goo

ラッセルの相対性理論

『現代哲学』より ラッセル

我々が今まで見てきたところでは、原子の世界は進化[evolution]というよりもむしろ革命[revolution]の世界である。一つの軌道上を動いていた電子が突然別の軌道に飛び移るため、その運動は「不連続」だと言われる。つまり、まずある場所にあった電子が別の場所に移るのだが、その時それらの間にあるいかなる場所も通過しない、そういう運動をするのである。こういう言い方をすると、それはまるで魔法のように思える。かくも人を狼狽させる仮説を回避する方法が何かあるのかもしれないが、いずれにせよ、このようなことは電子も陽子も存在しない領域では起こらないように思われる。そうした領域では、今まで分かっているかぎりでは連続性が成立している。すべては漸進的推移によって進行し、飛躍によるのではない。電子も陽子も存在しない領域は「エーテル」または「空虚な空間」と呼ばれる。言い回しが違うだけで、どちらでも好きな呼び方をしてかまわない。相対性理論はもっぱらこの領域を扱うが、ここで起きることは、電子や陽子が存在するところで起きることとは対照的である。相対性理論以外にその領域について我々が知っていることと言えば、波がそこを横断すること、そしてその波が光または電磁波であるときには(これらは同じなのだが)、マクスウェ厠が「マクスウェル方程式」と呼ばれる式で表したような仕方でふるまうということである。我々は以上のことを「知っている」と言うとき、私は、厳密に正しいこと以上のことを語っている。なぜなら、我々が知っていることと言えば、その波が我々の身体に届いたときに生じることだけだからだ。あたかも、海を見ずにドーヅァーで下船した人たちしか見ていないのに、彼らの青ざめた顔から波を推論するようなものである。いずれにせよ、我々が多くを知りうるのは、何がしかの原因と結果によって両横を挟まれているものとしての波でしかないのは明らかである。こうした仕方では、せいぜい数学的構造の用語で表現し尽くせるようなことしか推論できない。波について、それはエーテルや他の何かの「中」にあるはずだと考えてはならない。その波は前進する周期的な過程としてのみ考えられるべきであり、その法則なら多少知ることができるとはいえ、その内在的特徴は知られておらず、また決して知りえないのである。

相対性理論は、電子も陽子も存在しない領域で起こることの研究から生まれた。原子の研究は不連続性に到達したが、対する相対性理論は介在する媒体についての完全な連続性の理論を生み出した。その連続性は、かつていかなる理論も想像しなかったほどのものなのである。現時点ではこれらの二つの立場は多少対立しあっているが、そのうち間違いなく和解するだろう。今でも、それらの間にはつながりがまったくないだけで、何ら論理的矛盾はない。

相対性理論に関することで、哲学者にとって何よりも重要なことは、単一の宇宙的時間や単一の存続する空間を廃棄し、それらを時空間に置き換えたことである。これはとてつもなく重要な変化である。なぜなら、そのために物理的世界の構造についての我々の考えが根本的に変わり、そして私の考えでは、それは心理学にも跳ね返ってくるからである。今日では、この問題の説明抜きに哲学を語っても意味はない。そこで私も、困難をかえりみず説明を試みたい。

相対性理論以前の物理学や常識では、二つの出来事が異なる場所で起きたとき、それらは同時だったかどうかという問いに対しては、理論的にははっきり決まった解答がつねにあるはずだと信じられている。しかしこれが間違いだと分かったのである。AとB二人の人物が、鏡と光信号を送る道具を持って遠く離れて立っていたとする。Aには様々な出来事が起こり、それらはやはり完全に決まった時間順序を持つ。Bに起こる出来事たちも同様である。問題が起きるのは、Aの時間をBの時間と関連づけるときである。AがBに向けて光を送り、Bの鏡がそれを反射してから一定時間経過した後でAのところに戻ってきたとしよう。Aが地球上にいてBが太陽にいたとすると、光が戻るまでに約二八分かかる。我々は当然のように、「Bが信号を受け取る時点とは、Aがそれを送ったときから戻ってくるまでの時間のちょうど真ん中の時点のことだ」と言うだろう。だがこの定義は、AとBが相対的にどのように運動しているかに左右されるため、曖昧になってしまう。検討すればするほどこの困難は克服しがたく思えてくる。光を送ってから戻ってくるまでの間にAに起きることは、いずれも、Bへの光の到着よりも明らかに前でも明らかに後でもなく、ぴったり同時でもない。そうである以上、異なる場所における時点を曖昧さなく相関させる方法などないのである。

