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中間の存在を部品表の部位で考える

生きているという変な感覚

 この変な感覚に答を出さないといけない。考えてみてわかるとは思えない。なくなる直前ならわかるでしょう。

中間の存在を部品表の部位で考える

 なぜ、中間の存在が必要なのか。これは仕事を始めた時にわかったことです。部品表システムベースをテーマだった。部品表の中に「部位」というものがある。ここの品番単位では機能を表せない。かといって、全体である型式は、それ自身では何をするのかわからない。それらの中間に部位を配置して、機能を表すと同時に部分を表す。部分は全体を表す。

 仕事では、いつも自分自身で考え抜いた。与えられたものではなく、数学的な解釈を求めた。ここから位相を考えた。その部位の単位で技術者が居る。技術者の思考と部品表を対比させた。それで色々なことが容易に理解でき、システム化することができた。

 仕様表現と部品構成との関係、ここの部品の諸元と車自体の性格がつながった。それを部品表という、日本でも有数なデータベース上で片付けることができた。当時のIBMシステム360シリーズを駆使して、解析した。ほとんど、個人の知恵だけで行なった。

理念がカタチになった

 理念がカタチになった。理念がなければ、それぞれ、単純な仕事の集まりであったものが一つにつながった。

 その意味で、部品表が原点です。そのための中間の部位を中心とした、ダブルピラミッド構成が全てを表していた。あれは、GMとかGEで作られたデータベースの思考によって作られていた。車からエンジンの構成なども切り取ることができた。

技術者は自由に配置される

 完全に「配置」の世界です。どこにあるのかは自由です。そこに技術者が付いて、技術者の思考似合わせている。技術者はハイアラキーに支配されない。それを地域とか市民に当てはめる為に、販売部門に異動してきた。販売店はあくまでもハイアラキーだった。全域を考えている人がいなかった。

8.3.3「課題解決

 それで課題解決をしていく。環境社会に持って行く為にどうしたらいいのか。皆、ハイアラキーを求めている。配置の考え方で再構成していく。

 そのために、ソーシャルネットもできてきた。先人の思いに気づいていないかもしれないけど、これは大きなシナリオです。

8.2「クルマのあり方」

 車の所有ほど、資本主義を表すものはない。逆に言うと、資本主義はクルマの所有からできてきた。共用の世界を大きく引き曲げてきた。

 共有である道路のようなインフラを占有する為に勝手に、力強いものが勝つという論理を作ってきた。税金として集めてきたもので道路を作り、クルマに占有させる。それに市民は依存する。これは外部化です。

クルマと資本主義

 クルマが変われば、資本主義が変わる。クルマが共用になれば、共用主義に変わる。シェアする世界。

 クルマほど、それぞれが描くイメージが異なるものはない。権力の象徴としてみている、スピードにあこがれる、外から見た自分を表すものとして、車は有用です。豊田市のコメディアンが、所有している車がその人の「品格」であると述べていた。

 メーカーはそういう認識を使いながら、生き延びている。ほとんど変わり映えしないものを新しい商品として出している。

地域の販売店

 青森などの地域で大きな顔をしている販売店はメーカーの立場で行動する。地域である限りは二面性を持ちます。市民の代表であること、市民が何を考えているかを吸い上げて、変わっていくのが、中間の存在としての販売店の役割です。

豊田市に生まれた理由

 社会のあり方、社会との関係からすると、クルマが目指すのは環境社会です。今の環境を作り出したことの責任を取らないとダメです。人が動くようになって、金が動くようになって、今の社会を作り出した。それをクルマから変えていく。

 私が豊田市に生まれたのは、それを修正する為でしょう。ついでに、数学を志して、数学科からの募集をしていない、この会社に入り込んだのはそのためでしょう。そして、車を横断的に見られるように、事務部門、研究開発部門、販売部門、そして、不利な時間を与えられたのはそのためでしょう。

他者からの仕打ち

 他者の存在を認めていない、私にとって、他者からの仕打ちはこんなもんでしょう。見てない、見られていない。それを逆手に取ればいいでしょう。

もっとも短い「日記帳」を考案

 もっとも短い「日記帳」を考案しました。実際に使い込みましょう。「日記帳」をもっと増やしましょう。ほとんど暗号に近いけど、内容は雑記帳並です。
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世界史 イスラムの繁栄

『一気にわかる世界史』より イスラムの繁栄 500年~1500年

イスラムの台頭

 西暦400年代にローマ帝国の西側=西ローマ帝国が崩壊して、「繁栄の中心」は、帝国の東側=東ローマ帝国に移りました。

 「生き残った帝国」東ローマー西暦500~600年代には、ここが当時の世界で最も繁栄した大国であったのですが、ローマ帝国の最盛期にくらべれば、政治も文化もふるいませんでした。ただし、東口ーマ帝国は、衰退しながらも1400年代まで続きます。

