未唯への手紙
未唯への手紙
世界史 何をどう学ぶか
『全方位読書案内』より
日本人は、「世界史」に対する興味が、世界で最もある国だと思います。世界史が高校で必修というだけでも、大したものです。それがセンター試験で出てくるのですから、鬼のような勉強量を要求されます。日本史は日本の歴史だけで済みますが、世界史といえば、古代文明から、イスラム世界から、アメリカから、世界中の歴史すべてを学ばなければなりません。膨大な知識を必要とする世界史を、日本人が必修にしてやっているのはすばらしいことです。
この極東の国が、世界を知るということにおいて熱心であれば、世界の中でバランサーとして働くことができる。今の日本人は、イスラムに対する理解もできつつあると感じます。私たちは西洋的思考の生活をしていても、基本は東洋人なので、西洋近代第一主義、欧米中心主義では考えません。イスラムについても、インドについても、偏っていない世界の見方ができると思うのです。虚心坦懐に様々なものを見ることができるという意味で、世界史に対する興味は、さらに広げていったほうがいいでしょう。
世界史全体を押さえるものとしては、ベストセラーになった『世界史』(上下巻、ウィリアム・H.マクニール、増田義郎・佐々木昭夫訳、中公文庫)は読みやすいものです。アジア、イスラム社会への言及も多く、古代も充実しています。世界史にあまりなじみがない人には、『漫画版 世界の歴史』(全10巻、集英社文庫)が内容もしっかりしていていいものです。
体系的に押さえるのなら、やはり世界史の教科書『詳説世界史B』(木村靖二・佐藤次高・岸本美緒、山川出版社)を買い直し、『改訂版 詳説世界史研究』(木下康彦・吉田寅・木村靖二編、山川出版社)を参考書とするのが王道でしょう。値段に比して内容の濃さは圧倒的で、信頼性も高い。セットでおすすめします。
見やすいものとしては、『ビジュアルワイド 図説世界史』(東京書籍編集部編、東京書籍)、『詳説世界史図録』(詳説世界史図録編集委員会、小松久男監修、山川出版社)など、図説、図録ものは地図があり、全体がつかみやすくなっています。
ローマ史は、日本では塩野七生さんの本がとても人気があります。もちろんそれもいいのですが、個人的な思い入れもあり、私は『ローマの歴史』(モンタネッリ、藤沢道郎訳、中公文庫)をおすすめします。
私は浪人しているときにこの本を読み、ローマという社会のことが非常によくわかりました。浪人生が本など読んでいる場合ではないだろうと、今になって思うのですが、大きな目で見れば、世界史を知るためには必要な読書でした。
世界史といえば、『荒巻の世界史の見取り図--大学受験世界史』(全4巻、荒巻豊志、ナガセ)も忘れてはなりません。荒巻豊志さんという人は予備校の先生で、「世界史の見取り図」シリーズでは、何冊も出版しています。これらの本は受験生のためですが、講義ふうでとても読みやすく、大人でもおもしろい。視点がはっきりしていて、歴史の流れをつかみやすいのです。受験生の場合は、これを全部押さえなければなりませんが、過酷な入試をくぐり抜けてきた大人はそういうところから解放され、距離を持って、余裕で読めるよさがあります。
世界史の本でもうひとつおすすめしたいのは、『増補 情報の歴史--象形文字から人工知能まで』(松岡正剛監修、編集工学研究所構成、NTT出版)です。松岡正剛さんが作っている厚くて大きな本ですが、世界史を情報の歴史としてとらえた、非常に斬新な本です。この本の特徴は、年表がとても充実していて、年号などが覚えやすいこと。この時代、ヨーロッパで何が起き、日本では何が起こっていたのか。気になったところを、パパッとつなげて見られます。
経済学者の榊原英資さんとNHKの番組でご一緒したとき、夜寝る前に、この『増補情報の歴史』を読んで年号を暗記して寝るのが習慣だとおっしゃっていました。年号を覚えていると、世界を横にざっと見ることができる、ということです。
日本人は、「世界史」に対する興味が、世界で最もある国だと思います。世界史が高校で必修というだけでも、大したものです。それがセンター試験で出てくるのですから、鬼のような勉強量を要求されます。日本史は日本の歴史だけで済みますが、世界史といえば、古代文明から、イスラム世界から、アメリカから、世界中の歴史すべてを学ばなければなりません。膨大な知識を必要とする世界史を、日本人が必修にしてやっているのはすばらしいことです。
