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組織内のコミュニケーションは難しい

『ひたすら読むエコノミクス』より 思惑の衝突を超えて~組織デザイン~

ここまでの議論では、組織メンバー間、本社と事業部や店舗間、などのコミュニケーションの可能性を考えてきませんでした。しかし、有益な情報を持つ各現場が組織上部に情報を伝え、伝えられた情報にもとづいて組織上部が決定すれば、「情報を持つ人の手に意思決定の権限を委ねる」ことと同等以上の効果を、権限委譲することなく得られる可能性があるのではないか。だとしたら、情報利用という権限委譲のメリットは失われるのではないか。そのように考えた読者の方々は自分をほめてあげてください。しかし、適切な情報が正確に伝達されるのか、という懸念があります。たとえば「現場の危機感が上層部に伝わらない」という問題が指摘されることがあります。なぜそのような問題が組織で発生してしまうのでしょうか。

第1に、実際には現場が一生懸命情報を伝えていたにもかかわらず、その情報が伝えようとした危機感を、現場にいないトップは理解できなかったのかもしれません。現場の情報は、その現場にいる当事者にしかわからない暗黙的なものが多く、整理して文書化しても真意が伝わらない可能性が多々あるのです。

第2に、現場が上層部と同じ目的を共有していたとしても、周囲の状況をふまえての自身の損得計算の結果として、自らの危機感という情報を開示しないことを選んでしまったのかもしれません隣り合った2件のレストラン、アラン亭とビストロボンのどちらに行くかという問題における合理的群衆行動の可能性を紹介しました。ここでは組織の例で説明しましょう。会社の現場担当者のなかに、会社の経営に対する危機感を持った者が複数いるとしましょう。彼らが会議で順番に発言するとき、最初の2人の担当者がたまたま会社の経営が順調だと考えていてそのように発言すると、3人目の担当者が危機感を持っていたとしても、最初の2人の言動から「自分の危機感は杞憂か」と考え、自らの情報を否定して危機はないんだという認識に到達し、そのように発言してしまう可能性があります。すると、仮に4人目以降の担当者が全貝危機感を持っていたとしても、彼/彼女たちも同じように考えて発言してしまい、その情報は開示されずに終わるわけです。

第3に、第1、第2の理由と異なり組織全体の目的が共有されていない状況では、情報を持つ人が適切な情報を正確に上に伝えないというインセンティブ問題が発生します。いいかえれば、目的の乖離が大きくなるほど、たとえば事業部長の目的が自身の事業部の業績に偏る程度が人きいほど、ピザチェーンの店長が自分の店舗の売上だけにこだわる程度が大きいほど、情報が正確に伝わらないというコミュニケーションの問題も大きくなります。コミュニケーションの可能性を考慮しない議論であれば、目的の乖離が大きいほどコントロールの喪失による権限委譲のデメリットが人きくなり、集権化が望ましくなります。しかし、ここでコミュニケーションの可能性を考慮すると、山刃の乖離が大きいほど情報伝達も不正確になり、集権化のメリットも失われてしまうことになります。したがって両方の効果を比べて考えると、目的が偏った事業部や店舗に権限を委譲して分権化しておく方がよいことさえあるのです。

たとえば、経済産業省の新原浩朗氏は、日本の「優秀企業」の共通の特質のひとっとして、「危機をもって企業のチャンスに転化すること」を挙げています。そして、トップの取り巻きや中間管理職層(ミドル)が、耳触りな情報をトップに上げない「イエスマン」の集団になるという問題を指摘しています。なぜ「イエスマン」が出現してしまうのでしょうか。すでに紹介した合理的群衆行動がその間いに答えてくれていますが、ここでは関連した別の理論で説明してみましょう。

トップは、現場に情報探索の努力を求めていて、加えて現場が持って卜る現状認識についての真の情報を引き出したいと考えています。一方、トップ自身が持つ現状認識も当然あります。現場が努力するほど、より正確な(しかし完全にはわからない)現状認識をできるとします。

トップも現場も真の「現状」を知りたいと考えているので、現場が努力して現場の現状認識が正しい可能性が高くなるほど、トップの現状認識と一致する可能性も高くなります。したがってトップは、現場が報告してくる現状認識がトップの現状認識と同じときに十分高い報酬、たとえばボーナスを支払うことによって、現場の情報探索努力を引き出すことができます。このように報酬を与えること自体は何ら悪いことではありません。問題なのは、トップがどのような現状認識でいるのかについて、現場がたとえ不正確であっても予想できる場合です。なぜならば、現場は自分たちの現状認識、たとえば危機感を正直に伝える場合より仏予想されるトップの現状認識の方向に、自分たちの現状認識を歪めて伝える方が、ボーナスを得られる可能性が高まるからです。