 やがて、繁栄の中心はローマ帝国の外に移っていきました。東どなりの、メソポタミアとその周辺の西アジアです。

 600年代には、西アジアのアラビア半島で、アラブ人のムハンマド(570頃~632)によってイスラム教が創始され、急速に力を持つようになりました。「イスラム(イスラーム)」とは「神への絶対的服従」を意味する言葉で、イスラム教は一神教の一種です。

 神のことは「アッラー」といいます。また、イスラムの最も根本的な聖典は「コーラン(クルアーン)」といいます。アラビア半島では400年代頃から、一神教のキリスト教やユダヤ教が浸透しており、ムハンマドはその影響を受けたのでした。

 イスラム教の特徴に「個人の内面や生活習慣だけでなく、政治・社会のあり方についても踏み込んで規定する」ということがあります。そこでイスラム教徒(ムスリムという)たちは、単なる「教団」ではなく、政治的・社会的にまとまった独自の新しい「国」をつくりました。

 この国は、当初はアラビア半島の一都市からはじまりましたが、ムハンマドが亡くなる頃(632没)までにはアラビア半島全体を支配しました。それは「アラビア半島が根拠地であるアラブ人全体をまとめる国ができた」ということでもありました。

 その後、この「イスラム教徒の国」は、近隣の大国であるササン朝ペルシア(パルティアを受け継いだ国で、今のイランにあたる)を征服し、さらに東ローマ帝国からシリアやエジプトを奪うなどして急速に拡大しました。

 こうして700年頃までには「イスラム帝国」といわれる、かつてのローマ帝国にも匹敵する超大国が生まれました。ここから、世界の繁栄の中心は「イスラム」になります。

 イスラムに征服された人びとの多くは、イスラム教徒になりました。イスラム教にも、キリスト教と同じように、特定の民族を超えたさまざまな人びとに対して開かれた面がありました。また、イスラム勢力の中心であったアラブ人は、征服した各地に移り住んでいきました。

ウマイヤ朝とアッバース朝

 イスラム教徒たちは、ムハンマドの死後30年ほどのあいだは、「カリフ」(後継者の意味)と呼ばれる指導者を、有力者たちの選挙で決めていました。

 しかし征服・拡大を通じさまざまな対立が生じて、深刻な権力争いが起こりました。そして、その争いに勝利して指導者=カリフとなった者が、以後その地位を一族の者に受け継がせるという「世襲化」を行いました。これは、カリフがほかの国でいう「皇帝」にあたる存在になった、ということです。

 皇帝や国王が支配する政権を「王朝(○○朝)」といいますが、カリフを継承した初期のイスラム帝国はウマイヤ朝という政権でした。しかし、ウマイヤ朝はそれほど長続きせず、700年代半ばには別の家系のアッバース朝がとってかわります。

 ウマイヤ朝のイスラム帝国は、征服者であるアラブ人がさまざまな特権を持つ「アラブ人の帝国」でした。そのため、ペルシア人(ササン朝の中心的民族、今のイラン人につながる)などのアラブ人以外の人びとには不満がありました。その不満などから起こった反乱の結果、アッバース朝が成立したのです。

 アッバース朝はアラブ人主導の政権ですが、成立にあたり他の民族の協力を得ています。その政治のもとでアラブ人の特権は弱まり、さまざまな民族のあいだの平等化がすすんだのでした。

 また、ウマイヤ朝時代にはイスラム教のなかで「スンナ(スンニー)派」と「シーア派」という2大宗派の基礎ができました。

 スンナ派は多数派で、選挙による初期のカリフからウマイヤ朝へと引き継がれたカリフの正統性を認めますが、少数派のシーア派はこれを否定します。

 シーア派では、ウマイヤ朝とは異なるムハンマドの家系の人物(初期のカリフの1人、アリーのこと)とその子孫こそが正統なカリフである、と主張するのです。教義の根本の点では両者は大きくはちがいません。

 シーア派はペルシアを中心に広がっていきました。つまり、この2大宗派の成立には、「アラブ人とペルシア人の対立」ということもかかわっているのです。

 現在、イスラム教徒の1~2割がシーア派で、残りの大部分がスンナ派です。今のイランは、ほかのイスラム諸国とあまりよい関係ではないのですが、それにはこうした宗派のちがいも影響しています。

ギリシア・ローマの文明に学ぶ

 イスラムの人びとは、多くのことをギリシアやローマの文明に学びました。イスラムの人びとがそれを学んだのは、西側のとなりの東ローマ帝国の人びとからでした。東ローマ帝国とイスラムのあいだには、争いもありましたが、貿易や文化的な交流もさかんだったためです。

