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16テーマの説明 4/7

テーマ L8「未来の姿」

 進化の過程で、「未来の姿」が見えてくる。未来学者として、どうまとめていくのかがL8「未来の姿」です。

 「未来の姿」で一番分かり易いのは、資本主義が変わることで、企業の変革が起こる。ローカルが変わることで、変革するしかない。イメージとしては高度サービス業としての企業、モノを作るメーカーでなく、サービス中心になる。一カ所だけ変わってもダメだから、循環させていく。それを支えるのは生活者です。生活者がマーケティングを変えていく。

 そのための社会はローコスト・ローエネルギーをどう作っていくのか。シェアは当たり前として出てきます。それが「未来の姿」です。未来の技術とか、未来の車が未来ではない。新しい仕組みが未来を作り出す。そこでは、エネルギーはあまり、使わずに、お互いがお互いを助ける共同体主義です。

 それは数学の世界でも、トポロジーの世界で近傍系から作り上げたものがどういうカタチになるのか、先の理論との関係が出てきます。ローカルとグローバルがくっつく世界です。そのための方程式が未来方程式です。資本主義とか民主主義がグローバル化と多様化の世界を経て、情報共有でどう変わっていくのかのシナリオです。

 シナリオのパラメーターとしては、情報共有係数が意味を持ちます。上からの指示ではなく、下からやっていって、かつ、分化と統合が上手くいくためには、情報共有係数がどこまでのレベルに達したらいいのか。

 フェースブックがどういうカタチの役割をして、グーグルが知に対して、どういう働きをするのか。未来方程式は歴史の方向と一緒になっていかないといけない。歴史の方向は数学の方向に従うことになる。

 最終形は「先の先」と同様に、LL=GGをいかに具体化するのか、と言うところです。これは論理層の究極のカタチです。存在の無、そのものになってきます。私の「内なる世界」のベースと同じになります。

 現実的なところでは、知の体系を作り上げること。それぞれが役立つ人間になるには、知というものが必要です。教育制度、生活、仕事のやり方の循環において、知をベースにした社会にしていく。学校教育と生涯学習の一貫性、何のために生まれてきたのかの存在の力をここで出していくカタチです。

 グーグルではないけど、知の入口をハッキリさせ、コミュニティで展開して、知識と意識を社会のエネルギーにしていく。知ること、それは難しいです。全てを知りたいというエネルギーをここに注ぎ込んでいくことになる。

 社会的な制度としては、共同体主義として、クラウドを挙げています。クラウドにして、移動などをバーチャル化することで、小さなエネルギーで多面化することを実現させていく。そこでは、電子書籍とか、グーグルとかアマゾンのクラウドが役割を持つ。それを実現する場としてのコミュニティがベースとなる。

 そして、個人のところはスマホみたいなもので、ゲームの世界からコミュニティの世界のための道具として、生きてくる。

テーマ M1「社会構造」

 物理層の最初は、M1「社会構造」です。本来、こんなものは見なくてもいいんだけど。M1「社会構造」を分析して、現象を確かめて、揺らしてみて、どういう変化するかというところです。それで社会のあり方を探ってみるというところから始めます。

 社会に対する変化で大きいのは、多様化です。多様化できないと、社会は滅びます。この目的は、幸せな社会をどのように作っていくのかという抽象的な概念になります。そこにいる人も含めて、社会をどうしていくのか。自分には最終的には関わりはないけど、その構造を調べます。何しろ、物理層ですから、

 社会構造を仕事から見ていって、サファイアの概念を見つけました。これで仕事はほとんど終わりました。そこまでしかたぶん、できなかった。サファイアが得られたので助かりました。これも全体を考えて、先を見るということから、生まれました。

 全体を見ていくときに、まず必要なのは循環です。グローバルとローカルがどう循環するのか。そのキーとして、思考と行動を考えて、色々なモノにあてはめました。ローカルとグローバルの関係は、国と地域だけでなく、販売店とメーカーの間、販売店とお客様との間、そういうものはすべて、ローカルとグローバルで定義できました。

 この概念そのものは、EUの国とEUとの関係、国と地方との関係から持ってきたので、汎用性は高いです。本来、異なるものが同じように見えるというのは、空間認識のなせる業です。その空間モデルからサファイアモデルを作り出しました。

テーマ M2「サファイア」

 M2「サファイア」の最初はsustainableを取り上げています。sustainableするために、循環する。いまは、持続可能性をユネスコも取り上げているけど、その定義ははっきりしていません。

 自分たちが始めたことが持続できることが、持続可能性ではない。持続可能性はスパイラルに陥ることなく、循環させながら、進化させていくかです。

 サファイアに対して、数学理論をあてはめます。これは空間理論からの問題です。ローカルとグローバルをやっていくのか行動と思考と言うものを外側への力と内側への力とすることによって、全体を回していきます。それを理論化すれば、色々なモノに適用できます。
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16テーマの説明 3/7