こうして「イエスマン」が出現することになります。現場が報告してくる現状認識とトップの現状認識とを比較してボーナスを支払うことをやめれば、現場は現状認識を歪めるインセンティブがなくなるので、正直に現状認識を報告します。しかし、現状についての情報を探索しようとする現場の努力インセンティブはなくなってしまいます。情報探索努力のインセンティブを与えることと、正直に現状認識を報告させることとの間にトレードオフが生じて、「イエスマン」が出現してしまうのです。
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未唯空間歴史編への考察

未唯へ

 うぐいす、白バンツ、シルバーのフルキャスト

 久しぶりの元町サウナ。76.1.木曜日は75.3を狙う。

 明日からは上着なしにします。小物入れを持ちます。

 いつ、倒れてもしょうがない、という気分だけはあるけど、倒れたら、しんどいでしょうね。だけど、絶対的孤独が自分の出発である限り、それに従うしかない。この虚しさもそれで突破しようとしている。

未唯空間歴史編への考察

 本当に急がないとやばいですね。この外なる世界と内なる世界。歴史編の8章ができていない。歴史を集中的にやりましょう。ローカルとグローバルのサファイア社会の先に何があるのか。

 歴史の中の循環というのは、やはりタテですね。時間軸から言った時のローカルとグローバルはどうなるのか。例えば、革命のような連鎖で考えるのでしょうか。フランス革命、ロシア革命、エジプト革命という風に見るのでしょうか。

 歴史というと、大体、国の歴史です。ローカルとグローバルの関係は対象にならない。政治形態の歴史を含めて、分類しましょう。

 未唯空間の歴史編を通しで話してみます。そして、8章の内なる歴史です。こんなものがあるかどうかです。だけど、一つの集約です。

 多分、歴史の定義からしないといけない。ジャック・アタリぐらいしか思い当たらない。あとは、司馬遷とかトレンビーとかです。

 歴史というのは、本当にどこを見るかです。細かいところはいくらでもやっている。グローバルとはつながっていない。グローバルとつながる時は歴史観です。マルクスの歴史観は大英図書館で生まれた。

 この最近、歴史のキーワードが少しずつ出てきました。分配するとか、自由とか。共産主義の失敗が興味があるのと、ムハンマドのやり方に関心が向きます。既存の仕組みを変えたものとしては、ムハンマドのやり方です。

「動員の革命」を立ち読み

 「動員の革命」がいつまでも手に入らないので、本屋の立ち読みを行っている。エジプト革命が書かれている。そして、町に出ようです。行動することは選択肢がなくなることです。どこまで、コラボできるのか。自分たちにとってどうなのか、自分にとってどうなのか。

個人が変わるということ

 変わるということは、池田さんの本から行くと考えることです。何を考えるかというと、生きることを考えることです。生きることは、生きることを考えることを生きること。まあ、入れ子ですね。

 自分が何であって、何をしていくために生まれてきたかを考えれば、社会は変わるでしょう。変わろうとするでしょう。

 組織にいる人は組織を自分が生きれるように変える。フリーならば、格差是正を求めて、行動する。その意味では「動員の革命」のような、煽動の考えは好きではないです。行動するよりも考えることです。その上で、自分がどうするかを決めていけばいいです。

 今は、ゲーム化からコミュニティ化をバーチャルコミュニティで行っていくのが有効な手段と思っている。

組織を変える

 一番、考えないといけないのは、国家と組織への対応です。国家の方が、今の状況を見ていると、どうしていくつもりなのかが分からない。組織の方は、組織に守られていると思っている人が多いのは確かです。それで仕事した気になるのは確かです。

 かなりの部分を自分で行う、農業的な感覚とかなり差が出ています。組織の一部である方が、金が儲かるという仕組みそのものが、今のカタチです。

「意思」の意思

 もう一つ、大きいのはこの時代に、私と送り込んだ「意思」です。太平洋戦争も終わっています。次に何があるのかがハッキリしない時代です。

 何をやらせるのか。自分への役割をしっかり見ていかないといけない。
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フランス革命 食糧危機と民衆騒擾

『フランス革命はなぜおこったか』より

これまで革命を構成する要因として、王政の統合力を脅かす政治危機、変革を主体的に志向する集団について述べたが、第三の要因として大規模な民衆反乱がある。都市や農村の民衆騒擾は、アンシアンーレジーム下のフランスにおいて、いわば風土病的な存在であり、多かれ少なかれ常時発生しているが、時期によって変化がある。

