫であり、ある意味では、大きな力であり、意思です。
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全体主義

『世界を変えた50の政治』より

全体主義体制では、国家が人々の公的生活と私的生活のあらゆる側面を管理し、しかもその管理は恣意的で、激しい弾圧をともなうことも多い。元首の地位には独裁者がつき、個人崇拝とメディア支配をとおして権力を強化する。

全体主義は、一般に20世紀の現象だと理解されており、情報公開と教養ある有権者を前提とする自由民主主義が成立するのに不可欠な諸特徴そのものの、特異な変種とみなされている。

全体主義は、国内でマス・コミュニケーションが発達し、大衆の識字率が向上すると生まれやすくなる。このふたつが道具となって、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(1948年)で描かれているような、管理とプロパガンダが各家庭にいきわたった世界が生まれるのである。西洋ではヒトラーとスターリンが、東洋では毛沢東とポル・ポトが、自国民を何百万も死に追いやって、こうした体制がいかに冷酷無残であるかを如実に示した。

「全体主義」という言葉そのものは、1920年代初頭にムッソリーニとそのゴーストライターで哲学者のジョヴァンニ・ジェンティーレが、国家が近代的なコミュニケーション手段を通じて国民におよぼすことができそうな支配力を表現するのに使いはじめたものである。

全体主義体制は、たんなる独裁政治とは程度も違うが、多元主義に対する態度もまったく異なる。独裁政治では、多元主義の名残が独裁者の行動を抑える役割をになうことが多い。しかし全体主義体制では、既存の組織・制度すべてを(ときには一度ならず何度も)破壊し、教会や労働組合など破壊できなかったものは自分の御用機関にするのが常である。

全体主義に特有の武器が恐怖だ。この恐怖は、法制度が曖昧で十分に公開されていないために起こり、そのせいで国民は、いつ果てるともしれぬ不安のなかで生きなくてはならない。しかもその不安は、公開裁判で誤認逮捕のおそろしい結末を見せつけられることで、いっそう強まる。

ドイツ系アメリカ人の哲学者ハンナ・アーレントは、主著『全体主義の起源』(1951年)で、恐怖は個人の自発性を押しつぶすと述べている。彼女は、全体主義は世界の諸問題を、ファシストなら人種、共産主義者なら階級というように、単一の問題や敵に還元することで成り立っていると指摘した。

その初版には、次のように書かれている。「全体主義体制がもつ気がかりな今日的意味とは、わたしたちが現代のほんとうの諸問題に取り組もうとするとき、全体主義が今世紀の災いとなったのはそうした問題にかくもおそろしい形で対処したからにほかならないとの認識なくしては、その問題を解決することはおろか理解することさえできないという点にある」

モンテスキューは、政治制度にとって重要なのは、その目的に最適な法制度を見つけることだと論じたが、全体主義の目的は、ほかの政治制度と違い、国民を制度に合わせることにある。ジャン=ジャックリレソーヘの批判として、「人々を強制的に自由にする」という考えに全体主義体制を正当化する思想があるとの意見がある。たしかに文脈を無視すればそのように解釈できないこともないが、ルソーの真意がそこになかったのは確かである。

全体主義の復活を許さないことが、第2次世界大戦の終結以降、西側世界の外交政策の主要な関心事になっている。手遅れになる前に独裁者をくいとめなくてはならないとの主張は、エジプトのナセル大統領が標的となった1956年のスエズ動乱から、サダム・フセインを狙った2003年のイラク戦争まで、武力攻撃を正当化する根拠として利用されてきた(ただし、1970年代カンボジアのポル・ポトに対しては、こうした主張は起こらなかった。ポル・ポトが共産主義国家であるベトナムと対立していたため、西側は大虐殺に目をつぶったのである)。

一部の専門家は、イスラーム教過激派をファシストの萌芽とみなし、全体主義に発展する可能性があると警告している。しかし、彼らが全体主義へ向かうためにはコーラン(クルアーン)の教えとイスラーム法を破らなくてはならず、そうしたことをみずから進んで行なうイスラーム教徒など、おそらくひとりもいないだろう。
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結論でなく、思考の過程を読もう