テーマ L6「位相表現」

 社会を数学的に扱うためにL6「位相表現」を使います。社会を空間と見なした時に、そこに位相を入れるということは新たな見方になります。それを社会に適用する。社会を空間と見なすと言っても、距離をどう定義していくのかが位相です。

 地域を近傍と見なして、その近傍を定義します。そこでのポイントはコンパクト性です。自律できる単位です。閉であり、開であることです。近傍系は多様体の部分になるので、多様化にも対応できます。

 近傍系は連鎖できます。周縁を中核に置き換えて、近傍を作り出せば、空間をカバーリングできます。その連鎖を地域に適用すれば、地域は拡大できます。その時の地域は物理的である必要はなくなります。

 その結果は近傍系というカタチで単位ができます。近傍とその周辺を集めて、最小単位ができます。これを地域と照合させます。その上で、元々の空間認識と合わせる。空間認識といっても、あくまでも地域ですから、近い概念はネットワークです。

 つまり、LAN/WANの世界に持ち込みます。これは販売店ネットワークでかなりの見識を持っています。店舗のLANと販売店ネットワークのWANをつないで、販売店の中にメーカーとお客様を入れ込みました。WANとして、一つの体系するのは自由です。規定さえ守っていれば、IPアドレスさえあれば、つながっていきます。それで空間解析を行います。これによって、新しい空間が作られます。

 一番、大きなテーマは、そのようにして作られた近傍が全体をカバーできるかどうかのカバーリングの問題です。つまり、地域から国家を作るようなものです。今までは、地域は一機能であったにすぎないけど、国家を作る要素になるにはどうするかです。

 革命のように、一時的に国家を支配したとしても、求心力が国家に行けばいくほど、地域から離れていき、結局は元の木阿弥になってしまう。そこにカリスマが出てきて、全体を破壊する。そうではなく、地域から全体を捉えるか。それを安定的にやることが重要です。

 典型的な例が宗教の伝播力です。元々、意識があったところに、宗教というカタチで、戒律などを経由して、帝国を作り出した。これがムスリムです。個人と一番上の存在が国家を超えたところでつながったために、一気に広がった。

 税収入などを考えれば、征服することではなく、味方にするというカタチでができれば、皆が頼っていくカタチで全体ができます。力を持てば、求心力になります。それを帝国にならないようにするために、同胞団のような、下から持ち上がったコミュニティが有効です。

テーマ L7「進化」

 L7「進化」。未唯空間をまとめるまで、進化という概念を持っていなかった。歴史の進化から始まって、数学の進化など、最終的には進化することが重要です。色々な障害に対して、人類、動物、植物なども進化することで対応させてきた。

 歴史の進化では137億年の進化を見れば分かるように、それぞれの局面でマイナスをプラスにさせる、余分なものを切り捨てるということを含めた進化。サファイア革命も歴史の見方そのものです。グローバルとローカルをどういう関係にしていくのか、それに個人が絡んできた。

 歴史の進化で大きいファクターは、経緯から分かるように、歴史が加速することです。そのために、大いなる意思は私をこの世界に放り込んだんでしょう。進化の方向は「存在の無」です。個人とグローバルが完全にくっつくというところに持って行くことになる。

 「進化」のベースになるのは、地球規模の課題です。大きな変化が起こる。予測できるだけ予測するけど、予測できない変化も当然起こる。それも予測する。クライシスは頻繁に起こるけど、それに対する進化がされていない。環境問題というターゲットに対して、人間がどう変わっていくのか、共同体意識をどう持って行くのかというところです。

 環境問題の中にエネルギー問題があります。ハイパーインフラのような、人間が人間に仕掛けた幼稚な仕掛けが狂ってくる。そこから、資本主義とか、民主主義とかを見直すことになる。持続可能性を現実のモノにする。

 どういうカタチになっていくかに対して、先行するものがあります。それが数学です。トポロジーです。数学の経緯が将来を示している。これは人間の知恵というよりも、むしろ、科学のベースになるものです。それをいかに信じるかということと、いかに対象を拡げるかというところです。

 新しい数学の一番のポイントは、集合が点になり、点が集合になるという、次元を超越するモノです。存在が無になり、無が存在になると言ってもいいけど、わけが分からなくなる。

 この空間は現実のものです。物理層でなく、論理層は十分ン、成り立ちます。存在が無になるぐらいならば、簡単なものです。人間そのものがそういうものからできているからです。

 そして、今までプレーンだったものが、多層空間になる。論理層と物理層も多層になっている。さらに次元を超えたレイアがあります。そのレイアをどう見ていくかという、新しい数学が発生します。

 新しいレイアといいながら、社会学では、複雑性というカタチで出来ています。その複雑性をどう使っていくかはハッキリしていないが、ロシア革命を含めて、周縁から中核が変革しました。