一八世紀にはいると、第2章で述べたように、農村共同体や都市ギルド社会のなかで階層分化が進んでいたが、それとならんで、民衆の生活水準が低下傾向にあった。

統計的な研究によれば、フランスの総人口は、一七〇五年から九〇年のあいだに二二四〇万から二七九〇万に増加したと推定されている。それは破滅的な伝染病、とくにペストの蔓延が一七二〇~二一年のマルセイユを最後に終わったためと、長期の戦乱がなかったためであった。しかし、この期間にイギリスと違って、北部のノルマンディを除いては目立った農業技術の改良がみられなかった。それは、耕作権の不安定や高い小作料、そのためブルジョワの資本が社会的威信をともなう安全を求めて官職の購入へ流れ、資本家的な借地農業者が生まれにくい社会構造と結びついていた。

このような人口増加と食糧供給量のアンバランスが、民衆の生活水準を低下させた。一七二六~四一年から一七八五~八九年のあいだに、小麦、ライ麦、肉の価格がそれぞれ六六、七一、五八パーセント上昇したのにたいして、農業、建築の賃金はそれぞれ一六、二四八Iセントしか上昇していない。これは民衆の生活水準の低下を意味するが、このような長期的な経済趨勢は、社会的な緊張を構造的に徐々に高めはするが、民衆の日常意識もまたそれに徐々に順応するため、必ずしもそれが自動的に騒擾の発生となるとは限らない。また、暴動が民衆の唯一の抗議形態とは限らない。前に述べたように、一八世紀には農民は、領主にたいする抗議を国王裁判所への訴訟の形で解決する手段をとりはじめたからである。

しかし、一八世紀に、民衆騒擾が頻発したのも事実である。

一六一年から一七八九年までのあいだに、約四五〇〇件の主に農村を舞台とする民衆騒擾が検出されているが、一七六〇年代からそれは明白に増加し、七五年と八九年を二つのピークとしている。騒擾の多い年は天候不順による小麦の不作の年と一致するが、七五年と八九年はそれがとくに深刻だった。つまり、アンシアン・レジーム下の民衆騒擾の最大の火種は食糧危機なのであり、その性格は食糧暴動である。

一八世紀のパリの平均的なパンの価格は、四リーヴル(ニキロ)が八~九スーである。通常、成人男性の一日の平均パン消費量はニリーヴルであり、女性はその半分、子どもはその四分の一である。パリの労働者の平均賃金は一日二〇~三〇スー(貨幣一リーヅルが二〇スー)であるから、家計の約半分がパン代にあてられることになる。ちなみに、経済史家ラブルースの概算によってほかの支出をみれば、野菜・ワイン・脂肪などの食品にヱ(パーセント、衣料に一五パーセント、燃料に五パーセント、照明にIパーセントがあてられた。したがって、パンの価格の高騰は家計を著しく圧迫し、騒擾行動の直接の契機になりえた。
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地方自治はどこへ行く

『暴走する地方自治』

本当の意味での三位一体(国、都道府県、市町村)を

 「改革派」首長の登場によって地方自治の分野が多くの人々の関心を呼ぶようになった。本来地方自治は我々の身近なところにあるものであり、無関心よりも関心を持ってもらうほうが好ましいものではあるが、劇場型ともいうべき現在の状況に危惧を抱くのは私だけだろうか。地方に即した事項であれば、地方の総意に基づき、地方の中で解決されるのが望ましいのは言うまでもない。だが、21世紀はグローカル(グローバル+ローカル)な時代とも言われている。国際的な動きが地方に様々な影響を与えるのと同様に、地方の動きが国際的な問題となることも少なくない。地方と国際社会は様々な形で繋がっているのだ。

 「改革派」首長は、国が動かないから、国が法律を改正しないから、国がお金をくれないからと国を悪者にしていれば自分たちのステータスは上がると思っているかもしれないが、何でもかんでも地方の好きな通りと言うわけにもいかないのは当然のことではないだろうか。自主性といっても、ルールや製品の規格などが地方によって異なることが必ずしも住民や企業の利益になるとは限らない。むしろ全国で統一したルールにしたほうが分かりやすいという声も少なからず聞こえるのだ。

 我々は住民でもあり、国民でもある。すなわち、市町村の住民であるとともに、都道府県の住民であり、さらに日本国民であるのだ。この3つの立場というものを常に意識している人は多くはないかもしれないが、いずれか一つの立場に偏ってしまえばバランスを失してしまうことは火を見るより明らかだ。