『「知の技法」入門』より 「読書の技法」入門 速読、精読、ノート法

小林 今、話を聞いていて、必ずしも哲学を専門にしているわけではない若い人が、たとえばハイデガーの『存在と時間』を読もうとしている時に、わたしがなにかアドバイスできることがあるかなあ、とちょっと考えましたね。もちろん単独でそのまま「ああ、おもしろい」と入っていける人もいるかもしれないけど、現実的にはなかなか難しいですよね。いきなり『存在と時間』を手に取って、最後まで読み切って、というのはちょっと……。

大澤 いきなりは難しいでしょうね。

小林 でも、どこかでそういう経験を一度はしなくてはいけない。大滓さんのように『ツァラトゥストラ』であってもいいわけですが、わけがわからないように見えたものが、読んでいるうちに、霧が晴れるように、ああ、少しわかってきたという経験を、一度はしてもらいたいですよね。そのために、いったいどういう具体的なアドバイスをしてあげられるかということを、ちょっと考えたんだけどね。大滓さんだったら何を言いますか。「諦めちゃいけないよ」とか?(笑)

大澤 僕はニーチエの『ツァラトゥストラ』の話をしましたけど、入口のところでピンとくるものがあったといえばあったんですよ。

 たとえば、今、ハイデガーの『存在と時間』という本のことを話題にしていますね。この本は、実は未完なのですが、一九二〇年代の後半に出ています。たしかに、ものすごく難解な本ですが、当時、この本はかなり売れたのですね。これには、やはり時代的コンテクストが関係していると思う。この本は、もちろん、存在と人間について、普遍的・一般的なことが書かれてはいるわけですが、やはり、直接的には、第一次世界大戦に敗北し、次の戦争への予感もあるような時代の精神、いわゆる戦間期のドイツの悲劇的転換点の時代精神に強く触発されて書かれている。人間のことを「現存在(ダーザイン)」なんて言うのはどうしてなのか。なぜ、「死」への覚悟をあれほどハイデガーが重視したのか。そういうことは、やはり、戦闘期の時代精神、第一次世界大戦の破局を見てしまったという時代のコンテクストと深く関係している。だから、こういう時代精神にどっぷり浸かっていた当時のドイツ人には、難しくても、どこかとてもピンとくるものがあったのでしょう。

 では、まったく時代的・社会的コンテクストを異にしているわれわれには、『存在と時間』は読めないのか。確かに、難しい面はあるのです。しかし、まったく違うコンテクストであるはずなのに、どういうわけか、シンクロする、ということもあるのです。僕にとってのニーチエというのもそうです。ニーチエが『ツァラトゥストラ』を書いた状況と高校一年生だった僕の状況とは、もちろん似ても似つかないはずです。でも、あの時の僕の精神的苦境が、『ツァラトゥストラ』という本がもっている孤独な衿持というのかな、そんな感じのものとシンクロしてしまったんですね。こんなふうに、まったく異なるコンテクストの中にある二つの経験が、横断的にシンクロすることもあるわけです。

 若い人にとっては、とにかく、そういうシンクロする本、ピンとくる本とまずは出会うことが重要なのですが、これは、恋愛と同じで究極的には偶然ですね。といっても、偶然のシンクロを待っていてもなかなか来ませんから、プラクティカルには、やはり、日本人の著者が書いたものを最初のうちは読んだほうが、どちらかというとシンクロしやすいかもしれませんね。書かれているコンテクストと読者のコンテクストが近いわけですから。

小林 大澤さんの言い方はたとえば、戦間期のドイツの現象学と解釈学の伝統を引き受けたハイデガーがどういうふうに哲学をしていくかという時代のコンテクスト、つまり伝統や歴史、そういうものが一つあるということですね。もう一つは、読者の個人的な歴史の中でそれに惹かれていくものが何かということ。どちらもある意味ではテクストの外にあるものですよね。僕が考えるのは、むしろ『存在と時間』のテクストにどうとっかかるか、という態度へのアドバイスなんだけど、それは、ハイデガーだって、このテクストを、はじめから終わりまで書く事がわかった上で演説するみたいに書いているわけではないということかな。つまり、はじめから完成されたものとしてある、というわけではないということ。そう思ったのね。