この極東の国が、世界を知るということにおいて熱心であれば、世界の中でバランサーとして働くことができる。今の日本人は、イスラムに対する理解もできつつあると感じます。私たちは西洋的思考の生活をしていても、基本は東洋人なので、西洋近代第一主義、欧米中心主義では考えません。イスラムについても、インドについても、偏っていない世界の見方ができると思うのです。虚心坦懐に様々なものを見ることができるという意味で、世界史に対する興味は、さらに広げていったほうがいいでしょう。
世界史全体を押さえるものとしては、ベストセラーになった『世界史』(上下巻、ウィリアム・H.マクニール、増田義郎・佐々木昭夫訳、中公文庫)は読みやすいものです。アジア、イスラム社会への言及も多く、古代も充実しています。世界史にあまりなじみがない人には、『漫画版 世界の歴史』(全10巻、集英社文庫)が内容もしっかりしていていいものです。
体系的に押さえるのなら、やはり世界史の教科書『詳説世界史B』(木村靖二・佐藤次高・岸本美緒、山川出版社)を買い直し、『改訂版 詳説世界史研究』(木下康彦・吉田寅・木村靖二編、山川出版社)を参考書とするのが王道でしょう。値段に比して内容の濃さは圧倒的で、信頼性も高い。セットでおすすめします。
見やすいものとしては、『ビジュアルワイド 図説世界史』(東京書籍編集部編、東京書籍)、『詳説世界史図録』(詳説世界史図録編集委員会、小松久男監修、山川出版社)など、図説、図録ものは地図があり、全体がつかみやすくなっています。
ローマ史は、日本では塩野七生さんの本がとても人気があります。もちろんそれもいいのですが、個人的な思い入れもあり、私は『ローマの歴史』(モンタネッリ、藤沢道郎訳、中公文庫)をおすすめします。
私は浪人しているときにこの本を読み、ローマという社会のことが非常によくわかりました。浪人生が本など読んでいる場合ではないだろうと、今になって思うのですが、大きな目で見れば、世界史を知るためには必要な読書でした。
世界史といえば、『荒巻の世界史の見取り図--大学受験世界史』(全4巻、荒巻豊志、ナガセ)も忘れてはなりません。荒巻豊志さんという人は予備校の先生で、「世界史の見取り図」シリーズでは、何冊も出版しています。これらの本は受験生のためですが、講義ふうでとても読みやすく、大人でもおもしろい。視点がはっきりしていて、歴史の流れをつかみやすいのです。受験生の場合は、これを全部押さえなければなりませんが、過酷な入試をくぐり抜けてきた大人はそういうところから解放され、距離を持って、余裕で読めるよさがあります。
世界史の本でもうひとつおすすめしたいのは、『増補 情報の歴史--象形文字から人工知能まで』(松岡正剛監修、編集工学研究所構成、NTT出版)です。松岡正剛さんが作っている厚くて大きな本ですが、世界史を情報の歴史としてとらえた、非常に斬新な本です。この本の特徴は、年表がとても充実していて、年号などが覚えやすいこと。この時代、ヨーロッパで何が起き、日本では何が起こっていたのか。気になったところを、パパッとつなげて見られます。
経済学者の榊原英資さんとNHKの番組でご一緒したとき、夜寝る前に、この『増補情報の歴史』を読んで年号を暗記して寝るのが習慣だとおっしゃっていました。年号を覚えていると、世界を横にざっと見ることができる、ということです。
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ムッソリーニのギリシアでの大失敗
『運命の選択 上』より ローマ、一九四〇年夏、秋 ムッソリーニ、分け前獲得を決断
ヒトラーはいつも既成事実を押しつける。今度こそお返しするのだ。ヒトラーは新聞でわたしがギリシアを占領したことを知るだろう。これでバランスが取れるのだ。一九四〇年十月十二日、ムッソリーニ
