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持続可能性とは

持続可能性とは

 持続可能性とは何かな? 持続可能にするには、循環させないといけない。それとより多くの人間を活かさないといけない。多くても負荷がかからない。むしろ、多いことで、負荷をかけないカタチ。有限だということです。

 それと教育とどう絡ませるのか。何を教えるのか。教えるとしたら、有限であること。そんなものはしなくても分かる。有限だからどうするのか。

 有限であることをどう理解させていくのか。それで人類として、何をなそうとするのか。街の活性化などをやっているけど、それは持続可能なのか。

歴史哲学

 人間の存在、この歴史をどう見ていくのか。歴史哲学を教える。そして、環境哲学。より多くの人が目覚めて、自分の役割を果たすこと。

 格差なくやることはできるのか、政治・経済は民主主義と資本主義なのか。全体主義でも、共産主義でもうまくいかない。

 人類にどうアピールするのか、そして、教育を具体的にどうしていくのか。彼らは何もアピールしていない。個人のエゴだけです。エコというものとどうつながるのか。中国を今のままにしておいて、環境社会はできるはずがない。どういう世界に持って行くのか、その時にカリスマはいるのか、皆の意識はどうしていくのか。

サファイアの世界

 一人が一人である限り、ましてや、一人が0.1人の世界、命令で動く世界では有効的ではない。そんなことをユネスコはできるのか。何をしようとするのか。集まって、何を議論しようとするのか。サイトを見る限りはどんなことをアピールしているのか分からない。

 サファイアのような形にしないと、役割を果たすと同時に、一人が分化すること。そのベースになるのは、そこに居る理由、生まれてきた理由、放り込まれた理由を認識すること。結局は完結性です。簡潔であることとコンパクトであることは一緒です。

 それを空間で見た時にどんな形になるのかという数学的なアプローチ。理念的なモノを数的に表していく。非ユークリッド的な世界、循環するループ。
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ハイデッガーは、デカルトが機械主義の波乗り遊戯を楽しんだように、電子時代の波乗り遊戯を楽しむ

『グーデンベルグの銀河系』より ハイデッガーは、デカルトが機械主義の波乗り遊戯を楽しんだように、電子時代の波乗り遊戯を楽しむ。

グーテンベルクが視覚の孤立化によって演出したいわば精神の舞踏は、ユークリッド空間を「先験的」であるとしたカントの前提と同じほど哲学的である。たしかにアルファベットやそれに類するからくりは、人間が無意識のうちに受け容れる哲学的前提や宗教的前提を作り出す泉として長い間役立ってきた。それに対して、マルティン・ハイデッガーは言語を哲学の資料として使用するに当って、言語の全域を使うという点で、たしかにより有利な立場に立っていたように思える。少くとも〔将来の〕非文字型時代においては、すべての感覚の間に比率均衡が保たれることになろうから。だがこれだけでは文字廃止には繋らない。活字利用の実体だけで文字使用への反証とはならないように。

事実ハイデッガーは、言語や哲学に対して彼が保持していた非文字社会的傾向が世に広がるために、電子技術が果たしていた役割に気付いていないように見える。ハイデッガーのまことに卓れた言語哲学へのひとびとの熱狂は、われわれが電子的環境がもたらす有機論的形而上学へまことにナイーヴにすっぽりと浸りきったところから発したのだろう。もしデカルトの機械論が今日貧弱に見えたとしても、その時代には今日貧弱に見えるのと同じ潜在意識的理由から燦然と輝いてみえた、と考えるべきである。この意味ですべての流行は、人間がある種の夢遊病に陥ったことをつげているのであり、技術がもつ心理的効果にむけての決定的な方向づけのための一手段であるといえよう。おそらく以上が、「だが印刷にも良いところがあるのでは?」と尋ねたい読者への解答となろう。この本の主題は印刷が良いか悪いかの問題にあるのではない。印刷であれ何であれ、ひとつの力がもつ効果に対する無意識状態は悲惨な結果を招きがちだ、ということである。とくにわれわれが自分で作った人工の力の場合にはそうだ。そして芸術や科学のどの領域でも行われた瞳目すべき発展をただ調べてみるだけでも、十六世紀以後の西欧思想におよぼした印刷の普遍的な影響力を検証できるのである。十六世紀および十七世紀においては、新しい発見物としてひとびとの眼に映った経験の断片化による均質的な線形思考は、十八、十九世紀には新思想としてたいへんに人気を博し、功利主義的なファッションになっていった。すなわち、機械論は、ファラデーのように今日の電子時代の基礎をきずいたひとびとのところまで新思想として存続したのだった。読者のなかにはこのように恣意的で、不随意的自動主義のなかで費されるには人生はあまりにも価値があり、有意義なものだと感じられる向きもあろう。