「場所」という概念もまたかなり曖昧なものだ。ロンドンは一つの「場所」ではないか。しかし地球は自転している。それなら、地球が一つの「場所」なのではないか。しかし地球は太陽の周りをまわっている。では、太陽を一つの「場所」とすればよいのではないか。しかし太陽は星に相対的に移動している。我々はせいぜい、ある時点での一つの場所について語れるにすぎない。しかしその場合、一つの場所を確定しておかなければ「ある時点」とは何かがあいまいになるのである。かくして「場所」の概念は蒸発する。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ドラマからの考察

未唯へ

 手袋とかマフラーがいります。9度以下になると、朝は寒いです。スーツだけではダメで、コートがいります。冬の準備にかかります。心理的に冬が来ること=退職だったけど、それを乗り越えます。

 バス停の近くのキャバレーの写真が変わっていた。バニーガールです。恐いウサギです。

ドラマからの考察

 「さよなら、私」みたいに心が入れ替わったら、存在についての考察ができたはずです。恋愛とか、不倫みたいなものに捉われずに、人間にとって、もっと、深いところに入っていける。あまりにも、表層的です。

 身体のことも、モビルスーツが変わるようなことができるのであれば、自分とは何かの感覚の方が先にきます。

 別のドラマで、「人生、一度だけ、がっちり行こう」をテーマにしています。過程と結論と行動がバラバラです。なぜ、そう考えられるのか。それで、なぜ、100%行動できるのか? 前提に疑問を持たないのか。

最期のスーツ

 最期のスーツです。ズボンが見当たらなかったので、奥さんに言ったら、新品を出してきた。

 好きな冬が来たと思って、フード付のコートにくるまわります。その中で、思考を内なり世界に向けます。

星占いに救い

 星占いだと、今日はおとめ座とは相性ピッタリになっているけど、声が聴けるのかな。

 中学の時のトラウマの時の救済策も女性でした。今も他に頼るものがない。

 98%ぐらいないと思うけど、今日、コンタクトがあれば、それは奇跡です。期待して待つことに掛けます。ないよりはいいでしょう。

テーマは今週中にまとめ

 今日はテーマをやり始めます。今週中にまとめます。今週でいいのかどうか分からない。

 テーマの項目はあくまでも代表元です。項目として、書けないことも、項目の詳細に書きます。

Iさんのスケジュール

 火曜日にIさんは居ると言ったので、期待してスタバに寄ったけど、今日は休みだと皆から言われた。と言うことです。やはり、予感が当たっていた。間違えたことを誤っていたとのこと。スリーブに2週間分の勤務予定が書かれていたものを渡された。気にしているんだ。木・金だけになっている。扶養家族の所得制限は意味がない政策です。

 Iさんの予定からすると、ポッキーの日も居ないんだ。月初は入っていると言っていたけど、木・金だけです。どう過ごせばいいのか。まあ、来年に向けて、居ない生活に慣れろということなんでしょう。こんな状態で、来年をむかえられるのか。

 8日(土)がオンになっている。栄でESDがあるから、それに来ようかな。メインは名駅だけど。その時に、ポッキーを渡しましょうか。なるべく、ふつうのポッキーにします。

 スタバのSUZUさんとIさんについてのおしゃべり。めっちゃ褒めてくれると言ってました。その時の様子が目に浮かびます、アナログの部分は気に入ってもらっておりみたい。Iさんは本当にいいですね、で合意。

映画館にこもりたい

 「美女と野獣」17:40~ これにしようか。ウィットゲンシュタインの気分休め。哲学講義の後に、自己嫌悪から、映画館のスクリーン前にいた。

パートナーのスタンス

 前任者との引き継ぎを開始したみたいです。あまりにもスタンスが違うから、苦労しそうです。てっきり、4連休だと思ったけど、半休にしている。午後から相談になりました。奇跡です。