 国民の立場のみを強調しすぎれば過激な民族主義、偏屈なナショナリズムに陥りやすいょうに、地方の立場だけを強調しすぎれば極端な地域エゴになってしまいかねない。もちろん、国であろうが、都道府県であろうが、市町村であろうが、適切な行政サービスを安価に提供さえしてくれればそれで良いと思う人も少なくないだろうが、地域の実情も個人の状況も多様化する中で単一の行政主体だけですべてをこなすことは不可能だ。国、都道府県、市町村という3つの行政機関が時に対立しつつも適切な役割分担と協働の下、それぞれの機能を最大限に発揮できるような環境作りを醸成するとともに、我々も国民、都道府県民、市町村民という3つの立場をもっと意識すべきではないだろうか。

ポピュリズムが地方を、そしてこの国を滅ぼす

 政治家は住民の選挙によって選ばれる以上、ある程度は人気取りの政策をマニフェストに盛り込まざるを得ないのは無理からぬことだ。だが、右肩上がりで経済成長する時代は終わり、人口減少社会に突入した我が国は様々な課題に積極果敢に取り組んでいかなければならない。東日本大震災からの復興、後退を続ける地域経済の再生、年金や生活保護など社会保障制度全般の立て直し、TPPに備えるための産業振興、財政再建など国、地方の双方が全力で取り組まなければならないテーマは山積している。

 その一方で、バラマキとしか言いようのない人気取りの政策がこれまで国、地方問わず様々な形で繰り広げられてきた。結果として国、地方を通じて1000兆円を超えると言われる債務残高を招き、2015年までに消費税率を引き上げないとギリシャのような惨状が日本を襲ってしまうと予測する経済アナリストまで出てきている。痛みや負担の先送りはもはや許されない。それにも関わらず、相変わらず人気取りの政策が改革を気取った首長の下でも平然と行われている。その典型が名古屋の減税政策であり、大阪都構想でも地下鉄を始め、様々な料金が下がると吹聴されていた。

 行革を進めれば財源は生み出せると、民主党や「改革派」首長は安易に考えているようだが、少なくとも欧米に比べると日本の行政は効率的にサービスを提供していて、人口当たりの公務員数なども一番少ない。もちろん、給与水準や定員の不断の見直しは不可避だが、それだけでなく、業界団体への助成や税制上の優遇措置なども思い切った見直しが必要になるだろう。役所以外の既得権益にも踏み込めなければたいして大きな成果は挙げられないだろう。

 大衆迎合の政治がこれ以上行き過ぎれば、もはやそれを支えるだけの体力は地方にも、国全体にも残されていない。2012年、政治がポピュリズムと決別して、国家百年の計に立った抜本的な財政再建策を進めない限り、この国の未来はないだろう。ポピュリズムが地方を、そしてこの国を滅ぼすのだ。
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組織と国家が崩れる

残尿感

 尿が破壊されています。無事、名古屋までたどり着けるでしょうか。身体は外なる世界と言いながら、しんどいですね。何回、トイレに行けばいいのか。これが残尿感というものですか。

 土日に動かなかったことが原因でしょう。薬を飲んでいないことも一因かなと思い、とりあえず、夕食後を飲みました。これも運動する口実になります。

 名古屋駅にはギリギリ着きました。トイレに直行です。

的確な本

 社会を変えるために、個人を変えることの的確な本がないですね。自分で作り出すしかない。個人が変わることが、社会を変わる。よく考えると、意外な答えですね。

 戦略的に、ローカルを活かして、個人を生かしていく方法を探ります。

未唯へ

 イヤホンの耳栓が合いません。右と左で異なっている。イヤホンの世界にいると、いかにノイズが多いかがわかります。車の音は邪魔ですね。もっと、近くで話すようにしましょう。

 スタバのIさんに会いました。昼は居ないそうです。かなり、変則勤務ですね。週の初めに笑顔が見えてよかった。「会えてよかった」と言ってくれます。

ネット会社の使い方

 管理部署にはネット会社の使い方をやります。ネット会社がローカルを拠点にして、展開を図るようにできるかどうかです。スポンサーを多様にすれば、ポータル・ライブラリも対象にできます。

 メーカーの画一的な支援から脱却させて、儲けさせるにはどうするかです。そのための条件の確認です。

 名古屋に来てから、ずっと、ローカルとグローバルをやってきました。

 ネット会社には店舗へのアピール・アンケートという形で渡します。これは信頼関係の上で成り立つローカル支援の唯一のシナリオです。それをゆっくりやることです。急ぐと仕事が成り立たない。

 根底にあるのは、ネット会社のミッションです。何のために、そこにいるのか? それも新しいミッションです。グーグル以降のミッションです。

組織と国家が崩れる

 組織との関係を見ています。組織は国家のコピーです。国家が崩れれば、組織は崩れる。では、どんな形が望ましいのか。

 人間を組織に当てはめるから、おかしくなる。融通が利かなくなる。担当者は安定するけど、他が不安定になる。組織は人です。人が全てのボトルネックになる可能性がある。組織にはバイパスが必要だし、バイパスだけで全てを作ることも可能です。