大澤 うん、それは本当にその通りですね。

小林 つまりそれは、ハイデガーが何かある問題に取り組みながら、少しずつ懸命必死に考えて書いていったその結果だと思うんだよね。実際、『存在と時間』は予定されていた第二部が書かれずに未完で終わっているわけで、彼はやろうとしたことをやり遂げられなかったわけだよね。つまり、ハイデガーという偉い人が偉そうな哲学を開陳しているというよりは、一人の若い精神が、なにか懸命に一つの問題を追って、取り組んで、自分でもうまく言えないその思考を必死に追っかける過程そのものがここに痕跡をとどめている、と考えたほうがいい。彼も苦労しているわけですよ。そのことを忘れてはいけない。一人の人間がその場で苦闘しているわけだよね。科学の論文みたいに、研究の苦闘が消えてしまってその客観的な結果だけが書いてあるように、つまり報告のように考えて読んではいけない。そうではなくて、テクスト全体が途方もない苦闘の痕跡なんだと思って読むなら、たとえ哲学をあまりわからない人が読んでも、「ハイデガーは何かをしようとしているんだな」とか、「なにをしたかったのか」と共感を感じて読むことが少しはできるかもしれない。そのためには、その仕事のために、彼がどんな独自な「道具」を使ったのか。どこから始めたのか、ということに敏感になったほうがいい。

 まあ、哲学というのは、自分で自分の「道具」をつくって、それで作品をつくるみたいなことだからね。たとえば、いちばんわかりやすいのは、ダーザイン(D~F)という言葉かなあ。現存在と訳されているけど、「存在」ということの「意味」を探求しようとして、まずは、現にここに「いる」というあり方を人間はしていて、それが「物がある」という存在のあり方とはまったく異なるというところから、探求を始めようとした、とまあ、考えてみてもいい。この言葉はヘーゲルにだって出てくるし、ハイデガーの発明ではないけど、しかし現象学だったら「意識」という問題を立てたところで、その言葉を捨てて、それをある意味では「存在」の言葉に書き換えて、それを出発点にして新しい哲学を構想しようとした、と。とたんに新しい風景がひらけたような感じがしたんだよね。その風景の開けみたいなことに共感できると、その風景のなかを彼が必死に歩こうと切り開いている「途」が見えてくるかもしれない。けっこう回りくどくて、循環は必然的なので、山で霧にまかれたみたいにぐるぐる同じところを回っている感もあるけど、その最初の風景の感覚がつかめればあとはずっと楽に議論を追っていける。
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岡崎図書館の10冊

493.7『新・精神病理学総論』

302.2『現代韓国を知るための60章』

369.7『人が集まるボランティア組織をどうつくるのか』「双方向の学び」を活かしたマネジメント

209.7『運命の選択 下 1940-41』世界を変えた10の決断

I382.1『里の時間』

410.2『ノイマン・ゲーデル・チューリング』

123.8『全訳論語』

371.5『持続可能な社会をめざして』「未来」をつくるESD

302.3『ノルウェーを知るための60章』

302.2『現代モンゴルを知るための50章』
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オンラインに巨大企業を創り上げた

『世界を変えた50のビジネス』より

イノベーション

 イノベーションとは、既存の製品や生産手法を過去のものとするような、質的にすぐれた製品や生産手法を導入すること、と定義できるだろう。イノベーションは企業に大きな優位性をあたえ、生産高、製品品質、雇用、賃金、利益に影響をおよぼす。また、経済的成長や社会福祉の向上をおしすすめる大きな原動力でもある。

 イノベーションは研究開発で鍵となる役割を果たし、いくつかの段階に分けることができる。第1段階は基礎研究で、これは「発明的」活動と考えてよいだろう。第2は応用研究開発で、厳密に考えればこれこそが「イノベーティブな」活動である。最後の段階が企業、業界、経済を介した新規アイディアの普及である。

