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歴史のジャンルとテーマ

サファイアの配置

 サファイアの配置を決めた時に、人をどのように展開するかのイメージを作った。割合がかなり、変わってくるはずです。エンパワーメントする人が多くなるでしょう。これは高度サービス化です。

 リアライゼーションする人は減ってくる。ユーティリティを作るカタチになるから、優秀な少人数で対応できる。これは技術開発部署のイメージです。

 NPOを含めて、ファシリテーションするところは、行政の主な役割になります。いかにして、作られたものを使っていくか。問題は、エンパワーメントするために、存在するということです。そこから出たもので、知の世界をどうしていくのか。イノベーションを図るのが、インタープリターの仕事です。

 これらを14歳の段階でどう展開するのか。どう展開するかというところから、教育・仕事・生活の循環をどう展開するかに持ってきます。軸がちょっと違います。個人にとって、横の軸になってくる可能性もあります。

 もう一つ大きいのは、その循環をいかに司るかという人間です。

 本来はエンパワーメントのところで、色々なものを一緒になって、作り上げてしまえばいい。ベースはさほど、多くない。いかにして、それを活用するかです。そうでないと個人には展開できない。その知恵が使えない。地域も多様化できないという世界です。Iさんはエンパワメントを行っている。チームのメンバーとかお客様に対してもそうです。

 ここでは、リアライゼーションとしているという連中は、自分で穴を掘って、埋めているだけです。それで、金をとっているのは、不合理です。

消費資本主義の社会

 消費資本主義の社会。第二次産業主体のケインズの時代と異なり、第三次産業と消費者の時代である。本当の主人公は国民である。消費者という世界から、生活者の世界に変えていくことです。直接、政治に反映させることです。

歴史のジャンルとテーマ

 今日は、何を見つけよう。午後からの第4章のジャンルとテーマに掛けましょう。第3章はそのまま、まとめてから、取り掛かります。

 歴史的な感覚がテーマにどういう影響を与えたのか。自由と歴史との関係、個人と国家との関係から新しい世界を作り上げましょう。

 グローバル化と多様化は、M8とM1に分かれている。この意味は何か。グローバル化の結果として、環境社会が変わっていく。多様化の方は、どちらかと言うと、社会構造そのものです。地域の方に振るということです。上の方に振ることと、下の方に振ることは要因が異なるということです。分化した結果として、歴史が変わっていくという、ファクターです。

 歴史認識で一番変わるのは、存在の力です。単にローから発想するという物理層だけではなく、論理層としての存在の力です。それでL2を採用しました。「歴史の意味」より、「歴史の見方」の方がいい。歴史の意味の内容は的確に表現できない。本来の歴史の見方からすると、ファクターですね。国と人との関係とか、地域とグローバルとかです。そして、歴史の中の偶然です。

 歴史はまだまだです。変革のキーとなる、存在の力にしても、それをどう変えていくのか、シナリオも下から順番に変えていくことになるけど、それを伝播させるのか。これは歴史の中で考えるよりも、社会とか仕事の中で考えていかないと、飛躍が大きすぎる。

 歴史はあくまでも歴史観の部分が主になります。どちらに進んでいくのか。それをどう見ていくのか。

歴史の意味

 歴史って、本当にあるのか。<今>しかなければ、歴史はないよね。

 太平洋戦争にしてもヒットラーにしても、生まれた時には全て、決まっていた。関与しようがないよね。次に起こることも、前に起こったことを知っていても、同じことが起こるわけないから、何の役に立つのか。

 大きな目で見ると、進化として見ることになるけど、その進化も人類の進化から、モノを含めた進化に変わりつつある。

 環境と同じように、人間が関与する部分が増えてくる。人間の歴史という場合に、人間自体が分からなくなっている。本当に歴史は人間が作っているのか。まあ、それを考えるために歴史があるんでしょうね。ほとんどの人間にとって、歴史という範囲はない。