 根底にあるのは、それでローカルが幸せになれるか。多くの人が幸せになれるかです。

 私も組織に入るまでは気にしてなかったけど、今、社会を動かすエネルギーが組織だけになっているので、まともに動いていないことが気になります。グローバルはどうしても画一的になります。メーカーのようにモノで渡すしかない。

 本来、サービスが機能すればいいけど、サービスが個別になって、効率的ではなくなっている。マクドナルドのようなサービスはメーカーと同一の論理です。コンビニも自分の所にあるモノが、お客様の欲しいものと決め付けます。

時代が合わしてくれる

 時代が合わしてくれるという感覚が強いです。自分が居ることで、全体が変わっていくこと。それが歴に中の私の役割なのかもしれない。

 ネットとファシリテーションを行ってきた。ヒアリングで分かったのは、ローカルが自立しないといけないこととメーカーに対して、インタープリテーションすることです。

 それらについては、提案したが、構想で終わりました。それを起動させる時が来ました。動けば、時代がやってくることを信じます。
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政治学の使用上の注意

『ヒューマニティーズ 政治学』より

この本は、日本語が読め、日本の文部科学省による学習指導要領に準拠した高校教育を受けた人が、大学で政治学について学ぶ前に読む本、という構想のもとに書かれています。年齢層は十八歳から二十歳くらいを考えていますが、もっと歳をとった方や若い方が読んでくださっても、もちろん構いません。性別や国籍や居住国についても特に想定していないつもりです。

しかし、「高大接続」という電気工事用語のような言い方がありますが、高校での「現代社会」や「政治・経済」の学習内容と、大学で講義されている「政治学」関連のさまざまな学問の知識とをつなぐ作業は、たやすいものではありません。ほかの学問領域についても、それぞれに苦労する点は少なくないのでしょうが、政治学の場合はとりわけ、両者の断絶が大きいように思えます。

たとえば、「政治・経済」の高校教科書から、政治学に関連しそうな主題を拾ってみましょう。「民主政治の原理と発展」「世界のおもな政治体制」「日本の政治機構」「世論とマスメディア」「現代の国際政治」といった言葉が並びます。こうした主題の一つ一つは、大学でも「現代日本政治」とか「政治思想史」とか「国際政治」とかいった政治学系の講義でとりあげられることがあるでし

国民が政治に参加し、国民の意志がそのまま政府の決定となる。何とすっきりした構図でしょう。世間の人の大部分が政治家や政治運動に(ごくまれに)期待をかけるとき、思い描く理想像も、たぶんそんな単線状のものではないかと思います。しかし、二千数百年の長い歴史をもつ政治学の知見からすれば、こうした説明内容には「政治」そのものがすっぽりと抜け落ちている。

さまざまな価値観や利益要求が渦巻いている大きな社会で、どうやって一つの「国民の意志」を見いだすのか。それを確定する過程には、どんな会話や妥協や無理強いや暴力が働くのか。政府の決定がなされたあと、それをどうやって実行するのか。その決定は個人の生活のどの領域までふみこむことが許されるのか。もしどうしても決定に従わない人がいればどうするのか。そもそも政府の組織それ自体を、人々がまったく信頼しなくなったら、その人々はどう行為すべきなのか。-こういった問題がもちあがり人々の交渉がなされるとき、その内側に働いているのが、「政治」の営みにほかなりません。それは偶然性に左右される活動ですが、さりとてそのなかで交わされるふるまいが、まったく予想不可能というわけではありませんし、何をやっても許されるということも、本来はないはずです。

何やら禅問答めいてしまいましたが、どんなにすっきりした体系をもっているように見える授業や書物も、およそ政治学と名がつくかぎり、こうした「政治」のもやもやした世界をめぐる関心に、つねに裏うちされているはずです。高校の「政治・経済」の科目は得意だったのに、あるいは新聞の政界記事はよくわかるのに、学問としての政治学にはどうもなじめないという人は、おそらくそこの部分をうまくつかむことができないのでしょう。実際、こうした「裏うち」を、大学の個々の講義から察知できるかどうかは、聴いている人それぞれの勘と人生経験に左右されてしまうように思えます。

この本はそうした「政治」について、勘や経験に頼らなくても、理解が少しでも深められる手助けをめざして書きました。ブックガイドの最終章をのぞく第一章から第四章までは、ひとつながりの話として読んでいただいても、それぞれに「政治」の諸側面を描いたと読んでくださっても、どちらでも結構です。

