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1783年のサンクトペテルスブルグにオイラーがいた

今、めまいの中で「新ネットワーク思考」を読み始めました。

複雑性とトポロジーの接点みたいな本です。トポロジーは数学でのテーマです。

複雑性はエドガール・モラン「複雑性とは何か」1993年で自分の思考に言葉を与えられたものとして追っているものです。

「6次の隔たり」は『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』で有名になった、世界60億人の誰とも6人の人を介すればつながるという理論です。

そこでは「疎のつながりと密のつながり」が私にはインプットされました。それはサファイアでの思考になっていきました。

まあ、それはそれとして、本の始めのところで、「1783年のサンクトペテルスブルグにオイラーがいた」というくだりを見て、感激してしまいました。このとき、オイラーは76歳です。サンクトペテルスブルグは1703年にピュートル大帝が作った街です。オイラーが生まれた頃です。その時点で文化が根付いていたのですね。

「ケーニヒスベルグの橋」を一筆書きのグラフ理論で解決したのはオイラーです。その「ケーニヒスベルグ」が現在の「カリーニングラード」でリトアニア独立で飛び地になった街であることも分かった。リトアニア館での「対話」で「なぜか、バルト海にロシアがあるんですよ」につながります。

ヨーロッパは色々なものがつながって面白いですね。のんびりと歩き回りたいものです。
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