歴史教育

 環境教育と同じように、歴史教育、ましてや歴史哲学まで入った教育が可能かどうか。歴史を知ろうと思えば思うほど、狂おしい。

 自由に関する歴史も同じです。一人で生きていけないという束縛と歴史、家族という束縛の歴史。新しく放り込まれた人間は知ったことないのに、歴史という中に新しいものを作ろうとしない。

人類の進化の加速

 未唯空間では「進化」という項目を上げました。最大の歴史の進化です。ネアンデルタール人ではないのだから、10万年掛かって進化するものが、今後の歴史の加速化でどうなっていくのか。個々の人間の要素がどう働いていくのか。そんなモノとは関係ない世界、単に生まれて死んでいく世界、それとの関係もよく分からない。

 弄ったところで、結局は同じだというのは、確かです。だけど、知りたい。単純にそれだけですね。考えるということもなければ、歴史もないんでしょうね。今のざわつく心と関係あるのか。<今>が過ぎていく。

非歴史的な反応

 感情的で非歴史的な反応、ロシア革命は不可避だったのか・・・。現代の歴史においては、まだ、そのターニングポイントを覚えている人がいるからややこしい。この最近は織田信長まで遡る奴もいる。
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決断の「環境」を探る

『運命の選択 下』より

ソ連史の研究で有名な碩学E・H・カーは、名著『歴史とは何か』で、もしも、あのときといった想像をめぐらすひとびとについて、「私の見当では、その主たる根源をなすものは、思想上の--というより、感情上の『未練学派』とでも呼ぶべきものであります」と、辛辣な評価を下している。彼はさらに、ロシア革命は不可避であったかというような疑問を例に挙げ(その裏には、ロシアが第一次世界大戦に参戦しなかったらとか、ケレンスキー政府が成功したなら、という反実仮想があることはいうまでもない)、「未練学派」を皮肉った。やや長くなるが引用してみよう。

「そのために、この人たちが歴史を読む場合、起ったかも知れぬ、もっと快い事件について勝手気優な想像をめぐらせたり、何が起ったか、また、なぜ彼らの快い夢が実現しなかったのかを説明するという自分の仕事を淡々と続けて行く歴史家に腹を立てたりするということになっているのです。現代史というものが面倒なのは、すべての選択がまだ可能であった時期を人々が覚えているためであり、これらの選択が既成事実によって不可能になっていると見る歴史家の態度を受け容れ難いと感じているためであります。これは純粋に感情的で非歴史的な反応であります」(『歴史とは何か』、清水幾太郎訳、岩波新書、一九六二年、一四二~一四三頁)まさに「感情的で非歴史的な反応」に基づく出版物が氾濫している現代の日本にあって、カーが振るった寸鉄は、いよいよ鋭さを増しているといってよい。歴史の「イフ」を考えてみるのは、たしかに楽しいことだが、度を過ぎれば、なぜ歴史はおのれの善しとする方向に行かなかったのかという理不尽な異議申し立てにすぎなくなる。

ところが、である。プロフェッショナル、それもカーの教えぐらい百も承知であるはずのイギリスの歴史家、すなわちイアン・カーショーが、第二次世界大戦の決定的時期に下された各国の指導者たちの決断について、あり得た可能性、つまり歴史の「イフ」について検討を加えたということになると、どうだろう? それは、「未練学派」に堕すことにならないのか?

イアン・カーショーは一九四三年生まれ、現在はシェフィールド大学の教授を務めている。もともと中世史を専攻しており、ドイツ語も中世ドイツ農民に関する史料を読むために習得したという。そのカーショーがナチス・ドイツ研究に転じる契機となったのが、一九七二年の南独バイエルン州訪問の際に経験した、ある老人の発言であったのは、本書『運命の選択1940-41 世界を変えた10の決断』の「訳者あとがき」に書かれている通りだ。それは、人種主義と冷戦時代の反共主義が混淆されたような内容で、しかも草の根の声であるために、いっそうショッキングである。