 「進化」の究極なカタチがL8「次の次」です。2050年には、変節点を向かえます。その時には、市民=超国家というカタチになります。

 このイメージは分かりにくいと思っていたけど、一神教がヒントを与えてくれます。個人が神とつながるカタチです。キリスト教では協会が邪魔をしていたが、ムスリムではこのベースが出来ています。同胞団などのコミュニティのベースが出来ている。コミュニティを通じて、対等の関係で神とつながる。

 神に依存するのではなく、神を作り出すところまで持っていくカタチになります。そのための一歩は、L=Gとなるところで、コミュニティから国家を作るところがあれば、同じようなアナロジーによって、個人から超国家がつながります。その時には位相社会になっていく。分化したものを統合して、全体を規定することになる。
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テーマ L6「位相表現」

 社会を数学的に扱うためにL6「位相表現」を使います。社会を空間と見なした時に、そこに位相を入れるということは新たな見方になります。それを社会に適用する。社会を空間と見なすと言っても、距離をどう定義していくのかが位相です。

 地域を近傍と見なして、その近傍を定義します。そこでのポイントはコンパクト性です。自律できる単位です。閉であり、開であることです。近傍系は多様体の部分になるので、多様化にも対応できます。

 近傍系は連鎖できます。周縁を中核に置き換えて、近傍を作り出せば、空間をカバーリングできます。その連鎖を地域に適用すれば、地域は拡大できます。その時の地域は物理的である必要はなくなります。

 その結果は近傍系というカタチで単位ができます。近傍とその周辺を集めて、最小単位ができます。これを地域と照合させます。その上で、元々の空間認識と合わせる。空間認識といっても、あくまでも地域ですから、近い概念はネットワークです。

 つまり、LAN/WANの世界に持ち込みます。これは販売店ネットワークでかなりの見識を持っています。店舗のLANと販売店ネットワークのWANをつないで、販売店の中にメーカーとお客様を入れ込みました。WANとして、一つの体系するのは自由です。規定さえ守っていれば、IPアドレスさえあれば、つながっていきます。それで空間解析を行います。これによって、新しい空間が作られます。

 一番、大きなテーマは、そのようにして作られた近傍が全体をカバーできるかどうかのカバーリングの問題です。つまり、地域から国家を作るようなものです。今までは、地域は一機能であったにすぎないけど、国家を作る要素になるにはどうするかです。

 革命のように、一時的に国家を支配したとしても、求心力が国家に行けばいくほど、地域から離れていき、結局は元の木阿弥になってしまう。そこにカリスマが出てきて、全体を破壊する。そうではなく、地域から全体を捉えるか。それを安定的にやることが重要です。

 典型的な例が宗教の伝播力です。元々、意識があったところに、宗教というカタチで、戒律などを経由して、帝国を作り出した。これがムスリムです。個人と一番上の存在が国家を超えたところでつながったために、一気に広がった。

 税収入などを考えれば、征服することではなく、味方にするというカタチでができれば、皆が頼っていくカタチで全体ができます。力を持てば、求心力になります。それを帝国にならないようにするために、同胞団のような、下から持ち上がったコミュニティが有効です。

テーマ L7「進化」

 L7「進化」。未唯空間をまとめるまで、進化という概念を持っていなかった。歴史の進化から始まって、数学の進化など、最終的には進化することが重要です。色々な障害に対して、人類、動物、植物なども進化することで対応させてきた。

 歴史の進化では137億年の進化を見れば分かるように、それぞれの局面でマイナスをプラスにさせる、余分なものを切り捨てるということを含めた進化。サファイア革命も歴史の見方そのものです。グローバルとローカルをどういう関係にしていくのか、それに個人が絡んできた。

 歴史の進化で大きいファクターは、経緯から分かるように、歴史が加速することです。そのために、大いなる意思は私をこの世界に放り込んだんでしょう。進化の方向は「存在の無」です。個人とグローバルが完全にくっつくというところに持って行くことになる。

 「進化」のベースになるのは、地球規模の課題です。大きな変化が起こる。予測できるだけ予測するけど、予測できない変化も当然起こる。それも予測する。クライシスは頻繁に起こるけど、それに対する進化がされていない。環境問題というターゲットに対して、人間がどう変わっていくのか、共同体意識をどう持って行くのかというところです。

 環境問題の中にエネルギー問題があります。ハイパーインフラのような、人間が人間に仕掛けた幼稚な仕掛けが狂ってくる。そこから、資本主義とか、民主主義とかを見直すことになる。持続可能性を現実のモノにする。

 どういうカタチになっていくかに対して、先行するものがあります。それが数学です。トポロジーです。数学の経緯が将来を示している。これは人間の知恵というよりも、むしろ、科学のベースになるものです。それをいかに信じるかということと、いかに対象を拡げるかというところです。

 新しい数学の一番のポイントは、集合が点になり、点が集合になるという、次元を超越するモノです。存在が無になり、無が存在になると言ってもいいけど、わけが分からなくなる。