 たとえば、イスラムでさかんだった学問・科学の研究は、ギリシアの学問を引き継いだものです。イスラム帝国が征服した旧来ローマ帝国領(エジプトなど)には、ギリシア・ローマの書物が多く残っていました。800年頃から、イスラムの人びとは、それらの書物を自分たちの言葉であるアラビア語にさかんに翻訳しはじめました。そして、翻訳するだけでなく、やがて独自の研究へと進んでいったのです。

 アラビア語は、イスラム帝国を築いた中心勢力であるアラブ人の言葉です。イスラムの聖典である「コーラン」もアラビア語で書かれています。そこでアラビア語は、さまざまな民族が暮らすイスラムの国ぐにのなかで共通語になっていました。

 ただし、科学の研究がさかんだったといっても、イスラムの科学が、かつてのギリシアやローマのレベルを大きく超えて、それらをすっかり過去のものにしてしまったというのではありません。

 たとえば西暦1000年頃、イスラムの科学者たちは、彼らからみて千数百年前のギリシアの哲学者で科学者でもあるアリストテレスの著作を、「偉大な権威」として、教科書のように扱いました。これは、近代科学の急速な発展ぶりとは、大きくちがいます。
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IoTでサービスの概念が変わる

『IoTという衝撃』より 新たな産業革命 ⇒ 未唯空間では、サービスの高度化

では、人がつながり、モノがつながり、データを共有できる世界で何ができるのか。新たな環境をつくり上げるためには、ビジョンが必要になる。現時点で、このようなビジョンに最も適合する言葉はサービスだろう。人、モノ、データ、サービス。この四つのキーワードでインターネットの未来は見えてくる。IoTは我々の生活にどのようなサービスをもたらすのであろうか。

フィリップスは最近、利益率が低い、韓国や中国との家電分野の競争から撤退すると発表した。安価な家電づくりからヘルスケアの分野に注力し、健康をモニターする機能を備える、いわゆる「医電」に切り替えるというのだ。こうした動きは加速すると思われる。

たとえば、洗濯機はどのように変わるのか。洗濯する時、まずは洗剤を出さずに、水を入れてかき混ぜる洗濯機がある。水の中に汗などの成分が染み出るため、それをバイオ分析すれば体調を知ることができる。継続的にやれば、家族一人ひとりの体調をトラッキングできるようにもなる。掃除機も同様だ。掃除機で吸い込んだゴミからバクテリアの状態を見て健康への影響を判断したり、吸い込んだ髪の毛を自動的に分析して、体調を判断したりすることもできる。

ただし、それらの分析は洗濯機や掃除機で実行するわけではない。クラウド上に専用のコンピュータ機能があり、そこにデータを送るのだ。クラウドのインフラがあってこそ可能になるサービスであり、まさにIoTの成果である。

家電メーカーが消費者の健康管理を行うなど、昔は考えられなかったことだが、将来的には不思議なことではなくなるだろう。インターネットによってモノがつながり、そこから抽出した膨大なデータの計算や分析、既存データや他人のデータとの参照はクラウド上で行う。「あなたの部屋にこんなバクテリアがいる。それを除去するためにはこの装置をつければいい」などというアドバイスも、IoTで初めて実現できるサービスだ。

家電に限らず、ITがさまざまな産業に大きなインパクトを与え、新たなサービスを誕生させることになる。農業はどうだろうか。稲を収穫する機器のコンバインにセンサーをつけ、収穫時に水やタンパク質の成分、土の質など、米の昧を決める因子を分析できるようになれば、おいしい米か否かを収穫した時点で判定できる。この技術が実現すれば、農業ビジネスに革命を起こすことになる。

果物の糖度などを計測する時、いまは果物に検査器具を刺している。また、その器具は高額である。IoTによってそれが手軽に安価でできるようにもなる。作物を非破壊検査する技術を使い、その検査結果をインターネットでクラウド上に送り、過去のデータと比較するのだ。これによって、たとえばイチゴの甘さを即時に判断することができる。

実は、そのために必要な技術はすでに存在する。検査機器から正確な波長の色を出し、反射した光を分析して分子構造を判断することは、小惑星探査機「はやぶさ」に搭載された、言わば三〇年前の技術でもある。現在、正確な波長の発光や繊細な受光は、スマートフォンのディスプレーやカメラで驚くほど安価に実現できるようになっている。

サービスとは、社会の要求から生まれてくるものだ。家電から医電へという流れを見ると、高齢社会や高額な医療費、医師不足などの問題を解決するために創造された新しいサービスだといえる。農業へのITの活用も、コストダウンを実現し、最終的には価格の低下につながる。サービスの多様化はいまも進んでいるが、今後は、サービス・サイエンスとしての学術モデルの確立も進み、まったく新しいサービスの誕生を期待できる環境が次々と整っている。
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インターネット・バイ・デザインの七つの要素