ホロコースト以後であるにもかかわらず、こうしたことを公言する人物がいることに衝撃を覚えたカーショーは、以後、ナチズム研究、とりわけ「普通の」ひとびとか、何故にヒトラーとナチスを支持するようになったかという問題の解明に打ち込むようになる。一九七五年には、ナチズム研究の権威だったマルティン・ブロシャートの指導のもと、ドイツ現代史研究所が進めていた「バイエルン・プロジェクト」(ナチ時代のバイエルンの民衆が、日常的にどのような生活を送り、ナチズムに対してどう対応していたかを探る、史料収集・研究プロジェクト)に参加した。このような研究活動の結果、カーショーは一九八〇年にナチズムに関する最初の著作をドイツで出版した(『ヒトラー神話--第三帝国の虚像と実像』、柴田敬二訳、刀水書房、一九九三年)。

カーショーは、ヒトラーのイデオロギーに基づく決断がそのままドイツの政策となったとする議論(日本の学界では、この説を支持する研究者はわずかであったものの、欧米のナチズム研究にあっては、いねば「保守本流」というべき地位にあった学説である)に与するのではなく、社会経済的な緊張を背景とした官僚的な諸組織の競合こそがナチズムの過激化、いわゆる「世界観戦争」とホロコーストヘの動因だったとする学派に属する。このナチズム解釈をめぐる論争と学説の相違は複雑多岐にわたり、紙幅の都合上、ここでは詳述できない。関心のある向きは、歴史・政治学者、田嶋信雄の要を得た研究史のまとめを参照されたい(『ナチズム外交と満洲国』、千倉書房、一九九二年)。

ただし、カーショーが両方の学派の止揚、社会経済的な枠組みのなかでヒトラーを論じるという試みに取り組んでいることは特筆しておかなければならないだろう。一九九八年ならびに二〇〇〇年に上梓されたヒトラー伝二巻は、その成果であり、世界的なベストセラーになった。また、彼のヒトラー論を示す一書もすでに邦訳されている(『ヒトラー 権力の本質』、石田勇治訳、白水社、一九九九年)。

さて、冒頭の疑問に戻ろう。本書『運命の選択1940-41 世界を変えた10の決断』は、第二次世界大戦のもっともクリティカルな時期、戦争の帰趨がいまださだかではなかった一九四〇年から一九四一年における、主要各国の指導者たちの決断がいかになされたかを究明せんとした著作である。

その際、カーショーは、「戦争の歴史を俯瞰するときは、一般の歴史を見るとき以上に、ほとんどの場合、あらかじめ固定された目的論的な見方をしてしまう。起こったことはそれ以外に起こりようのないことだった、と。本書の目的の一つは、そんなことはない、と指摘することにもある」と宣言している(上巻二七頁)。多少なりとも歴史学の方法論を知っている読者なら、カーショーともあろう大家が「未練学派」に走ったのかと、当惑せざるを得ない。
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民主的な合意形成

『人が集まるボランティア組織をどうつくるのか』より 学んで育つボランティア組織のメンバー 民主的な合意形成を大切にする

一部の幹部の人だけが会務のほとんどを決めて執行するのであれば、総会はシャンシャン総会で良いのかもしれません。しかし、私たちが生活する民主主義社会では、すべての人々に決定に至る過程に平等に参加・参画する権利が保障されています。集団の合意形成において、その集団の構成員は民主的なそれを目指して常に努力し、基本的人権を享受する責務を負っているのです。特に人々の権利を保障し、社会的課題を追究・追及したりするようなボランティア組織では、なおさらです。では、「民主的な」とは、どういう意味でしょうか?