 この空間は現実のものです。物理層でなく、論理層は十分ン、成り立ちます。存在が無になるぐらいならば、簡単なものです。人間そのものがそういうものからできているからです。

 そして、今までプレーンだったものが、多層空間になる。論理層と物理層も多層になっている。さらに次元を超えたレイアがあります。そのレイアをどう見ていくかという、新しい数学が発生します。

 新しいレイアといいながら、社会学では、複雑性というカタチで出来ています。その複雑性をどう使っていくかはハッキリしていないが、ロシア革命を含めて、周縁から中核が変革しました。

 「進化」の究極なカタチがL8「次の次」です。2050年には、変節点を向かえます。その時には、市民=超国家というカタチになります。

 このイメージは分かりにくいと思っていたけど、一神教がヒントを与えてくれます。個人が神とつながるカタチです。キリスト教では協会が邪魔をしていたが、ムスリムではこのベースが出来ています。同胞団などのコミュニティのベースが出来ている。コミュニティを通じて、対等の関係で神とつながる。

 神に依存するのではなく、神を作り出すところまで持っていくカタチになります。そのための一歩は、L=Gとなるところで、コミュニティから国家を作るところがあれば、同じようなアナロジーによって、個人から超国家がつながります。その時には位相社会になっていく。分化したものを統合して、全体を規定することになる。
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テーマ L3「内なる世界」

 L3「内なる世界」が生まれたのは、販売店の要望を聞いた時に、それらを成し遂げることがメーカーができるのか、なぜ、それが起こるのかを考えた時に、自分の中に大きな世界を持っていないとできないと感じたからです。考えに枠をつけては解にたどり着けない。

 つまり、単独には成り立たないということです。皆、関係性を持つということです。関係性の方が重要である。メーカーを変えるだけではダメです。お客様を変えるだけでもダメです。全体を考えて、どういうシナリオにしていくのか。どういう風に変えるのかというのは、その後にきます。そのシナリオを完結しながら、行っていくのが、「内なる世界」です。

 そのためには、よほど、自分をしっかり持たないとダメです。家族に依存していてはダメです。そこで出てきたのが、宇宙の旅人です。これは家族とか人類とかを離して見ている。

 池田晶子さんの父親との葛藤から生まれた概念。それがベースとなって、哲学を作り出す。自分を客観的に見ると同時に主観的に見る考え方。偶々、地球に寄っただけと考えると、気が楽になりました。当然、これは独我論につながります。私は私の世界というのは「内なる世界」そのものです。内なる世界が全世界になっているだけです。

 そこから、社会と関わりが出てきた。「内なる世界」で得たもので、社会との関係をつけていく。社会とのポインターをつけないといけない。社会の中に「内なる世界」があるのではなく、社会そのものを取り込みます。この程度のことをしゃべるために、まとめてきたわけではない。もっと深くしよう。

 「内なる世界」のベースは考えること、偶然の意味を知ること、それで完結性をもって、まとめるのは未唯宇宙にする。

 宇宙の旅人は、①偶々、地球に寄っただけ、②生きる意味を軽くする、③自分の中を分化させたμとの対話、④池田晶子の世界。

 独我論の世界は、①私は私の世界で生きるということ、②自分のミッションを果たす、③四つの役割を背負い、④論考のような表現をすることです。ウィットゲンシュタインのように、真理を一言でまとめていきたい。

 外なる世界はまずは、つぶやくこと。働きかけて、外の内の一部を内側に入れ込む。外とつなげるツールは別です。これは考えるための手段です。だから、順番は変えていきます。

 オープンで考えることで始めて、決まります。クローズドで考えると答えは出ない。オープンで一緒に考えることです。「内なる世界」をどのように拡げるかがポイントです。

テーマ L4「情報共有」

 車はインフラ依存です。非効率です。インフラから変えていかないと。あとは、モラルから変えていかないと。

 L4「情報共有」のベースはソーシャルです。フェースブックは情報共有係数という概念を設定しています。これが指数的に上がっていく。世界の変化です。情報共有は単にそれだけでなく、コラボレーションすることによって、意思決定するところに入ります。

 情報共有で一番大きいのは、状況の把握です。お互いの状況を知って、動ける範囲を拡げていく。上からの指示ではなく、それぞれが動く。動くためのタイミングを状況把握で行っていく。

 それらのツールとして、考えられるのが、ポータル画面をどう使っていくのかというところから、物理層が動き出します。状況把握する単位としては、お客様情報、クルマの状況、市民の状況、行政の中身などがあります。それをお互いが知って、どう使っていくのかのコントロールセンターです。

 それらのツールはお互いが見えるカタチにはなってきています。ポータルについては、情報共有のベースとして、図書館コミュニティ、販売店店舗での入口になっていく。知の入口とも関係していく。コラボレーションは単に議論するだけでなく、、それで決定していくためのロジックもこの中に入っていきます。