パスカルは、コダックカメラで瞬間瞬間のスチール写真を作り出すモンテーニュ的方法を用いたのだが、その結果として、たいへんなジレンマに陥ることとなった。彼は「われわれが熱烈に愛するとき、いとしい人を見るのはいつでも新しい経験となる」と書いている。そしてこの愛の自発性は、同時性と瞬間的充実の産物なのだ。だが他方、精神は各要素のひとつひとつを別個に検証してゆくのを特色とする。そしてここにパスカルの精神観の特色でもある、なくもがなの、識閥下の活版印刷的局面がある。そこではすべての経験は断片的で連鎖状に進行しなければならぬ。したがって、豊かで充実した経験は必然的にわれわれの意識の網の目をのがれてしまう。「人間が自己の偉大さを示せるのは一つの極に立つことによってではなく、両極に同時に触れ、両極の間の空間を満たすことによってである。」もちろん、この小さなグーテンべルク式魂の拷問器を掲げることによって、パスカルは世間の注目と評判とを保証されたのだった。「こうした精神の偉大なる努力は、ときたま魂がようやく到達しうるものであるとはしても、とうてい持続することはできない。魂はただ瞬間的に飛躍することによってのみそれが可能であり、王座についた者のようには永続的にその地位についていられないのだ。」
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ノイマン「数学者」

『ノイマン・ゲーデル・チューリング』より ジョン・フォン・ノイマン「数学者」

数学におけるいくつかの最高のインスピレーションは、それが考えうる限り最も純粋数学に属する分野であっても、自然科学から発生していることを否定できません。ここでは、最も記念碑的な事例を二つ挙げることにしましょう。

最初の例は、当然のことながら、幾何学です。幾何学は古代数学の主要部分を占めていました。そこから派生し分岐した分野は、今も現代数学の主要な分野として残っています。幾何学の起源は、疑いの余地なく経験的なものであり、実地の作業から始まったという点では、物理学と変わりありません。その証拠はいくらでも挙げることができますが、「幾何学」という名前そのものを見るだけでも明らかでしょう。ユークリッドの演繹的な手法が、経験からの大きな飛躍を生み出したことはたしかですが、それが決定的かつ最終的な飛躍となって、絶対的な分離を生みだしたと結論できるほど話は単純ではありません。ここで、ユークリッドの公理化か、現代数学の求める絶対的に厳密な公理主義に適合していないという指摘は、それほど重要ではありません。より本質的に重要なのは、明らかに経験的な工学や熱力学などの分野も、一般に多かれ少なかれ演鐸的な手法に基づいて構成されていることです。これらの分野の著作を見渡すと、ユークリッドのものとほとんど見分けがつかないものもあります。理論物理学の古典であるニュートンの『プリンキピア』は、最も中心的な概念描写から文章構成に至るまで、ユークリッドの著作そっくりです。もちろん、ニュートンが前提としたすべての公理の背景には、それらの公理を支持する物理的直観と、それらを現実に立証する実験的検証がありました。しかし、その意味では、ユークリッドの著作も同じように解釈することができます。とくに幾何学が、現代に至る二千年の安定と権威を獲得する以前の時代においては、なおさら経験との合致が重んじられたのです。そのようにして与えられる権威は、現代の理論物理学の体系には明らかに欠けているでしょう。