『インターネット・バイ・デザイン』より

本書では、インターネットの設計思想に基づいて、社会や産業のシステムを構築することを「インターネット・バイ・デザイン」と呼んでいます。これまで述べたことから、インターネット・バイ・デザインの特徴的な要素をまとめてみます。以下の七つが挙げられます。

 グローバルで唯一のネットワーク

  インターネットは国境などの境界を意識せずに「グローバル」に相互接続されるもので、地球で「唯一のネットワーク」と言えます。

 選択肢の提供

  インターネットの本質は「選択肢の提供」にあります。そのためには、モジュール間でインターフェースの共通化(=標準化)が必要となり、こうした技術の標準化によって、Co-Opetiton(CooperationとCompetition を統合した造語」の状況が作り出されます。すなわち、協調して新しい市場を創造し、そこで公正で自由な競争が行われるようになるのです。

 動くものの尊重

  選択肢の提供に資するには、技術の最適化を意図的に行わず、多様なモジュールを導入できる環境が保持されなければなりません。さらに、「動くものを尊重」しながら、システムのイノベーションを継続することを意識した設計が重要になります。第1章4節で述べたように、カオス理論における初期値鋭敏性(あるいは軌道不安定性)を念頭に置き、最初からシステム全体を精緻に設計するのではなく、動きながら・動かしながら順次修正を加えて、環境の変化に柔軟に対応させていくわけです。

 最大限の努力(ベストエフォート)とエンド・ツー・エンド

  「最大限の努力(ベストエフォート)」に基づいたサービスの提供によって、品質を保証しないにもかかわらず、逆に品質の向上が継続的に達成されるエコシステムが実現されます。最終的には、サービスの品質と機能を達成することは、各エンドのコンピュータの責任で行われます(「エンド・ツー・エンド」)。これによってネットワークにある機器は単純な機能だけを担う構造となり、システム全体の低廉化と大規模化か実現します。とりわけ大規模化のためには、この最大限の努力という考え方が必須のものとなります。

 透明性

  インターネットでは、情報を自由に発信することが匿名性によって確保され、その中味の加工も経路上で行われず、「透明性を持った方法が維持されます。これによって利用者(ユーザ)と利用法(アプリケーション)を制限しないインフラが登場し、第1章7節で述べたように、「持続的な進化」、「非常時の耐性」、「マルチカルチャーの創成」が実現されます。

 ソーシャル性と協調

  誰もが自由に利用して、新しい活動(=イノベーション)を行えるのが、インターネットの環境です。このような特質は「ソーシャル性」と呼ばれます。そしてユーザとアプリケーションを制限しないことで、新しい要因がシステムに継続して投入されます。その結果、個人の自律的投資が社会全体のシステムを向上させることに貢献し、かえって個人が享受できる機能・サービスが増大するという「正の帰還」が成立します。こうした「協調」(相互支援)が、個人かつ社会の利益の実現につながるわけです。

 自立性・自律性・分散性

  インターネットには、情報を一時的に保存するバッファ機能が導入されたので、信号や処理のタイミングを合わせる同期をシステム全体で行う必要性がほとんどなくなりました。この非同期性によって、次の三つが実現されます。(a)自身のシステムが外部のシステムに影響されない「自立性」、(b)、自身のシステムの構成や制御を決められる「自律性」、そして(c)各々のシステムが広い範囲に存在しながら、自由に相互接続が可能となる「分散性」です。

このようなインターネット・バイ・デザインの考え方は、すでに他の分野のインフラで独自に実践されている場合もあります。たとえば、建築の業界で知られている「スケルトン・アンド・インフィル」というシステムの構造が挙げられます(第5章参照)。そこでは、構成要素がモジュール化され、さらにオープン化によって入れ替えることができて、利用者や利用方法を制限しない設計になっており、インターネットと共通する原理が導入された建築物とコンプレックス(複合施設)のあり方が見られます。

また、流通や交通といった都市インフラでは、実際にインターネット・バイ・デザインに基づいて、各システムを相互接続してネットワーク化を行い、それによってグローバルな規模で支援し合う自律・分散・協調の構築がめざされています。企業や組織が自営のインフラに投資すれば、サービスを相互に提供し合う(=互助)という関係によって、グローバルなインフラ全体にリッチなサービスが達成されることになるでしょう。そして結果として自営のインフラの利益となって返ってくる。こうした性質によって、自律的な投資の意欲がもっと生まれ、インフラ整備が加速されていくでしょう。私たちはいま、このようなソーシャル性を持った社会・産業インフラを創出できる時代を迎えているのです。
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