 情報共有はサファイアの循環を行うための道具として、動き出します。ローカルの状況だけでなく、グローバルの状況も把握することによって、分化したところから、相手をどう動かしていくのか、また、自分はどう動いていくのか、動いた結果がどうなっているのか。

 車なども状況が把握できれば、それをどう使うかが判断できます。シェアのベースになります。「情報共有」物理層に近い概念ですが、「共有意識」は論理層です。これをベースにして、社会をどう変えていくのか。

テーマ L5「共有意識」

 L5「共有意識」で地域の分化を行います。多くの人がいることを可能にするのが、「共有意識」がベースです。資本主義のあとは、共同体主義です。当然、「共有意識」に対しては、基盤が必要になってきます。どのようにインフラを作るか。

 共有意識に業態で一番近いのは、ボランティアです。ボランティア組織は共有意識です。ボランティアだけでは成り立ちません。循環させないといけない。あくまでも、ボランティアはつなぐものです。自分たちが繋ぐという意識です。主体となって、儲けることもできるようにする。

 共有意識の先端部分は、公共図書館です。パブリック・ライブラリ。これがイギリスで生まれて、米国に渡って、世界に広がった。コンテンツがシェアの世界。活字よりも中身、それが多くの人にどう影響するのか、という著者の思いを拡げていく。

 本という時は、どうしても商売になります。紙というものを使う時には消費になります。ベルギーのように紙のないところは、本をすっ飛ばして、ネットワークの世界に向かいます。

 ノルウェーなどは、地理的に離れていて、物理的な本を置く場所がないところでは、共有意識で様相が変わってきます。公共図書館で公共のあり方を提案しているから、それをいかにして展開していくかです。そして、シェアの元になる、新しい行政のベースが「共有意識」です。共同体主義という民主主義です。

 ローカルを中心にやっていくという意味では、共産主義とは異なります。そのためのベベースになるのは、行政がどう絡むかです。

 社会モデルとか地域の状況が関係します。一番、意識を変えて、メリットが上がるのは行政でしょう。「共有意識」を発揮できるのは地域です。地域をベースにして、そこから変えていくことになる。そのために、地域権力にしていく。そういう社会モデルです。その先にあるのは、脱・国民国家です。
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16テーマの説明 1/7

未唯へ

 何となく、ブロンコビリーにしました。11時からなのに、駐車場が混んでいました。

192の書き起こし

 やっと、書き起こしが終わりました。

 会食の話は全て、入っていました。これは重要です。

 それと録音チェックはしないといけないですね。

自分の範囲

 今は、自分の範囲を狭めています。それが欠点です。自己完結性のようなものです。範囲をどこまで持つかで決まります。その範囲を内なる世界としている。内なる世界の範囲を考えを及ぶだけ、拡げます。そこでの因果関係をハッキリさせれば、他との議論ができます。

 しかし、金がないですね。2万円おろすと、5万円しかない。退職後の生活は依存型になってしまう。やはり、7千万円を当てるしかない。

2015年の危機

 2015年の2月に世界経済は新しい局面を向かえます。

テーマ L1「存在と無」

 L1「存在と無」は最初であり、答である。最後は物理層に絡んで、個人=超国家をつながっていきます。

 最初の「存在と無」は14歳の時の気付きです。自分が存在することと無であることは同じものであるという、この不条理。そして、自分が居なくなることで、全てが亡くなること。そこから、社会があって、その中にいるという感覚から変わりました。

 昨日の乃木坂にしても、「自分がなぜ、生きているのか」「死んでいくのに、こんなことをしているのか」をメンバーに質問している人に対して、MCは「質問禁止」にしていた。そんなことは考えるものじゃない。

 考えるものではないということは、あなたには関係ないことを言っているけど、本当に自分の問題そのものです。にもかかわらず、思考停止を求められる。それを一生懸命誤魔化そうとしている。それを乗り越えて、考えた末にたどり着いたのが「存在と無」です。「存在と無」で考えたのは、そういう、分からない世界からすると、真理探究すること、真理は不変であることを確認しました。

 「存在と無」と同様に、ペアの関係からすると、孤立と孤独は一緒のモノです。外から見るか、内から見るかの差です。この孤立と孤独から色々なモノを作り出しました。独りぼっちでいることの良さ。自分しかない世界でやれるのは考えることです。そのための時間・考える対象。

 「存在と無」の最終は自己肯定から「存在の無」です。存在そのものが無駄ということです。だから無為です。ジャンルからすると、物理的な個人=超国家でにつながる世界です。

 社会的には、孤立と孤独から考えることを始めて、思いを伝えて、社会に対して、考えることと貯めること、議論すること、知識と意識の場を設定することをテーマにしました。

テーマ L2「存在の力」

 L2「存在の力」は歴史哲学から生まれてきました。従来の意思の哲学が作り出してきた歴史が変わろうとしている。自由というものを見た時に、存在の哲学から始めないとダメです。そこが大きなターニングポイントです。経緯として、変節点までの未来方程式を作り出した。