さらに付け加えると、ユークリッド以来、幾何学の脱経験主義化は徐々に進んできましたが、現代においてさえ、それが明確に完了したというわけではありません。このことをわかりやすく示しているのが、非ユークリッド幾何学の議論で、それはまた数学的思考の二面性を表しています。その議論のほとんどは非常に抽象的な次元で行われましたが、その中心にあるのは、ユークリッドの「平行線公準」が他の公準から導かれるのか否かという純粋に論理的な問題でした。そして、この問題は、クラインによって解決されました。彼は、純粋に数学的な手法で、いくつかの基本的概念を形式的に再定義し、ユークリッド理論の一部を非ユークリッド理論化できることを示したのです。とはいえ、この論争には、最初から最後まで経験的な刺激が介在していました。そもそもユークリッドのすべての公準のなかで平行線公準だけが問題にされてきた最大の理由は、その公準だけに表れる無限空間という概念の非経験的な性質にありました。それでも、いかなる数学的・論理的分析を経たとしても、ユークリッドに合意するか否かを決定するためには、少なくとも主要な意味において経験的でなければならないと考えたのが、偉大な数学者ガウスでした。そして、ボーヤイ、ロバチェフスキー、リーマンの業績を経て、クラインが、より抽象的な帰結を得ることによって、本来の論争に形式的な解決を導いたのです。それにもかかわらず、そこに外界から与えられた刺激は、経験主義つまり物理学でした。一般相対性理論の発見によって、私たちは、幾何学的関係をまったく新しい枠組みで捉えなおさなければならなくなり、そのことが純粋数学の視点の置き方を同時に大きく変化させたのです。その幾何学の絵のコントラストを完成させる一筆が最後に描かれました。この最終的な進展は、現代の公理主義的および論理主義的な数学者たちによって、ユークリッドの公理的方法を完全に脱経験主義的に抽象化することによって得られました。一見対立するようにしか見えない二つの側面は、数学的な精神の内部において完全に共存可能なのです。だからこそ、ヒルベルトは、公理的幾何学と一般相対性理論の両方に重要な貢献を行うことができたのです。

第二の例は微分積分法であり、そこから派生したすべての解析学ということもできます。微分積分法は、現代数学が最初に成し遂げた成果であり、その重要性はいくら高く評価しても過大にすぎることはありません。私が思うに、微分積分法ほど明確に現代数学の誕生を決定づけるものは他に存在しません。微分積分法の論理的な発展としての数学的な解析学の体系は、厳密な思考における最大の技術的発展といえます。

微分積分法の起源も明らかに経験的でした。最初にケブラーが試みた積分法は「長円測定法」と呼ばれるもので、樽のように、表面が局面になっている物体の体積を測定する方法でした。これも幾何学ではありますが、非ユークリッド幾何学であり、しかも非公理主義的でもあるという大きな特徴を持った経験主義的な幾何学でした。この事情すべてを、もちろんケブラーは完全に理解していました。ニュートンとライプニッツによる微分積分法の主な発見と業績も、明らかにその起源は物理的なものでした。ニュートンは「流出法」を生みだしましたが、それは基本的に力学を目的とするものでした。事実、微分積分法と力学という二つの学問分野を、ニュートンはほぼ同時に創りあげたのです。ただし微分積分法の最初の定式化は、数学的に厳密なものではありませんでした。ニュートン以来の百五十年間にわたって、不正確で、なかば物理的な定式しか存在しなかったのです! それにもかかわらず、この不正確で、数学的に不適格な背景のなかで、解析学におけるもぅとも重要な発展のいくつかが生まれました! この時期の代表的な数学精神は、オイラーのように必ずしも厳密性を求めるものではありませんでしたが、ガウスやジャコビのように本流を目指す数学者も存在しました。この時期の数学の発展は、非常に混乱して意味が不明瞭なものも多く、それと経験主義との関係も、現代の私たち(あるいはユークリッド)が求めるような抽象化と厳密性に対応するものではありません。しかし、この時期の数学は、かつて例をみないほどの第一級の発展を見せたことから、この時期を数学史から排斥しようという数学者は一人もいないでしょう。
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韓国 地方自治の選択