 今の業務に関わる時間はないです、次のことに掛かりましょう。無責任にならないように考えないといけない。14時からパートナーの相談。奇跡です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西田幾多郎 論理と生命

『西田幾多郎』より 絶筆「私の論理について」

われわれが世界のなかで、そのなかで「生きて、死んでゆく」だけだとすればどうか。この根本的な不知は、知ることそのものが行為である、という点で、いわば行為のなかに埋め込まれているでしょう。確かに行為をするときに、われわれは自己が何者かなどと考えません。世間と格闘し、難局を乗り切ろうとしているときに、一々「こんなこと考えている私っていったい何者なの」などと考えません。すわりこんで考えているロダンの像のような訳にはいきません。しかし、この行為を行うなかで、われわれは何がいまここでの適切な判断なのかを直観しています。直観的に考え、あることを選択し、それによって世界へ働きかけているのです。その時に、「私」なるものは、あえて行為的に否定されている。根底的な不知へとあえて戻されているのです。

西田は、歴史的世界のなかにあって、行為的に働きかけるものこそが「生命的なもの」だといいました。それは「機械的なもの」とは決定的に異なっている。後期の論文「論理と生命」(1937年)のなかで西田はいいます。

近代になって自然科学の影響もあり、機械的世界観が支配的となり、それが客観的と考えられるようになった。しかし、歴史的世界というものは機械的なものではなく生命的なものでなければならない。そして、生命的なものは、眼で見ることであれ、多様な行為であれ、ともかく身体をもって世界(環境)に働きかける。ここで身体もまた「もの」であり、自分であると同時に自分の環境になっている。「もの」は常に環境として自己に対立してくる。自己を否定しようとする。この時、たえず自己否定を通じて(身体化し、行為することで)、自己は環境へ働きかける。これが前章で述べた「主体が環境を作り、環境が主体を作る」ということなのです。

ここに「生命的なもの」のダイナミックな(弁証法的な)運動があり、歴史的世界は、この「生命的なもの」によって創造されてゆく世界だというのです。

いささかやっかいな話になりましたが、元に戻すと、このような「生命的なもの」に基づく歴史的世界を理解するための論理を西田は見出そうとしたのでした。それは、主体と客体の分離、私と世界を分離させ、世界を合理的に分析するという「機械的な思惟」とはまったく異なったものでした。

したがって、われわれが通常いう「論理的」という言葉も実はあるバイアスをもっているのです。西洋的論理はあくまで西洋の思惟や世界観と結びついたものでした。「論理といふものも、歴史的世界に於て生成したものである」と西田はいう。アリストテレスの論理学もギリシャの形而上学と密接な関係をもっている、というのです。それをギリシャの形而上学や世界観と切り離してしまったために、アリストテレスの論理学は近代になって、ただの形式論理に堕してしまった、という。

本当は、普遍的な論理というものはないのです。今日われわれが普遍的と見なしている科学的な論理は、あくまで西洋の形而上学や世界観、おそらくは、ギリシャやキリス卜教的な世界観を母体にして生み出されたものなのです。論理はあくまで歴史的・場所的に形成される。日本には日本の論理があったはずです。

では、西洋の合理的、科学的論理とは異なった日本の論理は何だったのか。

それを西田は、「絶対矛盾的自己同一」や「……即……」といった独特のやり方で特徴づけようとしました。それは端的にいえばどういうことなのか。西田はそれを鈴木大拙のいう「即非の論理」に重ねる。般若の「即非の論理」こそは、日本的な論理の核であり、西田自身の論理をいいかえたものだというのです。

先にも述べたように、この歴史的世界では、「私」は世界の外に超越するのではなく、世界のなかで行為的にむしろ「私」を否定する。否定することで「私」が生成してくるのです。したがって、「私は、私でなくして、私である」ということになる。「眼は、眼でなくして、眼である」「火は、火でなくして、火である」ということになります。

一度、自分自身を否定するのです。眼は「見る」という作用を根源的に否定することで外界を「見る」ことができ、火は「焼く」という作用を自己に対して否定することで火である、というのです。「私」も、私自身への自己意識を否定することで、外部世界に関わり、ようやく私になるのです。