もちろん、政治学者の著作や大学の政治学の授業に興味津々という人が読んでくださるのも(売り上げの点で)大歓迎ですし、あるいは物心ついてから政治にも政治学にもまったく関心がない方も、もし何かの縁でこの本を開くことがあれば、それなりに興味がもてるような記述を試みたつもりではあります。

ただ、あくまでもそういう人がこれを読んでいるならの話ですが、政治家になりたいとか、社会運動のアクティヴィストとして活躍したいとか、環境問題でデモをかけたいとかいったご希望の方には、特に申しあげておくことがあります。-こんな本を見ているところですでに手遅れですから、いますぐに街(あるいは街でなくても人の集まる場所)に出ていろいろな人の声を聴き、多くの人に自分の主張を伝え、賛同者を集める経験を積んでください。おそらく大半の方は挫折するでしょう。しかしそこで傷つき疲れはてたとき、この本をゆっくりと読んでいただければと思います。心が癒されることはたぶんないものの、どんな方向であれ再びやりなおすために、そっと背中を押すくらいの効果はあるかもしれません。
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レジ袋有料化

『環境省の大罪』より

中身の乏しい改正容器包装リサイクル法を繕うために、環境省が始めたのが、レジ袋の削減運動だった。先の全国ネットワークも運動として大々的に取り組み、のぼりまでつくって、スーパーに乗り込んだ。改正法は、大量に容器包装を排出する事業者は削減計画をつくり、国に提出することになったが、これは、もっぱらレジ袋を大量に使うスーパーやコンビニ、デパートが対象だった。

レジ袋は、毎年ごみになる500万トンのプラスチック製品のたった6%にすぎないし、ごみ袋の内袋にするなど、もらったままで捨てず、その後利用することも多い。だが、こんな小さな問題が、さも大問題であるかのように環境省はPRし、イベントを繰り広げた。

レジ袋は、容り法のもとで自治体がプラスチック容器包装として収集し、事業者が再商品化している。市民の環境意識が高まり、世間に受け入れやすくなったという背景もあるが、実際には、有料化によってレジ袋の製造代や容り法の負担金を大幅に減らしたいという業界の狙いがある。再商品化の費用はスーパーなど容器包装を利用する事業者が負担し、業界1位のイオンは年11(億2000億円、ユニーも同2億8000万円になる。チェーンストア協会は「有料化を法律で義稗づけてほしい」と国に要望した。みんなで一斉に導入すれば、レジ袋を無料にして客を奪うところが出てこないからだ。

国は「法規制にそぐわない」と回答したが、改正容り法に、大規模小売業者がレジ袋など容器包装の削減計画をつくり、国に報告する制度を盛り込んだ。有料化を実施しやすいにするための仕組みだ。

業界1位のイオンが有料化に乗り出した。業界トップの売り上げを誇り、業績の好調なイオンが先頭に立ち、それに他の大手スーパーが続き、自治体と市民が後押しするというシナリオをイオンが描いた。うまくいくと、スーパー業界は100億円もの負担金を払わずに済む。それにすっかり乗せられたのが、各地でごみ減量に取り組む市民団体だった。

有料化は自治体にもメリットがあった。自治体が収集している容器包装プラスチックの2割をレジ袋が占めるから、費用の削減につながる。名古屋市はレジ袋を6割減らせば3億円節約できると試算した。のぼりを持って、各地のスーパーの入り口で、市民団体は、レジ袋を有料化したことをPRし、買い支えを訴えた。環境省はイペントを繰り広げ、それをあおった。レジ袋を有料化しないのは悪だという空気が広がり、西村淳リサイクル推進室長は、「レジ袋の有料化がこんなに当たるとは思わなかった。市民団体が応援してくれたんだから」と、胸を反り返らせた。

しかし、レジ袋騒動は数年で沈静化した。中小の業者はイオンの宣伝戦略に振り回されたが、イトーヨーカドーや中堅スーパーのいなげやなどでは、レジ袋を断った客に2円引きする制度が定着した。西友も独自の削減策で有料化したスーパー以上の効果をあげている。市民団体の要請でレジ袋の有料化を導入したものの、売り上げが落ちて元に戻したところもあった。買い物袋を持参する人は増えたが、レジ袋をもらう時に気兼ねをする人もいなくなった。

環境省が奏で、市民団体が踊った「狂想曲」は終わったのである。
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岡崎図書館の9冊