民主主義とは集団の構成員(メンバー)が主体となって、当該集団の運営のあり方について決定し、実行し、責任を負うものです。民主的なとは、この民主主義の考え方に則って事を進めていくという意味になります。したがって民主的な合意形成とは、集団の構成員全員が主体(実行主体・責任主体)となって、合意(話し合ぃの結論)を形成する(導き出す)ことです。

横並びの関係性でつながっているボランティア組織では、まさにこの「民主的な合意形成」を重視し駆使しながら会務を集団決定し、運営されています。では、次に合意形成の具体的な方法について述べましょう。ただ、その前に民主的な合意形成を目指したものの、うまくいかなかった事例を紹介しましょう。

ずっと企業に忠誠を誓って働いてきた男性(ぃわば「昭和の会社人間」と言えばわかりやすいでしょう)が、第2の人生は営利を求める企業社会ではなく、地域のボランティア組織に参加して貢献したいと思い、ボランティア組織に加入しました。ところが、メンバーから疎まれ、顰蹙を買う存在になってしまったのです。なぜでしょうか? 実はその男性は、企業人生で培ってきたこと・実践してきたことを大切にするあまり、そこでの方法(手法)から抜けきれなかったのです。その企業での会議は長くても60分、それ以上長いものは非効率的だとして避けられていました。そのため短い時間での合意形成こそが重要であると考え、メンバーの非効率的な合意形成を批判したために、ボランティア組織の中で浮いてしまったのです。企業での経験を生かそうとして頑張ったのですが、逆効果だったわけです。

ボランティア組織の合意形成は、横並びであるがゆえに時間がかかり、同じようなことを繰り返していたり、結論が中途半端な協議になったりすることもあります。それらが最善であるとは言いませんが、集団の構成員が納得しているとすれば、その組織にとっては最善であると言えます。そのようなことを理解しないで、企業の方法を押しつけても無意味です。否、その方法を巡って合意形成すれば良かったのですが、その男性の場合は、押しつけるような態度だったために対立してしまったのです。

ある組織では有効で最善の方法でも、別の組織ではそうではないことがあるのです。民主的な合意形成という時には、その集団の構成員にとって納得のいく内容と方法でなければならないということでもあります。この事例から、民主的な合意形成では、どのような内容を導き出すのかだけでなく、どのような方法(決め方)を採用して合意に至るのかも重要だと言うことがわかります。
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超資本主義論

『吉本隆明の経済学』より 超資本主義論

一九九〇年代の半ば頃から日本経済は一転して不況期に入った。不況に対処する処方能としては、二〇世紀にはケインズ的な政策が有効だと考えられてきた。そこで当時の自民党政権も、建設や土木工事などの公共事業に国費を投入する、ケインズ的政策で不況を乗り切ろうとした。吉本隆明はそれを、資本主義の現在の段階を理解していない間違った政策として、きっぱりと否定した。その理由は、彼の考えていた資本主義の未来像(超資本主義)と深く関わっている。

消費資本主義の段階に入っている先進国では、第一次産業の人口が大幅に減少している。第二次産業についても似た傾向が見られる。そのかわりサービス業や金融業や情報産業などの第三次産業に就いている人の割合が増えていっている。資本主義じたいが金融グローバリズムの時代に入っていた。こういう社会で、ケインズの時代と同じような不況対策がはたして有効だろうか。ケインズの時代には第二次産業がもっとも重要で就業者の数も多かったから、公共投資をさかんにしていけば、人口の多くの部分がそれによって潤うことになった。ところが消費資本主義の社会で同じ政策をとっても、一部のゼネコンなどが大儲けをするだけで、社会は全体として豊かにならない。

先進国がとらなければならない不況策が、ここから自然と見えてくる。公共投資は教育医療、福祉などの第三次産業へ向けられていかなければならない。いやそもそもなぜ先進諸国が現在軒並み不況に陥っているのか。それは社会生産の主体がサービスや金融や情報などの第三次産業に移行してしまっているのに、政治家も経済学者も古い「支配の思考」のレペルで止まってしまっており、その幻想性ゆえに現実の経済の姿が見えていないからである。