『現代韓国を知るための60章』より 地方自治の選択 ★進む自治体改革★

「地方自治の成果」と聞いても、あまりピンと来る人はいないかもしれない。しかし、たとえばソウルの旅行ガイドを開けば、地下鉄1号線の「市庁」駅とソウル図書館(ソウル市庁旧庁舎)が必ず登場する。日本でいう「県庁」のように、「市庁」は市役所のことである。ソウル図書館の前に広がる「ソウル広場」は、かつてはアスファルトを敷き詰めた道路だった。これを2004年に芝生の広場に変えたのは、後に大統領になったイ・ミョンバクソウル市長だった。これは地方自治の隠れた成果である。

また、ソウルを歩くと、色とりどりに塗り分けられたバスが目につく。行き先が近い順に黄(循環)、緑(支線)、青(幹線)、赤(広域)と色分けされ、どれに乗ればよいかわかりやすい。日本と同じようにバス会社ごとにバラバラのデザインだったものを2004年から統一したのも、地方自治の成果である。「市民生活に最も身近な政府」である自治体がいかに幅広い政策を担当しているか気づかされる。

前章で触れたように、1995年の首長の直接選挙復活は「民選自治時代」と呼ばれ、市民の大きな期待を受けて始まった。この20年の成果と課題を3点ずつ挙げてみたい。

第一の成果は、多様な人材が首長になり、自治体政策の幅を広げたことである。かつての「官選」首長は任命制で、「落下傘人事」(日本でいう「天下り」)によって中央政府から官僚が一方的に派遣され、短い任期で本庁や他の地方へと去っていった。このため上意下達の政策で短期間に手堅く成果を挙げつつ次の人事異動を待つ、という姿勢が強かった。ところが「民選」首長は、有権者である市民向けの政策に大きく転換し、利益誘導型の「善心行政」と鄙楡されるほどだった。首長のもとで働く公務員たちも、「向く方向が正反対」「違いがあまりにも大きい」と戸惑っていた。保守派と民主派の問で政権交代が繰り返され、そのたびに前任者の政策を事実上骨抜きにするような事例もあったが、多様な政策が試みられ、自治体政策の幅は全体として広がったといえる。

たとえば、筆者が勤務した京畿道の富川市庁を見てみよう。1995年に当選した民主派(後に保守派へ鞍替え)のイ・ヘソン(李海宣)市長は医師で、社会福祉館や各種の福祉館の増設に力を入れた。1998年に当選した民主派のウォンーヘヨン(元恵柴)市長は無農薬・健康食品会社であるプルムウォンの創立者で、ローカル・アジェンダ21(自治体環境計画)策定を自治体・企業・市民のガバナンス型で進めた。ウォン・ヘョンの二期目の任期途中の辞任に伴い2004年に当選した保守派のホン・ゴンピョ(洪建杓)市長は叩き上げの富川市職員で、苦学した経験をもとに市立図書館や公設民営型の「小さな図書館」の増設に力を入れた。2010年に当選し2014年再選した民主派のキムーマンス(金晩洙)市長は学生運動出身の486世代(現在40代で、80年代に大学生、60年代生まれ)で、富川市議会議員を経て市長となった、まさに民選自治時代の申し子である。市民運動の経験をもとに、「富川市民学習院」を設置するなど自発的な市民学習や市民活動を支援し平生学習百本でぃう「生涯学習」)共同体づくりを進めている。

第二の成果は、活発な市民運動を背景として、市民のニーズに基づき自治体独自の条例や制度を進めたことである。1992年に清州市が韓国で初めて制定した行政情報公開条例や富川市タバコ自動販売機設置禁止条例など一部の例外を除いては、地方自治復活当初は独自の条例や制度を作ろうとするたびに議会などで「上位法があるんですか?」という消極的な常套句に阻まれていた。しかし、「参与政府」をスローガンとして掲げるノームヒョン政権が2003年に登場し、2004年に住民投票制度、2006年に住民訴訟制度、2007年に住民召喚制度などの直接参加制度を矢継ぎ早に整えるなかで雰囲気が変わってきた。