未唯へ

 母親はセブン・イレブンのむいた栗は好きみたいです。三袋あったので、一袋はもって帰ろうとしたが、全て取られてしまった。結局、2粒食べただけです。

 この2週間は、パートナー関係であたふたしていた。未唯空間は殆どいじっていません。だから、月曜日から始めます。急ぎます。

 ICレコーダー専用のイヤホンを買ってきました。エイデンにしようとしたが、満車だったので、セブン・イレブンで買いました。そこでも用途の異なる三種類がありました。1.2mだが、アジャスター付です。

「救国」という幻想

 「救国」を読んでいる。古い人間にはついていけない。このロジックで何十年をやってきたのでしょう。すぐに、300万人の英霊の話になる。先の話をしましょう。構造を変える時なのに、恩讐のなかにいるので、何も見えないのでしょう。

 北朝鮮とか核とか言っても、先が見えてきません。日本の政治のだらしなさも同様です。地域から発想して、個人を変えていきましょう。危機感だけでなく、未来の夢も一緒にしましょう。日本から新しい姿を作れるとは思えないけど、それを提案していかないといけない。

豊田市の車事情

 豊田市駅前の充電エリアにリーフが置いてある。チャージしていた。仕様は統一されているのですね。

 豊田市の立体駐車場に居ます。満車です。どう見ても、これだけの人のために、これだけの空間が要るとは思えません。移動と滞留の関係もつりあわない。エネルギー以前の課題です。

岡崎図書館の9冊

 100『14歳からの哲学』池田晶子 考えるための教科書

 104『残酷人生論』池田晶子 あなたはまだ知らないのか? 二〇一〇年代を生きぬくヒント

 331『ひたすら読むエコノミクス』

 392.5『真珠湾からバグダッドへ』ラムズフェルド回想録

 290.9『東アフリカ』地球の歩き方 ウガンダ エチオピア ケニア タンザニア

 319.1『救国 超経済外交のススメ』

 983『人生と運命 3』

 219.9『闘争する境界』復帰後世代の沖縄からの報告

 611.7『若者たちの震災復興』緑のふるさと協力隊 農村村再生・若者白書2012
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バーチャルコミュニティ

分配の仕組み

 やはり、分配とシェアとの関係かもしれない。共産主義が失敗したのは、本来、ローカルの存在でありながら、党が全てを支配して、そこから分配しようとした。一旦、上げて下げる関係です。このパスが長いほど、腐敗していく。

 人民の意識が変わっていなかったから、全体を支配するには強権的に行うしかなかったというのが言い訳です。人が変わらずに、体制を変えた。それを維持するために、殺しまくった。

 国家を分配機能として考えると、東電は国家です。分配できなくなったら、不必要です。分配の対象はエネルギーだけでない。公共交通機関とか道路などのインフラも分配されている。

 車の場合は、あまりにもニーズが多様にしてしまったので、シナリオが変わった。売るために、表面上で異なるものを作ってしまった。それが「自由」の表れとは思えないけど。

 道路が微妙ですね。道路とインターネットはよく似ている。ただ乗りして、使われている。車とグーグルは似ているのです。個人の多様性をどう吸収していくのか。グーグルはローカルでいじれるけど、車はいじれない。今後はバーチャルの方に分があります。

人が変われば、社会が変わる

 逆に、人が変われば、社会が変わる。これでいきます。社会が変わるように、人が変わるとはどういうことかを池田晶子さんの本で確認しましょう。この三部作は遺言です。

 「私とは何か」そういったことから変えていかないと、一人一人が生きる世界は難しい。一人一人が「私とは何か」を考えるために、一つには危機感、もう一つは将来への夢です。学校の教育もそれに近くなっていくようにしていかないと。

 北朝鮮のカリスマ的な教育は、全ての機会に、全ての人から、「彼を信用しなさい」というようなもの

 キリストもそうだけど、単に信じるだけでなく、自分を変えていくものが必要です。喜びを作り出すためのルール。ムハンマドで言うところの戒律。

ミッションの一般化

 ミッションを一般化したから、固有名詞は要らないです。それらはあくまでもサンプルです。

 その時点でミッションの一般化が起きました。店舗という単位から、社会という単位に変わってきた。店舗が変わることが社会が変わるための一手順に変わってきた。これは、私の中のミッションが変わったというよりも、社会のミッションが変わったということです。

バーチャルコミュニティ

 ネット上にバーチャルのコミュニティを作ればいい。アバターのように、活躍できます。意見を述べたものは全て、社会ライブラリに保有されます。入力は1対1も含めて、音声です。音声認識で全て残ります。

 私にとっての無限次元空間をネット上にバーチャルに作れば、全ての人に居場所が作れます。現実回避ではなく、新しい空間の中の住民です。私は学生の時から、無限次元空間に居るから、馴染のある場所です。そのうち、数学的に存在を確証できる。