消費資本主義の社会のほんとうの主人公は、いまや国民と企業体である。彼らのおこなう消費が社会を左右する力をもっている。「支配の思考」は、国民や企業体がそのことに気づき、消費資本主義の主人公として彼らの意志を政治に直接反映させようとする事態を恐れている。しかしここが突破されると、先進国ははじめて超資本主義の段階に入っていくことになる。

吉本隆明はこの超資本主義の世界がどのようなものであるか、興味深い着想をいくつも残している。なかでも興味深いのは「アフリカ的段階」の要素を保存したままの世界にたいする期待である。人間の心の原初構造がハイパー科学技術と結合して(つまり人類の「アジア的段階」を経ることなく)つくりだす見たこともない未来を、吉本隆明は夢見ていた。
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土曜日のスタバ

土曜日のスタバ

 さて、うまくいきますか。何がうまいか知らないけど、とりあえずの行動です。人間素直にならないといけない。これだけのワクワク感はあまりない。小道具は5つ、持っています。

 スタバを覗いたら、居ない。だけど、近くのバリスタが目で合図してくれた。今日はいつものメンバー勢ぞろいです。

 ここまで来て、やっぱりよかった。いよいよ、これも観察しないといけない。この思いをこれにぶつける。やっぱり、彼女らのために、人類のために変えていかないといけない。

 クリスマスのために、ハッピーホリデーを合言葉にしたみたいですね。ハッピーを仕掛けたのはIさんみたいです。パートナーと一緒に行った時に、そんなことを言っていた。なかなか、言えないけど、言おうとしています。

Iさんとの会話

 「おはようございます。すごいビックリ。来てくれたんですね」「ありがとうございます。土曜日は休みじゃないんですか」

 「このためにわざわざ、ありがとうございます」「まさか、まさかでうれしいですよ」「赤、着てますよ」

 「もしかして、私の誕生日、知ってましたっけ」「次に会う時は、違うようになっていると思っていた」「いやいやいや、心が一番こもっていますよ」「いただきます。ははは、うれしい」

 「服もお揃いだし」「ハハハ、ビックリ」「嬉しくて、ペースが狂ってしまう」

 「私、バーなので、いまからドリンクつくります」

ジャンルとテーマを組み合わせ

 ジャンルとテーマを組み合わせると見えてくるものがあります。

ESDの広場

 久屋会場といわれたけど、全然、場所が分からない。久屋大通まで行ったけど、なかった。後から分かったのは、松坂屋前ということだった。地下鉄で二駅違った。

 全然、地下鉄が分からない。御器所で降りないといけないのに、今池で降りてしまった。10年以上、この地下鉄線で毎日通っていたのに。

一日を大切にする

 今日はバーの担当だった。機敏に動いていた。これでまた、木曜日まで会えない。間が空きすぎです。何しろ、一日を大切にしないと。パートナーも出張で居ない。自分だけに時間を使うしかない。

 バス停への歩行も含めると、5分の笑顔のために、3時間半です。まあ、その間、いろいろ考えられたからいいんじゃない。

 ツッチーと月曜日に来ればいいのに、と言っていたということは、私が来ることは予感がしていたのでしょう。なぜか知らないけど。5分、話すために、名古屋まで来ています。

『世代×性別×ブランドで切る!』

 所得は完全に減っていますね。500万円の結婚への壁が放置されている。

 女性も40歳になっても、4人に一人が独身だそうです。独身の場合は63%が定職についています。未婚でも、265万円と大きな差が出ます。既婚の場合は77万円です。多分、300万円は超えているのでしょう。

 そして、個人個人の生き方。子どもを持ちたいとかの願望はないのでしょうね。
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仕事のジャンルとテーマ

仕事のジャンルとテーマ

 仕事で他の人と一番違うのは、自分のために仕事したということです。仕事というのは、さほど、能力を使わなくても、方向さえしっかりしていればできます。

 社会の新しい考え方に一番、対応しているのでしょう。従来の世界と違います。組織の中にはいない。この考え方は間違っていなかったという自信が今はあります。他者の仕事を見ていると。このままでは、どう見ても、社会全体を悪くするだけです。