戦争の終わり近くドイツの敗北必至の情勢で、ヒトラーは過去を振り返り、自らの破局はムッソリーニのギリシアでの大失敗が原因である、とこれを激しく非難した。「イタリア人があの馬鹿なギリシア作戦を行ってわれわれを困らせなければ、ロシア攻撃をもう何週間か早く始められた」と、ヒトラーは二九四五年二月中旬に語ったと言われている。「バルバロッサ作戦」の発動が遅延したことで、勝利を逃した。その数日後、同じ文脈でヒトラーは嘆いた。ドイツに黙って始めた「意味のないギリシア攻撃か、われわれを仕方なくバルカンに介入させた。そんなことは計画もされていなかった。これかロシア攻撃の破局的な遅れにつなかった。最良の師団をそちらへ割かなければならなかった。その結果、広大な地域を占領管理しなければならず、不必要な兵力か愚かなショーを演じなければならなかった」。「まったくラテン民族は困ったものだ」と、その直後も嘆きか続いた。「ギリシアに対して破滅的な行動を起こしたことで」、スペインやフランスにまして、このラテンの友人、ムッソリーニはかれの心配のもととなった。
ソ連におけるドイツ大敗北の弁解として、このことはあまり成り立つものでもない。五週間その開始が遅れたということだけが決定的だったわけではない。いずれにしても多分、その年とくべつ雨量の多かったことを思えば、六月中旬以前に行動開始はできなかっただろう。「バルバロッサ」失敗の原因は、ドイツの計画の思いあがりにあったのであるー・それは荒削りな誇大妄想の産物だった。それは欠陥だらけで補給計画も充分ではなく、最初から作戦をまごつかせていた。一九四一年春、イタリアの蹟きのおかげで、ドイツ軍は「バルバロッサ」用の戦車とほかの車輛の消耗を強いられた。また前述のとおり、侵攻に際して南方の側面を担う軍を縮小せざるを得なかった。しかし、ソ連攻撃前のドイツ軍のギリシアヘの転用かソ連作戦のためになることは何もなかったとはいえ、ムッソリーニの愚行が発動前の「バルバロッサ作戦」を阻害したわけではなかった。それはむしろ北アフリカでの枢軸側の戦争遂行に甚大な影響を及ぼしたのである。
一九四一年秋の時点で北アフリカは中心的な戦場になるはずだった。イタリアが参戦後、チュニス、とくにマルタ島全土を占領してしまえば、北アフリカ攻撃開始以前にイタリアの地位はずっと強化されていただろう。しかしこの作戦の準備はまったくされていなかった。それでもこの地域でイタリア軍は英軍にくらべて、すぐにバランスか変わるとしても、兵力数において圧倒的に優位にあった。グラツィアーュはいく度も前進の時期を遅らせたか、かれはムッソリーニが終始要請し、また期待したエジプト攻撃に踏み切るには兵力か足りない、と考えていた。ドイツはこの局面の重要性を認識しており、兵力、装備の支援を申し出ていた。イタリア最高司令部はこの申し出を受けるつもりだった。それは大事な問題だった。しかしムッソリーニはこれを拒否した。かれはイタリアの戦場にドイツを寄せつけたくなかったのである。それどころか、十月以降、兵力と装備の主力は北アフリカではなく、ギリシアに向かった。一九四〇年十月から四二年五月にかげて、北アフリカ作戦に比較して五倍の兵力、三倍の物資、三・五倍の商船、二倍以上の護衛艦船かギリシア作戦に投入された。十二月に英軍か攻勢に転じたとき、この資源転用の結果がどうなったか、たちまち露わになった。
実際、その意味するところは、ただちにドイツの戦略担当者に認識された。敗走開始ののち二週間も経たない一九四〇年十一月十四目、海軍軍令部の作戦立案者は状況をとりまとめた。「イタリア、リビアによるエジプト攻撃の条件は消滅せり。海軍軍令部は、イタリアはエジプト攻撃の能力なきものと信ず」。--これはもちろん、ギリシア攻撃にくらべて明らかにイギリスに深刻な打撃を与え得る作戦だった。とくに枢軸側かスエズ地域を押えることができるとすれば。軍令部の評価は続く。
イタリアのギリシア攻撃は致命的な戦略上の失敗である。東地中海、アフリカ戦線、そして今後の戦争全般について予期し得る英軍の反撃を顧慮するに、まったく逆効果をもたらすものと言わざるを得ない。……海軍軍令部としては、アフリカ、中東地域に対する影響力を考えたとき、アレクサンドリア=スエズ地域への攻撃および地中海における展開か、戦争の帰趨に決定的に重要と考える。……イタリア軍は地中海域において必要とされる作戦を、必要な速度と決断をもって成功裡に達成する指導力もしくは軍事的効率性をもはや有せざるものと認定す。イタリア軍単独によるエジプト攻撃の成功はいまやまったく期待し得ない。