 老人ホームのコミュニティなら、バーチャルの方が現実的です。動かなくても済みます。全ての関係をケアマネが把握できます。

 老人ホームへのデリバリー。回転寿司との関係。スシローは画面でネタを選んで、オーダーができる。そのパスを長くすれば、老人ホームからネタを選べます。配達はボランティアです。

 図書館の本ならば、既にできている。わざわざ、車で行かなくても済みます。操作性は抜群です。

 NPOも講師を呼んだセミナーとか、機会格差がなくなります。今でもツールがあるけど、レベルが高すぎます。iPadと無線LANなどを使えば安くできます。システム支援はボランティアの世界です。

 それで何が起こっているかのファシリテーションができるし、その結果としてインタープリテーションができます。それを事例として、店舗の中に作って見ましょう。Facebookが使えます。ナレッジデータベースはSFDCです。
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社会の分配が気になる

ローカルの意識

 重要なのはローカルの意識です。これはそう変わるものではない。組織で従属している個人ははるかに楽です。何も考えなくてもいい。グローバルの一部です。

 農耕作業は全部やらないといけないけど、サラリーマンは与えられたことをやっていればいい。そうすれば、お金が入ってくる。グローなるはその力でお金を集めてくる。その一部を配分されてくるから。元々、国の発想がそうであったが、有限化でお金が集まってこなくなったから、配分もできなくなってきた。

 見えているのはローカルだけです。これが重要なところかもしれない。何故、それが私のミッションなのか。生まれてきた理由なのか。

分配が気になる

 この最近は、分配が気になります。政治でもそうです。どう分配するかです。エネルギーも同様です。

 政治形態としての共産主義。それこそ、グローバルからローカルだったけど、ローカル主体になるから分配する必要がなかったはずなのに、配給社会になってしまった。民主主義の方が分配で優れていた、と歴史的にはなってしまった。

 共産主義こそ、ひっくり返せるけど、その状態を維持することの難しさをしめしている。それを進化させることは更に難しい。フランス革命の時に、十分な検証をしなかった。ナポレオンは答ではない。グローバルの場合は、力を集中することで、有無を言わせない世界を作り出して、「安定化」ができた。国家がエネルギーを保有しているが、分配を自分たちでやることは難しい。

 私有財産に関する考え方も同じです。個人の権利を認めないけど、共同で使っていく、シェアの方がローカルでは効率的だというだけです。私有財産を車まで広げたことで社会がきつくなった。あまりにも面積を取りすぎます。

人間の自由に対する考え方

 人間の自由に対する考え方がむずかしい。特に、自分たちで自由を獲得してこなかった、日本人は最後尾にならざるをえない。小市民的な個人の幸せがイメージが支配している。全体を変えないといけない時に、個人が変えないことが目的になってします。

 個人が変わる。変わるとは何か。池田晶子さんも個人が変われば、社会が変わると遺言している。自分だけの世界だけでなく、個人の近傍系と関係するのでしょう。何を変わりたいのか。カウンセリングでは「今のあなたでいいんですよが普通のやり方です。

 社会を変えるような、個人のような変わり方は何なのか。病院を行かないという決意するよりも、薬を飲まないという方が楽です。薬がある内は病院へ行く必要はないです。色々な手段と言うのはそんなことなのでしょう。AならばBである時に、人間はAしか考えない。考えるとは、Bまで考えることから始まるのでしょう。

新刊書が手につかない

 ヤマトの元会長の書いた経営書を読んでいたけど、私の観点とは完全に合わない。どうでもいいことばかりです。だから、新刊書を読めなくなっている。

 仕事というものが私にとって、違ってきた。そこでの成果の見方が違う。もっと大きなインフラが変わろうとしている時に、タイタニックのデッキ争うに見えてくる。今の職場では、パートナー以外は全て、どうでもいことです。個人の工夫とか言うものもそのレベルではダメです。これは家庭生活も同じです。早く、サファイアの生活を実現させましょう。

 博報堂の「気づき」にしても、なぜ、もっとおおきなことをしないのか。それだけのことを提案できる会社なのに。

 朝から、本を処理しているけど、新刊書で得るモノがほとんどなくなっている。やはり、自分で作り出していくしかない。全ての答は私の中にある。

 社会をどう変えるのか、そのために何を気づいて、どう変えていくのか。なぜ、店舗が考えないといけないのか。それは、店舗がインターネットの海のなかに漂っているか。インターネットの世界は個人が考えることに対して、グローバルが堂々と支援している。様々な実証実験がなされている。

 そのためのデバイスも進化している。これで、音声までも取り込まれたら、かなりの能力になります。店舗がグローバルの手先ではダメです。
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