 「存在の力」を思い立ったのは、私の中の夢として、多くの人が生きられる世界があったからです。多くの人が生きられるためには、多くの人が考えられるようにし、多くの人が主導権を持つことです。今のように、依存している姿ではありえない。それぞれが、分化して、色々なことに関心をもって動き、グループになって動くということです。一人が一つの機能ではダメです。それは組織の役割分担という考え方です。

 それに対して、あくまでも、一人の人間が自立した存在として、動くことが分化です。個人が分化することで、組織の中の個人を自由にさせることで、組織の分化が始まります。クルマ会社は車を作るだけではない。社会に対して、提案をしていきます。マーケティングそのものが変わります。そこでは、市民とどうつながるかがテーマになります。

 存在の力で、自分の中で分化するにはどうするか? 自分が自分であるものとそうでないモノ。自分らしくない部分をどうするのか。そこで、もう一人の私が生まれました。μです。μは行動を作ります。だから、私は考えればいい。ポイントは考えることはデザインすること、そして本質を考えることです。

 歴史哲学も新しいものにしていかないといけない。ウィットゲンシュタインの歴史哲学を超えるものです。自由の概念が大きく異なります。支配されるものではない。本当の自由を得るためには自分たちが権力を持ちます。地域が多様なカタチで権力を持ちます。国そのものは分解させます。行政そのものが分解するわけですから。

 メーカーでモノを作る時は意思の力が必要です。他人に訴えるときも意思の力が必要です。著者の思いなどはここに入ります。但し、支配は入らない。分化だけでは、バラバラになります。統合の機能が同時に必要です。数学的に言うと、分化と統合はペアです。近傍系と連続性を持った標準関数との関係で、数学的なアプローチとつながります。それによって、集中であったものを分散にしても、効力を発するモノになります。ベースはあくまでも、それぞれが生まれてきたという「存在の力」です。
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危機にある資本主義

『アル・ゴア 未来を語る』より

危機にある資本主義

 アース・インクの出現と、それが生産の三要素(労働、資本、天然資源)すべてを破壊していることが原因となって、多くの人が「資本主義の危機」と呼ぶものが引き起こされてきた。世界のビジネス・リーダーを対象とした二〇一三年ブルームバーグ世界調査では、七〇パーセントの人が資本主義は「苦境に陥っている」と考えていることがわかった。全体の三分の一近くの人が、(米国の回答者は世界各国の回答者に比べ、どちらかの結論を支持したがらなかったが)「規則と規制の抜本的なネットワーク作り」が必要だと答えた。

 資本主義が本来、経済活動を構造化する他のどのシステムよりもすぐれている点は、よく理解されている。資源の分配や需要と供給の一致に関しては、抜群に効率がよい。富の創造という点でも抜群に有効で、より高いレベルの自由とも抜群に調和する。最も根本的なところで言えば、資本王義には、努力やイノベーションに報いるインセンティブが至るところに内在していて、人間の潜在性のより多くの部分を引き出す。二〇世紀の共産主義やファシズムに伴う悲惨な経験など、世界が他のシステムの実験を行ったことから、二一世紀の初めには、民主的資本主義が世界全体で好まれるイデオロギーであるということはほぼ意見が一致するところとなった。

 それにもかかわらず、世界中の人々は、過去二〇年間にわたって市場の大混乱に振り回され、そのピークのように二〇〇八年の大不況が起こり、その後遺症が長引いている。加えて、世界の経済大国の大半では格差が拡大し、最高所得者層にますます富が集中するようになっていることから、現在機能している形の「資本主義市場経済」というシステムヘの信頼が危機に瀕している。公的債務と民間債務が異例の高水準になっていることに加え、先進国で失業率と不完全雇用率が高い状態が続いていることからも、「現在の経済政策のツールキットで、十分な活力を取り戻すだけの強い回復を生み出せる」という自信も失われている。

 ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツは二〇一二年に次のように述べている。幅広い階層の米国人が純利益の増加を報告した時期(このとき、累進課税の結果もあって、格差が縮小された)が、米国経済が最も成長した時期だったのは偶然ではない。同様に、大恐慌のときのように、現在の不況に先だって格差が急拡大したのも、偶然ではない。社会の最上層にあまりにも多くの富が集中すると、必然的に平均的な米国人の支出は減少する。少なくとも人為的な支えがないとそうなるだろう。高所得者の所得に占める消費の割合は低所得者よりも小さいので、底辺から最上層へお金が移動すると、全体の消費は落ち込む。

 発展途上国と新興経済国では、生産性が向上し、雇用、所得、生産高が上昇している一方で、国内の格差も拡大している。そして当然ながら、こういった国々の多くでは、依然として多くの人々が極度の貧困や欠乏の中にある。今も世界中で一〇億人以上が一日ニドル未満で生活しており、そのうちの九億人近くが「極度の貧困」(一日当たり所得が一二五ドル未満)の中で暮らしている。