十二月中旬に問題となったのは、待ち望まれたエジプト攻撃ではなく、崩壊したイタリア軍の回復だった。この後、砂漠の戦いでロンメルがこれ見よかしの派手な行動をなしたが、イタリア軍の失敗と、ドイツ軍の兵力、物資の転用で、北アフリカ戦線は次第に連合軍の兵力に圧倒される状況となってきた。一九四〇年十月のム。ソリーュのギリシア侵入の決断が、この(枢軸側から見て)不幸な状況を招いたことに大きな要因となった。ギリシア戦線の直接的被害は、イタリア側で一五万、ギリシア側で九万と算定される。しかし、ギリシアにとってこれは災厄の始まりにすぎなかった。一九四一年四月、ドイツ軍か侵入して、三年半の占領が続いた。圧政とハイパー・インフレーション、そして栄養不良により多数の死者が出た。一九四一-四二年の冬には約一〇万の餓死者が出た。ナチの逮捕と収容所送りを逃れたギリシアのユダヤ人はほんの少数である。一九四四年十月、解放されたあともギリシアの苦難は続いた。占領下と解放時に表面化した国内分裂の後遺症で、一九四六年から四九年までギリシアは激しい内戦に突入した。
ヒトラーはいつも既成事実を押しつける。今度こそお返しするのだ。ヒトラーは新聞でわたしがギリシアを占領したことを知るだろう。これでバランスが取れるのだ。一九四〇年十月十二日、ムッソリーニ
戦争の終わり近くドイツの敗北必至の情勢で、ヒトラーは過去を振り返り、自らの破局はムッソリーニのギリシアでの大失敗が原因である、とこれを激しく非難した。「イタリア人があの馬鹿なギリシア作戦を行ってわれわれを困らせなければ、ロシア攻撃をもう何週間か早く始められた」と、ヒトラーは二九四五年二月中旬に語ったと言われている。「バルバロッサ作戦」の発動が遅延したことで、勝利を逃した。その数日後、同じ文脈でヒトラーは嘆いた。ドイツに黙って始めた「意味のないギリシア攻撃か、われわれを仕方なくバルカンに介入させた。そんなことは計画もされていなかった。これかロシア攻撃の破局的な遅れにつなかった。最良の師団をそちらへ割かなければならなかった。その結果、広大な地域を占領管理しなければならず、不必要な兵力か愚かなショーを演じなければならなかった」。「まったくラテン民族は困ったものだ」と、その直後も嘆きか続いた。「ギリシアに対して破滅的な行動を起こしたことで」、スペインやフランスにまして、このラテンの友人、ムッソリーニはかれの心配のもととなった。
ソ連におけるドイツ大敗北の弁解として、このことはあまり成り立つものでもない。五週間その開始が遅れたということだけが決定的だったわけではない。いずれにしても多分、その年とくべつ雨量の多かったことを思えば、六月中旬以前に行動開始はできなかっただろう。「バルバロッサ」失敗の原因は、ドイツの計画の思いあがりにあったのであるー・それは荒削りな誇大妄想の産物だった。それは欠陥だらけで補給計画も充分ではなく、最初から作戦をまごつかせていた。一九四一年春、イタリアの蹟きのおかげで、ドイツ軍は「バルバロッサ」用の戦車とほかの車輛の消耗を強いられた。また前述のとおり、侵攻に際して南方の側面を担う軍を縮小せざるを得なかった。しかし、ソ連攻撃前のドイツ軍のギリシアヘの転用かソ連作戦のためになることは何もなかったとはいえ、ムッソリーニの愚行が発動前の「バルバロッサ作戦」を阻害したわけではなかった。それはむしろ北アフリカでの枢軸側の戦争遂行に甚大な影響を及ぼしたのである。
一九四一年秋の時点で北アフリカは中心的な戦場になるはずだった。イタリアが参戦後、チュニス、とくにマルタ島全土を占領してしまえば、北アフリカ攻撃開始以前にイタリアの地位はずっと強化されていただろう。しかしこの作戦の準備はまったくされていなかった。それでもこの地域でイタリア軍は英軍にくらべて、すぐにバランスか変わるとしても、兵力数において圧倒的に優位にあった。グラツィアーュはいく度も前進の時期を遅らせたか、かれはムッソリーニが終始要請し、また期待したエジプト攻撃に踏み切るには兵力か足りない、と考えていた。ドイツはこの局面の重要性を認識しており、兵力、装備の支援を申し出ていた。イタリア最高司令部はこの申し出を受けるつもりだった。それは大事な問題だった。しかしムッソリーニはこれを拒否した。かれはイタリアの戦場にドイツを寄せつけたくなかったのである。それどころか、十月以降、兵力と装備の主力は北アフリカではなく、ギリシアに向かった。一九四〇年十月から四二年五月にかげて、北アフリカ作戦に比較して五倍の兵力、三倍の物資、三・五倍の商船、二倍以上の護衛艦船かギリシア作戦に投入された。十二月に英軍か攻勢に転じたとき、この資源転用の結果がどうなったか、たちまち露わになった。
