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芽生え始めた「市民社会」

『日本-喪失と再起の物語』より

日本の国民は「リーダーなしでもやっていく」方法、つまり自らを組織化する方法を複数のやり方を通じて学びつつあった。日本人にはこれまで受動的で社会的序列をあまりにも尊重しすぎるという評判が付きまとっていたし、それは必ずしも不当な評価とは言えなかった。ところが、その日本国民の間で、ゆっくりと、だが着実なペースで、「市民社会」が形成されつつあるようなのである。それはまた、社会的現実の変化を国民が理解し、対応しようとしていることの表れでもあった。日本株式会社はもはや、すべての「社員」の面倒を見切れなくなっている。終身雇用を当てにできない非正規労働者の数は増える一方だし、先進国の中でも他に類を見ないほどの平等主義を自負していたこの国で、ますます多くの人々が社会の片隅に追いやられている。同志社大学の浜によれば、最近は言葉遣いにさえ変化が見られるという。彼女は、鳩山が二〇〇九年に行なった所信表明演説で有権者を「市民」と呼んだことを指摘した。普通なら「国民」と言うところを、彼はフランス革命で社会の主体とされた「市民」という言葉を使ったのである。浜は。「国民」とは「国に属する人々」を意味すると説明した。「社員」が「会社に属する人々」を意昧するのと同じように。だが、市民は自分以外の誰にも属さない。つまり、「国や企業の支配を受ける人々の中から、徐々に市民が姿を現しつつある」と彼女は主張しているのだ。

あらゆる階層や職業の人々の間で、自分の運命は自分で切り開こうとする兆候が現れ始めていた。一例がボランティア活動の分野で、「ボランティア元年」と言われた一九九五年の阪神・淡路大震災以来、目覚ましい発展を遂げている。一九九五年一月には、一〇〇万人を超える人々が被災地となった神戸に自発的に押し寄せた。援助活動への志願者の急増に国民は目を見張った。世間は市民としての義務感に駆られたボランティアたちの心意気を称賛し、彼らの大半は神戸で温かい歓迎を受けた。その一方で、明らかに準備不足の人たちも少なくなかった。中には食料を携帯せず、宿泊先の当てもないまま、地震で壊滅した地域に押し掛けた人々もおり、彼らは「迷惑ボランティア」として煙たがられるようになったのである。阪神・淡路大震災は、助け合いを社会生活の基本とする社会連帯主義や、団結して問題の解決に当たろうとする新たな精神の胎動を促したが、活動の大半は「プロ」に期待されるレベルからは程遠かった。だが日本で次の大震災が発生した二〇一一年までには、様相は大きく変化する。巨大津波が東北沿岸に押し寄せる頃には、全国の特定非営利活動法人(NPO法人)の数は少なくとも四万に達していた。ボランティア活動はより専門化し、資金力も以前より豊富で、組織立った行動が取れるようになった。企業の社会的責任に対する意識の高まりを受けて、一部のボランティア団体は大企業から経済的支援を受けるようになっていた。震災発生時におけるNPOの動きは素早かった。食料、医療、カウンセリングなどを提供するために、被災した海岸地域に直ちに人員を派遣したのだ。民間企業も数千人規模の社員を送り込んだ。単純に人道支援のために現地入りする者もいれば、被災した工場を視察して再稼働に導く任務を帯びた者もいた。その後数週間から数カ月にわたって、寸断されたメーカーのサプライチェーンも復活し、時にはほとんど奇跡的なスピードで再起したケースもあった。

政府は各種団体の活動を調整するために、震災発生から数日後に辻元清美を災害ボランティア活動担当の内閣総理大臣補佐官に任命した。彼女は議員になる前には、NGO「ピースボート」を共同設立した著名な活動家であった。辻元の起用は高く評価されたものの、実際に彼女に期待された役割は必ずしも明確ではなかった。最も被害の大きかった被災地では政府や官庁に対する厳しい批判が相次いだのとは対照的に、ボランティアの貢献には称賛の声が浴びせられていた。宮城県気仙沼でカキの養殖を営む畠山信〔カキ養殖家で文筆家の畠山重篤の三男〕のコメントは、その典型例と言える。大津波が襲った当日、彼はもう少しで水死するところだったという。「地震が起きて以来、政府からは何一つもらっちゃいませんよ」と彼は鼻であしらうように言った。

「食べ物をくれたのは、ボランティアの人たちでした」。そして、壊滅状態となったカキ養殖事業をいかに立て直すか、具体的なアドバイスを提供してくれたのもボランティアの人たちだったと彼は語っている。畠山は観光客のための施設を建てて、そこに新鮮な宮城のカキを食べてもらえるような小さなレストランを開業することを計画していた。東北に大量に押し寄せたボランティアたちは、被災地で多くの友人を得た。建物を修復したり、がれきを撤去したり、浸水した家財道具を回収したりするためにやってきた彼らのことを他の地元民も好意的に語っている。日本のボランティア活動を調査してきたある研究者は、阪神’淡路大震災以降の数年間で、それが「新たなレべルのプロ意識、組織力、社会的正当性、そして制度化に到達した」と結論づけている。
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