たとえば、2003年の全州市教育支援条例はかつて中央から強固に系列化されていた自治行政と教育行政の縦割りを超えて自治体が学校教育を支援しようとするものである。また、2007年4月の安山市成人文解教育支援条例は、同年10月に文解教育(日本でぃう「識字教育」)に関する規定が平生教育法に新設されることを先導するものだった。さらに、参与連帯や希望製作所などで市民運動家として活躍したパク・ウォンスン(朴元淳)市長のもとで、ソウル特別市では2012年のまち共同体づくり支援条例や2013年の協同組合活性化支援条例などが次々制定されている。

条例だけではない。自治体独自の組織を作る動きも盛んである。たとえば、光州広域市は1980年の光州民衆抗争の精神を継承する「人権都市」として政策を進めるために、2011年に局長級の人権担当官を設置した。人権担当官は開放型職位として公募し、地元で市民運動家として長く活動してきたイ・ギョンニュル(李京律)を選抜することで、人権憲章や人権指標、光州コンパクト(人権都市ガイドライン・原則)の制定や世界人権都市フォーラムの開催など、先進的な政策を実現している。

第三の成果は、地方選挙の改革が進んだことである。とくに日本に比べ民主的であるのは、2006年の地方選挙から定住外国人(永住資格を取得後3年経過し外国人登録台帳に記載されている者)に投票権を付与している点や、2007年から地方教育行政のトップである「教育監」が直接選挙で選ばれている点、さらに2010年から基礎自治体と広域自治体の地方議会にそれぞれ比例代表制が導入されている点である。この時、京畿道議会選挙の比例代表区に保守派のハンナラ党(後のセヌリ党)は、モンゴル出身で2008年に韓国国籍を取得した李ラ(名前の「ラ」はハングルのみで漢字なし)を擁立した。当選した李ラは「多文化政治人第一号」として注目を集め、2期務めた言本でいう「政治家」を韓国では「政治人」という)。
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第8章のジャンルとテーマ

第8章のジャンルとテーマ

 ジャンルと新しいテーマとの関係できれいにまとめようとしたが、どうもジャンルそのものをどの位置に置くのか、それぞれの項目がどういう関係になっているのか、特に販売店にしても地域との関係、社会との関係、その理論的なアップ、と言うところで、テーマが全て関係させる。取りあえず、今年の目標なんでしょうね。

 だから、今、目次で全体が見えるというのは、意味があるけど、重たいですね。全てを自分の頭の中に入れないといけない。それが、ざわつく心のベースです。これに耐えられるか。愛もなくて。

「自信がない」というメール

 メールで寸断しているパートナー。やはり、愛をもっていくしかない。社会に対する愛です。唯一の社会との接点です。

 出張に出掛けたと思い、メールを出した途端に、現れた。PCを取りに来た。行動の予測ができない。

 「今日から、いよいよ、販売店訪問ですね。新しい目で見られるといいですね」「その内、感想を聞かせて下さい」

 技術先行部署に赴任した、3カ月間。あの時の緊張状態はすごかったです。まるで知らない世界に一人で乗り込んでいった。全体を考えて、先を見ていると、今やっていることが、いかにOne of themなのか、方向がいかに違っているかが分かります。

 ネットワークにしてもポータルにしても、よく、あんなことができたと思う。この状況において、偶々を使ったのは確かです。そうでないと、よほどの変革がなければできない。皆が、変革意識を持てない隙を狙った。

 地区の担当をするということは、社長に対して、全体を考えて、先を見せる。私はそれでやりました。それを横に展開していけば、かなりのことは分かります。

中の下から変えていく

 こんな発想がメーカーが出来れば、メーカーが動かなければ、上手くいくわけがない。資本主義も同じです。中から変えていく。中の上から変えるのではなく、下から変えていく。これが革命を経ずして、革命をなすことにつながっていく。

 マルクスにしても、それを望んだのでしょう。多くの人が幸せになる方程式が先にあります。それからすると、全体主義は逆の発想です。にもかかわらず、共産主義が全体主義につながって島たのは、皆で考えていない、また、考える仕組みになっていなかったから。