実際、その意味するところは、ただちにドイツの戦略担当者に認識された。敗走開始ののち二週間も経たない一九四〇年十一月十四目、海軍軍令部の作戦立案者は状況をとりまとめた。「イタリア、リビアによるエジプト攻撃の条件は消滅せり。海軍軍令部は、イタリアはエジプト攻撃の能力なきものと信ず」。--これはもちろん、ギリシア攻撃にくらべて明らかにイギリスに深刻な打撃を与え得る作戦だった。とくに枢軸側かスエズ地域を押えることができるとすれば。軍令部の評価は続く。
イタリアのギリシア攻撃は致命的な戦略上の失敗である。東地中海、アフリカ戦線、そして今後の戦争全般について予期し得る英軍の反撃を顧慮するに、まったく逆効果をもたらすものと言わざるを得ない。……海軍軍令部としては、アフリカ、中東地域に対する影響力を考えたとき、アレクサンドリア=スエズ地域への攻撃および地中海における展開か、戦争の帰趨に決定的に重要と考える。……イタリア軍は地中海域において必要とされる作戦を、必要な速度と決断をもって成功裡に達成する指導力もしくは軍事的効率性をもはや有せざるものと認定す。イタリア軍単独によるエジプト攻撃の成功はいまやまったく期待し得ない。
十二月中旬に問題となったのは、待ち望まれたエジプト攻撃ではなく、崩壊したイタリア軍の回復だった。この後、砂漠の戦いでロンメルがこれ見よかしの派手な行動をなしたが、イタリア軍の失敗と、ドイツ軍の兵力、物資の転用で、北アフリカ戦線は次第に連合軍の兵力に圧倒される状況となってきた。一九四〇年十月のム。ソリーュのギリシア侵入の決断が、この(枢軸側から見て)不幸な状況を招いたことに大きな要因となった。ギリシア戦線の直接的被害は、イタリア側で一五万、ギリシア側で九万と算定される。しかし、ギリシアにとってこれは災厄の始まりにすぎなかった。一九四一年四月、ドイツ軍か侵入して、三年半の占領が続いた。圧政とハイパー・インフレーション、そして栄養不良により多数の死者が出た。一九四一-四二年の冬には約一〇万の餓死者が出た。ナチの逮捕と収容所送りを逃れたギリシアのユダヤ人はほんの少数である。一九四四年十月、解放されたあともギリシアの苦難は続いた。占領下と解放時に表面化した国内分裂の後遺症で、一九四六年から四九年までギリシアは激しい内戦に突入した。
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豊田市図書館の追加の11冊
203.2『人類の歴史大年表』[ビジュアル版]
209.71『第一次世界大戦の歴史 大図鑑』
391.2『データで見る第二次世界大戦』ビジュアル版
596『村上祥子のノンフライヤープラス500kcal満腹食堂148レシピ』
302.27『イラン人このフシギな人々』
816.5『ダメレポート脱出法』
440.22『東洋天文学史』
366.7『パパの働き方が社会を変える』
336.48『「かまってちゃん」社員の上手なかまい方』
913.6『絶海戦線1 滾るミッドウェー』
019.9『野蛮な読書』
209.71『第一次世界大戦の歴史 大図鑑』
391.2『データで見る第二次世界大戦』ビジュアル版
596『村上祥子のノンフライヤープラス500kcal満腹食堂148レシピ』
302.27『イラン人このフシギな人々』
816.5『ダメレポート脱出法』
440.22『東洋天文学史』
366.7『パパの働き方が社会を変える』
336.48『「かまってちゃん」社員の上手なかまい方』
913.6『絶海戦線1 滾るミッドウェー』
019.9『野蛮な読書』
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電子書籍で所有権放棄
電子書籍で所有権放棄
電子書籍の本当の意味は所有権放棄です。持たなくてもいいということです。ビデオも同じように持たなくてもいいということです。中身を使うだけです。YouTubeのように本を扱うことになる。
作る方も持たなくてもいいということです。パッケージにしなくてもいいということです。本の手間をどうするのか。それを使う方に変えていく。個人の本来の目的は、集めるという趣味ではない。著者の思いを達成するかです。
仲介業者がメインになっているけど、本当は使う方の人たち、生活のためにどうしていくのか、どういう生活にさせるのか、同じ趣味の人たちをどう集めてくるのか。生涯学習も目的に合わせて、全部、つながっていきます。