 今日のグローバル市場システムの運営方法のさまざまな欠陥の中でも最も重要なのは、大きな外部性をまったくと言っていいほど認めようとしていない点だ。最初に挙げるべきものは、二四時間ごとに九〇〇〇万トンの地球温暖化汚染物質を大気圏に排出するコストと結果を考慮に入れていないことである。市場理論における外部性の問題はよく知られているが、今日ほど深刻だったことはない。正の外部性も日常的に無視されており、教育や保健医療などの公共財への投資不足につながっている。

 米国をはじめとする多くの国々で、上位一パーセントの人々に富の集中が進んでいることから、政治システムも歪んでしまっており、少数の人々を(少なくとも短期的に)犠牲にして多くの人々に利益をもたらすであろう政策変更を、今では政府は検討できなくなっている。政府は事実上無力化し、必要な行動をとることができない。このことも、現在の資本主義市場経済の運営方法に対する人々の信頼失墜につながっている。

 グローバル経済における資本の流れが緊密に連動し、ますます大きくなっている今、すべての政府が「世界の資本市場内で“どう認識されるか”の人質になってしまっているようだ」と感じている。数多くの国々が、国民が民主的に示した意思によってではなく、グローバル市場の“どう認識するか”によって強制されているように思える政策の選択に直面している。ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペインがその例だ。多くの人は「私たちの経済の未来の形に対する人間の影響力を回復する上で効果があるのは、新たな世界経済の現実に世界規模で対処する政策だけだろう」という結論に達している。

持続可能な資本主義

 私のパートナーであり、ゼネラル・インベストメント・マネジメントの共同設立者でもあるデヴィッド・ブラッドと共に、私は、「持続可能な資牛王義」を推進すると信じる一連の構造的な救済策を提唱してきた。最もよく知られている問題は「短期的視点が支配的であり、短期的な利益が頭から離れない」ことだ。このとき、長期的な価値の蓄積が犠牲になっていることが多い。四〇年前、米国の株式の平均保有期間は七年弱だった。これは理にかなっていた。なぜなら、平均的な企業における実質価値のおよそ四分の三は、景気循環の一・五倍の期間にわたって積み上げられるもので、これがほぼ七年だからである。だが現在、株式の平均保有期間は七ヵ月にも満たない。

 このように投資家が短期的思考への依存を強めているのには、多くの理由がある。変容を遂げ、今や相互につながっているグローバル経済におけるより大きな傾向が、こういった圧力を倍加させている。二〇一二年にあるアナリストが述べたように、「わが国の銀行、ヘッジ・ファンド、ベンチャー・キャピクルは、金融商品やソフトウェア企業への投資を対象としている。このような投資では、たとえ小さな投資でも、ごく短い期間にとてつもなく大きな収益を上げられる。それに対して、従来型の工場への融資は、高額な費用がかかって大変なうえ、迅速に利益を上げられる可能性ははるかに低い」。

 この投資家側の短期的視点が、CEOたちにも同様に短期的視点に立つよう圧力をかける。たとえば、米国のビジネス調査会社のトップであるBNAが、数年前、CEOと最高財務責任者(CFO)を対象にした調査を行った際、ある仮定の質問をした。「あなたの会社の収益性と持続可能性を高めることになる投資機会がありますが、この投資を行うと、次の四半期の収益報告書ではわずかに目標未達となります。この状況で、あなたはこの投資を行いますか?」という問いに、八〇パーセントの人が「ノー」と答えた。

 現在の資本主義の運営方法におけるよく知られた問題点の二つめは、インセンティブのずれが広がっていることである。大半の投資マネジャー(投資に関する日々の決定の大半を行う人たち)の報酬は、四半期ベースか、せいぜい年ベースで計算される。同様に、多くの企業経営者は、短期的な結果に対する対価として報酬を受け取る。そうではなく、企業の最大価値を高められる期間に合った時間軸で報酬を計算すべきであるし、長期的な価値を根本的に推進する要因と合わせるべきだ。

 加えて、四半期利益を誘導する悪習慣をやめるよう、企業の後押しをすべきである。こういった短期的な測定基準はひじょうに大きな注目を集めるので、持続可能な価値を構築しようとする企業に大きな不利益をもたらすことになり、より長期間にわたって十分に報いの得られる投資の有用性を考慮に入れられなくなる。
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民主的資本主義とその不満

『アル・ゴア 未来を語る』より

未来は人間の手ではなく、市場の見えざる手にあると信じて久しい人々は、「民主主義において、私たちが発動した地球という機械の舵を取ることを目的に、真に意味のある集団的意思決定をするという考えは、認識が甘く、ばかげてさえいる」という。未来に関する決定を行う力の多くが、政治制度から市場へと移っていくにつれ、そしてさらに強力になっていく技術が見えざる手にますます強い力を与えるにつれて、自己統治の筋力は衰えてしまった。