これは科学的な合理的論理とは異なっている。通常の合理的な形式論理とも異なっています。「……は……でなくして……である」という。この「……でなくして」というところにそのもの本来の自体性がある、とみる。一度は、まず自己を否定する。いいかえれば自己を「無化」する。「空」へと自分を差し出す。というより、自己の自体性を「空」にみる。そのことによって逆に自己が現成する、という論理なのです。これが般若の「即非の論理」と呼ばれるものでした。もちろんここでは同一律も排中律も成り立ちません。

確かに『金剛般若経』はこの論理によって書かれています。たとえば「如来が説いた般若波羅蜜(智恵の完成)は、般若波羅蜜ではない。ゆえに般若波羅蜜である」といわれる。あるいは「仏土を荘厳す(仏の国を作る)というのは、すなわち、仏土を荘厳しないことだ。だから、仏土を荘厳するのである」など、など。『般若心経』の例の「色即是空、空即是色」なども、このように解することができるでしょう。この世のすべての物質的な存在は「空」である。つまり存在しない。そしてそのゆえにそれはこの世のすべての存在である、というわけです。

もちろん、『心経』が唱えているのは、われわれが「色」、すなわちこの世の現象として感覚的に捉えているものは、すべて実体をもたない。また、そうとわかれば、そこにすべての現象世界が広がってくる、ということです。なぜなら、「私」であれ「バラの花」であれ「美しい女性」であれ、おしなべて実体をもったものではない。それらは、すべて網の目のように張り巡らされた縁起のなかでたまたまこのような形をとっただけだからだ、という。しかし、すべてを「空じて」ものに囚われず、心をからっぽにして無常を知れば、すべての存在をそのものとして受けとめることができるのです。

「即非の論理」は、一度、この世界の現象をすべて否定するのです。「空ずる」のです。そうして、もう一度、その「空」を前提にしてこの世界へ戻ってくる。すると存在するものは、改めて意味をもってくるでしょう。しかも、それに決して囚われることはなく、我執を離れ、ものへの執着もなくなるでしょう。

こうしたことは、われわれの心のどこかに根付いているのではないでしょうか。日常生活のなかで強くは意識せずともこういう心構えをもっているのではないのでしょうか。別に西洋の合理主義と日本の論理を対比する必要もありません。しかし、われわれがあまりに合理主義的な形式論理に捕捉され、もうひとつの、しかももっと深い論理の可能性を見失っているとすればそれは残念なことではないでしょうか。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

国民国家とグローバリゼーション

『二〇世紀の歴史』より 「長い二〇世紀」を後に

国民国家とグローバリゼーション

 それでは「長い二〇世紀」の後の時代、「長い二一世紀」になるか「短い二一世紀」になるか分からない時代は、どのようなものとして捉えられるだろうか。ここで鍵になるのは、陳腐なようであるが、グローバリゼーション(グローバル化)という問題である。

 本書では第1章において、「長い二〇世紀」の出発がグローバリゼーションの開始(近代グローバリゼーション)を伴ったことに触れた。グローバリゼーションは、その後必ずしも直線的に進んでいったわけではなかったが(たとえば冷戦はその阻害要因となった)、「長い二〇世紀」の終盤から進展を見せ、一九九〇年代以降の世界の特質となってきたのである。前述したネグリとハートの帝国論も、グローバリゼーションの様相を説明するために帝国という言葉を用いたのである。

 ここで注意しておくべきことは、このグローバリゼーションが、国民国家の衰退や消滅を決して意味してはいない、という点である。現在の世界において、国民国家は後退、衰退していっており、国民国家を超える形でグローバリゼーションが進行している、といった議論がしばしばなされることがあるが、そのような主張(ポストーモダンの世界論)には強い留保が必要である。第1章では、帝国世界の下で国民国家体制の進展と近代グローバリゼーションの展開が同時に見られたことを強調した。「長い二〇世紀」という観点から見れば、それを特徴づけた帝国世界が変容、解体した後、国民国家によって世界が覆われる状況の下でグローバリゼーションが進んでいるというのが、現在の世界の姿なのである。帝国世界が胚胎していたこの世界の構造が、帝国世界の解体によって前面に押し出されてきたということができるであろう。