グローバルの本当の意味はそういうことです。途中をなくすことと、最後まで行くということです。
ムッソリーニがギリシャに攻め込んだ理由
イタリアがギリシャに攻め込んだこと。その失敗。ムッソリーニのヒットラーとの確執。単にそれだけではない。イタリアにとって、ギリシャとは。そして、ギリシャは古代ギリシャではない。
その結果として、ギリシャは多大な被害を得て、ドイツはギリシャに多大な負債を負った。若者の死亡率はギリシャが最大だった。原因となった、イタリアのことは忘れられている。
日本が大復活する
「原発再稼働で日本を大復活する」半分以上はウクライナの問題。それも日本人はこれを知らないだろうという、高所からの言い方。何を言いたいのか分からない。
その挙句が、電力が国家を作るということで、発電の仕方を書いている。紙面を埋めているだけです。何の役にも立ちはしない。250ページのうち、200ページ以上がそんな状態です。残った最後は、原発再稼働が日本を救うということだけを書いています。
なぜ、日本というもの、そして、無責任な大衆という言い方、最後に、国家・国民のためで終わるのか。論理が始まってもいない。国家が国民とコミュニケーションをとる、政治家。そんなもので何が変わるのか。何も変わりはしない。
内なる世界の完結性
生まれてきた理由から、一人ひとりが考えないといけない。国家というのは、個人の撮っては、偶々なもの、ほとんど弊害しかない。内なる世界の完結性が求められている。エネルギー問題にしても、環境問題にしても。それなくして、依存するわけにはいかないでしょう。
他者を非難するときも同じです。自分の完結性をどこまで持つのか。持てば、避難できなくなる。しなくなる。
電子書籍の本当の意味は所有権放棄です。持たなくてもいいということです。ビデオも同じように持たなくてもいいということです。中身を使うだけです。YouTubeのように本を扱うことになる。
作る方も持たなくてもいいということです。パッケージにしなくてもいいということです。本の手間をどうするのか。それを使う方に変えていく。個人の本来の目的は、集めるという趣味ではない。著者の思いを達成するかです。
仲介業者がメインになっているけど、本当は使う方の人たち、生活のためにどうしていくのか、どういう生活にさせるのか、同じ趣味の人たちをどう集めてくるのか。生涯学習も目的に合わせて、全部、つながっていきます。
グローバルの本当の意味はそういうことです。途中をなくすことと、最後まで行くということです。
ムッソリーニがギリシャに攻め込んだ理由
イタリアがギリシャに攻め込んだこと。その失敗。ムッソリーニのヒットラーとの確執。単にそれだけではない。イタリアにとって、ギリシャとは。そして、ギリシャは古代ギリシャではない。
その結果として、ギリシャは多大な被害を得て、ドイツはギリシャに多大な負債を負った。若者の死亡率はギリシャが最大だった。原因となった、イタリアのことは忘れられている。
日本が大復活する
「原発再稼働で日本を大復活する」半分以上はウクライナの問題。それも日本人はこれを知らないだろうという、高所からの言い方。何を言いたいのか分からない。
その挙句が、電力が国家を作るということで、発電の仕方を書いている。紙面を埋めているだけです。何の役にも立ちはしない。250ページのうち、200ページ以上がそんな状態です。残った最後は、原発再稼働が日本を救うということだけを書いています。
なぜ、日本というもの、そして、無責任な大衆という言い方、最後に、国家・国民のためで終わるのか。論理が始まってもいない。国家が国民とコミュニケーションをとる、政治家。そんなもので何が変わるのか。何も変わりはしない。
内なる世界の完結性
生まれてきた理由から、一人ひとりが考えないといけない。国家というのは、個人の撮っては、偶々なもの、ほとんど弊害しかない。内なる世界の完結性が求められている。エネルギー問題にしても、環境問題にしても。それなくして、依存するわけにはいかないでしょう。
他者を非難するときも同じです。自分の完結性をどこまで持つのか。持てば、避難できなくなる。しなくなる。
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