 皆で考えるというベースをどう作っていくかがないので、一部分で変えようとすると矛盾が発生する。それを力で抑え込むのが、全体主義になる。

サファイア循環での変革

 だから、循環のそれぞれのところを少しづつ変えていき、あるところで、流れ自体を逆にしていく。上から来たものを下からの流れにしていく。サファイア循環で一番言いたいのは、その部分です。今、一方通行で行っている流れを、店舗から企画に出すことによって、全体の流れを作り出すと同時に、発信源を店舗にしてしまう。

 店舗を発生源にするためには、お客様とつながっていること、それによって、自分たちが活性化できていることを見せることによって、安心して、企画することができる。それは車の世界だけでなく、もっと大きな世界、政治形態の世界を変えていくことになる。

 まあ、最期の最後になって、こんなところまで来てしまったというのが感想です。今の連中で受けられるはずがない。受けられずにメーカーを潰すよりも、この会社から新しいモノが出来てもいいし、社会からできてもいい。それを見ていくことで、変な成功をせずに、内なる世界で考える人間が居ることだけは出しておきましょう。それが最大の不幸を招かないための思いやりです。

持続環境教育

 持続環境教育を変えていく必要があります。教育の目的を持続に視点を置くことです。今なすべきことを決めていく。さすれば、分化することが重要なことがわかる。

650の

 「胸ポケット」はやはり、雑音が多い。「ボイスメモ」にしておきましょう。オーラルを強化します。それが650の意味です。

 それにしても、多すぎる。
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要望を聴くこと

第8章との関係

 第8章との関係もきつくなっています。5章でほとんどの答えが出ています。但し、シナリオにはなっていません。本当のシナリオにするには社会との関係も含めてどうしていくのか。それと同時にスタッフの分化をどのようにやっていくのか、先行させるのかで、第8章があります。

要望を聴くこと

 第8章の最初の3項目は要望を聴くことになっています。販売店の要望、メーカーの要望、地域の要望、これらはそれぞれ独立したものではありません。それぞれが大きく絡んでいます。販売店要望は完全に板挟みです。その中で、自分たちがやっていくのか。

 メーカー発想でも、市民発想だけではダメです。その間として、ファシリテーターとしての存在がキーになります。ここでの発想が社会を変える原動力になります。販売店の発想のベースの一つはスターバックスのような立場です。メーカー要望にしても、何を望んでいるのか? 作りたいために作っているわけではない。

 地域の要望は多種多様です。現在の資本主義、民主主義のなかで、個人が望むこと、考えることはバラバラです。このままで持つわけがない。まとめる前に、個人をリリースしないといけない。それが市民の分化です。分化した結果で変わるというよりも、結果として地域の要望でまとめて、それをやってもいいんだということで力をつけていくしかない。

 地域の要望はかなり跳んでいます。だけど、これが正しい。お客様の要望をかなえることに限定すると、社会に先行できない。

 お客様だけを見ていてはいけない。社会の変化を見ないといけない。社会の変化を見るのであれば、地域の要望を聴くことであり、そのために、地域の要望を発信できるところを作り出すまで、メーカーがやっていくという発想です。これは完全に主客を図ろうとしている。ないものを作っていく。これは「藪から蛇」です。その発想です。それによって、自分たちが何をすべきか、社会をどうすべきかが見えてくる。

 要望はつくるモノです。描くものです。全体を考えて、先を見て。それが資本主義の消費社会と変わるところです。持続性を持たせます。

 メーカー要望は誰の要望なのか。作るモノの要望ではなく、使う人の要望であり、社会に対しての要望、それに応えるということです。それがお客様とか市民との違いです。

 販売店の要望は中途半端です。メーカーとお客様から攻められます。今までは、それに従ってきたけど、自分たちが中心となる世界を作り上げていきます。そういう意味では、共有意識がベースになります。これは情報共有とは異なります。

「香港人」という共同体

 今の香港の動き、「香港人」としてのポリシーが、巨大な中国共産党にむける力。これはムスリムという共同体の力を使いながら、共和制に対峙したのと同じ。そのための道具としての情報共有。

情報共有の力

 情報共有がサファイアのベースになる。サファイアを作り上げることが社会の変革になるということからM4をベースにする。
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持続可能性を持つために