 イノベーションヘの投資判断は戦略的なものであり、短期的な利益の最大化のみを考慮して行われるわけではない。この種の投資には、多数の戦略上の問題が影響をあたえる。

 攻撃型戦略は、新技術の導入によって市場の支配を狙う。企業活動は、新規のアイディアを生み出し、特許を取得してそのアイディアおよび副産物を保護することが中心となる。

 企業は資本設備と労働者の技能開発に重点的に投資する。 20世紀のおもなイノベーションはこの方法で開発された。たとえばデュポンによるナイロン(1928年)とライクラ(1959年)の開発、IGファルベンによるポリ塩化ビニル(PVC)の開発(1929年)、RCAによるカラーテレビの開発(1954年)があげられる。企業は基礎研究に積極的に投資する場合もあるが、かならずしも純粋な基礎研究ではない。現実の競争相手や潜在的な競争相手に先んじるために、企業はある程度の実験的な開発業務を行わなければならず、それにはプロトタイプを設計し、組み立て、試験する機能とパイロットプラントが必要になる。

 防衛型戦略は、競合他社がはじめた製品改良や技術的変革に足なみをそろえるためにやらざるをえないものである。何もしなければ、ライバルがもっと高度な製品を提供したり、生産コストを下げて低価格で販売したりできるようになるため、自社の市場シェアを失いかねない。防衛型の企業は攻撃型戦略の追求に必要な技術的資源が不足しているか、リスク回避志向で、実績のある製品や工程にしか投資したがらない場合もある。防衛型戦略とはたとえば、既存の技術に特許の制約の範囲内で可能なかぎりの小さな改良をくわえることをいう。

 模倣戦略とは、短期的にはライセンスを取得したり、長期的には費用のかからない知識を活用したりして、アイディアを模倣することをいう。模倣戦略で利益を上げるには、安価な労働力や専属市場などなんらかの活用できる優位性がなければならない。たとえば、デュポンが1960年にアメリカのレーヨン市場から撤退した大きな理由は、オーロンやダクロンやナイロンの代替製品との競争が激化しただけでなく、低コスト生産企業と競うことができなかったからであった。

 最後に、依存戦略とは、自社よりも強い攻撃型企業との関係において、供給業者や下請け業者として従属的な役割に甘んじることをいう。技術協力や熟練労働者の貸与によって自社に移転された技術をとりいれる。このような関係は日本のエレクトロニクス業界や自動車業界によくみられる。

ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリン オンラインに巨大企業を創り上げた

 スタンフォード大学でコンピュータサイエンスの研究論文を共同執筆したのをきっかけに、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは世界最大の人気を誇るインターネット検索エンジン、グーグルを生み出した。

 ラリー・ペイジはともにコンピュータサイエンスの教師をしていた両親のもと、ミシガン州で育った。サーゲイ・ブリンはモスクワ生まれで、6歳のときに家族とともにアメリカに移民してきた。父親は数学者だった。ペイジとブリンはスタンフォード大学で出会う。それぞれコンピュータサイエンスの博士論文のための研究をしていた。

 ふたりは共同で次世代のインターネット検索エンジンの研究に取り組む。彼らが最初に作ったのは、大学の寮の部屋に立ち上げた「BackRub」で、人気を基準にウェブページを検索した。人気を基準にした検索の方がユーザーにとって有用性が高いと考えたのだ。

 検索エンジンの名前を「グーグル」に変えると、ふたりは大学院を中退し、事業化をめざしてアイディアを発展させる。家族や友人から資金を集め、1998年にサービスを開始した。サービスはたちまち成功した。8年後、グーグルが検索するウェブページ数は数十億になり、1日の検索回数は約6億件になっていた。

 2001年には従業員数が1000名を超え、2004年に株式市場に上場、株価は84ドルをつけた。 10年後、株価は1200ドルに上がり、グーグルの現在の時価総額は2700億ドルに達する。また、従業員数は2014年には4万7000人に拡大した。

 この成功の理由はふたっある。第1に、1日の検索回数が膨大なこのサイトが広告主にとって非常に魅力的であり、検索結果の横に表示される広告スポットのオークションから収益を上げたことである。また、正確かつ効率的で完全なサービスを提供しているため、ユーザーの人気も高い。ラリー・ペイジは「つねに期待を上まわるサービスを提供している」と語っている。 2006年にはユーチューブ(人気の動画投稿サイト)を買収、広告収入源はさらに拡大し、その後も株価が上がりっづけているのもうなずける。しかし、今後の同社の業績にかかわらず、ペイジとブリンの功績は個人と企業のインターネットの利用法に革命をもたらしたことにある。インターネットの利用をかってないほど簡単に、速く、広範囲にしたのである。
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