 教育を変えて、仕事を変えて、生活を変える、そのベースとして、存在の力をおくことの実験台です。

 仕事のために、サファイアのバックボーンを作り上げました。これはトコトン、考えました。仕事だけだと思っていたけど、一般的に通用するもので、数学的な理念で、考え方を拡げられる。歴史でもって、時空間を超えられる。

 最終的には、哲学でもって、この考え方を汎用化でき、個人が変わることで全体が変わるというシナリオ。それにしても、他者からあまりにも離れているのは確かです。誰も存在を知らない。知ったとしても、多分、同じでしょう。

 意思の力のど真ん中のメーカーで考えてきたことが成果なんでしょう。それを凌駕する発想、その中で邪魔されずにやれたこと。そして、新しい根本を見つけていく。この組織の中に埋もれているものを掘り出してきた。

 意思の力と言っても、個人の力に頼っている。表向きを組織の力にしている。それが分岐点を向かえている。メーカーのやり方の変節点が来ている。メーカーを助けるために発想して、ここに至っている。私は正しい。

システム設計

 システム設計は本質的なところだけをやればいい。作るというよりも、皆がそれに乗っかってくる仕組み、自然な仕組み。そのためには数学的な根拠がなければならない。シンプルで簡単にできた。

 使う人に夢がないところでは、仕事は意味を持たない。使わせるのはムリです。夢を持って使うだけです。そのためには、その人の仕事にする。何かを為せる。

未唯空間の汎用性

 未唯空間の汎用性をどこまで拡大するか。かなり、よくできていると思っているけど、本当に空間なのか。一番のポイントは内なる世界での完結性でしょう。循環することで完結するし、持続可能性もできる。

組織の枠

 仕事では組織との関係が大きい。よく、この枠の中で勝手なことをやってきたということと組織は破るためにあるということ。

 この原点は、技術開発部署でのやり方です。新しいものをつくることがミッションでの組織にあり方を教えられた。また、それを社会の変化に合わせて発展させた。単に組織を破るだけではなく、既存のモノをどのように再編成していくのか。それを空間で解釈した。一様空間から位相空間への遷移のアイデアでもって、やってきたこと。

インフラに戻す発想

 それと大きいのは、このマーケティングの中で、メーカーを存続させるかという問題意識です。このままではダメだというのが、20年前の異動希望です。よく、こんなに持ち応えている。グーグルのような対抗するモノを感じていない。

 グーグルは資本からすると、倍になっています。人数ははるかに少ないし、より多くの人の中に入り込んでいる。メーカーと同じように、グーグルは、明確なカタチで、インフラをタダ乗りしています。

 車というのは道路とか駐車場などのインフラを作らせて、その上に乗っかっている。その対価を払っていない。外部化している。グーグルと同じ土俵に居るのは確かです。その次はどうなっていくかを考えていけない。

どうなっていけばいいのか

 どうなっていけばいいのか? 考え方です。家族にしても、よく分からない。パートナーの関係にしても。関係何というものがあるかどうかわからない。自分の中の孤独感しかないのは確かです。

 結局は、存在と無へ戻っていく。これは致し方ない。

家の考える環境

 今日は、布団乾燥機で暖まりながら、ジャンルとテーマの関係について考えましょう。テーマにどこまで反映しているのか。これは、朝一番の入力にします。

仕事の論理の飛躍

 仕事については、もっと論理的に飛躍させないといけない。元々、仕事に関しては、販売店とか、店舗だけで解決しない。メーカーを含めてもまだまだ、不十分です。販売店要望を実現するにしても。

 枠をつけてはいけない。拡大しないと。特に人間の心はそう変わるものではない。もっと、ベースを変えないといけない。その予感からどんどん拡大しました。その予感はあっていました。メーカーの力でどうにかなるものではない。もっと、大きな世界。

 その実現をこの中でやれるとは思えないし、内なる世界で作り出すしかないという方に向かっていきました。
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