ラジカルな提案

 第5章が一番、ラジカルかもしれません。メーカーとしての機能ではなく、販売店での機能として、地域に入り込むというのが、5.7です。5.8も完全に地域の話です。売るということは完全になくなっています。社会をどう変えていくのか。

 内なる世界からすると、そこしかないです。売るための工夫というだけでは、とてもじゃないけど、社会を悪化させることになる。こんなものがメーカーのサイドから出るとは思わないでしょう。ホンダにしても。他の業種なら分かると思うけど。

 他の業種としては、グーグルです。本当はフェースブックに期待したいけど、LINEのおかげで方向を失っています。LINEの機能に、知の体系化を生み出すものも出てくるでしょう。広告収入でやる分には皆の意識は変わらないです。自分たちの社会をどう作ろうかという本来のフェースブックの中の部分が関係してきます。

消費者文化と販売店

 新しい資本主義のカタチとして、消費者文化をどう変えていくのか、というところがあります。社会の変化に対して、メーカーとしてどうしていくのか。消費者との最前線の販売店として、どうしていくのかと言うところで、プロットアウトしています。

 今から、販売店との接点を担う、パートナーがその領域に至るまでには、販売店を含めて、考え方を変えていかないといけない。その間には、大きな不幸が始まる。そんなところにはトライできないでしょう。

 これらが血を流さずにできるとは思えない。多分、今のままで、新しい業態が出てくるまで、食いつないで、そこまでは成功だと思っている時に、一気に破滅に向かうことになる。国内では売れていない現実を別のところで補っているだけです。

新しい社会へのシナリオ

 新しい社会へのシナリオを作り出している。他のジャンルから行って、第5章は最後になるのでしょう。シナリオだけはキッチリ作っておきます。発想の原点は、この会社を救うというものだったから。その立場で、第5章を見ていきます。

 当然、これはシステム設計が先にきます。自分の経歴では、システム設計をしてきた。皆の夢をかなえるためです。夢が異なれば、システム設計も異なる。売るためのシステムを作ると同時に、その次の使うためのシステムにしていくことを行ってきた。それが情報共有を体現したポータルの趣旨です。これは、仕事の中にシナリオをつくることで、それがジャンルとテーマとの関係になっていく。

持続可能性を持つために

 では、持続可能性を持つためにはどうしたらいいのかということで、サファイア循環を求めた。それで販売店環境を作ったけど、L4情報共有という概念です。サファイアは情報共有の具現化です。それで共有意識に昇華させます。

 ネットワークとコミュニティのためのポータル・ライブラリを作り上げた。その目的は店舗の活性化とスタッフの分化です。

 販売店要望からお客様環境との接続、それをメーカー環境ともつなげる。お客様状況を知るということと、お客様をどう支援していくのか。お客様とは市民です。そう考えると、クルマというものはどう考えればいいのかということまで視野に入れています。

 「いい社会」をメーカーとして、日本初で実現していく。組織の分化によって、社会でありながら、モノづくりをベースとしながら、高度サービス化の名のもとに市民の中に入り込んでいく。売ることでなく、車を使うこととインフラを公平にしていくことがポイントになります。

 あの時は何も気づかなかった。連続性は必要だけど、自立性の方を重視していく。結局、人が作ったものはそんなもんです。

販売店の立場

 販売店の立場というのは微妙です。社会との接点でありながら、メーカーの先鋒になっている。メーカーがポリシーを持っていない。従来の売ることしか指示されない。日本では、売ることが困難になってきている。車を増やすことは正義なのかと言うところまで来ている。インフラをどう使っていくかに対しても、中途半端になっている。

 社会変化に対応していくというのも、販売店要望としては大きくなっている。そして、地域に入り込むカタチになっているが、従来の連中でできるか、スタッフはそれでお金になるのか。市民の立場と、スタッフの立場、メーカーの一員という3つをどういうカタチでやっていくのか。そのためにスタッフを分化させないといけない。市民の方もコミュニティに集約して、メーカーと対峙できるようにして、クルマ社会を作り上げていく。
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