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ゴミ問題を循環型にするには

ゴミ問題を循環型でやろうとしたら、来た方へ戻すということです。

フィンランドの郊外のスーパーマーケットを訪問した時に、1階はスーパーで地下がゴミの選別場になっていった。ベルトコンベアまで装備されていた。1階で買って、地下へ戻せばいい。(実はこの現場を私は見ていません。3階に図書館があったので、そちらに直行していた)

人間の動脈と静脈にしても、来た方向にもどっていくことで循環しています。

循環型社会の基本は元へ戻すということです。

名古屋のゴミ問題もそうです。やはり、一箇所に集めるのではありません。分けるのではないです。それができるのであれば、企業が使えます。

ゴミに循環型の考え方を入れるという単純な話をやらずに、市民に負荷をかけることだけに汲々としているのか。それではいつまで経っても循環はしません。

名古屋市のゴミ問題は作った人へ戻らずに、買った人が責任を持って分別するようなカタチを目指している。ゴミがゴミとして、一度集まってしまうとエントロピーみたいなもので、それを片付けるエネルギーだけで発生してしまいます。

これでは、作るほうのシステム化ができません。循環というのであれば、来た方に戻すことを考えていけば、血液のように本当に必要なものだけを摂取する仕組みが自己組織化されていくはずです。

クルマも本来、そういうものかもしれません。移動するための手段である人と移動そのものを楽しみたい人があったとしても、そのために環境を悪くしたいと思っている人がいない以上は使い方を複雑性に委ねて、作る人と使う人のコミュニケーションをもとにして、余分なことをお互いがなくしていけば、答えに近づく気がします。

本についても言えます。本を購入して、それに書き込んでもいいけど、それをどのように循環させるかです。自分だけで終わらせるのではないです。

そうして、売ること自体が変わってきます。売ることが循環の結果になります。

まだまだ、本を読んでいるとふらつきます。
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