そのことは、この地球という機械の止め処のない運転から莫大な富を蓄積する方法を見つけた人たちにとっては、実は歓迎すべき結果である。実際、そういった人たちの多くは、その富を利用して、「自己統治は無益であり、仮に機能したとしても、市場と技術決定論の双方を妨げる危険な干渉につながる」という考えを助長してきた。自由、平和、繁栄の潜在性が拡大しているときには実りの多かった、資本主義と代表民主制との同盟に形成されたイデオロギーの共同統治は、集中した富が市場の領域から民主主義の領域に侵入したことによって、崩壊した。

資源を分配し、需給バランスをとるために、大量の情報の流れを収集・処理・利用することに関して市場にかなうものはないが、市場における情報はとりわけ細分化されており、多種多様である。そこには、意見や性格、感情、愛、信頼はない。単なる数字の世界なのだ。他方、民主主義は、健全に機能すれば、さまざまな視点や性質、人生経験をもった人々の相互作用から、まったく異なる次元の創発的な知恵や創造性を生み出す。民主主義は、未来への夢と希望を背負っている。富を利用して民主主義の過程を歪め、堕落させ、腐敗させることはよく行われることだが、それをそのままにしておくことで、私たちは、これまでに文明が直面したことがないほど破壊的で混沌とした変化を人類がくぐり抜けていくための持続可能な道を見つける「最後にして最大の望み」を自分たち自身から奪っているのだ。

米国では、多くの人々が自己統治の衰退に喝采を送り、「民主的な意志決定を通じて私たち自身の運命をコントロールするなど、試みさえすべきではない」という考え方を称賛してきた。なかには、半ばふざけて、政府を「バスタブに沈めて溺れさせ」られるくらいの大きさまで縮小すべきだと提言した人もいた。こういった人たちは、政府の能力を麻庫させ、地球という機械の利益以外のいかなる利益にも資することがないようにしようとしている政治家の支持を得て、ジャーナリズムの世界に破壊的な活動をする集団を送り込み、公共の利益に資する未来に関する集団的意志決定を妨害するためのロビイストを多数雇ってきた。多くの人が繰り返し書いてきたように、こういった人たちは「公共の利益」などというものはないと本気で信じているようだ。

連邦議会の新たな自己組織化パターンは、特別利益団体の利益にかなうものだ。こういった特別利益団体が、候補者(現職でも新人でも)にテレビ・コマーシャルを打つための選挙運動資金の大半を提供しているのである。連邦議会はもはや、米国民の心を最も大きく揺り動かす懸念以外のものには対処しない。議会のメンバーは「代表」であることには変わりはないが、今やその大部分は、資金を寄付する人や企業の代表であり、選挙区で実際に投票する人々の代表ではない。

米国が知性にあふれ、価値観に基づいた明確なリーダーシップを示すことを、世界はかつてないほどに必要としている。そして今、適切な選択肢が欠如していることも、かつてないほどに明らかである。残念なことだが、米国の民主主義が衰退したことで、明確な集団的思考の能力が退化し、ひじょうに重要な問題に対して著しくお粗末な一連の政策決定がなされるようになった。国際社会が、本書で取り上げている六つの創発的な変化の兆候に対して聡明に素早く対応する必要があるというときに、リーダー不在の状況が続いている。未来を形づくろうとこれらの変化を理解・対応していくには、米国の民主主義が復活するか、世界のほかの場所にリーダーシップが出現するか、そのどちらかが不可欠である。

民主的な討議と集団的な意思決定の健全な機能を取り戻し、人類が論理的に話し合って未来への安全な針路を決める能力を手遅れにならないうちに取り戻せるかどうかIその最大の希望の源は、本書で述べる変化の六つの要因のひとつ、「世界のあらゆる国に住む大半の人々の考えや感情をつなぐデジタル・ネットワークの出現」だ。

資本主義は、持続可能なものに改革されるとしたら、ほかのどの経済システムよりも世界の役に立つ形で、人間の活動と地球の生態系や生物系との関係に、困難ながらも必要な変化をもたらすことができる。持続可能な資本主義と健全な民主的意思決定を組み合わせることで、私たちは未来を救う力を手に入れることができる。だから私たちは、「どうすればこの二つの不可欠なツールを修復・改善できるか」をきっちりと考えなければならない。

これらの意思決定システムの構造がどうなっているか、そして、私たちが重要であると決めた目標に対する進歩(または進歩の欠如)をどう測るかは、私たちが実際に創り出す未来に大きな影響を与える。「成長」に有利な経済的選択をすることで、成長の定義がきわめて重要になってくる。私たちが「進歩」と呼ぶものを測るとき、汚染の影響を体系的に除外するとしたら、私たちはそれを無視するようになる。そうなれば、私たちの進歩の多くが多大な汚染を伴って達成されるのも当然のなりゆきと言えよう。
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