 新たな国民国家を作ろうとする動きが、現在でも少なからぬ地域において見られることも軽視できない。暦の上での二一世紀に入ってからでも、東ティモール(二〇〇二年にインドネシアから独立)、コソボ(二〇〇八年にセルビアから独立、ただし国際的承認は完全にはされていない)、南スーダン(二〇一一年にスーダンから独立)という新国家ができ、それぞれの地域の人々は国作りに邁進しているし、中東では、イスラエルの激しい妨害を受けるなかでパレスティナ国民国家建設の動きが進んでいる。先に触れた沖縄独立論(沖縄という国民国家形成の願望)が最近強まっていることも重要である。

 現在のグローバリゼーションは、国民国家体制が世界を覆うという条件の下で進行しているのであり、その双方の様相を十分に見極めていくことが求められている。

 そのような現在の状況について、いま一つ付け加えておくべき要因は、地域統合、地域協力の進展である。「長い二〇世紀」が終わりを告げた後、第二次世界大戦後、地域統合の先頭に立ってきたヨーロッパでは、マーストリヒト体制の下で欧州連合(EU)が質的深化と空間的拡大を著しく進めたし、東南アジア諸国連合(ASEAN)をはじめ、世界の各地域で広域的な協力、統合を目指す仕組みが活性化した。アフリカでも、アフリカ統一機構(OAU)が発展した形で、EU組織をモデルとしたアフリカ連合(AU)が二〇〇二年に発足した。「長い二〇世紀」、とりわけその前半には見られなかった、それぞれの地域に根差した地域秩序が模索されているのである。

地球的格差の変化

 このような世界の構造の下、帝国世界において支配される側に置かれていた地域の人々の生活は、どのような変化を見せているだろうか。

 政治的脱植民地化は旧植民地地域の経済的自立化や繁栄を必ずしも意味せず、多くの地域で人々は貧困にあえいできた。「長い二〇世紀」の最終局面では、著しい経済成長を遂げる地域が新興工業経済地域(NIEs)という形であらわれてきたが、それは限られた範囲であり、世界の国々の間での不平等性はむしろ増大する傾向を見せていた。

 しかし、一九九〇年代以降、このような格差は縮小する方向に向かっている。世界のGDPに占める先進国のシェアは一貫して下がり、逆に中国やインドを含む途上国のシェアが増加しているのである。ある推計によると一九九〇年に八対二であった格差が、二〇一一年には六対四になり、二〇二〇年までには比率が逆転することまで予想されている。また一九九〇年から二〇一〇年の間で途上国の人口に占める貧困者の割合が四三%から二一%に半減したという数字もある。

 中国とインドという二つの巨大国家の一九九〇年代以降の経済成長が、こうした趨勢を生みだす上で大きな役割を演じたことはいうまでもない。近年のグローバル・ヒストリーで強調されている見解のなかには、一八世紀まで世界経済で最も大きな比重をもったのは、中国やインドを軸とするアジアであったという議論もあり、それに従えば、「長い二〇世紀」を含むここ二〇〇年間ほどの逸脱期を経て、世界の状況は長期的な姿に復しつつある、と論じることも可能であろう。そこまで言い切らないとしても、帝国世界のなかで植民地であったインドと、植民地に準ずる半植民地的位置に置かれていた中国が、世界経済の将来を左右する力を示し始めたのが、現在の状態である。

 「長い二〇世紀」に帝国世界が形成される上で鍵となったアフリカでは、まだまだ貧困に苦しむ人々が多い。しかしそのアフリカでも、貧困状況の改善は見られている。本書執筆時、アフリカ大陸は世界で経済成長が最も著しい大陸となっているのである。

 ただし、このような格差状況の変化は、そのまま平等な世界への移行を意味するわけではない。一九八〇年代以降、世界を席巻してきた新自由主義の流れのなかで、先進国内部の人々の生活格差はむしろ増大する傾向にある。日本でも所得格差を示すジニ計数が過去最大になったことが二〇一三年秋に発表された。「長い二〇世紀」が生みだし深めていった格差が帝国世界の解体の結果として薄れていく一方、新たな格差が深刻化しているのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )