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絶滅危惧種になってきた日本人

『データで読む平成期の家族問題』より

絶滅危惧種になってきた日本人

 平成25(2013)年度の人口推計が発表されて、日本では出生数より死亡数が上回り総人口は24万人も減少した。減少傾向はもう7年も続いていて、このまま進むと、やがて日本人は消滅してしまうことは明らかである。その時点は遠い先のことだと思う人が多いが、国立社会保障・人口問題研究所の試算によると、あと500年余りで全国合計で100万人を割ってしまう(同所『人口問題研究』参照)。これでは各府県で平均しても2万人そこそこしかいないことになる。今でも少ない鳥取、高知といった県では、人影も珍しくなる。そんな先の話ではなくても、10年先の2024年頃から年間100万人単位で減りはじめ、あと65年で総人口が半減して6000万人台になってしまうという予測は怖いほどだ。社会のすべてが揺らいでしまう。今の社会論も家族論も無意味になる。

 これまでは総人口が30年間も1億2000万人台が続いて、あまり変わらなかったので心配の声が少なかったが、これからの65年という期間は、今の20歳の青年が生命のあるうちに出合う時間なのだ。珍しい動物の絶滅が心配されているが、日本人自身も絶滅危惧種の一つになってきたのである。

 直接の原因ははっきりしている。(合計特殊)出生率が昭和50T975)年以来人口維持に必要な2・1を割って下がり続け、もう40年近くも1・3~1・4前後にとどまって回復のめどが立たないからである。

 近頃の男女はなるべく結婚を遅らせ、結婚しても子を産もうとしない。あるテレビ番組で若い女性が「子が生まれたら一生の終わりよ、何もできなくなってしまう」と叫んでいるのを聞いた。昭和時代には「子ができないので離婚の危機よ」だったのに大変な変わりようである。たしかに現代の育児負担は、経済的にも精神的にも大変な時代になってきたようだ。

デンマークの生活改革

 私は平成12(2000)年に、デンマークのいくつかの地方都市でホームステイをしたことがある。そのとき出会った数十人の女性たちは、「結婚して、出産して、そして働き続ける。この三つは人間としてごく当たり前の考えよ」と言いあって迷いがなかった。

 実はデンマークでも、1970年代には女性の職場進出が急に進んで子を産まなくなり、1983(昭和58)年には出生率が1・37にまで落ち込んだ。男女平等観の浸透やピルの解禁も重なったが、根本は女性の就労継続意欲と自分本人の年金確保にあった。そこで、4割近い女性議員を先頭に全国民は議論を重ね、法定労働時間の短縮、育児休業や育児施設の増加、生活支援法の実施などの家族政策が次々に打ち出され厳守されてきた。

 中でも、1歳以上幼児と小学3年までの児童のほぼ全員を社会保育(保育園と学童保育)し、ほとんどの企業を夏も冬も午前8時始業、午後4時終業に統一した効果が大きい。これを軸に生活と社会は回り出した。出産しても、母か父が半年ないし1年は給料分の補償を受けて自宅で育てるほか、月曜から金曜までは子を毎日施設に委託し、復職できるようになった。その結果、2000年代には出生率は1・8まで回復した。毎日子を引き取って午後5時には家族全員の顔がそろうから、父親も子と遊んだり一日交代で調理をしたりするように変わった(詳細は、湯沢雍彦編著『少子化をのりこえたデンマーク』朝日選書、2001)。

日本での改革方向

 さて日本でも、こうすることはできないだろうか。政府のエンゼルプランは2度も作られたが出生率を高める効果が上がっていない。

 古いしきたりが残る日本では、改革に大きな痛みを伴って難しいことだが、遅くともあと60年のうちに、こうしない限りは減少は止まらず民族として生き残れないのではないか。

 たいていの企業は「とてもできない」というだろうが、よく考え直したい。8歳までの子を持つ従業員数は多くの場合半分以下だろうから、その人だけでも午後4時(あるいは5時)終業にして、あとはパートタイマーや退職者やフレックスタイムで補う。また職場と住居をなるべく地方に分散して、通勤時間を1時間以内にする。

 教育費と医療費をゼロに近づけて生活不安をなくす。デンマークやノルウェーはそうなっているが税負担は大きい。両国とも、所得税50%、消費税25%と高いが、老後の心配はいらない。その代わり手取り額は多くはない(夫婦合計して手取り年収は500~600万円程度)ので、無駄を省いて万事が地味な暮らしになる。衣食は日本人より地味だし、ぜいたくをしない。たとえば、デンマークの地方議会は夜開くので議員の報酬は僅少、議員は昼間の職業収入があるからである。現代日本は一人当たり収入はデンマークの70%で世界20位台の貧しさなのに、ぜいたくな物質と快楽に振り回されすぎているのではないか。

 結局は、多くの意識変革と制度改革が必要となるが、目指すところは「結婚・出産・仕事」をセットとして確立することである。まずは「安心できる保育手段」を確立すれば、結婚・出産がついてくるはずである。

 あと六十余年で総人口は半分に減る。それまでを勝負の年として、革命に近いほどの社会改革をしなければ、日本人の文化も人間も自然に消滅してしまうことを自覚すべきではないだろうか。
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事例 ◆セールスフォース・ドットコム--SaaS

『キャズム2』より

セールスフォースードットコムを創業したCEOのマーク・べニオフは、良い方法があることを世間に知らしめた。そして、それは「ソフトウェアの終焉」を告げるものでもあった。それは、ソフトウェア・アズ・ア・サービスと呼ばれるものであり、のちにSaaSと略されるようになった。その仕組みは、べンダーのデータセンターで稼働している一つのソフトウェアを、複数の顧客がインターネット経由で同時に利用するというものだ。それぞれの利用者のデータはたがいに隔絶され、最新技術と優秀な専門家によってシステムは安全に運用されている。このサービスを使えば、顧客はデータセンターを保有する必要がなく、ITの専門家が不要となり、システムをインストールし、稼働させるためのシステムインテグレーターが不要となる。そして、このサービスは破壊的な効果を持っていた。利用者に対してではなく、旧来のアプリケーションとのしがらみから使われ続けてきた、利用者を取り巻くエコシステムに対して破壊的だったのだ。

実際、セールスフォース・ドットコムのサービス開始によって立場が危うくなった者も存在し、彼らからの反発も少なくなかった。エンタープライズ・アプリケーションに関わる者たちからは、SaaSは安全でなく、企業のデータをクラウドに置くのは愚かなことだ、という声があがった。PCに関わる者たちは、このようなサービスはネットワークに依存するため、応答時間が不規則となり、パッケージソフトウェアに比べて複雑になると指摘した。SaaSに対して懐疑的なアナリストからは、時代の先を行きすぎており、いずれ消えていくドットコム企業の一つだろう、と評価された。そして、セールスフォース・ドットコムがキャズムを越えるどころか、キャズムの場所に到達さえしないだろう、と多くの人間が考えていた。しかし、セールスフォース・ドットコムは、ソフトウェア史上最速の成長企業となり、売上は四〇億ドルに迫っている。さらに、この企業規模に達してもなお、本書執筆時点で、二五%の成長率を保っているのだ。彼らはいったい何をしたのだろう?

興味深いことに、彼らは、業界に特化した市場(垂直市場)を追い求めなかった。その代わりに彼らが着目したのは、次のようなセグメントだった。

 ◆営業担当者だけを対象とする

  カスタマーサービス、マーケティング担当者などは対象外。

 ◆ターゲット・カテゴリーで中位に位置している企業を対象とする

  カテゴリーのリーダーに対抗するために、社内のシステム化を必要としている。

  しかし、大規模なIT投資が許される企業規模ではない。

 ◆米国内だけを対象とする

  いつでも顧客と接触できるように。

また、エンタープライズ・アプリケーションに関して米国は「アーリー・アドプター」の国だから。

◆テクノロジーに詳しい業界を対象にする

 ハイテク企業、通信会社、製薬会社、金融サービス会社など。

 対象としていた見込み顧客が抱えていた課題は、「四半期目標を達成する」ことだった。SFAに関わるそれまでのソフトウェアパッケージは、企業の経営者レべルを対象とした予算管理を目的としたものが多かった。しかし、セールスフォース・ドットコムが対象としたのはあくまでも営業担当者であり、彼らと彼らの上司が営業の進捗状況を把握することが主たる目的だった。そして、このシステムにより、それぞれの見込み顧客がいまどのような状況まで進んでいるか、また、その見込み顧客を次の段階に進めるために何をすればよいかを把握することができた。また、それまでのソフトウェアパッケージは、最新のリリースに保つために手間がかかり、日々、べンダーからのサポートを得るのも簡単ではなかったが、セールスフォース・ドットコムは、顧客をそのようなわずらわしさから解放し、営業担当者の生産性を引き上げるのに大きく貢献した。

 営業担当者は、セールスフォース・ドットコムを心底気に入っており、彼らがここまで賞賛するサービスは過去になかった。彼らが気に入っていたために、ロコミで他の営業担当者に伝わり、サービスの利用者が増えていった。利用者が増えたのは、「これが、我が社が使う新しいソフトウェアパッケージだ」とCIOが宣言したからではない。営業担当者はCIOの助けがなくてもセールスフォース・ドットコムに加入することができた。それどころか、CIOの許可を取る必要すらなかったのだ。SaaSは加入契約形式であるため、加入者が実際にサービスを使っているかどうかが、セールスフォース・ドットコムの大きな関心事だった。システムの運用は同社が行なっているため、彼らは、利用している加入者とそうでない加入者をすぐに把握でき、それに基づいた顧客サポートを行なうことができた。それとは対照的にソフトウェアパッケージは、顧客企業全体でライセンス契約を締結するという形態をとっていた。中には利用していない社員もいたが、それに対して誰かがそれを咎めるわけでもなかった。その結果、誰かがセールスフォース・ドットコムを使い始めると、それが周りの人間に伝播し、その伝播を妨げる要因は存在しなかった。

 ここで、キャズムを越えるときに橋頭堡として選ぶべきセグメントを、以下にまとめてみよう。

 ◆次の段階で先行事例にできるほど大きいこと

 ◆そのセグメントを制覇できるほど小さいこと

 ◆ベンダーが提供する製品(サービス)が効果を発揮するセグメントであること
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ハイエク デモクラシーヘの懐疑

『経済学41の巨人』より F・A・ハイエク 人間は全能ではない

ハイエクの社会主義に対する批判は大きく二つの柱からなっている。一つは前に述べたように、それが多大のしかも本質的には伝達や管理不可能な情報の集積を必要とするということであった。そしてもう一つの柱は、それがいねば人間の理性の過信に基づいているということだ。もちろん、この両者は別々のことではなく、ある意味で同じことの別の側面だともいえよう。計画が社会の全般にわたる正確な情報を持ち得るという仮定は、別の面からいえば、人間が物事を計画する極めて優れた理性能力を持っていることを前提にしているからである。

人間が様々なことを合理的に設計できるという考えは、ただ社会主義において前提とされているだけではない。それはもっと目立たない形だが、実はデモクラシーの前提でもある、とハイエクは言う。

なぜなら、人間が優れた合理的設計能力を持っているという仮定は当然ながら、人間は様々なことを決定するうえで全権を持っているという考えを導き出すだろう。人々が意思決定において無制限の権利を持つという思想こそ、デモクラシーの柱なのである。デモス(人民)とクラトス(統治あるいは権力)を合成したのがデモクラシーのもともとの意味だからだ。

こうして、社会主義に対する批判はやがてデモクラシーに対する批判、もしくはデモクラシーの理念の再検討へと向かっていく。これは、自由の観念とデモクラシーの観念との間に矛盾を見ようとするものであり、自由の擁護のためには、無制限の人民主権という意味でのデモクラシーを無条件で認めてはならないということである。

『隷従への道』以来、ハイエクにとっては、経済学研究よりも自由主義の政治哲学的基礎を研究することの方がはるかに重要に思われた。こうした政治哲学的、思想的関心はハイエクをして『自由の条件』(一九六〇年)、さらに『法と立法と自由』(七三-七九年)といった大著を書かせることになる。

だが、どうしてデモクラシーは自由と相反するのだろうか。それは、自由があくまで個人の好みや意志を超えたルールに基づかなければならないからである。このルールは個人の意志を超えてはいるが、超越的に与えられているものではない。それは社会が歴史の試行錯誤のうちに意図せず生み出していき、堆積していったものだ。だから慣習、伝統といった過去の経験のうちにルールがある。ここにハイエクの自由主義の重要な点がある。彼のいう「自由」とは、個人がやりたいことをやれるというのでも、また、いわゆる「選択の自由」でもない。自由主義において重要なことは、自由が、社会の歴史や経験のうちにつくり出したルールに基づかなければ意味をなさないという点なのである。

だから、人々の無制限な権力という意味でのデモクラシーは、人々にこうしたルールそのものを恣意的に変更する権利を与える。これは自由の条件を崩すことなのである。言い換えると、無条件にデモクラシーを認めてしまうと「自由」の条件が破壊されてしまう。そこで、ハイエクは例えば立法と行政を峻別することを強く主張する。立法つまり、「自由」の条件であるルールをつくるという作業に関しては、無条件のデモクラシーを制限すべきだというのである。
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エンパワーメント

エンパワーメント

 要するに、小手先だけでは変えられない。中から変えないといけない。そのためには、それぞれの人が内なる世界を作る。その中で完結させること。そして、助ける。エンパワーメントとはそういうことです。

 人間のタイプにしても、そこでどこを防衛するのか。積極性と内なる世界と外なる世界でやる。その人間がわかれるところからやっていくことです。14歳の教育は大切です。振り分けです。

原因を追究したかった

 シェアすることの良さは、図書館で十分やっています。デメリットも含めて。

 やっぱり、原因を追究したかったんです。この小さな販売店の中、メーカーの中だけでは答えは解決しない。原因も分からない。それを137億年まで拡げて、少し見えてきたという感じです。では、どこから解決するか。短から変えるしかないでしょう。

スタバのアンケート

 スタバのアンケートはトールにするようにしてから、たくさん出るようになったみたいです。

 スタバのアンケートにシェアのことを書くことを忘れました。シェアチケットはやはりいいですね。女性を誘う口実になります。まるでタイプが異なる女性を誘いました。それを緊張感を持って、Iさんに受け入れてもらいました。

 やはり、男のバリスタは話が合わない。取捨選択しましょう。サンロードは完ぺきにIさんシフトになっています。そんなことが許される世界はすばらしい。

哲学書の読み方

 ラッセルの「現代哲学」を読み始めました。読み方が以前と異なっている。このテーマだったら、自分だったらどう描くか、それとの比較になっています。だから、回りくどいとか、この分は使えるとかになっている。ラッセルをトレースするつもりはありません。自分のトレースで精一杯です。

パートナーがトレースする時に

 パートナーにはもう、遠慮するのは止めましょう。ブログにも書き込みます。いずれ、トレースした時に伝わるようにしておきます。

ギリシャへ行きたい

 2010年の7月に行動しないことを決めた。デルフィの啓示です。デルフィのアーモンドの木の下での啓司。アポロンの宮殿。それで周りの行動する連中に囚われなくて済むようになった。テッサロニキはアレキサンダー大王の後にできたんですね。郊外にペラという町があります。

 デルフィの中心街に図書館が書いてあります。どんな形かな。ギリシャは財政難になった時に、最初に図書館を閉めたから、文化的には影響力は持たないでしょう。テレモピレの戦いもこの付近です。ペルシャの大群にスパルタ王が戦って、全滅した。ペルシャ軍は全員戦死したが、アテネ主導の連合軍の勝利を導いた。

プラネタリウムで二胡コンサート

 15時からプラネタリウムコンサート 「二胡の妖精が奏でる星の調べ」

 二胡:寺島美保;岡田紗友梨 曲名:「星に願いを」「燕になりたい」「夜空ノムコウ」「オリビアを聴きながら」「地上の星」「月の砂漠」「蘇州夜曲」「昴」「ホール・ニュー・ワールド・チムチムチェリー」「君をのせて~いつも何度でも~崖の上のポニュ」「賽馬」「川の流れのように」 チャイナ服ではなかった。

 何か、音にが重なるな。濁るというか。フルートの音色の方が好きみたいです。

 プラネタリウムでは宇宙を感じない。どちらかというと、シリンダー内を感じます。粒子の流れをどう表現するかを30年前に苦労したことを思い出します。宇宙は完全にマルチバースになっているので、あんなドームでは表現できない。

スケジュール表

 どういう風に時間を作るのか、表現するのか。以前のように、スケジュールにこらないといけないけど、デジタルは使いたくない。かといって、薄っぺらいものではダメです。ハンズでモススキンを見てきましょう。

ハレーすい星の行方

 それ以前に、イスカンダルからの帰還があるかどうか。いつ入力するかを自分の中でコントロールしないといけない。

 ハレーすい星が山梨と富山に飛んでいくことを書いておきましょう。これはシンボルです。
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